『双樹』

──────




 龍信教会マルドク公国支部──。

 公属龍撃師団の関係施設が立ち並ぶ統括領の一画。神妙な雰囲気に包まれたその場所に、あの人が待つ使徒教会と呼ばれる建物がある。


 使徒教会とは、龍信教会の子堂。

 本部である龍信教会とは違い、龍信家系以外の者の出入りを赦し、龍史の勉学を推進、又は端的に信仰に興味を抱いて貰う場として世界中に点在している施設だ。


 そんな施設も相も変わらず、崇め奉れとでも言いたそうな龍の彫刻が壁一面に彫られ、仰せのままにとでも言いたそうな佇まいの龍信教徒が出入りをしているようだ。

 龍信家系の身として思う事は一つ。崇め奉るなら、こんな人の手で作られた紛い物ではなく本物を奉れ。……なんて無粋な事を口に出そうものなら、地獄耳のあの人が湧いて来て喧嘩の幕開けになりそうだ。恐ろしや恐ろしや。


 今日も今日とて、あんな紛い物を通して空の龍に祈りと感謝を捧げる信者達を尻目に、私はティヴと共に教会施設の門を潜るのであった。


「──あらぁ、テラーさんの坊ちゃんじゃない。元気にしているそうね」

「ぁ、ご無沙汰しております」


 正面入口が見えた際、扉の前に佇んでいた年配の龍信教徒が笑顔で迎えてくれた。幼い頃から家族絡みでお世話になっている女性だ。

 義務教育を終えてからは、私が公属に入校した為、公国外で暮らしていた彼女とは少し縁遠くなっていた。

 確か名前は……。


「そぉ、今日は妹さんと一緒なのねぇ。懐かしい顔の並びだわぁ」

「それなんですよー。龍信家系の一員なのに、兄様はなかなか教会に来ないから……ハクロさんも説教しちゃっていいですからね」

「遊び回ってるお前が言うのか」


 ハクロ=パター。

 最後に顔を合わせた時は、彼女も近郊支部に通うだけの数いる一般教徒だった。……それなのに、龍信教会本部直下のマルドク支部に身を置く程になっていたとは驚きだ。

 その信行深さは龍信家系の目以前に、人間として頭が下がる思いである。


「あらあら、妹さんは寂しがってるみたいよ? 考えておきなさいな、お兄ちゃん♪」

「ぇ。はあ、善処します」

「まあま、そんな堅苦しく一礼しなくてもいいの。おばさんとは軽口を叩き合うくらいが丁度良いわ」


 下げた頭を撫でられ、私はむず痒そうにした顔を上げる。

 ……これは私事の話だが、ハクロさんのように……自身を失わずに龍信を続けていてくれたら、私もあの人の事を避ける日々を送らずに済んだのではないかと。


 これを贅沢とは言わんが、せめて話の分かる昔のままであったのなら……。


 優しさの伝わる笑顔を絶やさないハクロさんに、こんな心中を悟られぬよう二三と会話を交わす。その後、彼女はこちらの事情を察してか、切り良く立ち去ろうとしてくれた。

 しかし途中、彼女は思い出したように足を止めて……。


「──あぁ、そうそう。……アガルタ君、今回はお手柄ね!」


 そう言い残し、手を振り行ってしまった。


「……お手柄?」

「兄様、手柄を上げていたの?」


 と、聞かれても……。最近は堕心龍との接触も間接的で雑用も多く、主に裏方作業をしていた為に何かしらの偉業を成し遂げた事実はないはずだが。


「さあ? 堕心龍討伐に関わった全ての人に向けた労いを、たまたま居た私に述べてくださっただけだろ。ほら、それよりも……」


 私は使徒教会の扉に手を掛ける。


「私達は御龍葬に行かなければならないんだ。あの人との話は手早く終わらせてしまおう」

「あ、そうだね。それもそうだ」


 平穏に終わるなどとは思っていない。

 だからこそ、用件だけを聞き、さっさと此処を後にする。

 ……それが出来れば、苦労はしないのだが。



 ────



 龍の蒼い鬣を模した青炎の灯。

 照らされるは石細工の龍の像、──龍のレリーフ、……史実を描く龍と人の絵画。

 人寄せの良さそうな装飾は当然ながら、龍関連の書籍が詰まった本棚の数は、国営図書館にも引けを取らん。更に、遠くの棟から微かに聞こえる龍聖歌の練り声と、祭壇を囲う巨大な龍の紛い物とが合わさり、祈り場として申し分無い荘厳な雰囲気を演出している。


