白昼夢、なめらかな 三

「おまえのせいだと思う」

 従兄弟の頬を張った右手の痺れを覚えながら、希新は言った。

「お父さんがおまえに手を出すのは、おまえのせいだと思う」

「そうかもしれない」

 従兄弟は頬を張られたというのに顔色ひとつ変えず頷いた。いつもより目許や唇が赤らみ潤んで見えたのを、希新は夏のせいだと勘違いした。

「伯父さんは君にとっていい父親だった。だからきっとおれのせいだと思う」

 ガレージの中で、希新は従兄弟と向かい合っていた。相も変わらず漂う甘い紫煙のにおいに、わずかな異臭が混じっていた。それは喩えるならば調理前の生肉のような、そんな臭いであった。

 中学三年生の、ある夏の日のことであった。壁に取り付けられた扇風機だけが微かな涼をガレージに送っていた。

「知らなかった君にそれを教えたのもおれだ。知りたくなかっただろう?」

 一年前に従兄弟が切り取った髪はまた伸ばされて、再び校則違反を犯していた。ベッドサイドの灰皿に、火をつけたまま吸われない煙草が置かれている。従兄弟は法律さえ犯しながら、何食わぬ顔で中学校生活を送っている。

「君にストレスを与える結果になったのは、悪かったと思っているよ」

「嘘つけ」

「君が傷つけばいいと思ったよ」従兄弟は肩を竦めた。「これでいいか?」

 今度は拳が従兄弟の顔面に入った。一年間、何度も繰り返されてきたことだ。従兄弟は、とにかくよく喋る。黙らせるには暴力が一番よいと希新はもう理解していた。

 従兄弟と希新とは、互いに弱みを握り合っている関係だ。従兄弟は希新の父親が十四歳の子どもを犯している事実を身を以て知っているし、希新は従兄弟が売春に近い行為をしていることを知っている。一年前、従兄弟に父の行為をさもなんでもなさそうに暴露された希新は、慌てて自室に戻って父親の行為が違法かどうかを調べた。結果はなんとも曖昧で、双方合意の上ならば罪には問われないが、みだらな行為を強要していた場合などは条例違反になる場合もあるらしい。近親相姦を咎める法律は日本にはなく、法的に父親は犯罪を犯していないようにも思えた。翌日それを従兄弟に伝えると、彼は少年によってざんばらに切られた髪を適当に整えながら笑った。

「自分が養っている十八歳未満との性的行為は児童虐待だよ」

「知っていてお父さんを誘ったのかっ」

「そういうことになるな」

 昨日一度手を出して以来、希新の従兄弟への暴力の箍は緩んでいた。拳を頬に叩き込むと、従兄弟は笑みを引っ込めて腫れ始めた頬もそのままにじっと希新を見つめた。感情の読めない、硝子玉のような瞳で。鼻から血が垂れて従兄弟はそれを拭いもせず滴らせた。

「おれのせいだと思う」

 従兄弟の乾いた唇が撓み、彼はそう言った。その態度が希新の癇にさわった。理由は、そのときにはわからなかった。

 それから一年、希新は見えない世間の目というものに怯えながら生きてきた。友達付き合いも疎遠になり、学校でも半ば孤立するようになった。その怒りやストレスはすべて従兄弟に向いた。彼さえこの家に来なければよかったのだ。父親を誘惑さえしなければ。

 希新は、父親を当然のように愛していた。母親も。だが従兄弟が引き取られてからこちら、希新の家庭環境は劣悪になった。母親は一度だけ従兄弟を指して「売女の息子よ、あれは」とだけ言ったきり、従兄弟の住むガレージに近寄ろうともしなかった。父親は表面上なにも変わらなかったが、従兄弟に秘密を暴露された後によくよく注意して見ると、時々ガレージを訪れていた。それも夜のとても遅い時間、希新の寝入り端の頃に。

「君、よくここに来るようになったな」

 鼻血を垂らした従兄弟に指摘されてはじめて、希新は彼をストレスの捌け口にしていたことに気づいた。不思議なことに、彼に暴力を振るえば振るうほど、少年の中の不安は増していった。力で彼を押さえつけている気がまるでしなかった。従兄弟は振るわれる暴力に対してほとんど反応しないか、そうでなければ希新の父親のあることないことを希新の耳許に吹き込んだ。

