ゾンビ彼女

空峯千代

ゾンビ彼女

 2019年、世界中で流行病が人々を襲った。

 ウイルスに感染した人々は、心臓の鼓動が止まり、肌は土気色に変貌。目についた人を襲うようになる。

 ………まるで、ホラー映画に出てくる「ゾンビ」みたいに。


 しかし、映画に終わりがあるように、ウイルス感染にも終わりが見えてきた。

 作られたワクチンが、世界各国で支給され始めたからだ。


 ウイルスに感染した人、正確には感染者の家族・恋人たちは、ウイルスを躍起になって求めた。そりゃあそうだ。大事な人がゾンビになったわけだから、必死にもなる。僕もその一人だった。


 僕の彼女がゾンビになったのは、つい最近。

 デート中に街中を歩いていたら、飛び出してきたゾンビに彼女が嚙まれた。

 ワクチンの生産スピードが消費量に追い抜かれ、ついには支給休止のニュースが流れたのが一か月前。今や、ワクチンを手に入れる手段はどこにもない。

 当然、彼女はゾンビのまま。ワクチンの生産開始を待つしか手はなかった。


 ゾンビになった彼女は、僕ができる限りの世話をした。

 彼女に家族はいない。両親を早くに亡くし、天涯孤独であることは、彼女の口からすでに聞いていた。

 だから、ゾンビになっても彼女の面倒は僕が見ようと決めていた。それが、助かってしまった僕にできることだとも思った。


 政府が苦肉の策で支給してきたウイルス抑制剤を、彼女に注射する。

 すると、ゾンビ化した人間の攻撃性や激しい食欲は、多少なりとも抑えられる。

 僕は、うめくことしかできない彼女に毎日抑制剤を打った。薬を打つと、彼女は大抵一時間程で大人しくなってくれる。

 抑制剤の効きが遅い日は、必ず嚙まれないように防護服を着て付き添った。服の上から凄まじい顎の力を感じつつ、それでも彼女の頭を根気よく撫でてあげた。


 彼女がゾンビになってから、一年の月日が経った。

 ワクチンは一向に支給されない。支給されていた時期に受け取れた人々には、事態が停滞していくにつれ、「別にいいんじゃないか?」といわんばかりのムードが流れ始めた。

 政府から出されている抑制剤によって、ゾンビは管理できるものになり、脅威ではなくなった。感染者の9割は、ワクチンによって人間に戻れている実情も大きい。


 僕の彼女は、相変わらずゾンビのままだった。

 一日うめくことしかできず、抑制剤で攻撃性は抑えられているが無気力状態のまま。人間だった頃、スケジュールを予定でびっしりと埋めていたのに。

 一緒にいた時間に見ていた彼女の眩しい笑顔が、今や、どこにもない。それだけで、僕は世界で起きている出来事すべてがどうでもよくなった。


 彼女がゾンビになっても、僕は彼女を愛している。

 世界を恐怖に陥れたウイルスが、僕に気付かせてくれたことは、たったそれだけ。

 いっそのこと、彼女に食べられてしまった方が幸せな気がする。

 僕は、彼女がゾンビになってから、初めて抑制剤を打たなかった。


 テーブルの上には、ホールのショートケーキとシャンパン。

 付き合った記念日に毎年用意している、おきまりのセッティング。

 最後の記念日を彼女と過ごして、そして終わりにしよう。

 抑制剤で抑えていた食欲がそろそろ来る頃だろう、そう思った。その時。


 彼女は、テーブルに置いてあったフォークをおぼつかない手で掴んだ。そして、ショートケーキにそのまま突き刺し、吹っ飛んだスポンジの欠片を食べていた。

 僕は、時が止まったかのように数秒間動けなくなる。人肉を求めるはずのゾンビが、生クリームとスポンジの塊に反応するだなんて。

 彼女がこちらを向いて、少しだけ口角を上げたような気がした。それを見て、たまらず僕は彼女を抱きしめる。この瞬間は人間だとかゾンビだとか、そんなことはどうでもよかった。僕の好きな彼女が生きていることがただ嬉しかった。


 数年後、ようやくワクチンが支給再開し、彼女は人間に戻った。

 もう彼女はゾンビではない。けれど、たまに僕の腕を子どものように甘嚙みしてくることがある。そういう時、僕は彼女の頭を撫でて、ゾンビごっこに応じるようにした。

 もしフィクションじゃなかったとしても、彼女への気持ちは変わらない。それがわかっているから、僕はいつだって笑顔で返せる。

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