牛の首 もしくは 饗宴の下剋上
深海くじら🐋カクコンまほあい週間1⃣位💕
牛の首 もしくは 饗宴の下剋上
「ほらぁ?」
「そ。ホラー」
「それって、あれ? ミュンヒハウゼン……」
「それはほら男爵」
「『捨てる』の否定形活用の一部」
「それは博多弁」
「我が意を得たり、みたいな」
「それは『ほら』」
「擦ると出てくるインスタント写真」
「それはポラ」
「探検の入口?」
「それは洞穴」
「そしたら……」
いいかげんボケ突っ込みにも焦れてきた私は、テーブルを叩いてズン子の思案を断ち切った。
「ホ・ラ・ア! 怖い話よ! 伝聞でも創作でも小咄でもなんでもいいから」
勢いで叩いた所為で、目の前のアイミティーが波打ってグラスの端からこぼれてる。いかん。これでは自業自得になってしまう。私はストローに口を近づけずずずずと啜った。ズン子のアイスココアは、手に持ってるのでノー被害だ。忌々しい。ちなみにアイミティーとはアイスミルクティーのこと。同居してるミノリおばちゃん(四十七歳独身)が都会では最先端の飲み物だと教えてくれた。
「怖い話。もうね、焦ってるのよ。土曜日に開かれる文芸部特別企画『夏の怪談百物語』で披露しなきゃいけないの」
「土曜ってあさってじゃん」
ズン子は痛いところをさらっと突いてくれる。そうだよあさってだよ。あと四十八時間だよ。そして今の私はノーアイデアですよ。
「ムリじゃね?」
「だ~か~ら~、一緒に考えてって言ってるじゃないの~!」
「や。でもあたし、忙しいし」
私は知ってる。所属する硬式野球部が予定通り一回戦でボロ負けしてくれたおかげで、第三マネージャーのズン子が超ヒマしてるのを。なんでも週末には山ふたつ越えての『夏の大会慰労海水浴合宿』とやらが控えてるという。なんだその不純異性交遊促進委員会のような集いは。なんというリア充。まったくもって許しがたい。こちとら女子十二名男子零の古刹別室だってぇのに。
明るめの茶髪にメッシュの銀髪を差し込んだレイヤーカット、UVカット九十九%の日焼け止めオイルをどばどば塗ってキープした野球部マネにあるまじき色白の肌、大きな瞳にマスカラとビューラーで整えまくった極太まつげ、ピンクの色付きリップで光る肉感たっぷりの唇、低身長のくせに無駄にでかい胸。トランジスタグラマー(これもおばちゃんに教えてもらった)の権化のようなズン子は、坊主頭の体力馬鹿たちの間ではかなり人気があるのだ。お前なんか海辺の宿舎で、馬鹿どもの餌食になってガバガバにされちゃえ!
幼稚園からの無二の親友に向かって人の道に外れる悪態を(心の中で)ついている私に、ズン子は涼しい顔でこう言った。
「そういや、サトルがなんか言ってたっけ」
サトル? サトルって、あの弱小野球部孤高のエースで四番にしてイケメンかつ秀才の、天の大盤振る舞い、京極院サトル先輩のことか?! あの殿上人を呼び捨て!? 何様なのよ、このオンナ。
「塾の帰りになんか見たんだってさ」
他校の球児たちに比べ一週間、もしくはそれ以上早くに切り替えが完了できた京極院サトルは、医学部受験のための勉強に邁進していた。成績優秀なサトルではあったが、県内トップ大学の医学部現役合格を目指すには、これまでの勉強量では心もとない。この夏こそが勝負のときだからと両親を説き伏せて、隣町にある有名進学塾に通うことにした。夏休み中は快適な校舎で朝から晩まで勉強漬け。他校のライバルたちと今度は個人戦で切磋琢磨していくのだ。県大会敗退直後からなし崩しに交際することとなった二年生のマネージャーにも、受験があるから節度のあるお付き合いで、と念押ししている。
初日の講座を終え、サトルは愛用のオフロードサイクルで家路についた。時刻は午後十時に近い。町境の峠道は舗装こそされてはいるものの、中央の白線も無ければ照明も無い。時折設けられた広めの路側帯を利用しなければ、トラック同士のすれ違いもままならない。そんな道だから、サトルも自転車の前後には複数のライトを付けてアピールしている。
上り坂に差し掛かったところで、後ろからサトルを追い抜いて行った大型車があった。暗い色で覆われた幌付きのトラック。赤いテールランプが前方に吸い込まれ、闇に消えた。
この登りは部活の練習並みにきついな。そんなことを思いながらサトルはペダルを踏み込む。上手くはならなかったが基礎体力だけなら他校にも負けない。そう自負するサトルだから、心臓やぶりの登坂もマゾヒスティックに楽しむ余裕があった。
坂を登り切るまで、サトルは一台の車ともすれ違わなかった。星の見えない真っ黒な夜の中で、サトルは自転車が放ついくつかの光だけを頼りに、ひとりきりで進んできた。一番高くなったところでサトルは足を着き、ペットボトルの水を口に含んだ。ここから先は下るだけ。家まではあと二十分もかからない。
