アイ、とコイ

帆尊歩

第1話  「教室で恋に落ちた瞬間まで」の物語 

放課後の教室で、詠美が黒板にチョークで大きく、

(亜衣美、愛しているよ)と書いた。

教室に残っているまわりのみんなが、黄色い声で囃し立てる。

最近流行っている遊びだった。

本気で愛しているということではない。

誰も本気で愛しているなんて思っていない。

強いて言えば、親友としての友情の愛か。

でもその瞬間、あたしは恋に落ちたように感じた。

いや違う。

あたしはもっと前から、詠美に恋をしていたと思う。

でもその時のあたしは、胸をときめかせていた。

まるで初めて恋を知った少女のように。

そしてそのときめきは大きくなり、しまいにあたしの心臓は、バクバクと波打ち、押さえられなくなった。

だからあたしも前に出て。

(詠美、愛しているよ)とチョークで大きく書いた。

二つの文字は並んで存在を誇示した。

「やったー。両思いだー」と詠美が大声でいうと、後ろからあたしに抱きついてきた。

すでにあたしの心臓は、破裂寸前だった。

そして輪を掛けて、まわりのみんなが思い思いに、誰々を愛している、誰々に恋しているなど書きつらね、黒板はチョークの文字で埋まった。

なんと、世界は愛や恋に満ち溢れている事か、たとえそれが戯れ言であったとしても、たった一つの真実があればいい。

あたしの後ろから抱きついた詠美の頬に、あたしの頬がつきそうになり、あたしは偶然を装って、詠美の頬にあたしの頬をくっつけた。

そんなあたしの行動に詠美は嬉しくなったのか、あたしの頬に頬ずりをして来た。

もし、むきあわせに抱きあっていたら、あたしは詠美にキスをしていたかもしれない。

それくらい、その時のあたしは恋に落ちていたと思う。

恋にあがなえず、あたしの心臓が止まりそうになった。

もし今、あたしのこの心臓が止まったら、詠美はあたしに人工呼吸をしてくれて、もしかしたら詠美とキスが出来るかもしれないと思った。


詠美の事を意識しはじめたのは、いつの頃からだろう。

高校に入って、一緒のクラスになった。

詠美とあたしは話が合い、いつも一緒にいた。

あたしは詠美の事を親友と思っていたし、詠美もあたしの事を親友と思ってくれた。

詠美は、頭が良く、考え方に一本筋が通っていた。

あたしの詠美の印象は、ハンサムガールだ。

それまで、あたしが詠美の事が好きだ、と言うときは、親友としてだった。

高三になるまでの二年半、あたしは詠美の事を親友と思い疑わなかった。

詠美の事を考えると胸が苦しくなるのも、美味しい物を食べたら、詠美にも食べさせてあげたいと思うことも、綺麗な風景を見たとき、詠美にも見せてあげたいと思うのも、みんな詠美が親友だからと、自分に思い込ませようとしていた。

でもそれが、友情ではない感情だと思える瞬間は何度もあった。

詠美の唇にキスをしたいと思ったことは、一度や二度ではない。

その度にあたしは、これは思春期の女子によくある衝動だと自分に言い聞かせていた。

体育の着替えの時、詠美の裸に胸がときめいたことがあった。

それは、明らかに性的な興奮だった。でもそれをあたしは否定した。

でもこの黒板の文字を見て、あたしの思いはごまかしようがなくなった。

あたしは詠美のことを、意識せずにはいられなくなっていた。


「亜衣美は、大学どうするの」と詠美はあたしに聞いてきた。

「あたしバカだから、なんとか大学には行きたいけれど」

「あたしと同じ所に行こうよ。そしたら、大学生になっても、いつだって遊べるから」

詠美は気付いていない。

自分がなんて残酷なことを言っているか。

あたしは詠美といると、気持ちのやり場がない。

この気持ちを、重い塊のようにそのままひきずって、一緒の大学に行こうなんて。

この決して報われることのない、爆発しそうな詠美への思いを持ち続けたまま、同じ大学に行くなんて。

それはあまりに苦しい。

もし詠美に、本当の気持ちを告白したら、詠美は、あたしを気持ち悪がるかな。

軽蔑した目を向け、二度とあたしと話はおろか、顔も合わせてくれないかもしれない。

ならこの思いは、あたし一人の心の中にしまっておく方がいい。

そうすれば、詠美とずっと親友のままでいられる。

なのに一緒の大学なんて行ったら、あたしの心は壊れるかもしれない。

「無理だよ」

「えっ」

「だってあたし、詠美みたく頭良くないし」

「じゃあ、あたしが、亜衣美のいける大学に、一緒に行くよ」

「ダメだよ、それはもっとダメ。大好きな詠美の可能性をそぎたくない。それだけは止めて、お願いだから。あたしに付き合って、レベルを落とすなんて、絶対に止めて。あたしが一生後悔する」

あたしの気迫に、詠美はたじろいだ。

「ごめん、ありがとう」詠美にあたしの思いは伝わった。


あたしはそれが、あたしのためなのか、詠美のためなのか、分らなくなっていた。

でもそれは詠美の優しさに触れて、やはりあたしは恋に落ちたと確信した。

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アイ、とコイ 帆尊歩 @hosonayumu

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