価値観の多様化

アマノヤワラ

Diversity & Inclusion‥?

 “現代は価値観が多様化している”らしい。

 誰が言い始めたことかは分からないが、無責任な言葉だな…と筆者は感じる。


 だって、だったもの。


 『価値観が多様化する社会』なんて、そこで人が生きていれば、当たり前のことだと筆者は思う。


 むしろ、でも“10年前・現在・10年後”では価値観はどんどん多様化してきていると思う。初めて人を好きになった人とか、初めて子供が生まれた人とか、初めて“エヴァンゲリオン”を観た人とか。


 “価値かちかん”という言葉は、それくらいシンプルな捉え方でいいと筆者は思っている。




 価値観は常に多様化する。

 個人の中でも。

 社会の中でも。


 でも、はた迷惑な『』を他人や周りから一方的に押し付けられるのは困る。


 たったそれだけの話なのだろう。




 筆者は、他者が“自分と違う価値観”を持っていようと全く構わないが、『』のはイヤである。


 だから、筆者はこのように提言させていただきたい。


「“価値観の多様化そのもの”の方を問題にするのではなくて、“一方的に押し付けてくる人”の方、どうにかなりませんかね?」



 価値観の多様化に個人がどう向き合うべきか?

 それが“みんなのスタート”!

──

 そう、筆者は思う。


 それだと、『結論ありき』になってしまう。

『結論ありき』は、価値観の多様化とは呼べまい。『結論ありき』はである。


 もし、『結論ありき』の議論がこれからも進められると場合、「価値観の多様化ですよ?」に、『一方的に自分たちの要求を』が必ず出てくると思う。

 筆者の予想ではなく、歴史からの予測である。



 個人々々の価値観の違いに理解を示す心ある人たちを『一方的に搾取さくしゅし利用する者たち』。


 もしくは、“新しい価値観”を『にする者たち』には、常に気を付けなければならない気がするのだが……。



 新しい価値観だから…という理由で、『一方的な押し付け』がまかり通るような世の中に、、本当の意味での価値観の多様化には程遠いだろう。



「本当にそれ、“みんなのため”になってる?」


「本当にそれ、困ってる人を助けられてる?」


「本当にそれ、価値観の違いを尊重してる?」



 一人ひとりが自らの心に“常に問いかける”。


 そういう姿勢も、『価値観の多様化』には必要な要素であるように筆者は思う次第である。





『価値観の多様化』

…了

≈≈≈

「“価値観の多様化”、たとえ『一方的な価値観の押し付けという価値観』であろうとも容認しなきゃ!」

……って?


『押し付けないでもらえますかね? そんなの。』

である。




画面下の☆☆☆で↓

⊕って所を連打してみてください。

三連打推奨です。

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※一段落下げました。

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価値観の多様化 アマノヤワラ @sisaku-0gou

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