「誰にも言うな」希新は従兄弟の胸倉を掴んだ。「僕のお父さんのこと、誰にも言うな」

「言わないよ」従兄弟は微かに眉根を寄せたようだった。「何度もそう言っているだろう」

 従兄弟には常に妙な平静さというか、余裕があった。「おれのせいだ」と血の混じった唾液を零しながら繰り返した。それがどうしても気に入らなかった。みずからこそが憐れまれているような気さえした。

 きっかけはふとしたことであった。夏休みの半ばほどの頃合いであった。殴った従兄弟がバランスを崩し、床に倒れ込んだ。その際に頭でも打ったのか、呻いたまま立ち上がらなかった。目前の床に従兄弟の肢体が投げ出されていた。大きすぎるTシャツの裾にほとんど隠れているハーフパンツ。どちらが優位なのか、わからせるには絶好の機会であるように思えた。

 従兄弟の脚を引っ張ると外から入って来たらしい砂利と身体が擦れる音がした。Tシャツが捲れ上がり、骨のかたちも露な腰が晒された。肩につくほどの長い髪が床に散っている。ハーフパンツと下着とを掴んで無理やり引き下ろす。上手く脱がせられずに腿の途中で絡まってしまった。

「なに」

 従兄弟の小さい声がした。答えずに足首を掴んでそれを従兄弟の胸のほうに押し下げた。従兄弟は脚をばたつかせたようだったが太腿に絡んだハーフパンツのせいでさほど押さえつけるのに苦労はなかった。丸出しになった臀部はあまりに非日常すぎて少年の笑いを誘った。

「やめろよ」

 暴れようとする従兄弟にのし掛かり、動きを封じる。体格差もあってか、従兄弟の抵抗はさほど激しいとは感じなかった。

「おい、本気か?」

「おまえ、今まで僕を舐めていただろ」少年は笑った。「今、どっちが上か教えてやるよ」

「やめろって、汚いから」

 従兄弟の言葉を聞き流し、少年はみずからのズボンを脱ぎ始めた。

「どうやってやるんだ? 教えてくれよ、慣れてるんだろ」

「尻の穴に自分の性器を捻じ込みたいのか? 本当に?」

「本気かどうか見せてやるよ」

 希新はズボンから性器を取り出すと従兄弟の尻の隙間に触れさせた。支配欲が少年の性器を硬くしていた。ずり上がって逃れようとする従兄弟の腰を掴む。ちょうどそこには黒ずんだ痕があってそれは少年の父親がつけたものであったが、希新には変わった痣にしか思えなかった。従兄弟の踵が肩を蹴るのに舌打ちをする。

「いい子にしろよ! お父さんにそうするみたいに!」

「嫌だね!」

 頬を殴った。頭蓋がガレージの床に当たって音を立てる。身体から力が抜けたのを見逃さず、希新は従兄弟の窄まったままの肛門に性器の先端を当てた。

「待って!」従兄弟の手が少年のシャツに伸びる。

「やめて。嫌だよ。やめて」

 胸倉を掴むというよりも、ほとんど縋るような格好であった。長い前髪の奥から丸い瞳が覗いて少年を歪に映していた。

 従兄弟の肛門のあたりはどういうわけか粘性の液体に塗れていて、だが希新はその理由を深く考えなかった。従兄弟が男の相手をすることに慣れているせいだろうと、そう勘違いした。実際のところそれはつい先刻従兄弟に対して希新の父が行った性的行為のまさにその証拠であったが、そんなことは希新には知る由もなかった。