 私とティヴは、祭壇を向く数多の長椅子の間を通り……身廊の端で足を止めた。そして、一度ティヴが私を窺いてから、祭壇の隣にある香部屋へ声を掛けた。


「──母様、アガルタが来ましたよ!」


 ……喉の奥が冷える。

 あの人と顔を合わせるのは、いつ以来だ。

 嫌悪感しか抱いていなかった当時の気持ちが込み上がる。言うならば、姿が見えた瞬間に近くの長椅子を蹴り上げてしまいそうになる程だ。


 だが、そうなる私を抑えるように、側に立つティヴは私の服の背を摘んでいた。勿論、前に立つ者からは察せられない形だ。



 ──……そうして、静かな足音と共に……香部屋から一人の人物が現れる。



 龍装──祭司飾衣。抽象的な龍の刺繍が肩から背中、大きなスカートにかけて施された純白の衣装に銀のストラ。雅な指輪等、それら全てが信仰深さと『龍仕人』に登り詰めた者の証だと物語る。

 だが、纏う当人は小さく痩せこけ、大凡……私の知っている人とはかけ離れた印象を抱かせた。


 その人は此方を尻目にして言う。


「……よく、この母の前に来る気になれたものだ」


 その声は見た目通りの冷徹さを滲ませ……見た目に反した獰猛さを漂わせた。


「頂いた封書が、なにやら不穏だったもので。良からぬ一大事でもと思い至り、こうして参上しただけの事」


 引く気は無い。

 が、早々に引き上げる為に、「して、用件は?」と繋げようとした。……しかし。


「懐かしい……。お前の顔を見ていると、お前に割られた龍壺を思い出してしまう。……なあ?」


 食い気味に絶縁状態になる以前の話を持ってこられた。

 想起を促され、私も否が応でも思い出す。己の母親が龍に魅せられ、人の説く龍史に心を奪われて盲信していく様を。


 龍を崇める事は素晴らしい。とは言え、人が創造する龍もどきとなれば話は別だ。龍信家系にある認識から断ずれば、アレは龍ではない。人に都合の良い美化された産物。宗外からの嫁ぎ者であっても、父方の龍信家系に入った身でそんなモノに陶酔する母親を、私は見兼ねた。だから、当時あの人を縛っていた龍壺を感情任せに叩き壊したのだった。

 ……そうしたら。


「兄様……」


 あの時のティヴは、まだ物心がつく前だったから何が起きたのか直接的には知らない。でも、あの人から散々聞かされた事だろう。


「龍壺を割って、その身体に染み付いた龍の呪いは、堕心龍を手に掛けて……少しは薄らいだか?」


 その物言い。まるで無意味を嘲るようだ。


「お前が受けた呪いが最初に呼んだ厄災……。我らの村が堕心龍に襲われて、愛する夫が喰われたな」

「……」


 民間龍撃旅団の一員だった父。

 公属龍撃師団の到着まで、皆を避難させ続けた彼は……私達の前で──。

 それ以来この人は、私を呪いを招き入れた忌み子として見るようになる。そんな人が、私を呼び出して思い出話? 大きな権力を背に置いた今、紛い物への入信を勧めるでもなく……復讐でもしようと言うのか?


「……その眼は相変わらずだな。自分がした事は間違っていないと言いたそうな、力強い思い上がりの念を感じる──」

「母様! これから御龍葬が執り行われますのでっ、話は手短に!」


 しかしながら此方にも言い分はある──と、私が一歩前に踏み出そうとしたからか、ティヴが慌てて声を遮った。


「兄様も、ケンカ、いけない」


「……あぁ」


 先程の話通り、しっかりと手綱を引かれた私は、静かに肩に込めてしまっていた力を抜いていく。

 それに対し……彼方も、冷徹さに塗れていたあの人の顔が少しだけ解れた……様に見える……。


「分かっているよ。コチラも今更過去の憎悪を抉り出す為に呼びつけた訳ではなし。余計な雑談はここまでにして……本題に移ろう」


 私への蔑視を改めたか。

 あの人は呪詛を吐き捨てる様な物言いを止めると、香部屋の方を向き手を叩いた。


「お連れなさい」


「……?」


 訝しんだ私が見据える先で、一人の龍信教徒の女性が姿を見せる。……見覚えの無い人だが、彼女が一体何の……。そう思った後に、その女性に促されながら現れた小さな二つの人影を見て、私の目が見開いてしまう。


「──……ぁ」


 それらは黄色の瞳──そして、紫の瞳をしていた……!


