第36話 団長と副団長
まだ開店準備中の酒場に入るのは、慣れたものだ。
最初に情報を聞いてからというものの、リックはよく顔を見せる。店主と話すこともあれば、黙って飲むだけのこともあるが、いずれにしても仕事というより息抜きの感覚に近い。
店主もまた、できるだけ店側に、自分に、迷惑をかけようとしていないことはわかるので、歓迎はしていないが、拒絶するほどでもないと思っているようだ。
「ホットミルクを」
注文はいつもと同じ。こう見えてリックは、あまり酒を飲まない。
「それと、今日は来客がある」
「そうでしたか。――いえ、リックさんもお客様ですが」
「そうだったな、忘れていた。お前にとっては少し驚くことにもなるだろうが、いつも通りで頼む。聞こえないフリは得意だろう?」
「ええ、それは任せてください。余計なことを聞いて、引くに引けぬ状況はご免です」
「わかっているから、金を払って利用しているんだ」
「しかし、こう言ってはなんですが、密談ならほかの場所でも構わないのでは?」
「当てはあるが、密談だとわかる真似は避けたいし、こう見えてまだ学生になったばかりだ」
「おや、そうでしたか。寮生になるのですから、外出は週末の休みだけでは?」
「いろいろ方法はある。今日はその中でもスマートな方法をとった」
「たとえば、教員の弱みを握ったり?」
「正解だ。連日というわけにはいかないが、たまの一日くらいなら目を瞑ってもらえる」
「リックさんは、そういうところがお上手ですね」
「何事も準備はしておくものだ。お前だって、夜の仕込みをする時間だろう?」
「そうですね。料理は匂いも出ますから、早めに作っておいて、お酒を楽しめる場も作っておかなくては」
「だから、俺らの話は聞こえない」
「そうなります」
実際に、彼は奥に行って料理を作ったり、こちらに顔を見せてボトルの確認やグラスを磨いたり、あちこち移動しながら対応している。
そして。
彼女がやってきた。
スカートを吊り上げベルトで留め、上は白のシャツ。年齢相応か、それ以上に主張の激しい胸部を見せつけるような姿にため息も落ちるが、腰裏にある斧が声をかける男性を冷静にさせる。
妙に嬉しそうな顔で、彼女――シノノメは扉をしめた。
「お待たせしましたか」
「いや」
店主がぎょっとした顔をしたが、すぐに。
「いらっしゃいませ。営業時間前ですので、難しい注文はお控えください」
「あら、サーヴィスが良いのですね。ではハイボールを一杯だけ」
「かしこまりました。できれば夜にまた、いらしてください」
「機会があったらそうします」
言いながら、彼女はリックの隣に座った。
「――久しぶりですね、ダン」
「そうだな」
生前ぶりだ。
「まずはわたしから、良いでしょうか」
「おう」
「どこからですか」
「そこか。まあ、だいぶ前からだな。俺が折りを見て、あいさつ回りをしようって時に――どうも、俺の前に同じことをやったヤツがいると知った。俺としてはすんなり進んで楽をしたが、気持ちの良いものじゃない。しばらくして調べれば、お前の名前が出てきたわけだ」
「なるほど、わたしが地方巡業に行っていた期間のことですね」
「口留めはしたし、べつに発覚したところで俺にリスクはない。まあ? どっかの間抜けは油断してたから、顔合わせの時に挨拶できたけどな」
「首ですね、あれは完全にわたしの油断でした。得物は調達したのですか」
「馴染みの鍛冶屋に頼んで、一年くらい調整も入れた。どちらかというと、ギミックの調整だな」
軽く手首を動かせば、折り畳み式のナイフが手元に出てくると同時に、半分ほど開いて刃が顔を見せ、ぱたんと音もなく閉じた。そして同じ動きでナイフは袖の中に戻る。
「得物の話だから訊くが、俺のグラブはどうした」
「ああ、こちらで
「教会での立場はどんなもんだ」
「わたしがまさか、熱心な信徒ではないと?」
当然だ。あれほど生前は教会を嫌っていた女が、こちらに来て改心したなどと思わない。
「――変わらないですよ。どんな組織でも、表と裏の顔があるように、教会の内部にも派閥はあり、表には決して出せないようなこともしています。それをいつか潰すのが、今のわたしの最大の楽しみですね」
物騒な話だと思ったのか、店主はハイボールのグラスを置き、裏に行って料理の続きをするようだった。
