九死に一生を得続ける男

サトウ・レン

九死に一生を得続ける男

 九死に一生を得る、ですかね。


 えっ、いきなり何を言ってるんだ、って?

 いやあなたが彼について聞きたい、とか言うから真面目に答えてるんじゃないですか。彼はまさに、九死に一生を得続ける男、でした。実際テレビで紹介されたこともあるんですよ。『奇跡の男』だとか『不死身の男』だとか言われてね。長い黒髪を伸ばして、端正な顔立ちもしているから、女性から人気もありました。一時は、ちょっとした芸能人扱いでした。


 彼は俺の幼馴染で、同じマンションで住んでいて、だから彼のことはむかしから誰よりも知っています。たぶん彼の母親よりも。まぁ彼の母親は、自分の子どもにあまり興味を持てない人間だったので、比べて勝ったところで別に嬉しくもないんですけど、ね。


 物静かな男の子で、そう言えばあの頃から、あぁ、あの頃、って幼稚園くらいの頃の話ですけど、あの頃から周りの女の子に優しくて、モテてましたね。まったく、羨ましいやつです。


 はは、すんません。本題から逸れてしまいましたね。

 俺が知っている限りで、最初に彼の奇跡を見たのは、俺たちがクラスメートだった小学四年生の頃でした。馬鹿は高いところで無茶する、ってわけじゃないですけど、俺たち馬鹿な男子たちは度胸試しみたいに、学校やマンションの手すりから身を乗り出したりして遊んでいましたよ。なんかあるじゃないですか。ないですか、あなたは。そういう命知らずな行動が格好いいみたいな、ね。俺はありました。でも彼はなかったんですよね。ただ負けず嫌いだったんですよ、彼、って。


 だから、俺が、

「へぇ、怖いんだ?」

 って言ったら、むっとした顔をして、「分かった。僕もやる」なんて、マンション五階のベランダの手すりの上に立ったんです。その時、彼が足を滑らせて、落ちたんです。マンションの庭に向かって。えっ、俺は何もしてませんよ。押しても、揺らしてもないです。さすがに、そこまで子どもじゃないですよ。


 あっ、死んだ、って思いましたね。驚いて、それしか思うことができませんでした。


 慌てて庭まで行くと、彼は生きていました。骨折はしていましたし、俺もそして彼自身も後で滅茶苦茶怒られたんですけど、とりあえず俺は、生きてて良かったぁ、ってその一心でした。それからの彼はずっと高所恐怖症で、「お前のせいだからな」って言われ続けてるんです。


 もちろんこれだけでもびっくりする話ではあるんですけど、これくらいなら、別にどこにでも転がっている話です。いや、そんなにないですかね……。


 次は中学一年生の時でした。これは聞いただけの話なんですが、彼はトラックに轢かれてしまったのです。小雪の降る日で、路面が凍結していたそうです。スリップしてきたトラックの車体が、下校中の彼を吹っ飛ばして、ガードレールに強く頭を打ちつけた彼は、三日三晩、生死の境をさまよったそうですよ。死んだじいちゃんを見たよ、って後になって笑って話していました。これで二回目です。こんな経験を二度もするひとはかなりめずらしい、とは思いますが、それでも他にもいるレベルでしょうか。


 彼の体験はこんなものではないので、どんどん続けていきましょう。

 えっ、楽しそうだ、って?

 思い出話はいつだって楽しいものです。もう戻ってこないと知っていても、その色鮮やかさは。


 確か次は、高校受験の日です。受験会場に向かう途中、彼は叫び声を聞いて、なんだろう、と見に行くと、包丁持って暴れてるやばい感じの男がいたんです。薬か何かでもやってたのかもしれませんね。俺みたいな人間は、どうせ誰かが警察でも呼んでるだろう、って無視していくのかもしれませんが。


 まぁ正直に告白すると、実際、俺もそばにいて、俺は無視して受験会場に歩きはじめたんです。だけど彼は正義感が強いところがあって、その男を止めようと説得のために近付いちゃったんです。そしたら、刺されちゃったんですよ。お腹を。刺されて、血が広がっていく光景、はじめて見ました。救急車で運ばれていく彼に付き添って、真夏でもないのに、だらだらと汗を流す彼の姿に、あぁもう死んじゃうのかもしれないな、って思いました。今度こそは本当に。


 でも彼は一命を取り留めて。ただそれ以来、彼は包丁を触れなくなったそうです。

 受験はどうなったか、って?