 見覚えのある二人の少女。

 もう龍の皮を纏ってはおらず、御子龍装とされる装衣── ドレスとも宗衣とも言い表せない、『人の匂い』を消す様な衣装に包まれている。

 普段は教材の為に展示され、御大層に祈祷の対象ともなっている筈の……所謂、一般人が着て良い物ではない代物だ。


 そこから溢れる綺麗に梳かされた蒼い髪。フェイスベールにより強調されたそれぞれの瞳の色。

 ……龍の心臓を口にし、もう生きてはいないと思っていた二人の女の子に間違いない。それが……何故、ここにいるのか。


「どう……いう……?」


 『何故、ここにいるのか』。その疑念、違和感が私の頭を混乱させて、上手く言葉が出てこない。答えを……。否、まずは『冒涜』に対する使徒教会側の主張を窺うのが先だ。

 それを乞うように、私は痩せこけた女に向き直る。


「……? 何を驚いた顔をしている。このお二方を見つけたのは、お前達八層隊ではないか」


 故に、こうして然るべき所で保護されている事に、何を不思議がるのかと、あの人は言う。

 然るべき所だと?


「見つけたのは、確かに……。けど、その子達は」

「……──ああ、なるほど。お前はこう言いたいのか。『人と龍の一線を越えた者は崇めるに値しない』。『偽り者を祀るなど龍への冒涜だ』」


 察しがいい。その通りだ。

 彼女達は、人が龍を象らせた偶像である可能性がある。龍信教会にとって、それは度し難い邪道。忌み嫌う不遜の塊の筈。龍を信仰する心が集う場所にいて良いモノではない。


「──とは申せ、本物となれば話は別だろ」

「……は?」



 今のは……世迷い言か……?


 ……本……物……とは……?



「アガルタ。今回は、大手柄を上げたのだ。母は初めてお前を称賛したい気持ちでいるぞ」


 称賛などいらん。

 見慣れない笑みに背筋が凍る。


「……ふむ、訳がわからんか。……。そうだな、龍史に於ける双龍の物語は知っているだろう? 太古の昔、空を紫と黄の色に分け、大戦を繰り広げた『紫龍アルズメイ』『黄龍アルチユド』の話だ」

「……それが?」

「結論を言えば、このお二方はそれらの化身だと、我らは見ている。……その証拠として」


 言い、この人は黄の瞳の子に礼を払うと……その小さな胸に二度、手を当てた。


「──お二方には、ここと……ここに心臓がある。つまりは龍と同じく二つの鼓動を有する、完璧な左右対象の生命だと分かるな」


 人が偽っているなら、こうはいかん。と、鼻高に息巻く。

 ……が、府に落ちない私の顔を前に、あの人は首を傾げた。


「ほぉ。そんな訳ないと。形成異常だと考えるか? それなら、龍の鬣の如く蒼く染まった彼女達の髪と、他に類を見ない瞳の色の組み合わせを、どう説明する?」

「それは……」


 ……露骨だ。

 となれば、あまりにも露骨な『双龍の再来』ではないか。

 識る者にそうだと思わせる為の様な容姿、その存在に、私はこれまでに無いくらいの目眩いを覚える。


「……身元は? まさか一から本気で龍が人に化けた話にはしないでしょう? その子達の親を捜したりは──?」

「それについては流石にな。……最初は女の腹を経てはいるだろうとは思ったさ。だからここ六日程、各地の使徒教会に連絡を入れ身元の究明にも手を伸ばしていたが……親はおろか、親戚の類いすら見つからん」


 無論、生誕記録も戸籍も出てこず……二人に直接聞こうとも、延々と口を閉ざし続けていて聞けたものではない。そうなれば当然、洞窟に居る事となった経緯経過……親が堕心龍に喰われたかどうかも判明するものか──と、この人はため息混じりに呟いてみせた。