「隠しているのか」
「もちろんです。神の落とし物だと発覚したらどうなるか、中でちゃんと見てきましたから。飼いならされるのはもちろんのこと、自由という鳥かごの中で生きるのはご免です」
「それもそうか」
ホットミルクを一口。
「――昔の話を聞かせてくれ」
「昔の?」
「詳しく話そうとすらしなかったヤツに加えて、お前はそもそも話せなかった」
「そうですね。無理をした二言だけ、それも戦闘中に仲間を呼ぶ時に限っていましたから。あれはあれで辛いんですよ、発声すること自体が封じられていましたからね」
「あいつも」
ここにはいない、始りの時にきっかけを与えてくれたエンスも。
「死ぬ時まで、躰がぼろぼろだったことを話さなかった。何故だ? 何があった、そしてどうしてだ。今でもまだ話せないことなのか?」
「気になっていましたか」
「そりゃそうだろう、どうであれ仲間だ」
「それはもちろん、今でも、仲間であることに疑いなど持ちません。話さなかったのは、彼なりに迷惑をかけたくなかったからでしょう」
半分ほど、勢いよく飲む。
「よくある話でしたけれど、酒があるのはありがたいですね」
いまさらだ。
「いくつかの宗教を統合した当時の教会にとって、戦力がない状況はかなり優先度の高い議題として上がっていました。それは秘密裏に、戦力を育てようとしていた成果が出なかったことに繋がります。かつては子供兵器など、よく聞く話でしたが、使い捨てだろうが、育成情報は軍部に牛耳られ、その大半が破棄されていたのはご存じでしょう」
「まあな。そもそも、軍であっても子供の育成には気を遣っていた。人的資源が枯渇するのが目に見えていたからな……」
「ようやく成功が見えたのは、六番の名を与えられていた彼でした。ただし彼は、完成した瞬間が最盛期。そこから先は急激に下る坂のような状態です」
「そうか。じゃあ、あいつが俺たちに逢った時からもう」
「ええ。死に際に言っていたよう、覚悟していたことですし、わかっていたことです。そして、彼らは六番を観察しながら続けていき、八番目で気付き、九番目のわたしで――理解し、同時に継続が難しいことも悟りました」
「なにに気付いた」
「何かを習得するには、代償が必要だということです。考えてみれば、その兆候は彼の時にも表れていました。雨天の名を持った武術家のデータを脳内に入れ、それに対応できるだけの肉体強化を薬で行い、彼は寿命という代償を支払い、常に肉体の苦痛を感じながら生活を送ることとなりました。そしてわたしは、――躰のあちこちから、余計なものを最初に失わせて、その上で似たような処置を受けたのです」
あちこちから、だ。それは声だけに限ったことではない。
「六番目の彼よりも少しだけ長生きでしたが、会話がなければコミュニケーションがまともに取れませんからね。戦闘は楽しかったです、これは今もそうですが」
「それは知ってる。脳筋だと思ったことはないが、
「それも間違いではありませんね。そういうわけで、教会には含むところがあります――今も」
「……よく我慢してるな」
軽く、頭を二度ほど叩いた。
「――ふふ、懐かしいですね。よく、こうしてもらいました」
「誰もいない時にな。今は、楽しくやってるのか?」
「教会の仕事として、巡業などありますが、よくやっています」
「孤児院の経営もか」
「ええ、わたしの管理している孤児院には、こう言うとおかしいですが、教会の干渉を許していません。ザンカの思考も、本来は危ういものですから」
「ああ、あいつには術式教えるつもりだから、上手くやってくれ」
「そういえば、エシャにも教えていましたね」
「さすがにキリュウじゃあるまいし、いやあいつは無理か、ともかく専門じゃないから、ある程度にはなるが――ん」
同時に、二人は入り口を見て、三秒後にゆっくりと開く扉から、女性が中に入ってくるのを見た。
彼女は。
驚いた顔で、しかし、やっぱりかと何かを認めたように肩の力を抜き、扉を閉めてから両手を軽く上げた。
「そっちの男が、リックで合ってるかい?」
「おう」
「まずは本題から入らせてもらうよ。あたしの――まあ、弟子がいてね」
一体何の話だと思えば、彼女は。
「あの馬鹿弟子の名前は、リック・ネイ・エンスらしいんだ。普段はエンスと名乗ってる」
二人は。
