第25話 亡国の騎士

 控え室の扉が開く。ふわりと高そうな香水の臭いがする。もうそれだけで、それなりの身分の者がこの空間へ入ってきたことが分かる。

 ベンチの裏に隠れ、屈んだ彼はブルーノの背を見上げる。筋肉が盛り上がった背はピンと伸ばされていた。明らかにブルーノは緊張している。


 (……入ってきたのは、ブルーノの弱みを握る人物か?)


 ブルーノの性格上、対等かそれ以下の相手ならぞんざいな態度を取るだろう。だが、ブルーノは猫撫で声を出した。


「これはこれは……ウラジミル様」

「今回の試合で十連勝か。なかなか調子が良いようだな? ブルーノよ」

「はっ、おかげさまで……」


 (……ウラジミル?)


 確か地下闘技場の支配人がそのような名前だった気がすると、彼は記憶を手繰り寄せる。


「お前に金を貸してよかったよ。この調子なら、すぐにでも回収出来そうだ」


 ウラジミルと呼ばれた男は、くくっと喉を鳴らして愉快そうに笑う。


 (なるほど。この男から金を借りていたのか)


 地下闘技場の支配人はかなりの遣手で、地下闘技場だけでなくカジノも運営している。正直なところ、あまり良い話は聞かない。


 (……何故こんな男からわざわざ金を借りたんだか)


 ブルーノは諜報と暗殺を生業とする特務部隊の団長だ。誰よりもこの国の裏事情を知らなければならない人物だろうに。

 彼はため息をつきたくなったが、じっと息を殺し、二人の会話に耳を立てる。


「そうだ。十連勝の祝いに、とっておきのカードを組んでやろう」

「とっ、とっておき……?」

「来い、アスタクレス」


 ウラジミルが声を掛けると、扉が開く音と共に、ガシャガシャと金属が擦れる音がした。


 (……鎧か?)


「あっ、……あ」


 ブルーノの背がびくんと跳ねる。どうも、ウラジミルが連れてきた者はとんでもない人物のようだ。


 (アスタクレス……。確か西の帝国にそのような名前の将軍がいたな)


 この宗国の西側には、かつて帝国が存在していた。約十六年前に終結した宗西戦争は、宗国が勝利をおさめ、敗北した西の帝国は王家が皆殺しになり、滅んだ。

 この国が大陸の宗主国、「宗国」と謳われるようになったのも、彼が「宗国の猟犬」と呼ばれるようになったのも、宗西戦後だ。

 彼はまた、脳内にある引き出しを開けていく。


 (アスタクレス将軍は、西の帝国の宮城きゅうじょうの隠し門を守っていた)


 まだ幼かった王子や、王の母を密かに逃すための場所だったのだろう。彼が隠し門へ到着した時、西の帝国側の警護の人数は必要最低限だったが、アスタクレスを始めとした精鋭が守りを堅めていた。


 (あの潜入作戦は骨が折れたな)


 アスタクレスは身長2m近い大男で、大剣を軽々と振り回していた。

 彼はそのアスタクレス相手に一騎討ちで戦うことになった。その時点で彼は百近い数の敵将首を取っていたが、アスタクレスが間違いなく、西の帝国の将軍のなかで一番強かった。

 なにせ首を取ることは叶わず、左眼を切るのが精一杯だったのだ。


 (……出来ればもう一度剣を交えたかったな)


 あれからもう十六年。アスタクレスはその当時二十代半ばだったはず。今ではもう四十を超えているだろう。


「ブルーノ、お前は第二部の剣闘技戦に出ろ。相手はこのアスタクレスだ」

「なっ……!? 一日に二試合は無理ですよ!」

「うるさい、異論は認めんぞ」

「ひぃぃっ!」


 十連勝のブルーノがこれだけ震える相手。

 彼は興味が湧いた。殺しはあくまで仕事だと割り切っているが、剣の腕を競い合うのは嫌いじゃない。

 彼は隠れるのをやめ、すくりと立ち上がる。


「お、お前は誰だ!?」


 ベンチの裏から突然現れた彼に、ウラジミルは驚く。

 そして、ウラジミルの隣に立っていた男も。

 ウラジミルは想像通り、金のアクセサリーを指や腕にじゃらじゃら付けた趣味の悪い小男だった。


「お前は……」


 ウラジミルの隣にいる鎧を付けた大男は、左眼を黒い眼帯で覆っていた。残っている目で、彼の姿を凝視している。

 大男は銀髪を頭の後ろで一つに括り、袖のない灰色の装束の上から如何にも重そうな鎧を纏っていた。


「アスタクレス、知り合いなのか?」

「おそらくですが、私の左眼と故国を奪った者です。……あの深い緑色の瞳には見覚えがある」

「なんと……、あいつは『宗国の猟犬』なのか?」


 アスタクレスは彼のことを覚えていた。

 当然だろう。アスタクレスは恐ろしく強かった。おそらく西の帝国では負けなしだったはずだ。そんなアスタクレスが負けた相手が、彼だ。


「アスタクレス将軍との試合は、ブルーノではなく、俺を出してもらえませんか?」


 彼はウラジミルに申し出る。

 エリが持っていたパンフレットには、闘技大会は飛び入り参加が可能だと書いてあったはずだ。


「面白い……!」


 ウラジミルの灰が混じった青い瞳の奥がきらりと光った。


「お、おい、やめておけ! あいつは百人切りのアスタクレスだぞ!」


 ベンチに座ったままだった、ブルーノが慌てて立ち上がる。


「異国の強え傭兵が、束になっても叶わなかったんだぞ!」

「俺より強い者はこの大陸にはいない」


 慌てるブルーノに、彼は淡々と吐き捨てる。

 彼の言葉に、ウラジミルは背を逸らせて笑った。


「はははっ、大した自信だ……! これは面白くなりそうだな。アスタクレス、かまわないな?」

「はい」


 アスタクレスの返事は短かったが、残った瞳はしっかり彼の姿を見据えていた。


 ◆◆◆


 もうすぐ第一部が終わります。第一部が終わったら一度完結させて別の連載を始める予定ですので、良かったら作者フォローをお願いします。

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