「……じゃあ、結論として……は」

「ああ。我らの憶測は広がりに拡がり……最後は龍の神秘が齎らした双龍の降臨だと言う事で落ち着いたよ」


「ぃゃ、だからって……」


 信じられない。

 どうにも意味がわからない。

 何故、天を統べる龍ともあろう者が人などに成る。

 龍史上、人を喰らう事はあっても、そうやって禁忌染みた歩み寄りを見せたなどと言う話は聞いた憶えがないのだぞ。


「あの……母様、あたしも確認しても……?」

「ええ、双龍様はお許し下さっておいでだ。お前もしかとご寛恕を賜り感謝なさい」


 私が傍の長椅子に手をつく一方で、ティヴはまるで猫を撫でに行くかの様に、興味津々と言う感じで彼女達に近付いていた。


「……──ほわ?! ホントだ! なにこれ不思議な……えぇ……ヤバぁ……」


 ついでに兄様もおいでよとティヴが手招きをするが、私は遠慮した。嘘が下手な妹が、あれだけ真に迫る反応をしたのだから、本当に心臓が二つあるのだろう。

 私の隣に戻って来たティヴが、極めて小さな声で「きもちわる」と溢しただけで、此方の気分を代弁してくれたようで満足だ。



 ……言うて、私自身も全ての龍史書籍に目を通した訳でもなし。むしろ、これが初の事象とするなら歴史的瞬間を目の当たりにしたとして、感慨深く事実を受け止めよう。

 納得はしないが。



「さて、この事を踏まえた上で、改めてご紹介に与らせて頂きましょう。まず──」



 ──名は、黄樹(おうじゅ)。



 先程からベタベタ触られても声の一つも上げない黄色の瞳の少女。我慢強いのか諦めているのか定かではないが、とにかく大人しそうな印象を受ける子だ。



「そして次に──」



 ──名は、紫樹(しじゅ)。



 面白くなさそうな顔で、そっぽを向いている冷淡そうな少女。けれど、黄龍と手を繋ぎ続けている所を見るに、彼女に対する心は温情に満ちているのかもしれない。


「古い樹は天寿の全うと共に成龍となって空へと昇る。龍史にある古語の一文を基に、『樹』を付けさせて頂いた。良い名だろ?」


 はい?


「え、元の名は……?」

「聞ける機会があれば、その時にでも聞け。それが叶わない今は、双龍としての幼名で呼ぶ」


 それで良いなと促され、ティヴは快く……とまではいかないものの、母の言う事ならばとした面持ちで頷く。私は、絡んだ所で何も得られそうにない話は置いておいて、とにかく龍信教会側の意図を探ろうとした。


「……それで、どうしようと? 裏で崇めるとでも? その子らを教会が保護しているなど、世間に隠し通せるものではないでしょう……?」


 使徒教会は一般人の出入りも許可されている。

 今は人払いが済まされて閑散としているが、彼女達が見つかる時は必ず来るだろう。しかもそれが奴ら……龍を良く思わない者共としたらどうする。


 ……反龍勢力は小規模でも、声は大きい。龍信教会は邪道を犯しただのと、大きな騒ぎを起こされかねない。

 そうなれば例え貴族連中が彼女らを『本物』だと公言したとて、それをそのまま信じる人々がどれだけいるか。どれほどの事が起こるかは、教会側にとって想像に難くないだろう。


「──だからこそだ、アガルタ」

「……え?」


 ところが、この人の顔は笑止だと──愚問だと示していた。

 

「我らの傍に或るのは、本物であると……我々は強く伝える予定だ。──龍と人の概念は、お二方を皮切りに大きく変わると。誰もが信じざるを得ない、新しい歴史の始まりが来るのさ」

「歴史って……一体、なにを……?」



 簡単な話さ──と、私の声を遮るように、この人は詠う。




「来る祭事。……アガルタ。お前──、お二方に喰われなさい」




「……──は?」




「人を喰らい、人のままならば双龍の化身であろうが惑わし物として首を撥ねる。人を喰らい堕心龍となるのならば後はお察しだ。阿保でも重大な一例となるこの事実に平伏すだろう?」




「……なん……で……」




「待って母様! それって、アガルタは──?」




「ん? ああ、安心しろ。命まで喰われろと言うつもりはないさ。……だが、腕か脚……何処でもいいが、分かり易い欠損はして貰う」




 文句は無いな──と、人の温もりも感じさせぬ声で女は宣う。




「つまり、私は……その子らの立役者になれ……と」




「その子らでは無い『龍史』だ。双龍の化身を世間に曝すには、相応の物語がどうしても必要。どうせ龍殺しを働いた四肢などいらぬ。でしょう?」




 受けた呪いを肉ごと落とす良い機会になるのだぞ……なんて事を、薄っぺらく作られた優しげな顔で言う。




 受けた呪いなど……。




「私が断れば、その子達はどうなる……?」

「どうなるだろうなぁ……? 別の誰かを喰って頂く他無くなるが生憎……そんな話、拒む者が知って何になる」


 止めるのか? と、あの人は私を眇む。

 止める権利も無いくせに──そんな、見下した目だ。


「嫌なら嫌だと言えば良いぞ。……ただし、その時はお前に別の『やくどころ』を引き受けて貰うが」



 そうして、改めて問われる。

 喰われるか、立ち去るか。



 その選択に……私は────。




──────

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この物語は双龍の心臓を喰らう事で── 笹見暮 @sasamikure

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