第20話 孫自慢と、我が子との稽古

 小一時間後。彼は宰相と別れ、詰所へ向かって歩いていた。

 もうそろそろ、学校が終わった娘達がやってくる時間帯だ。


 (疲れた……)


 宰相から話があると言われた彼は「もしかして、俺を次代の宰相に推すつもりなんじゃ……」とひやひやしていたが、この予想はまったくの的外れだった。


 どうも宰相は、もうすぐ三歳になる彼の息子を目にしたらしい。宰相にも同年代の孫がいて、急に孫自慢がしたくなったらしく、わざわざ彼を小部屋に呼んだのだ。


 宰相は現職に就くために妻と離縁しているが、孫と一緒に写真が撮れるぐらいなので、元家族との仲は良好らしい。


 (やれやれ……)


 肩透かしに、彼はもうため息しか出ない。

 宰相が懐から出してくる写真の数々に、「かわいいですね」「お爺ちゃんそっくりじゃないですか」「将来が楽しみですね」と小一時間も世辞を言い続け、貼り付けたような笑顔を浮かべ続けた。普段表情筋を使わないので顔が痛い。

 騎士歴二十年。長いものにぐるぐる巻かれ続けた彼は、ヨイショもお手のものだ。


 (まあ、宰相に推されなくて良かったが……)


 懐からハンカチを出すと、彼は自分の額を拭う。

 よく考えれば今、自分が次代の宰相に推されるわけがないのだ。

 十二年も妻の家の警護をしていて、つい一月前に王城勤務になったばかり。王城の勝手もまだよく分からないであろう男を、果たして宰相に推すだろうか。


 (……おめでたい考えだったな)


 我ながら、能天気にもほどがある考えだったと彼は思う。

 考えごとをしながら階段を上がり、詰所の扉を開けると、すぐにドンとぶつかるものを感じた。


「パパ!」


 自分そっくりの、真っ黒な頭が腹の辺りにある。


「……エリ、走ったら危ないと、何度も言ってるだろう?」

「ねえ、ママにお菓子もらったよ!」

「それは良かったな」


 彼の妻とエミリオ、それに私設兵は女性騎士に連れられて、この詰所へと一旦戻ってきたらしい。

 彼は腰に抱きつくエリの頭をぽんぽんと撫でる。


「ママは?」

「街の人みたいな格好に着替えて、そのまま母子寮へ行っちゃったよ」


 ちょうどすれ違いになってしまったようだ。

 彼は首を巡らせた。

 街の人みたい……ということは、身分を隠すため、市井の人間に扮したのだろう。


 彼の妻とエミリオは、これからは王城近くにある母子寮で暮らす。もちろん、母子寮の入居者に扮した護衛や、街の人間に紛れている護衛はつけている。


「今日はエリだけなのか?」

「うん! ターニャはダンスのレッスンに行っちゃった。姉者は部活だよ」

「そうか」


 ターニャは王子様と結婚したいらしく、ダンスや礼儀作法のレッスンを別途受けている。講師が舌を巻くぐらい、熱心に励んでいるらしい。

 テレジアはいつもどおり複数の部活動を頑張っているようだ。

 母親と弟が来ると知っていても、休まなかったらしい。


「エリはパパと打ち合い稽古がしたい!」


 エリは「宿題は終わったよ!」とノートを見せながら、武術の稽古をねだってきた。


 (今日は正直色々あって疲れたんだが……)


 彼は肩に手をやると、首を回す。

 今日は、妻のドレスの釦が飛んだりコルセットを縫ったり、ブルーノを気絶させたり、宰相に孫自慢をされたり……色々あった。

 体力的にというか、精神的にかなり疲れている。

 だが、これはエリには関係ないことだ。


「いいぞ、木刀を用意しておいで」

「やったあ!」


 彼は灰色の詰襟服を脱ぐと、椅子に立て掛ける。

 高襟シャツに胴衣をつけた格好になった彼は、エリの手を握る。まだ八歳のエリの手は小さく、彼の手にすっぽり包まれてしまう。


「今日はパパを一人占めできるね」


 エリは乳歯が何本か抜けた口を見せて、笑った。


 ◆


「やぁぁっ!」


 カンッ!と甲高い音を立て、木刀同士が当たる。

 ここは近衛部隊の詰所に隣接した演習場だ。

 騎士や兵達は午後の見回りに出ており、他にひと気はない。彼とエリは二人きりだった。


「いいぞ、もっと強く打ち込め」

「やぁっ、たあぁっ!」


 両腕で木刀を構えたエリは、頭上からそれを思いっきり振り下ろす。だが、彼はエリの渾身の一撃も簡単にいなしてしまう。

 エリの剣撃を受け流しながら、彼は口元に笑みを浮かべていた。


 (なかなか良い太刀筋だ)


 テレジアもターニャも、子どもとは思えぬほど良い一撃を繰り出すが、エリはまた特別だった。


「まだまだァァ!!」


 独特のリズム感で繰り出される剣撃。一見太刀筋はまっすぐなようだが、エリはこちらの様子を窺って、微妙に力加減を変えてくるのだ。緩急を付けているのは、相手の隙を突くためだろう。


 (面白い)


 部下の稽古に付き合う時は、仕事だからと割り切っている部分があるが、我が子は違う。

 その子なりに創意工夫をして、親である自分に立ち向かってくる。成長が見えるのだ。

 それが面白くて、楽しくて堪らない。



「ふぅーーっ」


 一通り打ち合いをした後は、二人でベンチに座り、休憩する。

 エリは勢いよく、木のカップになみなみ注がれた水を飲み干すと、ぷはっと息をはいた。ぐっしょり濡れたショートボブからは、汗が滴っている。


 演習場には管理人がおり、声を掛ければ水やタオルが貰える。王立騎士団の福利厚生はかなり充実していた。


「また腕を上げたな、エリ」

「そんなことないよ、またパパから一本取れなかったしぃ。最強への道は遠いね」


 首の後ろをがしがしとタオルで拭きながら、エリは頬を膨らませる。


「何でエリは最強になりたいんだ?」

「ええ? 強くなりたいのに理由なんて無いよ。剣は面白いから、強くなりたい。だって強くなったら、もっと面白くなるでしょ?」


 至極、八歳児らしい答えだった。

 テレジアもターニャも大人びていて、何か尋ねると大人顔負けの返答が来る。

 だが、エリは違う。


「そうだな」


 (剣が面白いと思ったことなんて、あっただろうか)


 カップに残った水を見つめ、彼は思う。

 自分は人を殺すために生み出された。剣も人を殺す手段の一つとして覚えた。それに面白さなど、見出したことなどあっただろうか。

 ただひとつ言えることがある。


 我が子との稽古は楽しかった。

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