第二王子も苦労人 ~婚約者の義妹が「お姉さまに虐げられている」と訴えてきた~

相生蒼尉

第二王子も苦労人 ~婚約者の義妹が「お姉さまに虐げられている」と訴えてきた~



 王立学園の生徒会室で、聖ラホース王国の第二王子であるイルヴァヌスは、婚約者であるウィルミナ・ナポリナ侯爵令嬢の義妹、エルファナ・ナポリナ侯爵令嬢と向き合っていた。


 もちろん、二人きりではない。イルヴァヌスの後ろには側近と護衛が控えている。


 紳士としてはいささか配慮が足りないかもしれないが、イルヴァヌスは執務机で書類に目を通しながら、エルファナを立たせたままで面会した。


「それで、用件というのは?」

「あの……イルヴァヌスさま」


「君に名を呼ぶことを許した覚えはないが?」

「も、申し訳ありません……」


「で、用件は何かな?」


 この間、イルヴァヌスは一度もエルファナの方を見ていない。次々と書類に目を通して、仕分けしていく。


「実は……二人きりで、お話ししたいのです……」

「それは不可能だな」


「ですが、相談内容を誰かに聞かれる訳には……」

「この場にいる私の側近と護衛を信用できない、ということか?」


「そ、そういう訳ではないのですけれど……」


 ここで初めて、イルヴァヌスはエルファナへと目を向けた。


 美しい金髪と碧眼、肉感的なスタイルの良さ。ただし、侯爵令嬢としての気品は、今ひとつ。未来の王子妃として教育された姉とはそこに大きな差があった。元愛人で後妻の娘、というのもあるだろう。


 再婚して侯爵家に入る前はどのような教育を受けていたのか、イルヴァヌスには想像もつかない。


「……王子に仕える者は全て弁えている。ここにいても、ここにいないのと同じことだ。そもそも君が何度も、相談したいと訴えてきたから、この場がある。君は忙しい私の時間を無駄にするつもりか?」


「……」


「相談したいのなら早く言いたまえ」


「……はい。実は、私、お姉さまに虐げられているのです……」






 側近のオルタナ・トスカナル伯爵令息が淹れた紅茶を飲みながら、イルヴァヌスはエルファナが出ていった扉を見つめた。


「それで殿下、どうなさいます?」

「どう……というのもな……まあ、第二王子としてやるべきことをやるだけだ」


「それにしても、あの方が妹を虐げていたとは」

「ウィルミナが……? まさか」


「先程の話、信じておられないので?」

「信じるには、確かめる必要があるだろう?」


 そう言ってイルヴァヌスは微笑んだ。


「それにしても、愚かなことだ……」


 その王子のつぶやきを聞いて、オルタナは背筋が寒くなるのを感じた。






 五日後、第二王子は王都のナポリナ侯爵邸を訪れた。


 三日前に第二王子からの訪問の先触れを受けたカイラル・ナポリナ侯爵はこの日の登城予定を変更して、屋敷に第二王子を迎える準備をした。


 婚約者である娘、ウィルミナに会いに来るのだと、そう思っていたのだ。


 ただ、王子妃教育で月に何度も登城し、そこで会っているだろう娘に、なぜ侯爵家の屋敷までわざわざ会いに来るのかは疑問だった。


 ウィルミナに確認しても、何も聞かされていないという。聞かされていたとしても、第二王子に口止めされていたのなら、言えないだろうというのはカイラルも理解していた。


 様子がおかしいと気づいたのは、王家の馬車以外にさらに2台の馬車とそれに乗った文官らしき者が8名、そして護衛にしてはどうにも多過ぎる12騎の騎乗した騎士――近衛騎士の2小隊――が、24名の従士を連れてやってきたからだった。


