第5話 作戦会議

「おうちデートしないか」


 休み明けの月曜日、B組の教室にやってきた灰田は、クラス中に響き渡る声で言った。

 頼むから声のボリューム間違えないでほしい。

 おかげでクラスの連中がざわついた。お互い近くにいたクラスメイトとなにやらヒソヒソと話している。


「あいつ誰?」

「ほら、A組の……」

「ああ、灰田?」

「灰田ってあの脚の……」

「それ、あのやばい奴……」


 雪は遠くから私を見てにやにやと意地悪く顔を歪ませている。

 ……よし。

 無視しよう。

 全力で他人を装う。何を言われても私とアイツは赤の他人だ。

「……? 聞こえてないのかい?」

 灰田が明らかに私の方を見ている。無視だ無視。それしかない。

 私が一向に返事をしないので、灰田は「そこの君」と近くにいた女子に声をかけた。

 やめろ、学級委員の町田さんにご迷惑をおかけするな。町田さんすごい嫌そうじゃないか。

「足立理央を呼んでくれないか? 僕の未来の妻なんだ」

 ダンッっと机を思いっきり台パンしてスタスタと灰田のもとへ歩く。町田さんがおろおろと私と灰田を交互に見ている。ごめん町田さん。


 奴の手を掴み廊下に引きずり出して、勢いよく扉を閉める。そして大きく息を吸い込んで……

「ばっっっっかじゃねえのおまえ!? 私の健やかな学校生活ぶっ壊す気かおまえは!」

「今日も君が元気そうでなによりだ」

「うるせえ馬鹿。黙ってろ馬鹿」

 ぜえぜえと肩で息をしながら灰田を睨みつける。とりあえず呼吸を落ち着かせ、このどうしようもない馬鹿がなにしに来たのか聞く。

「で? 私の平穏な学校生活脅かしに来て、いったい何の用?」

 私の質問になぜか不思議そうに首を傾げる彼……まさかほんとに学校生活ぶち壊しに来ただけとか?

「だからずっと言ってるじゃないか」

 朝から鬱陶しいくらいに輝く笑顔を見せる灰田。


「おうちデートだ」


 いい加減殴っていいだろうかコイツ。


「……ふざけてんならもう帰るけど」

 クラスの皆さんに各方面への誤解を解きにいかないといけないのだ。雪は道連れにしてやる。

「ふざけてなんかいないさ。『シンデレラオーディション』に出るんだろう? 作戦会議が必要だと思ってね」

「なら最初からそう言いなさいよ」

「君がオーディションに出ると知ったら、ライバルが潰しにかかるかもしれないじゃないか。クラスに受ける者がいないとも限らない」

 だからって「おうちデート」はない。それだけはない。

「……! それはすまなかった。昨日ネットでちゃんと調べたんだが……」

 恋愛において一番信じちゃいけないもの鵜呑みにしてる……。ネットと恋愛ハウトゥー本は信じちゃいけないの常識でしょ。

「…………来週の土曜なら練習ないけど」

 私がそう言うと灰田はぱあっ……と顔を輝かせた。見えないはずの耳と尻尾が見える。日本犬の。

「来てくれるのかい!? おうちデー」

「作戦会議ね。まあ必要だもんね」

 目に見えてしょんぼりしている灰田を放置して、私は自分の教室に戻った。


 そして来る土曜日。

 春とはいえ、まだ朝は肌寒い。

 なんだ朝9時に駅前に集合って。小学生の遠足か。

 一応男の子の家に行くという事で母が色めき立ち、私は必要以上のお洒落をさせられた。

 ……これから会いに行く男が1年後に私の足を切り落とすのだと知ったら、彼女はどんな顔するのだろうか。

 まあそれは置いといて、異性の家に遊びにいくという一大イベントにひよっているのは私の母だけではない。

 何を隠そうこの私もビビり散らかして昨日の晩に雪に「明日灰田ん家一緒に行かない?」と連絡している。

 ちなみに彼女の回答は


「ああ明日彼氏とデートだから無理。灰田の家はある意味興味あるけど」


「ガンバ☆」とだけ言い残して通話は切られた。

 私はあいつを絶対に許さない。虚しく通話の切れた音だけが響く自室で、私はたまらず母を頼ったのだった。


 現在時刻は8時30分。私の周りにいるのは休日出勤のサラリーマンくらいだ。

 当の本人は姿かたちも見えない。

「私が楽しみみたいじゃん……」

 非常に不本意だがあながち間違いでもないので、なんとなく一人で気まずくなり、持っていたスマホに目を落とす。

「とりあえずログインだけ」

 ソシャゲのログイン済ませたらちょうどいい時間つぶしになるだろ。


「……………………」

 現在時刻8時55分。

 来ねえ。

 いや、普通来るよね。30分前はさすがに早すぎかなと思ったけど10分前には来ない? 私がおかしいだけ?

