幕間3

 涼介は『調査七課』の自席にて、頭の後ろで手を組みぼんやりしていた。

 部屋の壁掛け時計に目を向ければ、現在午前九時四十五分頃。平常ならば異世界調査に飛んでいてもおかしくない時間帯。にも拘らず、涼介はコートへの着替えすら済ましていない。

 無論、休日という訳でもなく、歴とした出勤日である。


「ノイノイ、何時からだっけ?」


 涼介は緊張感の欠片もなく、傍らに訊ねる。


「もうそろそろの予定」


 と、答える小さな異世界人は報告書でも作成しているのだろう。短い指でパソコンのキーボードをカタカタと鳴らすばかりで、席を立つ気配は微塵もなかった。

 そんな穏やかな時間が五分経った頃、電話機の呼び出し音が割り込む。


「もしもし……。あー、応接室にお通しして」


 ノイノイは取り上げた受話器にそう答えると、涼介へと告げた。


「来た」


「りょーかい」


 簡潔に促された涼介は、ノイノイの後に続き『調査課』を後にする。途中『警護課』の人間が二人合流し、計四人で応接室へと場所を移した。


「お世話になります」


 と、入室した涼介たちを迎えたのは、スーツに身を包んだ二人だった。

 一人は人の良さそうな笑みを浮かべた初老の男性。もう一人は緊張した面持ちの若い男性で、共に腰の低さが印象的だ。


「いつもこっちに来て頂いて申し訳ないね」


「いえいえ、ノイノイさん。遠慮なく呼んでください。喜んで伺わせて頂きますので」


 ノイノイと初老の男性の挨拶代わりのやり取りのあと、テーブルを挟んで向き合う様に席に座り、本題へと移る。


「では早速お願いしようか」


 ノイノイのその言葉に『警護課』の一人が幾つかのアタッシュケースを運んでくる。

 その一つを解錠しテーブルの上で開けば、中には眩い光を放つ金塊が収まっていた。


「ほう、今回は五キロですか。では失礼して」


 初老の男性は白い手袋を両手に嵌め、金塊の一つを手に取った。

 些細な傷、いや僅かな曇りさえ見逃さない。そんな先程までの穏やかな表情が嘘のような、鬼の形相で見定める。

 そう、彼らは貴金属を専門で扱う業者の担当だ。


「……本物に間違いなさそうですね、はい。勿論、後ほど社に戻ってから再度鑑定し、正式な書面を作らせて頂きますが」


 態々偽物を用意する意味がない。ノイノイたちにとって金など路傍の石と変わらない価値なのだから。

 だが、そんな話を漏らせばこちらの懐具合を探られかねない。只でさえ業績が良いと評判の『株式会社ブッシュ・ド・ノエル』。余計な詮索を受けないためにも、涼介が余計なことを漏らすべきではないだろう。


「いつものように振込でお願い」


 そのノイノイの言葉に頭を深々と下げることで返事をする業者の二人。そのままアタッシュケースを受け取ると、応接室から退出した。


「なあ、ノイノイ」


「なに?」


「ノイノイたちの世界じゃきんは掃いて捨てるぐらいあるんだろ? こんな風にチマチマ売らずに、もっとドカッと処分したらどうなんだ?」


「そんなことしたら相場が崩れる。あと大口取引をして目立ちたくない。何せ出所が出所だけにね。只でさえ異世界人の私たちは目を付けられがちなんだから」


 市場に溢れれば価値が下がるのは当然のこと。しかも希少性が失われるとあれば暴落は避けられない。ノイノイたち『眺める者ウォッチャー』もそれが分かっているから出荷量をある程度調整しているというわけだ。

