再会
第33話 学生会
窓を開けて下を見たところで、そちら側は校舎の裏側。多少のスペースはあるものの、壁面ばかりを見下ろすことになる。
風はそれほど強くないが、部屋の空気を入れ換える最初の感覚がエシャは好きだ。
「先輩、なんか嬉しそうっすね」
「そう?」
今のエシャは十五歳。一つ下の年齢でも、学校では後輩だ。
教会のおひざ元とはいえ、学生の数は五学年合わせても、せいぜい二百人くらい。その中から成績優秀者――特に実技、戦闘においての上位を集めた学生会にエシャは所属している。学校に入って、そう遅くなく声をかけられ、あまり興味はなかったが、実利を取ったかたちで入り、今もそれは続いていた。
面倒なこともあるが、融通が利くのだ。立場は重要で、かつ、人との繋がりも、その繋がり方次第で大きく化ける――これは弟、リックの台詞だが、その半分は理解できた。
もうそろそろ、入学式という顔合わせも終わる頃だろう。
だってほら、学生会の大将が帰ってきた。
「ただいま戻りました」
エシャより背が低く、白色を基調とした法衣は、教会の所属を示すもの。学生会代表として挨拶を済ませた彼女に、疲れた様子はなかった。
「お疲れ様っす」
「おかえり、シノノメ。どうだった?」
「知ってる子が二人いたので、軽く話していました。ほかにも三人くらい、挨拶をしましたよ。――エシャ、あなた黙ってましたね?」
「なんのこと?」
「弟さんが入学したでしょう」
「うん」
「ああ、それでなんかエシャ先輩、嬉しそうにしてたんすか」
「喜ばしいことじゃない。で、リックがどうしたの」
「挨拶にきてくれましたよ。姉が世話になってるって」
「ふうん……?」
「しかも握手を求められました。どういう癖ですか、あれは」
「いや私に言われてもわからないわよ。最近は社交界にでも顔を見せてるのかしら……昔からよくわからない弟だから」
「そうですか。見た感じ、エシャほどの印象はありませんでしたが」
「――へえ」
それは。
さすがリックだ、と褒めるところかもしれない。
「どういう子ですか」
「あ、自分もそれは気になるっす。あんまし戦闘系じゃない感じなんすか?」
「どうかしら。少なくとも本気でやり合ったことはないわね」
「そりゃ先輩が本気になったら、相手ができるのはシノちゃん先輩くらいっすよ」
「ん? そうじゃないわよ、違う。だいたい学校で私は一度も本気でやったことはないから」
「へ?」
「言葉は難しいけれどね、私――たぶんシノノメもそうでしょうけど、本気になるっていうのは、全力を出すことじゃないのよ」
「え、じゃあなんすか」
「最短で相手を殺すことよ。狙うのは急所、目や喉、いわゆる正中線って呼ばれる場所。その次に四肢、最後に狙いを決めず一撃を届かせる」
「うえ……想像できないっすよ、そんなの。シノちゃん先輩も?」
「当然です。わたしは学校を休んで、地方巡業も多いですからね」
「もう一つ」
窓際をシノノメに譲り、適当な椅子に座って。
「そういう意味合いで、私は本気だけれど、弟の手合わせで私はまだ殺されてないわ」
「あら、そうでしたか。……?」
実際に握手までしたけれど、いわゆる強者の気配はなかった。感覚的なものだが、それなりに精度が高いと思っていただけに、シノノメにとっては意外だ。
そして。
首を傾げたからこそ、気付く。
「あれ? シノちゃん先輩、首のところなんか――傷っすか?」
「え?」
「なんか引っかけたみたいに、ちょっと赤くなってるっすよ」
素早くテーブルにあった鏡を手に取り、首元を映しながら窓ガラスに反射させる。
「――」
薄皮一枚、しかも頸動脈。
油断? どちらにせよ隙があった、いつ、どこで。
ああ、これは。
「エシャ」
「私を睨まないでちょうだい」
あの握手だ。意表を衝かれ、なんで握手なんだと笑いながらも応じたあの時しか、考えられない。
そして。
シノノメはこれを知っている。
薄皮一枚、訓練の時は必ずそういうルールにしていたし、この技術は
――生前。
かつて、シノノメが教えた技術である。
リックなんて名前はありふれているから、たいして気にしていなかったが、おそらく本人だ。
あちらから探るのは容易い。何故ならシノノメは、かつて愛用していた斧を、今もまた、腰の裏に提げているから。
手斧というには大きく、戦斧というには小さい。刃渡りは長く、無骨な造形をしながらも黒色であり、しかし、自称142センチの身長のこともあるため、得物の全長は100センチ弱。
