第18話 愛のハンドサイン

(ど、どうしよう……!)


 彼の妻は焦っていた。


 (ドレスのホックが取れちゃったわ……!)


 マルクがやってくるのを見て、妻は慌てて淑女の挨拶をしようとした。

 その時だった。

 無理やり肉を詰め込んでいたコルセットの布地や紐がちぎれ、はみ出した肉が背中と腰にあるドレスの釦をポーンと吹き飛ばしたのだ。


 なお、奇しくも王城の外では改修工事が行われており、妻がドレスの釦を吹っ飛ばしたその時も、ちょうど外から角材を倒したような音が響いていたので、二人には気が付かれていない。


 妻は額に汗を浮かべ、恐る恐る、隣りに立っている彼の顔を見上げる。

 彼は胡乱うろんげな目で、妻を見下ろしていた。


 (ひいぃ! バレてる! さすがは旦那様!)


 ガーンッと縦線背景を背負った妻。

 なお、彼にはドレスのホックを吹っ飛ばしたことはバレていない。

 彼は自分の妻が主君に対し、どのような感情を抱いているのか読み取ろうとしていたので、ドレスがどうなろうが知ったことではなかったのだ。


「だ、旦那様……」

「何だ?」


 妻はサッサッサッと彼にハンドサインを送る。妻は体型変化の非常に激しい人生を送っており、今までも似たようなハプニングは稀によくあった。

 口出すのは憚られることを、ハンドサインにしていた。


「ああ、なるほど」


 彼は表情一つ変えることなく、自分が纏っていた外套をささっと脱ぐと、妻に羽織らせた。

 床に落ちていたホックをすぐさま回収すると、妻の手を引く。


 だだっ広い廊下には当然他にも人が歩いていたが、皆見て見ぬふりをする。宗王の姉であり、「宗国の猟犬」である彼の妻を笑えば、命などないと思っているのだろう。気がついてしまった人間は、必死で素知らぬ顔をしていた。


 ◆


「恥ずかしい……。またやってしまいました」


 王城内にある客室の一つに、彼とその妻はいた。

 妻はドレスを脱ぎ、彼から借りた外套を身に纏っている。椅子に座り、泣き出しそうな顔をしながら俯いていた。


 彼はその辺を歩いていた部下に声をかけ、詰所にいる侯爵家の私設兵を連れてくるようにと命じた。


 私設兵は替えのドレスを詰所まで運んできていた。

 そろそろエミリオもお昼寝から目覚めている頃だろう。

 替えのドレスと息子をこちらへ運ばせようと考えた。


 彼は妻のドレスのホックを慣れた手つきで縫い止め、派手に裂けてしまったコルセットの応急処置をしていたが、何かに気がついたのか、手を止めるとドレスの布地に鼻を近づけた。


 (硝煙しょうえんの臭い……?)


 鈴蘭のような香り以外にも、爆薬に近いような臭いがする。

 視線を感じ、顔を上げると、妻がこちらを見ていた。

 目が合うと、妻は何かを誤魔化すように大袈裟おおげさに笑った。


「あはっ! 今日は香水をつけすぎちゃって……。臭かったですか?」


 隠しごとをしているのは明白だった。妻は他人には本心を悟らせないように出来るのだが、彼相手だと途端にポンコツになる。


「いや、良い匂いだ」


 (ここに来るまでにクマ撃ちでもしたのだろう)


 王都に近い街道で、クロアナグマの目撃情報があった。討伐隊を派遣しようと考えていたが、手間が省けたかもしれない。


 彼はこれ以上妻を追求しなかった。妻は「騎士の夫に護られる、可愛い奥さん」でいたいと思っている。その妻のささやかな願いを踏みにじることなど出来ない。


 この後も、彼は黙々と妻が破ってしまったコルセットを修復した。

 彼は十二年間妻の実家にいたが、そこで裁縫の技術を学んだ……というか、叩き込まれた。


 妻の実家である侯爵家は服飾を生業としている。妻の父親から、「この家の人間になりたいのなら、手縫いでドレスぐらい作れないと務まらんぞ!」とパワーハラスメント甚だしいことを言われた彼は、光の速さで裁縫の技術を習得し、数日後には妻の父親をギャフンと言わせた過去がある。


 (あの時は、裁縫と暗殺の技術が似ていて助かったな)


 目にも留まらぬ速さで針を刺しながら、過去を思い出す。

 裁縫も暗殺も、サイズは違えど針を使う。そして繊細さを要する。類似点があった。

 苦労が少なくない婿生活だったが、こうして裁縫も覚えられたし、悪いことばかりでは無かったと彼は思う。


 なお、裁縫は「生きる伝説」と呼ばれる老齢の女職人から習った。彼女は頑固者で弟子を取らないと有名だったが、彼がしおらしく頼んだら秒で弟子入りが叶った。


 (……師匠が面食いで助かった)


 武人として、己の顔面を武器に使うのはどうかと思わなくもないが、顔が良くて助かった場面は今までの人生で幾度もあった。

 器量の良さだけは、両親に感謝しなければ。



「……出来たぞ」

「わー、早い! ありがとうございます!」


 私設兵らが来る前に、ドレスやコルセットの修復が終わった。なお、縫い方を工夫して、コルセットに多少の伸縮性を持たせるようにした。


「すごい! フィットするのに全然キツくないです!」

「それは良かった」


 ドレスを着た妻は大喜びでその場をくるくる回って見せる。それまで萎れていたのに、花が開くように破顔する妻を見ていると、こちらまで嬉しくなる。


 裁縫道具を片付けようとした、その時だった。

 騎士服の袖口から一本糸が出ていた。


「おっと、袖口にほつれが」

「私が直しましょうか?」

「頼めるか?」


 彼は灰色の詰襟服を脱ぐと、妻に渡す。

 別に自分で直せなくもない。

 だが、こういう場面では妻に任せたほうが、物事が上手くいく。

 夫婦間であっても、借りや貸しはあるものだ。


 妻は針を持つと、嬉しそうに袖口に刺していく。

 和やかな空気が流れた。


 ◆◆◆


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