 性器の先端を肛門に押し当てると、わずかな抵抗のあとに水音を立てて肛門が形を変えた。ひゅうと鋭く息を吸う音がして従兄弟の身体が一気に硬く縮こまった。

「やめてください」

 従兄弟の喉から引き攣った悲鳴が漏れた。

「やめて、ごめんなさい、やめてください……」

「やっぱり、今まで僕を舐めていたんだな」

 少年の頭に血が上った。必死に首を横に振る従兄弟のに、はじめて安堵にも近い優越を感じていた。言葉とは裏腹に、従兄弟の身体は少年の性器をゆっくりとだが飲み込んでいた。狭いと感じたのは肛門を過ぎたところまでで、その先は柔らかかった。従兄弟はみずからの手を噛んでその唇の端からだらだら涎を垂らしていた。頬骨から上は赤らんでいたがそれが羞恥でないことは表情から明らかであった。彼は目をぎゅっと瞑り、眉根を寄せて、みずからの親指の付け根に歯形を残しておそらくは上がりそうになっている悲鳴をすべて喉奥で殺していた。まだ彼にはそれだけの余裕があったのだ。

 希新は舌打ちをするとやや強引に腰を進めた。ぎゅっと潰れた音が従兄弟の喉から漏れた。従兄弟は咳き込んでそのたびに希新の性器を包む柔らかいものが収縮と弛緩を繰り返した。従兄弟は顔を背けてどうやら何度も嘔吐いているようであった。背を丸め、胸を忙しなく上下させ、両手で口を覆っている。少年はかつてここで嘔吐したときのことを妙に鮮明に思い出していた。そのとき従兄弟が言った言葉に薄く笑って、

「吐くなよ、汚いから」

 希新は従兄弟の前髪を掴んだ。顔を無理やりこちらに向かせ、そのときはじめて希新は従兄弟の涙を見た。赤らんだ目の縁から耳のほうへと音もなく滑り落ちる雫。尾てい骨から発されて背骨を駆け上がる快感に、希新は気づけば獣のように口から粘度の高い唾液を従兄弟の貧相な胸の上に垂らしていた。これを求めていたのだと、はっきりわかった。希新は、従兄弟の意識的か無意識なのかわからぬ加害者的な態度にずっと、ずっと腹を立てていた。従兄弟はこのように無様に泣いて助けを乞うべき存在であるはずだと、それが正しい姿だと、彼の涙を見て確信した。

 従兄弟はヒッ、ヒッと音を立てて空気の飲むばかりで吐き出せず、ますます顔を赤くしていた。しゃくりあげているのとは違うようだが、その憐れっぽいさまは希新の加虐欲を掻き立てた。

「どうした? 慣れているんじゃないのかっ」

 従兄弟の首が左右に力なく振られた。返事のようでもあったが、ただ腰を進めた反動で動いただけかもしれなかった。従兄弟の身体を、好き勝手に貪る。性的なことをほとんどなにも知らない希新の身体を、本能が猛々しく動かした。

 それが嬌声なのか、濁った声のようなものが従兄弟の口からは零れるばかりであった。それも徐々に小さくなり、従兄弟の身体の緊張も解れて両脚がみっともなく横に開かれる。両手はまるで降参を示すように床に力なく投げ出されている。左手の親指の付け根から血が流れていた。まるで意志のない肉塊を抱いているような心地に、希新は眉根を寄せた。そうだ、一年前、従兄弟みずから言ったことだ。希新は従兄弟の耳を貫くピアスを引っ張った。硬い手応えと悲鳴、途端に硬直する身体。内臓の心地よい収縮に、希新は呻いた。精液が従兄弟の体内に放たれる。痺れるような快感のあとに、ゆっくり、理性が戻って来る。

 ひどく暑かった。全身が汗に塗れて、まるで水を被ったようだった。床に付いていた膝は擦れて痛かったし、普段しない動きをした筋肉も強張っていた。みずからの吐息がやけに耳に付いた。全力疾走した後のように心臓が内側から肋骨を叩いていた。

 額から垂れる汗を拭い、そして希新は見た。自分に組み敷かれている従兄弟の姿を。ハーフパンツは腿の途中で絡まって、脚はだらしなく横に開いている。今までの動きにTシャツは胸許まで捲れ上がっていた。忙しない呼吸に胸が上下するたび、希新の萎えた性器を彼の内臓が締め付けた。髪は乱れて床に散っていた。その長い前髪の下で、従兄弟は唇の端から血の混じった唾液を垂らしながら、殴られた痕も生々しい頬を隠そうともせずただぼうっと天井のあたりを見ているようだった。

