第35話 戦闘の歓迎会

 入学から三日後のことである。

 新入生歓迎会とは名ばかりの集まりであり、恒例行事。戦闘の学科を選択した新入生が体育館に集められ、戦闘訓練を行う。相手は学生会だ。

 あの氷剣がいる、なんて言葉が聞こえるあたり、エシャはそれなりに有名らしい。

 新入生は七人が戦闘を選んだ。五学年あるが、総勢にしても三十名ほどであり、体育館の観覧席もまばらである。といっても、足元は地面になっているし、ちょっとした訓練場と思った方が良いだろう。

 今は七人だが、一年後には五人くらいになっているのが通例らしい。リックも、まあそんなもんだろうと思っている。

 新入生側から指名権があり、同室のザンカがエシャに挑んで負けた。こちらは木剣、相手は刃のある得物を使ってはいるが、学生のトップだからこその学生会だ、手加減はきちんとできるとのことだろう。

 監督しに来ている教員は二名いるが、文句は何一つない。

「おい……」

 ようやく呼吸が整ったのか、座り込んだザンカが小さく声を出す。

「冗談じゃねえよ。正面に立って、改めて怖さを実感したぜ」

「そうか。俺はお前が素手なことに驚いたよ」

「おかしいか?」

「いや、躰に力が入り過ぎだ。体術にも課題が多そうだな、そっちも簡単なのを教えてやる」

「そりゃありがたいし、お前の実力は疑ってねえけど……いや、すぐ見れるか」

「本気にはならんが、そこそこ真面目にやってやるよ。相手が姉貴じゃなけりゃな」

「誰を選択するんだ?」

「すぐわかる」

 結局、七人中四人がエシャに挑んだが、何もできず一方的に制圧されたかたちだった。

 最後。

 のんびりとリックが前へ出る。

 何かを言う前に、木剣を二本持った少女がひょいと、軽い足取りでやってきた。

「エシャ先輩の弟さんっすね?」

「……ああ」

「じゃ、自分がやらせてもらうっすよ。木剣なら、怪我で済むんで、全力でやるんすけど」

「どうぞ」

 なら遠慮なくと、審判として立っている教員が、始めろと言う。彼女が軽く腰を落として身構えたのを見て、リックは肩を竦めた。

 お互いに礼、では始めろ。

 形式としては美しいし、訓練や試合ならそれに従うこともあるだろうが、実戦的ではない。姿を見せて威圧する魔物もいれば、背後から首をめがけて噛みにくる魔物だっている。

 だから解決方法は二つ。

 常に身構えておくか、身構えずに対処できるようにするか、だ。

 初手。

 低い位置から入り込んできて、視線を合わせながら距離感を誤魔化す一撃は、胴への突き。

 それを半身になって回避しつつ、一歩前へ出て、その時にはすでに右手が彼女の首に触れている。

 指先で、軽く撫でる――その行動に驚いた彼女が後ろへ引いた。

「……どうした、続けろ」

「――っ」

 続く。

 どれほど速くても、奇策でも、リックはすべてを回避する。彼女は気付いていないが、既に接近して木剣の間合いに入った時点で、そこはリックの掌握範囲であり、言うなれば肌の延長の領域だ。何をどう動こうとも、その細部にわたるまでがわかってしまう。

 何をやるかわかっていて、見えていて、あとは対応するだけなら簡単だ。かといって遠距離でやっても同じことだろう。領域の中に入ってきたものを知覚して、充分に対応できる距離があるのだから。

 外から見ていると、すべての攻撃がすり抜けているように見える。よくよく観察していると、足の動きが最短でかつ、無駄がない回避でありながらも、避けたあとに元の位置へ戻っているからだ。

 五分が過ぎる頃、リックが踏み込みを見せる。

 相手は両手の剣で手数を稼ぐタイプなので、攻撃が多い。いや、攻撃させているのだから当然だが、防御意識が弱い。だからこそ、当たりに行くリックの動きは意表を衝かれただろうし――それに。


