第34話 同室と魔術の話
学校は基本的に寮生活となり、二人一部屋があてがわれる。
リックの同室になったのは、やや筋肉がついた体格をしている少年で、名をザンカと言い、お互いに名乗り合う挨拶を済ませた。それから講堂で入学式があり、学校案内、それを終えて夕食までは休憩時間だと言われ、戻ってきたところだ。
とはいえ。
夕食時間は決まっているものの、いつ行っても良い。さすがに軍隊のような規律はなさそうだ。
「リック、お前は戦闘と魔術、どっちにするんだ?」
「ああ、そんな話もしてたな……どっちでもいいと言いたいところだが、戦闘の方が面倒がなさそうだ」
「面倒ってなんだよ。まあ時間に縛られないのは楽だよなあ。俺としても、研究時間が欲しいから、どうするか考えたもんだぜ」
「研究?」
「おう。なんつーか……魔術についてな」
「へえ」
少し考えて。
「魔術の仕組みがおかしいって話か?」
「――」
放った言葉があたりを引いて、リックは小さく苦笑する。
「俺は魔術師の家系で、魔術水が飲めない体質でな。ガキの頃から苦労したもんだ」
「……そうなのか。うちは孤児院で、金がそもそもなくてな。魔術水を買うことができねえんだ」
「あ? 教会直下の孤児院じゃないのか」
「うちの孤児院は、さっき挨拶したシノノメさんの直属だよ。だから人体実験めいた魔術水も配布されねえ」
「おい、人体実験なんて言うもんじゃないだろう」
「聞き流せよ、そういうのは。あと、驚け」
「よくあることに、何を驚けと」
ザンカはよく、変わっていると言われるし、そういう扱いには慣れている。だがそれ以上に、リックは変わっているように見えた。
信用できるとは思わないが、なんだろうか。
「ああ、そうか。あんたシノノメさんに似てるんだ」
「似てる? あの女と?」
「雰囲気だ。なんかこう、話がわかる――って言えばいいのか」
「なるほどな」
「何を納得したんだか。まあともかく、俺は俺で、興味を持ったわけだ」
「なにに」
「魔術さ。どうして魔術水を飲めば魔術が使えるのか、……なんてのはどうでもいい。いや、どうでもよくはないが、主軸じゃねえ。俺はその理屈が知りたい」
「お前にとって、魔術は魔術じゃないのか」
「俺も使いたいって欲は、だいぶ前に減らしたよ。今もあるけど、二の次ってやつか。理屈、理論、まあ仕組みを知りたい」
「それが今の魔術に、ないものだと?」
「そうだな、そう思う。……お前、
「なんだそれは」
「この学校の先輩で、氷の剣を出して戦う人がいるんだよ。学生会にいるんだけど、エシャって先輩。通称なんだ、その人の」
「――たいそうな二つ名だ」
初耳だったが、さすがにリックも苦笑しか出ない。
「二年くらい前に初めて見て、驚いたぜ。あの人の魔術は、ほかの連中が使ってる魔術じゃない」
「何故そう言える」
「まず第一に、図鑑に載っていない。二つ目、魔術陣が展開されていない。三つ目、行動制御をしている。四つ目、周囲の気温の低下が副次的なものとは思えない」
ぱちぱちぱちと、三度ほど手を叩いた。
「よく見てる」
「なんだよ」
「あれは俺が教えた」
「――は?」
「剣の形を作れるようになったのが、それこそ二年くらい前だ。最初は冷気を周囲に展開して、その領域を把握することで索敵や回避行動の最適化をさせた。そこから剣を作るのに、まあ、だいぶ時間をかけたが」
「ど、どうやって」
「わかるだろう? 今の話を聞く限り、お前なら、一度くらいは考えたことがあるはずだ。つまり魔術の行使に術陣の発生が不可欠ならば――」
「――術陣を」
そう。
「作ってしまえばいい……」
それが、正解だ。
「言っておくが、難易度は跳ね上がる。既に作られたものをポケットから取り出すのと違って、まずは取り出そうとするものを作らなくちゃいけないからな。根底にあるルールは同じだが」
「一つ、いいか?」
「なんだ」
「俺は以前、きっかけとも言える疑問を抱いた。そいつは今の魔術に、移動系がないことだ。なんつーか……
「
「呼び方は知らねえけど、そっちの方が正しそうだな」
「俺もそれほど詳しいわけじゃない」
「そいつは俺と比べてか?」
問えば、リックは肩を竦めた。
「理論を考えたんだよ。可能だって前提で」
「どんな」