「本日は我が家へようこそいらっしゃいました、殿下。しかし、これはいったい、何事でしょうか?」


 ウィルミナと並んで第二王子を迎え入れたカイラルは当然の疑問をぶつけた。相手が王族とはいえ、あまりにも物々しい。


「聞いていないのか?」


「……何を、でございましょう?」


「そなたの娘からの訴えがあったのだ」


「……ウィルミナに確認しましたが、殿下からは何も知らされていないと聞いております」


「ウィルミナではない。とにかく、ここではゆっくりと話すこともできん」


 ウィルミナではない? カイラルは困ったことになったと思った。ウィルミナでなければ娘はもうひとり、エルファナしかいない。


 エルファナが第二王子と関わることなどないはずだ。そうすると学園で何かあったのだろうか。


 そう考えたカイラルは背筋に冷や汗が流れた。


「とりあえず、こちらへ」


 情報不足でどうすることもできない。カイラルは応接室へと第二王子を案内した。






 応接室で、見目麗しいパーラーメイドが淹れた紅茶をイルヴァヌスは形だけ口に付け、飲まずにカップをソーサーへと戻した。


 イルヴァヌスの前にはカイラルとウィルミナが座っている。イルヴァヌスはカイラルとウィルミナがカップを下ろしたのを見届けて口を開いた。


「そなたの娘……ウィルミナの義妹が、ウィルミナに虐げられていると、学園で私に訴えてきた」


 カイラルはゆっくりと目を閉じた。


 そんなことがあるはずがない。いや、あったとしても、問題がない。家庭内での、姉妹喧嘩のようなものだ。


 やられた、そう思ったカイラルは、この瞬間にいろいろなことをあきらめた。そのようなことでわざわざ第二王子がこの屋敷まで足を運ぶというのは、それだけの価値があると第二王子が考えたからなのだ。


 後妻のキアラは子爵家の出身で、カイラルの愛人だった。前妻のクシャナは伯爵家の出身で、ウィルミナを産んでからは体調を崩し、ウィルミナが10歳の時に亡くなった。


 高位貴族に愛人がいることは咎められるほどのことではない。初婚で子爵家から嫁を迎えるのは家格に問題があるが、再婚での後妻ならばそれも大した問題ではない。


 ただ、愛人の娘から、再婚によって侯爵令嬢となったエルファナの教育はどうやら不十分だったようだ。優秀な婿を迎えればそれも問題ないだろうと考えていたのだが、そこが甘かった。もしかすると、エルファナも罠にかけられた可能性すら、あり得る。


「買い与えられたドレスは破られ、宝飾品は奪われ、毎日のように厳しい言葉で罵られ、時にはぶたれることもあるそうだ。そのような義姉は王子妃に相応しくないと。侯爵、申し開きはあるか?」


「……ウィルミナは、そのようなことはしておりません」


 カイラルは一縷の望みをかけて、見開いた目を第二王子に向けた。


「断言できるのか?」

「それは……」


「今日は、その訴えについて、きっちりと確認するつもりでここに来たのだ。私は王子として、また王家の一員として、事実を明白にするべきだと考えている。侯爵、協力してくれるだろうな?」


 当然、協力するだろう? そういう意味が込められているとカイラルは受け取った。


「何なりと」


 カイラルに、他の選択肢はなかった。


 エルファナの訴え通り、ウィルミナがエルファナを虐げていたとしても、また、エルファナの訴えが虚偽であったとしても、どちらにしてもナポリナ侯爵家は詰んでいた。






 第二王子が連れて来た文官たちは優秀だった。


 執務室からあらゆる帳簿を引っ張り出し、エルファナが買い与えられたドレスや宝飾品について確認すると、それをエルファナの部屋で次々に確かめていく。


 当然、破られているドレスもなければ、奪われている宝飾品もない。帳簿と宝飾品が食い違うと、さらにウィルミナの部屋が調べられた。


 しかし、そこで宝飾品が見つかることはなく、さらには後妻のキアラの部屋や侍女たちの部屋まで調べられ、そちらで帳簿にあった宝飾品が見つかると、なぜその宝飾品が後妻のキアラや侍女の部屋にあるのか、騎士たちが後妻や侍女たちを尋問した。


 後妻は実の娘であるエルファナと髪色や目の色が同じであり、宝飾品を共有していた。また、侍女たちの中には古くなった宝飾品を下賜された者もいた。特に問題はない。問題はないのだ。


 ドレスや宝飾品の確認が終わると、使用人たちは次々と騎士たちに連れて行かれて尋問を受け、日常のウィルミナとエルファナの関係について問い質された。


 ウィルミナがエルファナに厳しい物言いをすることはあったが、それが毎日ということはなく、その内容も姉が妹に対して言うべき当然の内容だった。


 つまり、エルファナの第二王子への訴えは、虚偽だったのだ。


 応接室ではなく、侯爵邸の執務室、しかも、執務机をはさんで座っているのは第二王子のイルヴァヌス、立っているのはナポリナ侯爵のカイラルだ。


「さて、侯爵。わずか1日の調査だが……どうやら、そなたの娘の訴えは虚偽だったようだ」


 カイラルは思い出す。王家からのこの婚約の打診は、ウィルミナが12歳の時だった。前妻のクシャナが亡くなって2年、後妻のキアラと再婚して1年。


 王家は……第二王子は、いつから、この瞬間を思い描いていたのだろうか。


 王太子となった第一王子であるアウグスト殿下のスペアでしかない、第二王子のイルヴァヌス殿下。いずれは……アウグスト殿下が王位に就けば、現在は空位のケルン公爵となる予定のイルヴァヌス殿下だ。


