第8話 大団円
ノートにある小説に書かれているポイントがいくつかあったが、そのうちの一つに、
「一度、警察が捜査したところは、隠し場所としては絶対に安全だ」
ということであった。
何かの犯罪があった時、警察はその証拠品を探そうと、いろいろ捜査を行うのだが、自分が最初に疑われ、そして、いきなり捜査令状でも取られて、捜査を行われない限り、普通であれば、まずは、捜査令状のいらないところから警察は捜査するだろう。
もちろん、立ち入り禁止のところでもない限りは、どこを捜査したのかは大体分かる。それに警察が捜査をする時、立ち入り禁止にしておいて、そのあとですぐに解除した場所があれば、そこは捜査済みということがバレバレであろう。
そうなれば、その場所は一番何かを隠すには一番いいというわけだ。
特に、まったく関係のない事件であれば、特にそうだ。警察などというのは、自分たちの事件に関係のあるものにしか興味がない。となれば、まだ捜査をしていないところに、他の事件の証拠になる重要なものが隠されていても、気にするはずはない。ナイフや血の付いた、明らかに犯罪に関係しているものでも出てこない限りは、重要なものが発見されるはずもないのだ。
ある意味、このノートは、事件に関係のあるものではないだろうか。しかし、それをなぜ10年も前に埋めたタイムカプセルの中に入っているというのか? それを考えた時、
「手品師が、右手を見ろと言った時、左手を見る」
と言ったような手口や、アリバイトリックと密室トリックの合わせ技として使われる例を思い出していた。
「入らなければ、出られない」
という言葉も、小説の中で使われていたっけ。
若い方の刑事は、学生時代から推理小説を結構読んでいて、トリックなどの研究をしていた時の記憶を思い出した。
そんな彼も、まだ飯塚のことをよく知らなかったので、ミステリーサークルに所属していたといわれると、簡単に納得したに違いない。
今回の10年後の犯行を予期したノートがタイムカプセルに入っていたとするならば、一番考えられることとしては、
「箱の中に最初から入っていたわけではなく、最近になってそれを掘り起こし、その中に後から入れたのではないか?」
ということである。
他の人はノートの中身を見たわけではないのだから、その時のノートと差し替えればいいだけだ。適当に汚しておいて、まるで10年前のノートと言われても不思議がないようにしておけばいいだけだ。そうしておいて、ノートを仕込み、わざと、雪崩で発見されるような浅い場所にしておいたとは考えられないだろうか?
それは、なるべく早く発見されるのを最初から狙ってである。白骨死体が発見されなければそれはそれでいいのだが、白骨の発見は、あくまでも、目的とは関係のないところにあったのかも知れない。
発見されたノートを警察が読んだとしても、事件性がなければ、別に何も感じない。ナイフが発見されたとしても、白骨との関係性を疑われた時、鑑識に回されても、別に問題ないと、タカをくくっていたのだろう。
だが、唯一の問題は、そのナイフに付着している血液が、二人のものだというのが分かったことだ。これが一体何を意味しているのか?