「一番簡単だったのは、A点とB点を紙の上に書いておいて、紙を折ってその二つを繋ぐことだ」
「ああ、なるほど」
かつてのリックも、そんなものだろうと思っていた。まだ当時は、キリュウという魔術師も傭兵団におらず、魔術に詳しくなかったから、あくまでも目の前で起きた現象にどう対処するのか、それに尽きた。
しかし。
「魔術の共通点を知ってるか」
「あくまでも、世界で起きてる現象以上のことは起こりえない――か?」
「似たようなものだ。これをいわゆる
「そりゃ重力があるから」
「時間もそうだ。俺たちは未来に向かっている、過去には戻れず、現在を生きている」
「まあ、うん、理解できる。未来は可能性があるから、跳べるかもって思うけど」
「そこは俺も確定はできない。だがな、紙を折りたたむことは、時間軸に影響を与える動作――らしい。結論を言えば、空間は畳めない」
「……畳むことが、許されていない?」
「そうだ、理解が早いな。移動には時間、速度、距離の三つが関係するが、それもルールの内側だ」
「そうか……」
ならば、そもそも不可能かと、そんな納得を自分の中で作ったが、しかし。
「だから移動じゃない」
そう言われて、思考が止まり、何を言っているのか理解する時間が生まれた。
「……は? いや、移動の話だろ」
「見た目はな。だが、移動にとらわれると理論が完成しない」
「それは、さっきの話か? つまり時間、速度、距離の計算式が成り立つから、それを覆すことができない?」
「そうだ。逆に言えば、そのルールに基づくものならば、可能でもある。空間系は、大雑把に次元式と呼ぶんだが、短距離においてはルールに基づくな」
「短距離ってのは、どのくらいの範囲だ?」
「個人差はあるだろうが、俺としては魔力が届く領域の範囲内ってところか。術陣と同じものを自分で組もうって連中はな、一つの結果に対して複数の理屈を通そうとする。その中で自分に合ったものを構築するわけだが、次元式に関してはかなり難しい部類だな」
「俺にはその難度もよくわかんねえよ」
「だからあくまでも、理論としては一例だと思ってくれ」
リックはそう言って、ベッドに腰かけた。室内は狭いが、二人分のベッドと学習机、さらにはクローゼットまで完備してある。
「紙の上に書いた点AとBだが」
「おう」
「もう一度言う、これは一例だ。俺はできないし、やったこともない」
「わかった」
「二つの点が同じものなら、それは移動じゃない」
「……」
やはり、ここで間が生まれる。
「は? 同じって」
「実際に理論を――というか、まあ、ここだけの話として言ってしまうが、術式の構成に関しては、いわゆる現実的な理論のほかに、誤魔化すための理論ってのもあるんだよ」
「表と裏みたいな感じか?」
「どっちが表なのかは知らないがな。たとえばこうだ。同じ世界の上だと定義して、同じ空間である、同じ空気である、同じ魔力がある、同じ構成がある、同じ目標物がある、同じ術式を使う――とまあ、これだけ同一を定義したら、それは同じ場所だと世界も認識してくれるだろ」
「おい、おいおい、そりゃ……」
「なんだ」
「いや無茶だろ。というか、それは同じと言える……言えるのか?」
「どうかな。ただ、同じにできるのは確かだ。ただ理論は理論だ、実践してみると欠点が見える。そうなったらどうする?」
「欠点を失くすのが理想だろ」
「その通り。魔術師はそうやって術式を改良する。効率が悪い、燃費が悪い、応用が利かない、そうやって理由をつけてな。そうなった時点で、同じ
「――」
椅子から立ち上がったザンカは、一歩を踏み出し、けれど周囲を見て頭を掻くと、やはり同じ椅子にどっかり座る。
「同じか」
「わかったか」
「ああ、そう言われりゃわかる、自然じゃない。おかしいだろ、かなり動揺してる。落ち着く時間をくれ」
当たり前だったものに疑問を抱いていた。その疑問の正体が、正解となって目の前に現れた――これで動揺しない人間の方が珍しい。
当然だと思っていたものほど、裏返った時には適応が難しいものだ。人にもよるが、現実を否定して常識に逃げる場合だとて多くある。
しかし彼は。
「――気持ち悪いぜ、こいつは。不自然が過ぎる。どうなってやがんだ……? リック、なあ、お前はどう否定してる?」
「否定できないのか」
