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立花は今まで何を思って私と接していたんだろうか。
「要は、僕らを使って自慰行為をしてみせたんですよ、あいつは。独りよがりで読者のことなんか微塵も考えちゃいない。そんなの自慰行為の他になんて呼べます?」
『自慰行為』以外にも色々と言葉があるだろう。
お前には頭があり、ものを考える脳みそだってある。
小説を書くための語彙はあるはずなのに、何故あえて『自慰行為』という言葉を選んだのだ。
「あいつが読んでくれと頼むから、今まであいつの作品を読んでやっていたんです。だが、まるで成長が見られない。成長しないのは退化する、いいえ、堕落するのと同然です」
成長が見られない?
退化? 堕落?
何故、おまえにそれを言われなければならない。本人が謙遜で言うのならともかく、他者がそれを言ってはただの中傷だ。
「ええ、あいつにはもう付き合いきれません」
――付き合いきれないのはこっちだ!
イライラしながら、自販機のボタンを押す。
ガコンと落ちてきたのは、サイダー。
自販機の隣のベンチに座り、足をぶらぶら揺らす。
それから、またガコンと音がした。思わず音のしたほうを見ると、御山先輩が缶コーヒーを取り出していた。
「御山先輩、投票賞受賞おめでとうございます」
話しかけないのも不自然だし、挨拶がてら声をかける。
「梶さんも審査員特別賞おめでとう」
言われても実感が湧かないが、頭を下げておく。
サイダーの炭酸は噴き出さないくらいには落ち着いただろう。
キャップを開けて、一口飲み下す。
炭酸の刺激が喉に突き刺さる。
それはもう、痛いくらいに。
「ここの部ってレベル低いよね」
御山先輩はため息をつく。
「プロを目指している僕としては生ぬるい」
そして、笑う。
「僕らも今年で引退だし、梶さんは良い作品を書くからね。きっと今度は別の賞もとれるよ。複数受賞も夢じゃない」
「それじゃ」と言って、御山先輩は去っていった。
気の抜けた炭酸でぴりぴり舌が痺れた。
――そういうものなのだろうか。
私以上の作品を書く立花が受賞せず、私は受賞した。
人それぞれの好みといえばそれまでだが、ああ、けれど。
私は顧問の先生に選ばれた。選ばれて、賞をもらった。
立花は選ばれなかった。ただ、それだけなのだ。
こんなことになるのなら、そもそも応募しなければよかった。
いや、文芸部にも入部しなければよかった。
こんなところでもしかしたらの世界線を考えていても仕方ない。
そもそも、私の決断のすべてが間違いだったのだ。
昔からそうだった。私はすべての決断を間違えてきた。
担任に小説を書いていることを教えなければ、全校生徒の前で朗読なんかしなくて済んだし、広報誌に作品を載せられることすらなかった。『先生』とも呼ばれなかっただろう。
文芸部に入らなければ、立花と出会うこともなかったし、あんなふうに馬鹿にされずに済んだ。それに、この部は御山先輩曰く『レベルが低い』のだ。そんな部にい続けても意味はないのかもしれない。
でも、やっぱり、書くことが好きだ。
読まれなくてもいい。
読まれなくたって、書き続ける。
どんなことがあっても、結局は書いていた。
『先生』と呼ばれても書いた。
それで、立花に出会って、書くことが楽しくなった。
立花に読んでもらえることが嬉しかった。
立花が付き合いきれないと言うのなら、本当のことなのだろう。
今までよく付き合ってくれていたと思う。
もう、いいのだ。
彼がこれで終わりだというのなら、終わりにしよう。
私はそれでも書き続ける。
それに、立花の言葉一つで部を辞めたら、馬鹿みたいだし。
「あ」
いつの間にかサイダーは空になっていた。
口の中にはまだ甘さが残っている。
――ああ、スパークリングレモネードが飲みたい。
何を飲んでも、喉の乾きは癒えない。
***
季節は冬。
3年の先輩方は引退し、12月の始めから冬コンテスト(略して冬コン)の募集が始まって、年末にその応募が締め切られた。年が明けたら結果を発表をする、とのことだ。
私も応募した。結果はどうだかわからないが、前回より良い作品が書けた、とは思っている。
向かいの空席をにらむ。
一人だからわざわざボックス席に案内しなくてもいいのに、しばらく通って顔を覚えられたのか、いつも同じ席に案内される。
窓際の、一番隅のボックス席。
私と立花の定番の席だ。いや、席だった、というべきか。
スパークリングレモネードではなく、レモンスカッシュを頼んでいる。
この店で出しているのは、スパークリングレモネードではない。
レモンスカッシュだ、とメニューに書いてある。
立花と通っていた頃よりも、なんだか味気ない。
これじゃ、ただのレモンスカッシュだ。
二人で通っていた頃に出していたのはスパークリングレモネードだったのに、材料を変えたか、作り方を変えたかしたのだろう。でなければ、そうそう味なんて変わるものじゃない。
レモンシロップも甘いだけで酸っぱくない。
なのに、炭酸は気が抜けててパンチがない。
なのに、毎回頼んでしまうのは、あの味が忘れないからだろうか。
こうも思い浮かばないのなら、どうせつまらない理由なのだろう。
ずずっ、と音を立てて飲み干して、会計をするのに立ち上がる。
「あんた、彼氏と喧嘩でもしたの?」
レジで会計担当の店員に尋ねられた。
彼氏ではないのだが、訂正するのも面倒なのでそういうことにしておく。
「しばらくいっしょに来てないじゃないの」
答えに迷って、あの、とか、えっとを連発する。
金曜に来ると立花と鉢合わせてしまいそうで、別の曜日に来るようにしていた。なんとなく顔を合わせたくなかった。
「ま、いいけどさ。あの子、一杯だけ頼んで、ずっとあんたのこと待ってるよ」
店員は、「あんたみたいにさ」と付け加えた。
会計を済ませ、店を出る。
続いて誰かが出てくるんじゃないかと思って、しばらく待っていた。
少し経って、一人で来ていたことを思い出して、そのまま帰った。
***
結果発表の日によりにもよって風邪を引いてしまった。
発熱もしていたし、ご時世的なものもあり、学校は休んだ。
今回の冬コンではどういう作品が選ばれたのか、なんとなく気にはなっていたのだ。自分の結果に関しては正直どうでもいい。
どんな作品が選ばれるのか、ただそれが知りたい。
時間的にもう結果発表は終わった頃だろう。
みんなもう家路についている頃だ。
布団にくるまって、スマホを眺めていると、LINEにメッセージが届いた。
[立花:今、君んちの方面に来てるんだけど]
――立花だ。
[れもん:何の用?]