一人は白骨死体のものだとして、もう一つは犯人がケガをしたのか、それとも、このナイフがまったく違う事件で使用されたということなのか、とにかく時間が経っているので、想像しかないのだ。
「ひょっとすると、このノートを入れた時には、そこにはナイフなどなかったのかも知れない」
ノートを入れた時、ナイフがあれば、まずいと思うはずだからだ。
ということを考えると、
「この箱は以前、何かの事件で調べられたのかも知れない」
とノートを入れた人は思った。
「一度捜査されたものは二度と捜査されない」
という鉄則の元、ナイフを箱に入れて、そして、タイムカプセルに入れたのだ。
もし、10年後の掘り出すべく時が来て、中を開けてそこにナイフが入っていたとしても、誰が警察に通報するというのか。
「あれ? 錆びついたナイフがあるけど、誰かが入れたのか?」
という程度で、事件性も何もなければ、わざわざ警察に通報などするはずもない。そう考えると、やはり、このタイムカプセルは、実に安全な隠し場所だったのだ。
ナイフといい、このノートといい、本来なら、事件性があり、それを警察が発見しない限り、おかしなことにはならない。今回、偶然雪崩という小規模な事故(死傷者がいなかったという意味での小規模)が発生し、そこで白骨死体が発見されたことで、警察の捜査が始まったことで、注目されたことであった。
そもそも、警察の捜査員の方も、本音としては、
「いまさら白骨死体が発見されたとして、別に殺人でもなければ、死体遺棄では時効が成立しているはずなので、いちいち捜査はいらないはずだから、殺人ではないということが証明されてほしい」
ということであった。
しかし、タイムカプセルが出てきたことで、事件性がありそうな可能性が出てきた。ただ、今のところ、白骨死体の身元が分かっていないので、ナイフから血液が検出されたとしても、殺人事件と断定されたわけでもない。肝心の被害者が特定されなければ、どうにもできないということだ。
結局、身元不明の死体ということで、事件にはならなかった。
だが、若い刑事は実に気になっている。彼は、一応、飯塚に遭った。
飯塚の話は、的を得ない話に終始した。あたかも相手を翻弄しているのがよく分かる。煙に巻くというのはまさにこのことのようだ。きっと、若い刑事が、
「ミステリーマニアだ」
ということを、話していて察したのだろう。
ミステリー談義で時間が過ぎてしまった。しかし、若い刑事にはその中に事件についての核心が隠されていることを分かっていたのだろうか?
彼が考えていた、
「隠し場所のトリック」
あるいは、
「密室とアリバイの合わせ技で、実は最初から差し替えが行われた」
というような話がなされたのだ。
どちらも、ミステリー小説の中で、主要なトリックにしてしまうと、読者から、
「なんだ、そんなことか?」
と言われることもあるのは覚悟の上だ。
そのために、いかに、その状況を分からなくするかという文章的なテクニックとストーリー性が生かされることになるだろう。
しかも、小説というのは、マンガなどと違い、情景をすべて自分で想像、いや、妄想して場面を描くものだから、読む人によって、人数分の光景が広がっている。まるで、
「パラレルワールド」
のようではないか。
そんなことを考えていると、
「今回の事件自体が、まるで作られた犯罪」
のように思われた。
「原作がどこかにあり、その原作に沿って、自分たちが動かされている」
という感覚である。
それこそ、叙述トリックと言われるもので、一番、
「ノックスの十戒」
に引っかかってしまいそうに感じてしまう。
そういえば、彼が書いた小説の最後のところで一つ気になる部分があった。
それというのは、
「お互いに、犯人が分からないが、次第に利害が一致していると思い込む。まるで、交換殺人でもしているような感覚になっている。変則な交換殺人」
という言葉があったことだ。
なるほど、その小説は連続殺人のように見えるのだが、実際には、連続いない。そこが問題であり、逆にそれが、今度は交換殺人を容易ならしめることになるという、
「一つのトリックが解明されると、別のトリックが効力を発揮する」
という、二重三重のトリックという発想が、そのノートには書かれていた。
それを思うと、このタイムカプセルというのも、普通に考えれば、ありえないことに思うようなことでも、ちょっと考え方を変えると、いや、考え方を戻して、後から追いかけてくる人間を待ち伏せる感覚になれば、事件は解決するものなのかも知れない。
きっと、犯人、いや、このシナリオを考えた人間は、白骨死体の身元が分からなければ、事件になることはないという思いと、
「事件にならなければいくら挑発しても、自分たちが罰せられることはない」
という思いから、こんな思い切った、まるで、
「警察や捜査員に対しての挑戦」
のような形をとったのではないだろうか?