「できるさ、それは不自然だって結論になる。どんなものだって、習熟には時間を要するだろ。武器を作るのに鉄を打つのだって、マニュアル通りじゃ駄目だ。いや、最初は誰だってマニュアル通りにやって、それで失敗して、どうすりゃいいか考えて――改良していく。……待て、じゃあマニュアルなのか? 一定の、こうしたらいいって手順がある? いや、取り出す? 本棚から本を取り出すように……」
腕を組み、斜め上を見ながら言葉にする。それがザンカの思考方法らしい。
「おい――おいおい、おい」
「一応、教会の中にいるお前が、それを口に出していいのかどうか、考えろよ」
「いいんだよそんなのは。俺だって孤児院の中じゃ自粛してた。シノノメさんの許可は貰ってたけどな、そりゃどうでもいい。なあリック、おい、いいから確認させてくれ」
「言ってみろ」
「こいつは、鍵付きの本か?」
「合ってるから続けてみろ」
「魔術水を飲んで魔術が使えるようになる。適正とかはおいといて、手順を考える。同じ魔術水を飲んで、二人が同じ魔術を扱うようになった。そう、同じだ。同じ内容の本を読んでるようなもんだ。本の中には、魔術が書かれている。だとしたら、魔術水は鍵だ、鍵を手に入れる――同じ鍵で、同じ本を開き、同じ魔術になる。だから術陣も同じだし、結果も同じ」
「そうだな。術陣そのものは、お前の認識だと本になる。捉え方はさまざまだが、理屈はその通りだ」
「マジかよ……」
「勘違いするな、そのシステム自体は何も悪くはない。誰でも簡単に扱えるものだし、便利だろう。それが当然になっている状況を、嫌うのはわかるが」
「……おう、そうだな。リック、その術式ってやつを教えてくれないか」
「そうなるだろうな」
吐息を一つ。
「いくつか問題がある」
「聞かせてくれ」
「まず一つ、知ることでの危険性だ。術式の構築には常に危険が孕むし、それを防ぐための安全装置の構築が前提となるわけだが――それ以上に、お前が魔術を扱える、その情報が外に大きく広まった場合、少なくとも教会からは睨まれる。この時に俺は、お前の命は補償しない」
「……今まで以上に注意が必要か」
「仮に口を滑らしたところで、大半は笑い話になるだろうが、本質を知る人間なら排除しようとするだろう。現実として、教会が主導で魔術水を配り、魔術が当然となっている」
「そうだな」
「次、俺は魔術師じゃない、つまり専門家じゃないんだ。わからないことはあるし、どう教えるかは悩む。それが正解とも思っていない」
「魔術師じゃないなら、なんだよ」
「俺はただ、殺しの技術の延長として、魔術を使うだけだ。それなりの知識はあるが、知識だけのものもあるし、使えるだけのものもある」
「でも、氷剣……エシャさんには教えたんだろ?」
「姉貴の場合はそもそも、属性種別で当たりがついたから、いわゆる今の魔術をベースにして馴染ませただけだ」
「属性っていうと、四大元素か」
「ああ、こっちじゃ地水火風に加えて三つ、つまり七つ、
「なんで、雷だけ別なんだ? 氷って、水と風の複合だろ?」
「水に寄ってはいるけどな。雷だけ例外なのは所説あるが、一番有力なのは、雷属性を持つと、ほかの四大属性が扱えなくなることだな」
「珍しいってわけじゃないのか」
「それもあるかもしれないな。実際に、多くの魔術水を飲んだわけじゃないんだろう?」
「まあ、そうだ」
「そうなると、どのくらい時間がかかるのか俺にもわからん。だから、初歩的なところをまず教えよう」
「頼む」
「難しいことじゃない、瞑想の一種だ。意識を己の内側に向ける練習だよ」
「内側か」
「おう、そのためにはまず、外側との境界線を意識しなくちゃいけない。一日やそこらですぐできるもんじゃないから、手順を言うぞ。まずは輪郭だ、自分の肌を境界線として、全体像を意識する。それができたら、境界線の内側と外側を認識できるから、今度は内側に潜る。ここまでできれば、何かが見えてくるはずだ。そうしたら次の手順を教えてやろう」
「わかった」
「焦るなよ」
「――おう」
大きく深呼吸をして、すぐ目を閉じたザンカを見て、口元を歪めたリックは窓を開けて風を入れる。
さあ。
学生生活の始まりだ。
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