 俺たちには追試があって、それで受かりましたよ。彼も、天国に入学しなくて本当に良かったと思います。えっ、不謹慎ですかね、ははっ。


 ちょっと話は逸れるんですけど、俺、高校の時に好きな子ができたんです。付き合うことはできなかったんですけど、積極的に異性にアプローチをする、みたいなのは、人生ではじめてのことでした。中学の頃とかは、やっぱりそういうのは恥ずかしくて、かわいいなぁ、って思う子がいても、話すことはできませんでした。


 一目惚れって言うんですかね。彼女をはじめて見た時、あっ俺にはこのひとしかいない、と思いました。相手がどう考えているかも分からないのに、俺の恋は成就する、って、勝手に好きになって、浮かれて。そして俺は振られたんです。告白したら、「私、他に好きなひといるから。迷惑」なんて言われましたよ。


 振られた後、街で彼女が同い年の男の子と一緒に歩いている姿を見掛けました。誰だった、と思います? まぁこんな聞き方したら分かりますよね。その男の子、って彼ですよ。仲良さそうに手を繋いで歩いちゃって。むかつくと思いませんか。俺は彼と友達だから何度も相談しているし、俺が彼女のこと好きなの知っているはずなのに、ね。でもまぁ我慢していたんです。


 あれは彼が駅のホームで電車を待っていた時です。

 後ろから彼を見つけた俺が呼び掛けようとしたら、突然彼が駅のホームから線路に転落したんです。あとで彼から聞いて知ったのですが、タイミング的には本当にぎりぎりのタイミングで轢かれたとしてもおかしくなかったそうです。なんて不幸で、そして強運な男なんでしょうね。


「突然、背中に衝撃が走ったんだ」

 って彼は言ってましたよ。犯人は誰だったんでしょうねぇ。

 えっ、俺?

 まさか、な、わけがないじゃないですか。

 好きな子を取られたから、って。そんなのドラマの見過ぎですよ。安っぽいやつ。そもそも俺はスタート地点にさえ立てなかったんですから。


 次は大学生の時ですかね。俺たちは同じ大学で、変わらず彼とは仲良しでした。サークルも一緒のところに入って。サークル仲間で海外に行った時、サークル内で殺人事件が起こったんです。そんな『そして誰もいなくなった』とか『十角館の殺人』とかの、そういうクローズドサークルの世界じゃないですよ。もっと物語性も計画性もない、つまらない殺人です。えっ、殺人につまらないも面白いもない、って。そうでしたね。すみません、言葉が過ぎました。


 結局これもこじれた恋愛が動機の殺人です。サークルの姫、っていうんですか? まぁうちのサークルに紅一点の女の子がいて、超恋愛体質っていうんですか、メンヘラとかヤンデレっていうんですか、どういう呼び方が正しいのか分からないのですが、まぁ男とトラブルになりやすい女の子でね。男ふたりと恋愛トラブルになった彼女は自棄になったのか、もう両方とも殺してしまえ、とでも思ったのか、片方を殺して、そしてもう片方を殺す寸前に捕まってしまったわけです。警察に、ね。その生き残った男のほうが、彼です。


 えっ、俺が彼女をそそのかしたんじゃないか、って。そんなわけないでしょ。だって彼女が犯人だって気付いて、未然に防いだのは俺ですよ。なんでそうやって俺を疑うんですか?


 まぁいいや。疑いたいなら、勝手に疑ってください。

 話、戻しますね。


 うん。彼が確か有名になって、テレビに出るようになったのも、その頃でした。

 何度も死にかけながら、生き続ける男。

 テレビには変人扱いで出始めたんですけど、話し方もうまかったですし、そのうち人気になっていきましたね。有名人は大変ですよね。忙しくなっちゃって。俺ともあまり会わなくなりました。女優さんと付き合ったりして、彼もドラマに出ちゃったりなんかして、なんて羨ましい人生なんだ、って思いました。嫉妬ですよ。つまらない嫉妬。知ってますか、男同士の嫉妬のほうが面倒くさいんですよ。


 その頃の彼は、九死に一生を得る体験もほとんどなかったみたいです。いや俺が会っていないから知らないだけなんですけどね。でもまぁ俺の勘って当たるんですよ。いや、本当に、ね。