緩やかな下りが始まってすぐ、道が一旦広くなっていた。相互通行用の路側帯が一車線分増えているのだ。広がった路側帯に黒い影がある。サトルはペダルを踏みながら目を凝らしてみた。ヘッドライトの
サトルはペダルを踏むのを止め、緩くブレーキを掛けながら近づいていった。エンジンは止められ、全ての燈火を落とした黒い影は動き出す気配も無い。ぱたぱたと揺らめく幌は、端の留め具が外れているようだ。
少し手前で自転車を降りたサトルは、細いヘッドライトを背中で受けながらトラックに近づいていく。ナンバープレートの表示は見慣れない地名で、少なくとも地元ではなかった。と、山から吹きおろす急な風に煽られて、幌の幕が翻った。一瞬覗けた荷台の中に真っ白い何かを認めたとき、横のガードレールの先から草を掻き分ける音がした。ぎょっとしてそちらに注意を向けたサトル。その目に飛び込んできたものは……。
「きたものは?」
いつの間にか、私は前のめりになっていた。
それがね、と言いながらズン子はアイスココアを持ち上げて、勿体ぶるようにストローを咥える。続きが知りたい私の貧乏ゆすりは、まとめてテーブルも揺らしてしまう。私のアイミティーはもう、底の水まで空っぽだ。
「牛だったんだって」
あきらかに
「牛? もぉって鳴く?」
「うん。首から上だけだったらしいんだけど、白い牛の頭が叢から現れたんだってさ」
自転車の弱い光に横顔を白く浮かび上がらせた牛の首が、斜面から上がってガードレールの手前まで来たとき、サトルの意識のスイッチが入った。ヤバい。逃げなきゃ。ガードレールに牛の手が掛かったのを目の端で捉えたサトルは、牛頭の目の前を駆け抜けて自転車に飛び乗り、後ろも見ずにペダルを踏み込んだ。
幸い道は下り坂、回せば回すだけちゃんと加速してくれる。エンジンの始動音はまだ聞こえてこない。とにかく早く麓まで。二つ目のコーナーで軽い衝撃とアスファルトを削る音に驚く。が、発進の際のサイドスタンド上げ忘れということに安堵し、サトルは左足でスタンドを蹴り上げた。
トラックは追ってこなかった。いや、追いつかれなかっただけかもしれないが、とにかくサトルは麓の町まで先行し、そのまま大型車が
「サトルはね、荷台の白いのは、女の人のフトモモだったって言うの。何本もあったんだって。馬っ鹿じゃない。エロいことばっか考えてる証拠よね」
ズン子は背中を椅子の背にぶつけるように押し付けて、笑った。短くたくし上げたスカートの裾がふわりと浮き、立派に発育した真っ白い太腿が露わになる。私はイメージした。幌の中で乱雑に並べられた白い太腿。裸の女性の屍体。たぶん何体も。なんのための犠牲者なのかはわからない。辱められたのか、それとも身体の一部を抜き取られたのか。そして牛頭の男(男よね?)は、彼女たちを人目につかない山の奥に捨てに来たのだ。一か所に全部じゃ怪しまれるから、あちこちの山奥に一体ずつ。牛頭は生まれつきかもしれない。もしかしたら、男じゃなくて女なのかも。そして、自分の醜い頭を人間の女(たぶん美人)の頭に挿げ替えるために攫ってきてるのかも。
私は背筋に冷たい汗がつーっと流れるのを感じた。
「サトル、二日目も塾行ったらしいんだけど、帰りはさすがにビビってたって」
ズン子は相変わらずきゃらきゃら笑ってる。
「朝行くときに同じとこで
いや、そこは確かめに行くでしょ、フツー。サトル先輩、間違ってないよ。間違ってるのは打ち明け話する相手の人選だよ。
「なんかね。蠅がいっぱいいたんだけど
夥しい蠅の群れ。やっぱりそうだ。そこには頭の無い全裸美女(たぶん生前は美人だったに決まってる!)の死体が埋まってるに違いない。サトル先輩、深追いしなくて正解だよ。山間の平和な町のすぐ傍で異形の人外が絡んだ猟奇殺人事件が起こっていたなんて、恐ろし過ぎるよ! ロックオンされちゃったら、次の被害者はサトル先輩になっちゃう。そうでなきゃ、目の前のズン子かも。
まぁとにかく、この話は使える。あと二日あれば、次期部長候補に見合う短編ホラーにも仕上げられると思う。でも、現在進行中の猟奇事件だから注目され過ぎないようちゃんと脚色しないとね。たとえ十人並みとはいえ、私だってぴちぴちの現役女子高生ではあるワケだし。
そこまで考えたところで、私は重要なことに気づいた。
「つかぬことを聞くんだけど、さっき話に出てきたサトル先輩の交際相手って、もしかしてズン子?」
グラスから取り出したストローの先をちろりと舐めたズン子は、私を見てニマーッと笑った。
週末に開催された硬式野球部の『夏の大会慰労海水浴合宿』の行きの列車内は、席次とともに発表されたサトル先輩とズン子の
<了>
牛の首 もしくは 饗宴の下剋上 深海くじら🐋カクコンまほあい週間1⃣位💕 @bathyscaphe
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