 春だし寒いし。母が選んだ透け感のあるブラウスが普通に肌寒い。もっと重装備で来ればよかった。


「あ! おーい!」


 遠くで聞き覚えのある声がした。

 やっと来た。

「さすが僕だね。きっちり時間を守る。どうだい。時間を守る男は好きかい?」

「おそい」

 完全に私の返答は予想外だったようで、私を寒空の下、30分近く置いていた男―—灰田透は目を見開いた。

「えっと、集合時間には5分前行動が基本……だろ?」

 価値観が小学生からアップデートされてないのか。

「……もういい。早くいこ。あんたと違って、私はあんたの家知らないんだから」

「! ああ、そうだね! そのまえに」

 彼は私の服装を見て、ふわりと笑った。


「良く似合ってる。かわいい」


「………………」

 こいつ、ほんと意味わからん。


 灰田の案内で辿りついたのは、あまり……というかかなり趣のあるお宅だった。

「趣のある家だね」

「ああ、気を使わなくていい。僕も父もあまりに興味はない」

 目の前にあるのは一軒の古民家だった。

「古民家」というのは、私のボキャブラリーではそれくらいしかピッタリな言葉が見つからなかっただけで、正直に言ってしまえば、目の前の建物はいわゆる「ボロ屋」だった。

 建物自体は大きいが、外壁が剥げかけていてとてもお金持ちのお家には見えない。

 木の看板には「灰田硝子工芸」と書かれている。

 硝子……ガラスのことだよね。ガラス職人の息子って話、ほんとだったんだ。


「さ、入るといい。ああ、工房のものは触らないでくれ」

 中に入ると、予想以上に埃っぽく、少しせき込んでしまった。灰田がハンカチをくれた。

 工房内はなにやらガラスを変形、というか火にあてて溶かす設備があった。

「テレビでよくみるやつだ」

「ホットワークに使うものだ。君は別に気にしなくていい」

「…………? あ、そう」

 耳慣れない単語が聞こえたが、専門用語かなにかなのだろう。

 言われた通りあまり気にしないようにして、彼の後をついていくことにした。


「さ! ここが僕の自室だ。作戦会議、始めようじゃないか」

 案内された部屋は、さすがガラス職人の息子、と言えばいいのか……なんというか複雑な部屋だ。

 部屋にあるひときわ大きなガラスケースには、彼の「作品」らしきものが所狭しと飾られている。

 その他にはいかにも男のらしいソフビやフィギアなどが飾られている。ヒーローものが多い。意外な趣味ってやつかも。

 本棚には床が抜けるんじゃないかって程の大量の本。てかもう本棚に収まっていない。

「好きなのがあったら持っていくといい。どうせ失敗作だ」

 灰田がガラスケースを指さしながら片手間に呟く。

「失敗作って……マジ?」

「ああ、マジだ」

 とてもじゃないがそんなふうには見えない。作品の中にはガラスで表現された小鳥やドレス……それに例のガラスの靴もあった。

「これ……」

「きみあげたものとは別物だ。それは失敗作。君のために作ったものではあるが」

「つまり試作品ってこと?」

「ああ」

 短く返事をして、彼は本棚からなにかを探している。


「なに探してんの」

 気になって彼の隣にしゃがんで本棚を眺める。本棚は意外にも漫画やライトノベルが並べられてあった。

「純文学ばかりかと思ったかい?」

 私を見て灰田は少し悪戯っぽく笑った。

 彼も自分へのイメージは少しくらいは理解しているらしい。

「なんというか……統一感のない本棚」

 本棚には漫画やライトノベルの他に、参考書、小説、新書、画集に絵本まで色々なジャンルが収納されていた。

「そうかい? 本棚なんて、こんなもんだと思うけど」

 まあ、それもそうか。自分の本棚を思い出したら、確かにこんなもんかもしれない。


「ま! 一番のお気に入りはこれだね」

 と彼が取り出したのは、ハードカバーの分厚い本だった。タイトルが刺繡されてあり、見るからに高そうな本。


「……グリム童話集?」

「ああ! 僕の大好きな一冊だ」

「ふうん。童話好きなの?」

 私が聞くと彼は少し恥ずかしそうに頬を掻いた。

「ああ。どの話も好きでね。……子どもっぽいかな」

「いや? 私も好きだし。人の本の趣味なんてそれこそ十人十色でしょ」

 何気なく言ったつもりだったのだが、何の琴線に触れたのか、灰田は顔を赤くして俯いてしまった。

 彼は咳ばらいをすると

「そろそろ、いい加減始めようか」

 と本棚から一冊の写真集を取り出して机に置いた。


「シンデレラオーディションは夏休みの最終日に行われる。すなわち8月24日だね。25日には実力テストがあって、そのあとは通常営業だから」

「つまり」と彼は続ける。

「今日は4月20日だから、本番まであと4ヶ月と4日だ」

「あんまり縁起よくない気がするんだけど。その数字の並び」

「ゲン担ぎは都合の良いものだけ担げばいい。……それで、オーディションの内容だが」

「台本無し。ルール無し。あるのはテーマだけの、なんでもありのオーディションでしょ」

 目の前の彼が驚いた顔をしている。

「……君しては情報が早いじゃないか」

「なにが『君にしては』よ」

 これでもちょっとはリサーチしたのだ。ほぼ情報源は雪だけとはいえ。


「シンデレラオーディション」は演劇部にしては珍しい「台本無しのオーディション」だ。普段はオーディションの際はやりたい役の台本の一部を読み、演技力やどれだけ役にハマるかを競う。