 振り下ろしに、左の肘。足元の横薙ぎに、右の膝。

 合わせ。


 たったこれだけの動作で木刀が割れ、破片が宙を舞って遠くに落ちた。

 対人戦闘の武器破壊は、リックが得意とすることだ。ただ、合わせをミスした瞬間、致命的になるが。

 彼女は呆然と両手にある折れた木剣を見て、軽く手を挙げるようにして座り込んだ。

「狙いは悪くない」

 距離は詰めず、その位置のままリックは口を開く。

「上下左右、意識を散らすのは上手い――が、まだ自分本位だな。相手の嫌がることを的確に見抜くのは苦手そうだし、決定力にも欠ける。たとえば、相手が巨大な盾を持っていたら、お前はどうする」

「……魔術を」

「それは答えじゃない。その場合は相手も魔術を使って、より強固な守りに入るだけだ」

「なら背後を」

「盾を持ったまま、自分を中心に回転するのと、ぐるりと回って背後まで回る、どちらが苦労するかは目に見えている。――課題だな、考えろ」

「――うっす」

 ひょいと軽く立ち上がった彼女は額の汗を拭い、ぺこりと頭を下げて戻っていく。

 だが。

 リックにとっては、これからが本番だ。

 動かないリックに対して、周囲は何をしてるんだと思っただろうが、相手側からシノノメが出てきてざわめく。

 当然だ。

 こんなところで戦闘をするような相手ではない。学生会のトップでありながら、未だにただの一度も、学校内では得物を抜いたことがないと――そう、周知されていたのに。

 法衣を脱いで、それをエシャが受け取る。動きやすい身軽な服、不釣り合いな腰裏にある斧。

 シノノメが腰につけていたグローブをリックに放り投げた。それを受け取り、小さく苦笑しつつ、手にはめる。

 薄手の絶縁体で組まれたグラブは、生前のリックが愛用していたものだ。拳の部分には硬度の高いゴムがついており、耐雷、耐熱を重視して最大限薄くしてある。

 今の躰では、まだ少し大きいが問題ない。

 シノノメは腰裏にある斧を手に取り、それを勢いよく上空へ投げた。全員の視線がそちらへ向かっている隙に、どこからともなく、もう一本の斧を取り出して――キャッチ、これで二本。

 棒の上部に刃があり、下の柄には9の文字を模した飾り。シノノメはその上部にある穴に両手を入れて握った。

「……教員、もう少し離れておけ。巻き込むぞ」

「そうですね。魔術を使うつもりはありませんが、動けるうちに動いた方が良いですよ――いえ、安全のためにも、わかりやすくしましょう」

 リックが驚いた顔をする。

 それもそうだ。

 彼女がきちんと、シノノメが言葉を、会話をしているのは、初めてだったから。

 お互いに顔も、躰も、立場も変わった。同じなのは得物だけ。

 ただ、根本的な部分に変化はない。きっと同じだ。

 いつだって、今も、傭兵団ヴィクセンの一人として、ここにいる。


 シノノメが全方位警戒オールレンジアクティブを展開し、周囲を一気に威圧した。自分の掌握範囲、領域を作る行為をより極端にしたもので、本来は敵寄せなどに使うことが多い。

 これをやられると、どうしたって。

「疲れるんだがな……」

 同じく、リックも威圧で返すしかない。

 ぴりぴりした空気に反応し、教員は慌ててその場から後方に跳んだが、新入生だけでなく、観客席の何人かは呼吸を忘れたかのよう、身動きできない。

 それもそうだ。

 この威圧の中、自分は平気だ、殺されることなんてない――なんて、楽観できる者は、実力者ではない。ただの間抜けだ。

「――あらいけない」

 ふわりと、間合いを詰めてきた。左の一撃が見える、フェイント、だからリックも躰を前へ移動させると見せつつ、後退。

 右の斧、上に振りかぶった時の勢いを利用して、軽く放り投げるよう手の内で滑らせつつ、斧の下を握って、勢いよく振り下ろしがきた。


 ――轟音。


 地面が割れたのは気にせず、リックはすかさず一歩を踏み出し、斧が簡単に抜けないよう、地面に刺さった刃の部分の背を足で踏んだ。

 強い力に小柄なシノノメは、取っ手を持ったまま宙に浮く、いや、自ら力を利用して浮いたのだ。そこを支点にしてくるりと横回転、だが放たれた斧の軌道は縦。

 縦。

 横回転なら横、というのはセオリーだが、それ以上に、踏まれている斧を引き抜こうとするのなら、薙ぎにいった方が効果的だ。リックは縦なら、軽く触れるだけで反らすことができるのに対し、横の軌道を取られると、選択肢はしゃがんで反らすか、後ろに引くしかない。