全ての感情を殺し、何も顔に出さず、態度にも出さなかったが、顔を見合わせた。
「……流れを教えろ」
「その前にどうぞ、座ったらいかがですか?」
「いや、あたしは伝言係みたいなものだからね、そう長居はしないよ。リック、馴染みの鍛冶屋があるだろう。あれはうちの組織に属している魔術師でね。ああ、組織に関しての概略を言うと、術式を勉強し扱う連中が、相互扶助のために集まっているだけの組織だよ。協会、とでも言えばいいのかもしれない。国や権力に使われるのが嫌って連中さ」
「続けろ、べつに情報が漏れたからって、どうってことはない」
「助かるね。遠目で見て確認はしたし、いわゆる挨拶ってのも聞いたからね、どうもうちの弟子に似たようなことをする。これでも気配を隠す方法は、弟子に教わって上達したつもりなんだけど、これがまた、通用しないんじゃ困ったもんだ」
「慣れてますから。けれど、ほかの魔術使いでは難しい技術を使っているとなれば、さすがにこちらも警戒したくなります」
「……そう考えれば、確かに、そうだね。まあそういうわけで、あたしは弟子に確認したのさ。ちょっと遠いから、伝言をね」
「別の大陸か」
リックが言えば、シノノメが少し反応した。
「この程度、少し考えればわかるだろう。特に地形、地図を見て話す時に、どこに行っても口にするのは、この大陸、だ。しかも蛇の大陸なんて通称まであるらしい、疑問に思わない方が間抜けだな。――それで? エンスはなんだって?」
「フルネームを使えと、それだけさ」
「そうか」
「彼のことだから、きっと無茶な挨拶をしたのでしょう?」
「本人はどうか知らないが、銃弾を弾きながらの接敵に、片足を負傷していたよ。全治四ヶ月、わたしがあいつを弟子にして最初にやったことが、その面倒を見ることさ。あんたたちからの伝言は?」
「いや」
「ありません。――いえ、シノノメとリックの名だけ伝えておいてください」
「そうかい。じゃあ――」
「待て」
少し考えて、リックが声をかけた。
「魔術師の組織と言ったな?」
「そうだね。世界規模で、いわゆるあんたたちの知ってるような魔術師がいるよ。窓口になってるあの鍛冶屋もそうだ」
「知り合いが、これから魔術を学ぼうとしてる。俺から見ても、それなりに考えてるやつだ」
「へえ……この常識の中で?」
「そうだ、見込みがある。近くに誰かがいるなら紹介してくれないか。俺は専門じゃない」
「時間はかかるよ、半年だ」
「それでいい。基礎くらいなら教えられる」
「あんたを目印にしたらいいのかい?」
「ああ、それで構わない」
「わかったよ、そのくらいはしよう。言うまでもないけれど、教会には気を付けるんだね」
彼女は、特に名乗ることもなく、それだけ言ってすぐ出て行った。
しばらくして。
「ありゃエンスに、いいように使われただろう」
「そうでしょうね」
「……だが、あいつも痛みのない躰で、楽しくやってるだろうな。俺だって古傷が痛まないことに慣れつつある」
「それなりに問題がなかったのはネイだけでしたからね」
「ネイも、こっちに来てるのか……」
「あるいはアキコも。もしかしたらキリュウやミーリエッテだって」
言って、シノノメは小さく笑う。
「フルネームで言えるのが、笑えますね」
団長であるリックがダン、エンスはエス、そうやって二文字で呼ぶものだから、いつの間にか戦場では誰もがそうするようになっていた。理屈としても、緊急時には長いフルネームで呼ぶ時間なんてない。
ちなみに、シノノメは副団長だ。
「こちらはこちらで楽しみましょう。どうですか、学生会には?」
「見世物になるつもりはない……んだが、姉貴の訓練もある。上手くやってくれ」
「巡業も落ち着きましたから、多少は融通を利かせられますが、あまり期待はしないでください」
「ザンカもな」
「あら、あの子もですか?」
「学生としての生活を楽しむなら、丁度良い」
「――相変わらず、面倒見が良いですね」
「笑うな」
であればこその団長であり、であればこそシノノメが副団長だったのだ。
ただ。
「ここに戦場が少ない、それだけが残念です」
「お前も相変わらずで何よりだ」
かつてヴィクセンと呼ばれた者たち 雨天紅雨 @utenkoh_601
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