 大学を卒業してすこし経った頃でしょうか。これは俺の話なんですけどね。仕事で失敗ばかりして、クビになったんです。接客業なんですけど、ね。すぐ感情的になって、失敗ばかりしてしまう。ひとと会話するのが、壊滅的に下手なのかもしれません。もうその頃つらくてつらくて。


 彼から電話があったのは、そんな時でした。

『久し振りに会えないかな』


 俺は彼とふたりで、居酒屋に行きました。大学卒業以来、久し振りに会う彼は、会社の経営みたいなことをしていたようで、それがどのくらいうまく行っていて、彼の人生がどんな状況かなんて知らないのですが、俺には人生の成功者にしか見えませんでした。近く結婚する婚約者がいるなんて話していました。


「お前はどうなの?」

 と彼が聞いてきました。


「あぁ、俺はぼちぼちだよ」

 としか返せませんでした。なんだよ、ぼちぼち、って。俺は心の中で自分自身に怒鳴りましたよ。何、格好つけてるんだよ、って。いまの俺なんて底の底じゃないか、なんてね。ただ生きているだけじゃないか、って。ほら、よく『生きているだけで素晴らしい』って言葉あるじゃないですか。あれは生きていることに何らかの意味を見出せている人間だから、効果のある言葉で、ただ生きている自身を呪っている人間には、なんの役にも立たないんですよ。


 俺の言葉を聞きながら、彼が言いました。

「俺もいまの人生、これで良かったのかな、っていつも悩むんだよ」


 俺が本気で彼を殺そう、と思ったのは、この時でした。

 いままでみたいな、偶然うまくいけば、みたいな気持ちとは……あぁいえ、すみません。これはただの言い間違えです。あなただってあるでしょ。言い間違え。忘れてください。


 俺が明確な殺意を持ったのは、この瞬間だけです。

 もちろん人生の悩みは、誰にだってあります。得たものには得たものにしかない悩みがあるのでしょう。実際、彼には彼にしか分からない悩みがあったはずです。だけどあの時の俺には言うべきじゃなかった。なんだよ、それ。お前がそんなことを言い出したら、俺がみじめになるじゃないか。やめてくれよ。


 俺は彼を殺すことに決めました。自らの手で。

 でもひとを殺したことのない俺に、確実性のある殺人の方法なんて分かるわけがありません。ミステリを読み漁ったり、殺人を扱ったノンフィクションの本を読んだりしましたけど、別にたいした答えは出ませんでしたね。ミステリは実際の殺人を手助けするものではないし、ノンフィクションのほうだって、ずさんで結局もう捕まっている奴らの犯罪です。


 殺人なんて、結局覚悟を決めてイチかバチか、しかないのかな、って。

 何よりも俺をためらわせたのは、彼の特異な、死なない、という能力です。いや超能力でもなんでもないんですけどね。でも、そう思ってしまうほど、特別さがあることは間違いない。殺人なんて運任せなものと、こんなにも相性の悪い奴は他にいません。


 そんな時、彼の家が火事になったんです。

 結構ニュースにもなった奴です。放火だったらしいですね。まるで他人事のようだ、って? だって他人事ですから。


 彼は、そこでも生き延びたんですよ。うまく死んでくれれば、俺の怒りの火も鎮まったかもしれないのですが。本当に残念な話です。


 九死に一生を得続ける男。

 またそんな言葉が浮かんできて。俺、もうがっかりしちゃってね。あぁ駄目だ。どれだけ願っても、彼は死なないし、俺にはもう彼を殺す術が思い付かない。


 その頃に出会った女性が、いまの妻です。マッチングアプリで知り合って。とても優しいひとです。何回かデートして、あぁもうこのひとしかいない、って思ってすぐに結婚を決めました。子どももふたりできて、俺自身の生活が慌ただしくなるうちに、彼への殺意がどうでも良くなりました。本当です。だってもともと動機が、ただの嫉妬なんですから、自分自身の人生が充実していけば、殺意なんてなくなっていきます。


 あぁもうやめたやめた。殺人なんて馬鹿らしい、ってね。

 だいぶ時間も経った話なんですから、もうこのくらいにしませんか。


 俺は友達を殺したくて殺したくて仕方なくて、でも全然殺すこともできずに挫折してしまっただけの、ただの妬みと嫉みの権化ですよ。何にもできない、覚悟もない、哀れな男なんです。

 なんで、そんなにも疑うんですか?



 だったら刑事さん、持ってきてくださいよ。あいつの死体を。

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