第24話 ブルーノの事情

 観客席から離れた彼は、先ほどエリから見せてもらったパンフレットの内容を思い出す。パンフレットには地下闘技場の全体マップが載っていた。


 (地下闘技場の観客席は護衛の任務で行ったことがあるが、出場者の控室に近寄ったことはないな……。だが、行き方の検討はつく)


 彼はかつて七年間も特務部隊にいた。潜入はお手の物だ。ありとあらゆる建造物の構造が頭の中にある。初見の建物でも、ほぼ問題なく入れていた。


 (……ここから出場者控え室へ行けそうだ)


 出場者控え室へ続く道はすぐに見つけることが出来たが、見はりが一人立っている。部外者が入り込まないようにするためだろう。

 天井を見上げる。ダクトなどを辿って控え室へ潜入することも考えたが、今日は家族連れだ。なるべくなら汚れたくないと彼は考えた。


 (しょうがない)


 彼は左右に首を振りながら、額に手をやる。迷ってしまった観客を装った。


「どうかされましたか?」


 彼の存在に気がついた、見はりの男が声をかけてくる。元闘技場の戦士なのか、かなりガタイがいい。

 彼の身なりがそれなりに良いからだろう。見はりの男の言葉遣いは丁寧だった。


「すまない。従者を連れて初めてこの闘技場へとやってきたのだが、どうもはぐれてしまったようで……」


 彼は眉尻を下げ、軽く後ろへ流した黒髪を搔く。

 お忍びでやってきた貴族を装う。


「それは大変ですね。ここの道をまっすぐ行って、突き当たりを右に曲がったところに……」


 見はりの男は彼に背を向けると、遥か前方を指差す。彼は、見はりの男の視線が自分からそれた瞬間を見逃さなかった。


 トンッと手刀が見はりの男の背に振り下ろされる。

 傍目から見れば、そんなに強い衝撃が与えられたようには見えない。しかし、見はりの男は「うっ……」と小さな呻き声を漏らすと、そのまま倒れ込んでしまった。


 気絶した見はりの男が人目につかないよう、脇に手を回し、通路の死角へと引き摺っていく。


「ふぅ……」


 額に浮いた汗を手の甲で拭うと、彼は見はりの男が立っていた道に入る。

 その時だった。

 

 どこからか、ワアアアッという大きな歓声が聞こえた。

 そして、興奮したような実況の声も。

 『強い! バット・ラブ・ブルーノ!! 今日で十連勝です!!』

 「バット・ラブ・ブルーノ……? 十連勝だと?」


 ブルーノはリングネームに自分の名前を入れていた。忍ぶつもりのないブルーノに、彼はげんなりする。


 (……ブルーノめ。あいつは部下にどう見られるか、考えないのか?)


 自分ならば、上官が地下闘技場で戦っていると知ったら少なくとも良い気はしない。若い騎士ならば、この部隊にいてもまともに食えるようにはならないと失望するだろう。他部隊へ異動を願い出る者だっているかもしれない。


 控え室を窺うと、他の出場者は居なかった。もっと別の場所で彼らは待機しているのだろうか。


 (ここで待つか)


 勝利したブルーノはおそらくここへ戻ってくるだろう。

 彼は壁に背持たれた。



 ◆



 しばらくすると、階段の上から人が降りてくる気配がした。重い足取りと、はぁっと深いため息をつく音がする。


 彼は着ていたベストの内側から、銀の細い暗器を取り出すと、さっと身をひるがえした。


「──いっ!?」


 そして彼は、疲れた顔をして降りてきた男の首に、暗器の先を突き付ける。


「……チェックメイトだ、ブルーノ」


 彼はにやりと微笑む。

 ブルーノは心底驚いたと言わんばかりにのけぞった。

 今まで奇襲を受けてきたお返しだ。


「あっ、あんた……!? 何でここに? こんなところで何してんだ」

「それはこっちのセリフだ。貴様は一応特務部隊の団長だろう? 副業は感心せんな」


 彼の言葉に、ブルーノはぐぬぬと唸る。


「……監査部に依頼されてきたのか?」


 監査部は王城内にある騎士団の風紀を取り締まる部門だ。だが、ブルーノの件は監査部に頼まれたものではない。


「いいや。うちの次女が地下闘技場へ行きたいと言ってな。家族サービスでここへ来たら、ブルーノ、貴様が闘技大会に出場していて驚いた」

「……なるほどな」


 ブルーノは肩にかけていたタオルで顔を拭きながら、ベンチにどかっと腰掛けた。鍛えあげられた剥き出しの上半身には汗が光っている。


「なぜ地下闘技大会に出ている?」

「ハッ……! 金のために決まってるだろ」


 ブルーノはがしがしと首や胸元の汗を拭いながら吐き捨てる。


「三年連続戦果一位だったそうじゃないか」

「ふん……。俺にゃあ、六人もガキがいるんだ。報奨金なぞ養育費や学費で飛んでっちまう。貴様の嫁さんみたいにぶっとい金づるはいないんでねェ、こちとら」

「学費?」

「うちには士官学校へ通うのが二人、兵学校に通ってんのが四人もいるんだ」


 兵学校も、その上の士官学校も、実はものすごく学費が掛かる。市井の人間が子どもを士官学校へ入れるために、家を売ったなんて話があるぐらいなのだ。

 それにブルーノは養育費と言っている。別れた妻子に金を渡しているのだろう。

 

 (たしかに六人も子どもがいて、全員兵学校や士官学校に行っていたら、報奨金を貰っていても家計は火の車だろう……だが)


 ブルーノは確か貴族出身だったはずだ。実家から援助を受けられないのだろうか。


「貴様は貴族だろう?」

「ああ? ……親父は貴族だが、おふくろは平民だ。親父が屋敷で下働きしてたおふくろに手ェ出して、生まれたのが俺だよ。正妻さんにゃガキは居なかったから、一瞬だけ嫡子だったこともあるがなぁ」


 ブルーノは自嘲気味に笑う。

 ブルーノの実母はブルーノを産んだあと、彼をつれて故郷の村へ戻り、酒場で働きだしたらしい。

 ブルーノの粗野な振る舞いは、その複雑な出自からくる物のようだ。


「……副団長、あんただって似たような出自だと聞いたが?」

「ああ、俺も子爵の庶子だ」


 彼も正式な夫婦以外から生まれた存在だった。だが、七つの時に実母が亡くなり、貴族の父親へ引き取られた。


 (ブルーノの口ぶりでは、父方の貴族家から援助されていないようだな)


「俺ァ、とにかく金がいるんだ。……たっく、団長になってからというもの、金が稼ぎにくくてしゃあない」

「貴様、もしや俺に突っかかって来ていたのも」

管理職トップってのは面倒だな。出られる任務がどでかい案件しかねえ。ぜんぜん稼げねぇんだよ。……なぁ、近衛の副団長サマよ。俺が自由に稼げるようにさ、降格処分にするよう上に言ってくれんかね?」

「金を稼ぎたい本当の理由にもよるがな」


 ブルーノは子どもの学費や養育費以外にも、金を稼がなくてはならない理由があるような気がする。

 彼がそう感じた、その時だった。


「誰か来るぞ」

「お、おい」


 微かだが、足音がする。彼はとっさにベンチの裏に身を隠した。

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