 公爵家は、聖ラホース王国における爵位は最高位だが、領地が広いかというと、そうでもない。


 また、聖ラホース王国において、公爵位は王位継承権を持つ者にのみ許されるもので、その王位継承権は王孫までしか認められていない。


 イルヴァヌスがケルン公爵となっても、その孫が公爵位を継ぐためには、その前に王家との政略婚を挟まなければならないのだ。公爵位を継げない場合、公爵位と公爵領は王家に返還される。


 ナポリナ侯爵家は異母姉妹である娘が二人だけ。姉のウィルミナが婿取りをして……と考えていたところに王家からの婚約の打診。元は愛人の子だったとはいえ、間違いなくカイラルの……侯爵家の血を受け継ぐ義妹のエルファナが婿取りしても、侯爵家の血筋としては特に問題はないことから、王家からの打診を断る理由もなかった。


「どうするつもりか、侯爵。答えよ」


「殿下への虚偽の訴えなど、許されることではありませぬ。エルファナはシッティリーア島のモンパルナス修道院へ行かせます」


「国内でもっとも厳しいと言われる修道院か。それで?」


「侯爵家から籍も抜きましょう」


「妥当だな。だが、私はウィルミナとの婚約を解消するつもりはない。気づいているだろうが、この話は私の手の内で済むように動いている。まあ、連座でそなたを罰するとウィルミナとの婚約を続けられなくなるだろうからな。それで、跡継ぎがなくなる侯爵家は、どうするのだ?」


 カイラルは一度、目を閉じた。


 遠縁から養子、という手段も、ある。だが、そうすると、カイラル自身の扱いについて、第二王子はどういう手を打つか……。


「……殿下と、ウィルミナとの間に子が産まれましたら、その子をこのナポリナの後継に願いたいと思います」


「ふむ……その場合は……今回の件もある。侯爵家の教育には不安があるな。侯爵には早めに引退してもらい、私が後見することになるが、よいか?」


「ご随意に」


 これでカイラルが罰されることはないだろう。カイラルは保身に走ったのだ。後妻のキアラも、離縁してどこかの修道院へと送り込む方がいいだろう。


 王太子のスペアで、わずかな領地しかない公爵となるはずだった第二王子は、ナポリナ侯爵領を実質的に支配できるのだ。カイラルの選択は正しかったはずである。


「……ウィルミナについても不安が残るが、侯爵はどう考える?」

「それは……」


 エルファナの愚かさによって、カイラルの立場はもはやないも同然である。ここでのさらなる選択で間違う訳にはいかない。


「……どうぞ、殿下の思うままに」


「ならば、ウィルミナはロマーニャ公爵家との養子縁組を用意しよう。叔父上には子がおらぬ故、ウィルミナを大切にしてくれるはずだ。どうだ?」


「はい。そのように」


 カイラルは第二王子の言葉をただ受け入れるだけだった。


 王弟であるロマーニャ公爵は第二王子のイルヴァヌスが産まれた時に、子を生せぬように特殊な毒をもられたとカイラルは聞いていた。


 強欲というべきか、それとも強かというべきか、とカイラルは表情に出さないように心の中でため息を吐いた。


 養女となったウィルミナがロマーニャ公爵令嬢としてイルヴァヌスに嫁げば、ウィルミナにロマーニャ公爵家の血は流れてなくとも、イルヴァヌス自身の王家の血によって、二人の間に生まれた子をロマーニャ公爵家の後継にすることができる。


 ケルン公爵領とロマーニャ公爵領はどちらも大して広くないが、二つ合わせればそうとも言えない。また、ナポリナ侯爵領は国内では4番目に広い領地だ。


 生まれた子たちが成人してしまえば、そう簡単に勝手なことはできないだろうが、それまではこの3つの領地が第二王子の思うがままになるのだろう。


 王太子殿下と争わねばよいが……と、そう考えたが、すぐにカイラルはそれを頭から消した。それはカイラルが心配することではないのだ。カイラルは、引退後の自分に、どのようにして、できるだけ多くの資産を残すのか、そういうことを考えなければならないのだ。






