過去人
高黄森哉
過去から来た人
都会の巨大な交差点が青になると、一斉に人の群れが動き始めた。その波は交差するとき、一つも飛沫を立てず、ただ透けるようにお互いを通り抜けていく、はずだった。
「ここはどこだ!」
と長身で細面の男が道路の真ん中で叫び始めた。サラリーマンたちが怪訝な顔をして彼の脇を通り過ぎていく。立ち止まる彼を二つの波は避けながら進んだ。叫ぶ男は たまたま彼の近くを通りかかった OL を捕まえた。
「きゃ、離してください」
「ここはどこだ」
「交差点に決まってるじゃないですか」
「どこの交差てんだ」
「こんなビル群、東京にしかありません」
「今日は何年の何日、何曜日だ」
「離してください」
おいやめないかと、三十パーセントの正義感と七十パーセントの下心に駆られた、中年の男が、OL に絡む、朝から様子のおかしい男の腕を掴んだ。
「今はいつだ」
男は叫んだ。
「2023年の7月20日に決まってるじゃないか。ちょっと君、まずその子を離してやりなさい。そして道の真ん中だと危ないから着いてきなさい」
中年は男を引っ張っていった。彼が誘導されたのは交番だった。
「エット、この人が交差点で若い女の子に乱暴したんですか。とても、そうにはとても見えないのですが」
「はい、お巡りさん、その通りです。私は仕事へ行かなければならないので、これにて失敬」
「ちょっと。どういうことです。待ってください」
警察の制止も虚しく、中年は汗を拭きながら、通りへ小走りに消えていった。残された長身の男が警察官に詰め寄る。
「お巡りさん、ここは東京なんですか」
「きみ、声量がでかいな。耳がキンキンするよ。そうさ、ここは東京だ。東の京で東京だよ」
「僕は滋賀にいた筈だ! 今日は何年の何日ですか」
「知らないよ。面倒くさいな。もしかしたら熱中症じゃないかい。エット、今日は …………」
警察は、硝子の向こう側が太陽光線によって白んでいるのを、眺めた。往来は汗を拭く社会人で溢れている。今日くらいジャージで過ごせばいいのに。伝統や規則の奴隷になるなんて馬鹿だ。警察官は制服に身を包む自分の事を棚に上げて、そう思った。
「………… だね」
「信じてください。僕は滋賀に居たんです。それも三年前の」
「ほう、じゃあ君は過去から来た、過去人だといいたいのかね」
「はい」
ふーんと警察官は頷き、また灼熱の歩道を観察し始めた。すると、テレビ局の取材が目に留まった。女性リポーターがマイクを持ってうろうろしている。
「あそこで自分の身に起こったことを話せば、誰かが興味を持って、解明したり、教えてくれるかもしれないよ」
「アドバイスありがとうございました」
過去から来た過去人。例の街灯インタビューから数日。彼の存在は世間に馬鹿ウケして、大々的に取り上げられていた。テレビでは、彼についての考察が専門家によって成されたりする。
「では、貴方は本当に過去から来たのですか」
司会が尋ねた。
「気が付いたら東京にいたんです!」
男は叫んだ。
「じゃあ、一体、どうやって東京まで来たのですか」
「思い出せません。気が付いたら、東京にいたんです」
「そうですか」
過去人専門家の肩書を持つ、得体のしれない紳士は残念がった。
「なぜ、貴方は未来へ来たのですか」
「わかりません。気が付いたら東京にいて。ただ微かに難病という言葉を覚えています」
「難病!」
物理学者だという、某有名大学から、呼び出された教授は叫んだ。
「ひょっとすると、過去に治療法が存在しなかった難病を未来の技術で直すために、彼は過去から現在へと送り込まれたのかもしれない。これは驚いた」
「未来へ行くことは可能なのですか」
アナウンサーの女は尋ねた。
「過去へ遡るのは難しいが、未来へ行くのは簡単だ。そもそも我々は今も未来へと着実に移動している」
皆がその冗談に笑った。司会の男は理解できなかったが、周りに合わせて笑った。
「いや、真面目な話、未来へ行くのは可能なんだよ。例えば、重力の弱い場所や速度の速い場所に居続ければ、相対的に未来へと移動することになる。まあ彼は違ったプロセスでここへ来たと、私は思うがね」
教授の顔が、酸欠から真っ赤になっている。息をつく間もなく興奮気味にまくし立てているからだ。
「注目するべき点は、彼が突然、交差点の中央に現れた、という事だろう」
「いやあ、危ないところでしたねえ。もしも、信号が青になったらどうするんだ。科学とは時に無責任なものです」
司会の男は、よくわからない、そして関係のない、物の見方をした。そのために的外れな結論を下した。
「道の中央なんだから、信号が青になっても、大通りの真ん中は島になってることが多いからね、あんまり関係ないと思うのだよ」
教授は息が絶え絶えになっている。酸素の欠乏から、彼の顔が紫に変わっていた。ニュースに映る人間は皆、彼の身に起こりそうな危険を予感したが、あえて黙っていた。裏で新しいニュースが作られ始める。
「とにかくね、時間移動も確かに興味深いが、その裏に隠れがちなワープも、また興味深いよ。時間移動は今の科学でも、規模は小さいが十分に可能だがね、瞬間移動というのは無理だ。がほ!」
教授は窒息で気を失った。次の話題は、早速、新しいニュースに差し替えられた。
「次のニュースです。某有名大学の教授、朝のニュースにて、突然死」
男の存在が世間に認知されると、研究の対象となった。科学者はなんとしてでも、三年もの時間跳躍、そして滋賀から関東への瞬間移動、のメカニズムを解明したかった。どちらも、実用化できれば地球が買えるほど金になる。
そのためのアプローチとして最も最良とされたのは、彼の脳みそをスキャンして、彼が未来へ来る前の映像、つまり彼がどのような技術にくゆらされたか、を取り出すことだった。
研究は急ピッチで進められた。なぜなら、彼は難病を抱えているらしく、いつ死ぬか分かったものではないからだ。悪いことに男は難病の名前を覚えておらず、また検査をしても病気の兆候は発見できなかった。
五年後、脳みそのスキャン技術は、世界を席巻する大企業がパトロンとなり、人類の叡智を結晶化させて、ようやく完成した。世界中のスーパーコンピューターを稼働させ、地球上にて一年で使われる電力の半分を一度の運転に使用するという、規模の大きな設備だが、今後の人類の発展を想えば安い投資となるはずだ。
待ちに待った日。男は椅子に座り、機械が稼働する。
映画館のようなモニター。客席は科学者で埋まっている。そして長い長い、パトロンとなった企業の CM の後、ようやく彼がやってきた時代、つまり八年前の映像が流れ始めた。待望の瞬間。まず再生されたのは男の前に医者が座っている場面。そして、その医者はこういった。
「若年性アルツハイマーですね」
過去人 高黄森哉 @kamikawa2001
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