 触れる。

 斧の上部を持っているため、かなりの近距離。刃の側面を撫でるよう、手の甲で外側に押しやって、違和感。

 ――ああ。

 横から縦の動きに移行する時に、地面の斧、踏んでいる斧の取っ手を先に蹴っていた。

 前へ。

 つまり、リックの腹部へ。

 それもそうだ。横回転をしながら縦に攻撃をしようだなんて、どこかで力を移動させる必要がある。それを布石として打って、リックの動きを誘導した。

 いや。

 誘導というより、やって当然だと思われていたのか。

 二択。

 本当はもっとあるが、リックとしては右か左か――踏み込みの右足で、斧の取っ手を自分から見て左側へ倒す。

 あえて、振り下ろしの斧と同じ方向へ反らした、動かした。

 そもそも。

 振り下ろした得物を、外側に逸らした時点で、普通の相手ならば腕が開く。隙ができる、無防備になる、表現はそれぞれだが、シノノメはあろうことか、得物を逸らしても躰ごと外側に動いている。そこに、握り手を向けるようにしたのなら、どうぞ斧を手に取ってくださいと言っているようなものだが、逆に言えば、斧一つぶんの距離を取れる。

 斧を拾ってくれればいいが、シノノメは気にすることもなく着地。だろうなと思って斧から足を離し、一歩、リックは距離を取った。


 ここまで、最初の一撃から五秒も経過していない。


 ただ、轟音によって威圧から我に返った者も多く、最低限の呼吸はできているだろうし、近くでどうにか見ていた教員も、さて、このやり取りのどこまで理解が及んでいるのか。

 もっとも、本番はここからだ。

 向かい合ったシノノメは、斧を両手で持つ。右手で上、左手で下。屋内戦闘ではよく見た構えだが、お互いに今の躰では鍛錬が不十分でかつ、成長もこれから。無茶をしない動きならば、こちらの方が合理的だろう。

 未熟なのはリックも同じ。かつてを十割とするなら、今はせいぜい六割くらいなもので、生前だとてパーフェクトだと言えるような錬度ではなかった。

 地面に落ちた斧を中心に、右回り。じっくりと時間をかけるよう、お互いに間合いと距離、そして雰囲気を掴む。

 けん制。

 細かい誘い、フェイントを織り交ぜながら、狙いを探る。


 それは、踏み込んでからも変わらない。


 変則的な両手持ちの斧の威圧感は、近づけば近づくほど感じる。どの場所で殴っても致命傷になる重量を持っており、リックにとっては何より、先端部分を押し付けるような動きが厄介だ。簡単に反らせないし、シノノメもそれをさせないから、回避になる。

 何より。

 初撃を反らした左手が、ややしびれているのが問題だ。それだけの威力があった。

 威力というより、やはり、重量という表現が的確な気がする。

 斧は重い。ほかの、たとえば剣などと違って、同じよう反らすだけでも負担がかかる――負担をかけようと、シノノメもしている。

 こちらも、五分を目安とした。

 お互いにしかわからない攻防もあれば、ほぼ同時に踏み込んで距離を取る、いわば地味なものを続けていたが、リックの方が分は悪かった。

 三年だ。

 シノノメの方が、三年長い。大人になればこの時間はゆるやかに縮まってしまうものだが、この年齢の三年は巨大な壁のごとき差を発生させる。それが実感できただけでも、この手合わせには意味があったのだろう。

 距離を取る、そのタイミングでリックは右足で斧を立てて、掴み、それを軽く上空へ。

 視線誘導。

 一瞬の隙を見て、シノノメは持っていた斧を術式で作った格納倉庫ガレージに入れ、いつの間にか一本になった斧を掴み、腰の裏へ。

 その間に、リックは額の汗を拭って背を向けた。

 そして、誰かが口を開く前に、訓練場をあとにした。

 なんというか。

 あのシノノメが楽しそうで何よりだと、そんなことを思いながら。


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