 この日から2週間後、泣き叫ぶエルファナは修道院へと送られ、1か月後には後妻のキアラもまた別の修道院へと送られた。


 そして、3か月後にはウィルミナがロマーニャ公爵家へ養子に入り、カイラルはナポリナ侯爵家で一人、ひっそりとため息を吐いた。






 王城にある第二王子の執務室では、イルヴァヌスと側近のオルタナの二人だけで片付かない執務を続けていた。


 ナポリナ侯爵家の執務室から書き写して回収したナポリナ侯爵領の情報を整理し、将来の領地経営計画を練っているのだ。


「……休憩しよう。紅茶を頼む、オルタナ」

「はい、殿下」


 イルヴァヌスの指示で、オルタナは紅茶を入れる準備を始めた。


「……ところで、殿下」

「なんだ」

「王太子殿下は、何と?」


「……まあ、王位を争わないことを確約せよ、と兄上は仰せだ」

「そうでしょうね。公爵領ふたつと侯爵領ひとつです。欲張り過ぎましたから」


 オルタナはイルヴァヌスの分だけ、紅茶を淹れた。イルヴァヌスは執務机から、ソファへと移動した。


「……自分の分は淹れないのか?」

「畏れ多いことにございます」

「そうか」


 イルヴァヌスは紅茶を口に含む。秋風のような香りが鼻を抜けていくと、喉が温かくなっていく。


「……殿下が王位を争わなくとも、殿下の御子が、王位に就くことはありますね」

「おまえは、本当に……」


 イルヴァヌスは後ろに控えるオルタナを振り返ることなく――。


「……優秀だよ」


 ――そう言ったのだった。


 エルファナを学園で陥れ、イルヴァヌスへ虚偽の訴えをさせたのはオルタナである。イルヴァヌスはそれに気づいていて、見ないことにした。そもそも王立学園など、王家が貴族の子息令嬢を集めて罠を仕掛けるための狩場なのだ。それが利となるのなら問題はない。


 また、ウィルミナをロマーニャ公爵の養女とする案もオルタナが出したものだ。ただ、叔父であるロマーニャ公爵との交渉はイルヴァヌスが自分で進めた。


 イルヴァヌスはあくまでも第二王子……王太子のスペアである。叔父で、現王の王弟でもあるロマーニャ公爵といずれは同じ立場となるだろう。つまり、子を生せぬようにされてしまう可能性があるのだ。


 ひとつは、それを防ぐこと。


 ウィルミナの血を引く、ナポリナ侯爵家の後継が必要になったことで、少なくともイルヴァヌスは息子か娘が必要になった。だから、イルヴァヌスが子を生せぬ身となると、王家がナポリナ侯爵領から利を得ることが難しくなる。


 また、いずれは王弟として公爵位に就くイルヴァヌスがひとつの小さな公爵領しか得られないとなると、今、第二王子として抱えている側近たちは、その時の身の振り方に困る可能性がある。


 ナポリナ侯爵領ぐらい広い領地があれば、侯爵家や伯爵家の嫡男ではなく、次男、三男という立場で側近となっている者たちにも、代官として一代限りではあるものの、治めさせる町くらいは用意できる。そういう用意をする度量もなく、優秀な側近など揃えられないのだ。第二王子には。


 忠誠を持ち、懸命に仕えた結果、側近が解散して実家に戻れず……などという冷たい現実が予想できるのであれば、そもそも忠誠を誓えない。


 父王は第二王子であるイルヴァヌスが王太子であるアウグストを超えないように、強力な後ろ盾とはなれないナポリナ侯爵家との縁組を進めた。


 アウグストの妻となった王太子妃は隣国であるルイン王国の第二王女だ。もうひとつの隣国であるフラン王国との関係がここ数年で悪化し、緊張状態にあるため、必要な同盟のための政略婚である。


 隣国の王女なので国内の貴族への影響力は弱いが、身分上は最上となる。ただし、ルイン王国の干渉を受ける可能性もあるため、その点では諸刃の剣ではある。


 未来の状況によっては、国内でも有数の貴族の娘を娶るイルヴァヌスの子にこそ、この国の王位が望ましい、ということもあり得る。


「物語では……」

「物語?」


「虚偽の訴えを証拠もなく王子が信じて、王立学園の卒業式で婚約を破棄し、真実の愛を実らせるそうです」

「実に夢のある話だな」


「ええ。愚かで、浅はかだとしか思えませんが、そういう話は人気があるようです」

「実はその王子は、虚偽の訴えを真実とすることで得られる利益を優先しているのだろうな」


「そうかもしれませんね」

「そもそも、愚かな王子は……」


 そんな年齢まで生きてはいられぬだろうよ、とイルヴァヌスは口に出さずに、少し冷めた紅茶を飲み干した。


 その頭の中では、オルタナが未来の我が子を王位に就けようとした時、どうするべきかを考えていたのだった。





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