「警察なんて、どうせあてにならないんだ」
という思いだけでは、こんな挑戦はしないだろう。
ひょっとすると、
「今までの自分が生きてきた中で、警察を頼ったが、警察は何もしてくれなかった」
という経験があり、それをずっと根に持っていたのだとすれば、それは、
「警察に対しての挑戦」
というよりも、
「警察に対しての復讐」
ということになる。
だからといって、個人に対しての復讐ではない。その個人だって、警察組織の中で、そのように動くしかなかったわけであり、そんなことは百も承知だったからだ。
ノートに書かれた交換殺人というのが、何かを暗示しているとすれば、考えられることとしては、これらのことを計画したのは、一人ではないということだ。
「二人による犯行。しかも、そこには叙述トリックが隠されている」
ということを考えると、叙述トリックに言えることとして、思い浮かぶこととして、
「叙述トリックは、現実の犯罪ではなく、あくまでも推理小説において、その書き方で相手をミスリードさせるというものだ」
と、いうことだと考えた時、叙述トリックにおける、一つのカギを思わせるのだ。
そのカギというのが、
「書き手の問題」
ということだ。
小説を書く上で、問題になるのは、書いている人間が、一人称か三人称か、それとも時と場合によって変わる、
「神視線か?」
ということであろう。
つまり、探偵小説において、探偵には、助手の存在が重要だということである。
「シャーロックホームズに対しては、ワトソン。神津恭介に、松下健三。由利麟太郎に対しては、三ツ木俊助と言った具合である」
ではなぜ、助手が必要なのかというと、彼らの役割は、
「事件の捜査の補佐」
というわけでない。
それであれば、
「明智小五郎における、小林芳雄(少年)」
のような形になるのだろうが、松下健三、三ツ木俊助には別の役割があるのだ。
それは、何かというと、
「記述者としての役割」
である。
記録者とでもいうべきか、彼らが新聞記者であったり、雑誌社であったりして、探偵の事件簿の記録者としての存在が一番大きいのである。
この事件においての記述者としては誰がいるかというと、他ならぬ、川北であった。ここまで作者は、川北を、
「第三者であるが、まるで主人公のように描いてきた」
しかし、途中から、白骨が発見されてからというもの、川北は蚊帳の外に置かれている。これが、実は叙述トリックだとすればどうだろう?
たぶん、読者の中には、
「川北はどこにいったんだ? 主人公ではないのか?」
と思って見ておられた方がたくさんいるに違いない。(まあ、もっとも、何人の読者が読まれているかということであるが)
そのことを、読者はどう考えているだろう。
あれだけ、終盤で、
「叙述トリック」
や、
「ノックスの十戒」
という言葉を口にしているのだから、それなりに考えがあることだろう。
勘のいい読者は、叙述トリックと、川北との関係に気づかれた方もいるかも知れない。そう考えると、この事件のシナリオ、いや、小説というのは、川北によって演出されたものではないかともいえるのだ。
曖昧な発想はどうしても、切り離すことはできないし、この中にウソが隠されているわけではない。あくまでも、叙述なのだ。
もちろん、
「このお話で誰が誰を殺した」
などという話は出てくるわけではない。
たぶん、白骨が埋まっているのを何かのきっかけで知ったのか、それとも、何かの枯れ葉か何かの隙間から、白いものが見えたことで、
「白骨が埋まっていれば、何か小説が書けるかも知れない」
と感じたのかも知れない。
その時に一緒に、この村が他の土地と隔絶された、
「陸の孤島」
であることを利用すると、ホラーや、オカルト風にも考えたのかも知れない。
さらに、
「ホラーやオカルトなどを組み込む作品にするのであれば、SF風にもできるかも知れない」
と思ったことから、
「タイム」
という言葉を使うという意味で、
「タイムカプセルの合奏が生まれ」、
そこから、
「一度捜査したところは警察は二度と捜査をしないということから、その場所が一番安全な隠し場所だ」
ということを思いついたのかも知れない。
「では、あの白骨はいったいなんだったのだろう?」
と思うかも知れないが、この話において、
「白骨殺人事件などというのは、最初から存在していないのではないか?」
と考えられる。
白骨が誰のものなのか分からない以上、それは、ミステリーなどのラストシーンでよくある、
「関係者全員が死んでしまった今となっては、謎は永遠に謎のままである」
という言葉が思い出されるのであった……。
( 完 )
謎は永遠に謎のまま 森本 晃次 @kakku
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