柄を握って振る以外にも、刃のある部分の柄を握って相手へ押し付けるよう扱う場合もあるため、造詣が特殊であり、かつ、柄尻の部分には数字の9を模した円形の装飾が作られている。これを見て、生前の知り合いが気付かぬわけがない。
同じ名前なのは、拾われた時に使っただけだが――同姓同名は否定できる。
焦る必要はない。またいずれ、顔を合わせるだろう。
「まったく……毎週の休みに実家へ戻っているのは、訓練のためですか」
「そうよ。数年前からずっと、弟に教わってるから」
「魔術もですね?」
「口外するなと言われてる」
「でしょうね」
エシャは氷剣の二つ名で呼ばれている。本人が名乗ったのではなく、戦闘に氷の剣を作って手数を増やしているからだ。それに対峙した人間は誰もが、周囲の空気の温度が低くなる現象を感じ取っている。
今の魔術ではできない芸当だ。いわゆる本来の術式――前者を魔術スキル、後者を術式、あるいはネクストなんて呼ぶことを、シノノメは教会の内部から情報を得ていた。
「えーっと……つまり、弟さんはエシャ先輩より強いってことっすか?」
「簡単に言えば、そうよ。でも学生会には入らないし、実力は表に出さないと思うけれど」
「何故っすか?」
「
思わず、シノノメは笑ってしまう。生前の姿で、そんな言葉を言っているリックが想像できてしまったからだ。
懐かしいが、それだけでは駄目だ。今後のことを話し合っておく必要はある。
お互いに、お互いの生活があるのだから。
「でも選択は戦闘にするんじゃないんすか?」
「そっちの方が面倒はないでしょうね」
人数でいえば、魔術を選択する学生が八割、戦闘が二割。学ぶ内容はそれぞれ違い、魔術は座学、その魔術の運用などに重きが置かれる。戦闘は、実戦に近い。
ただ、戦闘を選択すると、自主学習時間が多く、定期的に一定の成果は求められるが、拘束時間がほぼないので楽だ。学生会は今いる三人のほかに、男性が二人いるが、全員が戦闘を選択している。
――ただし。
戦闘を選択しながらも、魔術の知識も持っているし、学んでいるが。
「姉としては、そんなことより同室の子が大丈夫か心配してるわよ」
「――ああ、それなら大丈夫ですよ。ザンカはわたしが以前拾って、孤児院に預けた子ですが、面白い考え方をしますから、喧嘩くらいはしても、問題には発展しないでしょう」
「そうならいいけれど。あとは、私の訓練をどこでやるかね。シノノメ、学校内でこっそりできないかしら」
「そうですねえ……」
「……? やればいいじゃないすか。個室もありますし」
「そういうわけにはいかないのよ」
「人目がどうの、というよりも内容の問題ですね。エシャが本気でやるなら、訓練室が壊れます。破壊という意味ではなく、損害が出る、という意味合いになりますけれど」
「庭でやるなってよく言われるわ」
「それでもやるのでしょう?」
「庭師の仕事ができて嬉しいだろうって、弟がよく言ってるから。――限度はあるけど」
「うわあ……」
「なら基本的には外かしら」
「時間がとれる時は、だいたいそうね。魔物相手の実戦を主体にしているわ」
「え、実戦すか!?」
「そうよ」
もう三年くらいは続けている。リックに言わせれば、学んだことを実戦で確認して、自分がどこまでできるのか把握する時間とのこと。
それ以上に、緊張感を持ちながらも、いつも通りにする訓練のような気がしてならない。
学校での実力は上位。だが実戦では、いつも反省ばかりだ。
「エシャ、わたしと比べてどうですか」
「わからないわよ、そんなの。シノノメも弟も、全力を見たことなんてないもの。それに、いくらシノノメでも、本気で弟とやり合うことはないでしょう?」
「あら、そう見えますか」
「ええ」
「ならば、遊び半分での手合わせがどんなものか、その時に知ることになるでしょう。楽しみですね」
にっこり笑顔で言われても、エシャには嫌な予感しかしない。
けれど、この戦闘狂のことだ、いろいろと手を回して実現させるだろう。
だから。
「弟には黙っておくわ……」
「はい、そうしてください」
新入生がやってきた心地よい日だったはずが、いつも通りの空気になってしまった。
ああまったく。
今回ばかりは、胃薬の用意が必要そうだと、エシャは一つの覚悟を決めたのだった。
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