第19話 家族と出世

(やはり、警戒されてしまったな)


 あの後、私設兵と一緒にやってきた末っ子長男のエミリオだったが、久しぶりに父親と会って恥ずかしく思ったのだろう。ぷくっとしたほっぺを赤く染めながら、母親のドレスを掴んでいた。


 こういう時は無理に抱き上げない方がいいと判断した彼は、照れるエミリオのくるくる巻き毛の頭をぽんぽんと撫で、その場を去った。本当はもっと家族と一緒にいたいと思ったが、部下が持ち場についているか、城内を見回るのも大事な仕事なのだ。

 妻と息子のことは部下の女性騎士に任せた。この女性騎士は団長の補佐役で、近衛騎士の中でも副団長の彼の次に地位が高い。


 今までも出征する度に数週間子ども達と離れていたが、帰ってきた時に真っ先に飛びついてくる子と、恥ずかしがって隠れてしまう子に分かれていた。

 エミリオは後者のタイプだ。


 どちらがいい、とは一言では言い切れない。エリやターニャのように再会を全力で喜んでくれるのは……受け止めるのは大変だが嬉しいと思うし、テレジアとエミリオのように、恥ずかしがって隠れてしまうのも、それはそれでいじらしくて胸の奥がくすぐったくなる。


 エミリオを王都まで連れてきてくれた妻には感謝しかない。妻に会えたのももちろん嬉しかった。

 今日も色々ハプニングはあったが、妻と一緒にいると、灰色掛かった日常が色鮮やかなものとなる。一人でいると、視覚や嗅覚を意識することはないが、家族と、特に妻と一緒にいると、世界はこんなにも色や匂いで満ち溢れているのかと驚く。

 これからは妻やエミリオとも定期的に会える。そう思うだけで彼の足取りは軽くなった。



「隙ありっっ!」


 急に廊下の死角から曲者くせものが飛び出してきたが、彼は口元に微笑を湛えたまま、最小限の動きで曲者の攻撃をかわす。


「はっ!?」


 そして曲者の背後を取り、ぽんと背中を手で押す。

 曲者がつんのめり、前屈みになったところで、首の後ろ目掛けて肘打ちを喰らわせた。


「がぁっ!! ……きゅぅぅ……」


 曲者はよろよろと倒れ込むと、そのまま気絶した。


 (……ブルーノか、悪くないアプローチだったな)


 曲者の正体は、すでにお馴染みになっている特務部隊団長のブルーノだった。

 当初は真正面から勝負を挑んできていたが、気絶させられ続けたブルーノはこのままではいけないと思ったのだろう。

 三回目にしてやっと、不意打ちを狙ってきた。


 彼は近くにいた騎士に目配せすると、床に転がったブルーノを黙って指差した。

 騎士が慌てて駆け寄ってくる。



「さすがですな、副団長殿」


 背後から、おだやかな声が聞こえてきた。

 振り向くと、そこにはテールコートを纏った老紳士がいた。


「宰相様」

「『死番のブルーノ』を一撃で床に沈めるとは」


 彼に負け続けているブルーノであったが、奴にも二つ名があった。

 死番のブルーノ。死番とは、特務部隊のおとり役の先頭のことで、死亡率が高い危険な役割だ。

 ブルーノは歴代の特務部隊所属の騎士の中で、もっとも死番役を務めてきた。ブルーノがやけに思い切りがいいのは、死線を潜り抜けてきたという自負があるからだろう。


 (こんなに弱いのに、よく死なずに済んだな)


 彼はフンと鼻を鳴らすが、思えばやけに悪運が強く、生き残り続けるような奴はどこにでもいたなと考え直す。


「宰相様、何か御用ですか?」


 運ばれていくブルーノを見届けた彼は、宰相の方を向き直る。

 宰相は妻の父と同い年で、今年で六十二歳になる。後ろに撫でつけた髪は真っ白で、顔には多くの皺が刻まれていたが、テールコートを羽織るその背は真っ直ぐに伸びていた。


「せっかくです。少しお話しませんか?」


 宰相の目端に皺が寄る。


「副団長殿が多忙なのは存じております。お時間は頂きません」

「いえ、大丈夫です」


 (……あの話か?)


 彼は宰相が何の話をしようとしているのか、なんとなく想像がついた。

 王城内で、ある噂がまことしやかに流れていたからだ。


 (宰相様は引退を考えられている)


 宰相はもう六十代だ。長らく戦争続きだったこの国の平均寿命はけして高くない。特に男の平均寿命は短く、六十二歳は充分高齢者である。

 先王の時代から約二十年、宰相職に就いていたこの男は退くことを考えていると皆噂していた。


 しかし、後任を見つけるのは容易いことではない。この国の宰相は主要貴族を集めた円卓会議の司会役を務める。

 円卓会議に呼ばれるような家に在籍していれば、その家を優遇するのではないかと悪評が立つ。


 (宰相は独身であり、継ぐ家も無いことが求められる)


 事実、宰相は現職に就く際に二十年連れ添った貴族の妻と離縁し、実家の伯爵家からも籍を抜いた。


 宰相は、継ぐ家の無い身軽な男を探している。


「行きましょうか、副団長殿」

「はい……」


 妻と息子に再会し、彼の浮かれていた気分が一気に落ち着く。


 彼は侯爵家の一人娘だった妻と結婚したが、家督は長女テレジアが継ぐことが決まり、彼は継げなかった。

 彼の年齢は三十代半ばで、役職は近衛部隊副団長。団長は後二年で退役することが決まっていて、順調に行けば二年後には彼が団長になる。

 近衛部隊の団長は、事実上の王立騎士団のトップだ。歴代の団長は、要職を得て来た。


 自分が将来の宰相候補かもしれない。彼はそう考えると、背に冷たいものが這い上がる思いがした。

 宰相になるということは、妻子との別れを意味するからだ。


 ◆◆◆


 いつもご覧頂き、ありがとうございます。

 近況ノートにも書きましたが、作者多忙のため、しばらく更新が遅れがちになります。(くわしい理由は超個人的なことのため、サポーター限定公開にしております)

楽しみにされているところ申し訳ありませんが、気長にお待ち頂けると幸いです。

 何とぞよろしくお願い致します。


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