 取引を見届けた涼介はノイノイの後に続き、『調査七課』へと戻る。


「で、ノイノイ。今日はこれからどうするんだ?」


「今、取引した金の現金化の伝票を回したり、他にも報告書の整理に時間を当てたい」


「じゃあ異世界は無しか?」


「そうなるとリョースケのやることがなくなるね。私の事務の手伝いは……」


「スマン、無理」


「だよね。じゃあ何かあればすぐ呼ぶから、それまで適当にしてて」


「りょーかい」


 涼介は『調査課』に戻るノイノイの背中を見送り、さてどうしたものかと考える。

 やることがない、といっても業務時間内。何時呼び出しがあるか分らない中、外へと遊びに出掛けていいはずもなく。

 となれば社内で時間を潰すしかないのだが、都合の良い時間潰しなどすぐに思い付かず、どうしたものかと彷徨っていると廊下で鹿島陽茉とばったり出くわす。


「おお、まいど」


「よう。何こんなとこウロウロしてんだ?」


「午後から異世界行きなんだけど、その前にシャフトの追加工お願いしたくて」


「追加工?」


 と、疑問符を浮かべる涼介に対し、彼女は手にした愛用のシャフトを見せる。


「あたしのシャフト、先端を窪ませてるでしょ? それをもう少し深くした方が良さそうな気がしたから」


「なるほどね……。それ、俺も着いていっていいか?」


「別に構わないけど、ノイノイの方は大丈夫なの?」


「今日は事務作業に専念したいらしくてさ。一日フリーになりそうなんだよ」


「そっか」


 と、陽茉の了解を得てついていった先は、『株式会社ブッシュ・ド・ノエル』のビルと同じ敷地内。その傍らに建つ倉庫のような建物だ。

 中型のトラックが通れるほどのシャッターの横の鉄扉を潜ると、けたたましい機械音が容赦なく鼓膜を貫き、一瞬眉を顰める。

 梁が剝き出しの構内を見渡せば、大小様々な機械が稼働しているが見て取れる。


 ここはアルミなどの材料を加工する、通称『工房こうぼう』と呼ばれる施設である。

 しかし、涼介たち『調査課』員の装備のためだけにしては、明らかに規模が大き過ぎる。

 では何故、ここまで設備を充実させているか。それは軽金属などの加工が、『株式会社ブッシュ・ド・ノエル』の日本における表向きの事業だからである。

 その本業の傍ら、『調査課』員の装備も手がけているというわけだ。

 陽茉は工房内を見回し、一人の職人を捕まえる。そして手にしたシャフトの加工を依頼するのだが、何しろ会話もままならない騒音の中。相手の耳元に口を寄せ、声を張って希望を伝えていた。


「このシャフトの先端の穴、もう少し深くして欲しいんすけど!」


「あとどのぐらい深くしたいんだ!?」


「五ミリぐらいいけないっすか!?」


「ああ、そんなんならすぐだ! 旋盤ですぐ削ってやる!」


 そんなやり取りを尻目に、涼介はふと視界の端にある人物を捉える。

 新しい作業着が初々しい、先日『株式会社ブッシュ・ド・ノエル』に入社したばかりの東郷敬だった。

 彼もこちらに気付いたのだろう、控え目に手を挙げて応える。


「お疲れ様っす、敬さん。どうっすか? 仕事は慣れました?」


「お疲れ様。いや、まだ覚える事ばかりで毎日必死さ。だが、こういう細かい作業は嫌いじゃないらしい」


「続けられそうっすか?」


「ああ、面白い仕事だと感じている。労働時間もしっかり管理されてるし、今、辞める選択肢は考えられないな」


 本業と言えど、コスト面、納期面で無理な受注をしないのが『株式会社ブッシュ・ド・ノエル』のスタンス。それが成り立つのも金をはじめとする貴金属売買による副収入があるからだ。

 また、無理をしないがため一つ一つの案件に対して丁寧になり、高品質品の安定的供給に繋がり、客先からの評価、信頼は頗る高い。


「にしても、涼介がこんな時間に工房に顔を出してて大丈夫なのか? 今日は異世界は無しなのか?」


「今日は一日ノイノイの書類整理で、今のところ異世界は無しっぽいっす」


「そうか、そういう日もあるのか。まあ、涼介のことだ。心配はないと思うが、適当に休息を入れないと思わぬ落とし穴を見落としてしまうこともある。こういう日も有効活用して、しっかり身体を休めておくことだな」


 長い間、会話もままならない孤独な異世界生活をしていた敬からの忠告。

 過去、涼介も近しい境遇に置かれた経験があるだけに身に染みているつもりだが、聞き流すつもりは毛頭なく、ありがたく聞き入れ改めて気を引き締める。

 そうこうしているうちに、鹿島の追加工も終わっているようだった。


「そろそろいきます。敬さんも頑張ってください」


「ああ、ありがとう。俺も早く仕事を覚えて、涼介の武具を手掛けられるようになるよ」 


「はい、その時は是非お願いします」


 そう言葉を交わし、工房を後にした。





「んじゃ、あたしそろそろ行くね」


「ああ、鹿島なら心配はいらないかもだが、油断するなよ」


「ん、ありがと」


 異世界へと向かう鹿島と別れ、涼介は再びやることがなくなる。

 さて、どうするか、と考えたところでスマホが鳴った。ポケットから取り出し視線を画面に落とせば、ノイノイからメールが届いている。


「なんだよ。会社にいるのはわかってるんだから、メールじゃなくて呼び出せばいいのに」


 などと一人ごちながらメールを開けば、そこには幾つもカタカナが羅列してあった。

 チョコレート、ストロベリー、メロン、モカ、チーズケーキ、等々。

 その文字列の並びの意味が分からず、一瞬眉を顰める。

 が、すぐに察し、ノータイムでスマホから電話した。


「もしもし」


 呼び出し音もそこそこにすぐに通話が繋がる。声の主は当然ノイノイ。


「なんだこれ」


「アイスクリームのフレーバー」


「そりゃわかってるよ。また俺が買い出しかよ」


「今はリョースケが一番暇人」


 言われずともわかっている。ぶっちゃけ、気晴らしがてら外出も悪くない。しかし、どこか雑に扱われている現状に、少し悪戯心が疼いた。


「せめてお願いしますぐらい言うべきなんじゃないのか」


「……」


 返事がない。と、思ったらブツリと切られてしまった。

 想定外の反応に怒らしたかと画面に見詰めていると、再びメールの着信あり。

 開いてみるとそこには「お・ね・が・い♡」の一文が。

 魔法を得意とする異世界人が地球の文明の利器をすっかり使い熟している。その事実に何となく笑いがこみ上げてきた。


「はいはい、行ってきますよ。買い出しに」


 物覚えの早さは見た目通りだななどとどうでもいい感想を抱きながら、幼き異世界人が所望する氷菓を求め、その足でショップへ向かう涼介だった。

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アウターワールド ~異なる世界の箱庭観察~ 東屋ろく @azuma-ya6

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