第23話 ムキムキになりたかった

 彼一行が楽しく食事をしていると、会場内に突然ラッパの音が高らかに鳴り響いた。


「何だ?」


 白パンを小さくちぎってエミリオの口へ運んでやっていた彼は、顔を上げる。


『皆様! 大変長らくお待たせ致しました! 「地下闘技場〜王者集う夏の祭典〜」が今、始まります!』


 耳につくキーンという音とともに、実況者らしい人物の声が会場内に響いた。

 そして、リングと呼ばれる試合会場には、出場する戦士らしき男達が続々と入場した。


「女性はいないのですね」


 彼の部下であるリーリエは、興味深そうにリングを覗いている。

 そんなリーリエに、エリは売り子から買ったパンフレットを見せる。


「今日は男だけの試合みたいだよ。第一部は組み手戦で、第二部は剣闘技会をやるみたい」

「なるほど」

「……リーリエ、念のため言っておくが、近衛部隊は副業禁止だぞ?」


 王城勤めの近衛騎士や侍女など、いわゆる宮仕えと呼ばれる人間は基本的には副業禁止だ。ただこれも、執筆活動や家業手伝いは可能など抜け道はある。


「存じあげております。ただ、私とて剣を握る身。……少々、興味がありまして」

「ふむ」


 リーリエは文武両道の凄腕補佐官で、入団試験は学科と実技含めてオール満点で近衛部隊に入った。エリートなのである。

 並の男より勉強が出来て強いと言うと女傑タイプが連想されるが、リーリエはそんなこともなく。真面目ゆえに多少表情や口調が堅いこともあるが、基本的には何でもひたむきに頑張る優しい女性だった。

 そしてなにより。


「リーリエ、だっこちて」

「まあああっ……! えっ、エミリオ君、いいのですか?」

「うんっ!」

「はわわっ! かっ……かんわぃ……」


 リーリエは子どもが好きだった。エミリオがちっちゃな紅葉のような手を伸ばすと、彼女は頬を染め、恐る恐るエミリオを抱き上げる。


 妻とエミリオが王城へ来た当日、二人を案内した女性騎士がリーリエだった。エミリオとリーリエはその時に仲良くなったようだ。


 リーリエに抱っこされたエミリオは、嬉しそうにキャッキャと声を上げる。リーリエも天使のように愛らしいエミリオに悶絶していた。

 そんな仲睦まじい二人の様子を、彼は光のない目で見つめている。


 (お父さんより若い女のほうがいいのか……)


「パパ、どんまい!」


 ショックを受ける父親の肩を、エリはぽんと叩いた。


 ◆


 何はともあれ、「地下闘技場〜王者集う夏の祭典〜」は始まった。

 出場する戦士達は皆当たり前のように筋骨隆々で、パンプアップした上半身を惜しげもなく晒している。

 今大会は二部制で、第一部は組み手戦が行われるらしい。組み手戦は対戦相手をタッチラインの外へ追い出せば勝ちというフィジカルがモノを言いそうな競技だからか、出場者達も皆見るからに屈強そうだ。


 (羨ましい……)


 彼は無意識に自分の肩や胸に手で触れながら、戦士達の見事なボディを見つめる。


 (俺も若い頃はああなりたくて頑張っていたが……)


 彼は見た目は文官のようだが、歴とした騎士である。戦う職業だ。

 当然、若い頃はムキムキの逞しい身体に憧れた。

 特に彼は女顔だ。女顔で線が細いと初見でバカにされることもあれば、妙な視線を送られることもある。

 筋肉がぱんっと張ったごつい身体になれば、煩わしいことも減るのではと思い、毎日のようにトレーニングをしたのだが──


 結果は均整の取れた細マッチョになってしまった。

 現実は、健康のために少々身体を鍛えている文官と大差のない身体付きである。我ながら、フロックコートが似合ってしまう体型が恨めしい。


 人には「俊敏さが落ちるから、筋肉を付けないようにしている」と言っているが、ただ単に筋肉が付かなかっただけだ。頑張ってもムキムキになれなかったのは、体質のせいなのかもしれない。


「皆さんすごい身体付きですね〜〜」


 隣りで彼の妻が感心したような声を上げている。


「君もああいう体型が好きなのか?」


 彼はつい、妻に不要な質問をしてしまった。

 妻は彼の質問に、ぱちぱちと瞬きする。妻は顎に指を当てると、唇を突き出す。


「う〜〜ん。美味しそうだなと思いますけど、私は旦那様みたいな細マッチョな方が好みですね!」

「……。美味しそう?」


 どうやら食いしん坊な妻は、筋肉の塊を見ても肉の塊にしか見えないようだ。


 妻と話していると、また実況の声が聞こえてきた。

 第一試合が始まるらしい。


 筋骨隆々な男達が全員下がったあと、今度は西と東にあるそれぞれの出入り口から、一人ずつ戦士が入場してきた。


「あっ!」


 エミリオと戯れていたリーリエが、驚いたような声を出す。そして、リーリエは彼の顔を見た。


「閣下、あの方……!」


 ムキムキ集団の中に紛れていて先ほどは分からなかったが、見知った顔がそこにはいた。


「ブルーノ……」


 オールバックのくすんだ茶髪に独特な口髭、顔には羽を広げたコウモリを摸した戦化粧を施しているが、あれは間違いなくブルーノだった。


「……副業は、規律違反では?」

「いや、特務部隊の場合は許されている」


 特務部隊のメイン業務は諜報だ。市井の仕事に付き、諜報活動を行うことも多い。日頃から色々な仕事をしていれば任務で役立つこともあると、特務部隊では副業は黙認されている。


 (……ただ、団長は別だ)


 特務部隊でも団長は諜報を行わない。一部隊の総大将だからだ。


「リーリエ、ここは任せたぞ」

「閣下、どちらへ行かれるのです? もう試合が始まりますよ」

「野暮用だ。すぐ戻る」


 彼は中腰で立ち上がると、後ろの席の視界の妨げにならないよう、観客席からササッと出ていった。


 ◆◆◆


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