[立花:君んちの近くに用があったから]
つまらないことで連絡してくるなよ。
[立花:ついでになんか買ってこうかって思って連絡した]
なんだ、そんなことか。
了解のスタンプを押す。
[れもん:いいよ、別に]
[立花:じゃあ、テキトーになんか買ってくよ]
本当にいいのに。
[立花:顔を合わせると色々と面倒だからね。玄関先に置いておく]
なんだか申し訳なくなってきた。
[立花:着いたら連絡するから、待ってて]
そうだ、聞きたいことがあったのだ。
「冬コンってどうなった?」と打ち込む。
立花は賞の名前と受賞者の名前を返信してきた。
その中には、立花の名前も私の名前もあった。
部長賞、立花
審査員特別賞、梶檸檬。
私が「おめでとう」と送信すると、返事は返ってこなくなった。
しばらくして、「今、着いた」と返信が来た。
それからしばらく待って、外に出た。
玄関のドアノブに、コンビニの袋が下げてある。
中を見ると、チョコやポテチなんかのお菓子に、スポーツドリンクなんかの飲み物、それから、瓶に入ったレモンのはちみつ漬け。
はちみつ漬けはコンビニじゃ売ってない。
ツメが甘いな、と笑みがこぼれる。
瓶に貼り付けられたメモには、
「明日、熱が冷めたらレモネードにして飲め 立花」
と書いてある。
ご丁寧にも、強炭酸の炭酸水まで用意してある。
スパークリングレモネードには、強炭酸と決まっているのだ。
[れもん:ありがとう]
スパークリングレモネードの写真を送る。
[れもん:また今度、いつもの店で会おう]
[れもん:立花の新作が読みたい]
既読がついて、OKのスタンプが送られてきた。
***
金曜日の放課後。いつもの店で待ち合わせた。立花は私よりも先に着いていて、いつもの席でホットコーヒーを飲んでいた。私が「おまたせ」と言うと、「ああ、ずいぶん待ったよ」と返ってくる。
店員を呼んで、「スパークリングレモネード」と注文する。
店員は心得たという顔をして、「スパークリングレモネードがお一つ」と繰り返す。
店員が去っていったあと、立花は何か言いたげな顔で「君ねえ……」と呟く。だが、それに言葉を続けることはなく、ただため息をついた。
「僕といっしょのとき以外やるなよ」
「やらないよ。立花といっしょのときにしか」
立花は何か言いたそうにしながらぐっと堪えた。
「あとさ、私はあんたの発言で許せないのがあるのよ」
心当たりのないような顔をして、立花は眉をひそめる。
夏コンの表彰式のあと、2年生二人組の会話に立花が割って入っていったとき、その会話を私も聞いていたことを話した。ぽかんとしたあと、立花の視線は宙をさまよい、「あっ」という顔をした。
「それは、すまなかった」
立花は机につんのめるようになって頭を下げる。
「それは完全に僕が悪い。部で上手くやろうと思って、それでおまえの悪口を言えば溶け込めるから、それで……」
「言い訳は聞きたくない」
すぱっと切り捨てる。
「だけど、謝罪したいって気持ちが少しでもあるなら」
立花は顔を上げて「あるなら……?」と繰り返す。
「今日、奢ってよね」
立花は途端に嫌そうな顔をしたが、私がねめつけると観念したと肩をすくめた。
「スパークリングレモネードのお客様〜?」
店員が注文した品を運んでくる。
スパークリングレモネード、と何度も間違ううちに、スパークリングレモネードで通じるようになってしまった。間違えたのは最初のうちだけで、最後のほうはレモンスカッシュで注文していたが、それでも店員は覚えていたらしい。
ストローをさし、一口飲む。
ああ、この味だ。
これこそがスパークリングレモネード。
ばちばちっと電撃が走る。
「よくそんな甘いのが飲めるな」
「そんなに甘くないし。それに、世知辛い世の中だもの。飲み物くらいは甘いほうがいいわ」
「君は世間の苦さを知ったほうがいい」
「社会に出たら嫌というほど味わうでしょ。甘さが味わえるのは学生のうちだけよ、学生のうちだけ」
レモンの甘酸っぱさと炭酸の強い刺激。
酸いも甘いも飲み下す大人になりたい。
けれど、それに至るにはまだまだ時間が必要だ。
「私、あんたのこと、許さないから」
だから、私はこれでいい。
飲み干したグラスの中で、氷がきらきら光っていた。
会計のとき、いつものように外で待っていようとしたら、店員から呼び止められた。
「あんたたち、仲直りしたの?」
私たちは顔を見合わせる。
「いいえ」の声が重なった。
スパークリングレモネード ヤチヨリコ @ricoyachiyo0
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