忘れること。―――そして、忘れられてしまうこと。

スノードームに入っている水は、時間と共に減っていく。あの完成されたドーム状の美しい世界から蒸発してどこかに行ってしまう。そうしていつしか、わたしたちはスノードームに触れることもなくなって、買ったことも忘れて、雪は底で眠って二度と舞い上がることもなくなる――思い出とはスノードームのようなものだろう。

この作品は、そういう『忘れてしまうこと』と『忘れられてしまうこと』を二つの側面から最高純度で書いている。忘れてしまうということは生きるということで、忘れられてしまうのは死ぬということ。だけど忘れられるスノードームにもスノードームとしての最期があって、思い出を忘れて生きていく人にも、空いてしまったスペースに新しいスノードームを置く強かさがある。作中の「生きるって暴力だから」というセリフがこの作品の核だと思う。わたしたちは『思い出の永遠性』という欺瞞を自覚し、その空白を代替されることを認めなければいけない。わたしたちに必要なのは、スノードームを買い替える強さと、それを肯定する自己愛。―――たぶんそれが生きるということだろう。

思い出はいつか摩耗する。どれだけ大切にしてその美しさを永遠にしようとしても、思い出はわたしたちの頭から抜け落ちていく。人間の頭蓋骨は思い出よりも密度が大きいから、思い出はスノードームの水のように気づいたら失くなってしまうのだ。

思い出を失くしてしまった人。思い出を失くしていくのが怖い人。
―――きっとこの物語は、あなたの新しいスノードームになってくれる。