 本当の劇団とかならもうちょっと本格的なものなんだろうけど、高校生の演劇部にしては、しっかりやっている方ではないだろうか。

 ……もっとも水無瀬先輩は、本人の与り知らぬところで勝手に主役にされていたらしいけど。

 しかし、今回のオーディションは少し違う。なんせ演劇部外からもヒロイン役を募集しているのだ。台本など人数分刷る時間が無いのだろう。


 テーマは「シンデレラ」。

 なんでもいいから「シンデレラ」を表現する。


 それが、今回のオーディションの課題だった。


「無茶ぶりもいいとこよね」

「それは僕も否定しないが」

「やらないことにはしょうがないだろう」と言って手元にあった写真集を開く。

「ガラス制作の参考にしているものでね。ドレスの造形が一目でわかる」

 写真集は、どうやら「世界のドレス」をモデルに着てもらって撮ったもののようだった。本の中で、モデルが幸せそうに笑っている。

 写真が載っている次のページには、モデルが来ているドレスの作りや後ろ姿などが図解されていた。


「君にはこれを着てもらう」


 なるほどな。「シンデレラ風」のドレスも図解されているみたいだ。つまりこれを本番で着ると………………。

「…………はえっ!?」

「なに驚いているんだ。本番でこれを着て、君以外に適任はいないと審査員にアピールするんだ」

 いやいやいやいや……。まじで言ってんのかこいつ。

「そんなのどうやって用意すんの……?」

「それをこれから考えるんだろう」

 呆れた。正真正銘の馬鹿だこいつ。

 あきれ顔の私に少しムッとした彼は、口を尖らせて言った。

「なにも生地までこれそのものするわけじゃない。コストカットしたうえでこのドレスは用意する。それに」

「それに?」

「天才ガラス職人の僕がついているんだ。必ず用意できる」

 ……ガラスと洋服はまた違うだろうが。


「まあとにかく服は用意するとして……私は何をすればいいの?」

 よくぞ聞いてくれた! というふうに彼の目がキラリと光る。

「男慣れだ」

「は」

「体重管理と演技力も言いたいところだが、君の体重は16歳の標準体重を少し下まわる程度だからね。これ以上は酷だろう。あとは演技力だが……これはそれ以前の問題だ。よって」

 よって。

「男慣れだ」

「べっっっっつに男には慣れてますけどねー? 別に。彼氏だってそれなりいましたもんねー?」

「君が僕の家に遊びに行くのにビビり倒して幼馴染に連絡したのは知っている。彼氏ができたことがないのも調査済みだ。というか君に彼氏がいたら僕が殺してる」

 こわいこわいこわい。探偵でも雇ったのかお前。

 私のプライバシーが易々と侵害されているのは解せないが、男慣れしていないのは本当だ。

 なんでこんな恥ずかしいことバラされなきゃいけないんだ。ちくしょう。

「わかったわよ。男慣れ、ね。わかったわかった。なんとかやってみるから」

 絶対にわかってないセリフを吐きながら私は立ち上がって奴の部屋のドアへと歩く。

 やっぱこいつの家なんて来るんじゃなかった。ストーカー疑惑(もう確定だが)に拍車がかかっただけじゃないか。


 ドアノブに手をかけて扉を開けようとする。が、それはあと寸でのところで叶わなかった。

 私の右手に、私よりも大きな手が覆いかぶさる。見上げるとそこには男の左手。すなわち灰田の手があった。

 つまり、灰田は私に覆いかぶさるようにして退路を塞いでいることになる。

「君はそれで満足かもしれないが、僕はまだ約束を果たしてもらっていない」

 私より高い位置から、男の声が下りてくる。

 密着した体からは、トクン、トクンと規則正しい鼓動が伝わってきた。

 しまった。完全に囲まれた。

 恨みがまし気に灰田を睨みつけるが、気持ちとは裏腹に私の心臓の鼓動はドンドン動きを早めていく。


 彼はにやりと笑って、顔を私の耳元に近づけた。

 吐息が耳に直接伝わってくる。

「『観察』、させてもらう約束だっただろう」


「君のあし」と彼は耳元で囁いた。

 












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足斬りシンデレラ! 柴まめじろ @shiba_mameta

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