 そうさせたのは他のだれでもなく希新だ。わずかに下ろしたズボンからはみ出ている尻に扇風機の風が当たった。希新は肛門から性器を抜き、そのとき糸を引いた体液に青ざめながらとにかく着衣を整えた。抜かれる瞬間、従兄弟が呻いた。痛いと言ったようだった。

 希新は一歩、二歩と従兄弟から離れた。従兄弟はガレージの床に蛙のようにひっくり返ったままだ。股間を隠そうともせず、そして少年のほうを見ることもなかった。胸の上下がなければまるで死体のようだった。

 全身から冷たい汗が噴き出した。さっきまでの高揚は消え失せ、希新は笑う膝に抗えず床に跪いた。指先から冷たくなって、それは全身に広がる。激しい震えのために、希新の顎はがちがちと鳴った。みずからの父親と、今の希新の、いったいなにが違うだろう? 今まで従兄弟が悪いのだと、そう固く信じていた。彼が誘ったのだろうと、意図的に思い込もうとしていた。本当にそうだと、今の希新にはもう言えなかった。冷や汗が額から頬を伝って、顎から滴った。

 従兄弟がむずがるようななんとも言えない声とともに肘をついて起き上がった。腫れぼったい目が緩慢な瞬きの合間から希新を見ていた。中学校の教師に校則違反を咎められているときや、さっきまで天井を見ていたときと同じ、感情の読めないぼうっとした瞳だった。

 従兄弟はようやくハーフパンツを履き直すと立ち上がり、灰皿の近くに投げ出されていた煙草の箱とライターを手に取った。黒い紙巻きの煙草を一本唇に挟み、火をつける。深呼吸。吐き出される紫煙。立ったままの腿の内側に、体液のようなものが伝うのを希新は見た。二歩、従兄弟は希新に近づくと膝を折ってしゃがみ込んだ。煙草を咥えたままだったから、熾火のような先端の熱をかすかに感じた。従兄弟は長い髪を耳に掛けた。耳朶が千切れて首にまで一筋、血が伝っていた。少年の目がその有様を凝視し、次いでみずからの手に目線を落とした。右手の親指と人差し指の先端に、血がこびりついていた。

 従兄弟は右手に煙草を持ち、希新の顔面に紫煙を吹き掛けた。咄嗟に目を閉じる。歯形のかたちに血を流している従兄弟の左手が希新の顎を撫で、そして持ち上げた。

 熱に乾いた唇同士が擦れた。一秒のあとに、キスをされたのだと気づいた。それから従兄弟の舌が希新の唇を舐めた。

 苦い吐息が冷たく唇に触れた。充血した白眼も、腫れ上がった頬も、睫毛についた涙の雫もそのままに、従兄弟は目を細めて喉の奥で笑った。ガレージは、もはや隠せぬほどの生々しい悪臭に満ちていた。そうだ、だから彼はこんな甘ったるい匂いの煙草なんかを吸って髪も肌も服も染めているのだ。

 希新は従兄弟を押し退けてガレージの外に駆け出した。それでも甘い匂いは少年の服に髪に残っていた。家へと駆け戻る少年は、従兄弟の短く高い笑い声を聞いた。

 縁側から家に入り廊下を渡って浴室に駆け込む。母親とすれ違わなかったことは希新にとって幸運であった。服を着たままシャワーの栓を捻る。冷たい水が頭のてっぺんからだらだらと垂れる。肌に張りつく服を無理やり脱ぎ捨て、その上に母親のシャンプーを掛けた。人工的な花の匂いが浴室に広がる。石けんを身体中に擦りつけながら、希新は喘いだ。目がじんと痛んでシャワーに混じって涙が幾筋も伝い落ちた。希新は何度も壁に拳を打ちつけ、唇を噛んで、ずるずると膝をつくと身体の芯が冷え切るまでそうしていた。

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夜より暗い 蒼逸るな @tadaokinnu

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