ニ話 せんせいと少女 終わりの始まり

 轟々と火が回り始めた中に生存者が2人。


 「お兄さん、だれ?」

 黒瀬に話しかけた女の子は母親が目の前で殺されたにも関わらずキョトンとした顔で黒瀬を見ていた。

 「ひぃろー?」

 女の子は手と顔を返り血だらけにした黒瀬にそう言ったんだ。

 「は、?」

 黒瀬は呆気に取られてその一言以外何も喋れないでいた。

 「だって、最近のお母さんね、私に意地悪するから、だから殺してくれたんじゃないの?」

 きっと死という事がどういう事なのかもまだよく理解できないだろうに。

 黒瀬はやむを得ず手を出した。

 母親を殺されても怖がりも泣きもしない、この子の歪さに気付いていた。

 「一緒に来て」

 「いいの?」

 少女のその質問に黒瀬は何も答えずに歩き出した。

 黒瀬にとって少女を生かしてここに置いていくわけにはいかなかった。顔を見られてるから。でも油をまいて既に火を放っていた家にこれ以上留まるのも危険なため黒瀬は仕方なくこの少女を家に連れて帰ることにした。

 どうせ殺すんだからと、言い聞かせて。



 家に連れて帰ってきて黒瀬は騒がれないように後ろから包丁を掲げた。

 心臓がバクバクと鳴ってうるさい。

 俺は、この少女を殺すんだ。

 そんな考えが黒瀬の頭を埋め尽くしている。すると、少女が振り返った。さっきは髪で隠れてた上に暗くて見えなかったけど、よく見たら目の周りに大きい痣があった。

 その痣に一瞬だけ、狼狽えた。

 もしかしたら、この子は、同じ痛みを知っているのかもしれないと。

 少女が黒瀬の顔に手を伸ばしてきた。

 「どこか痛いの?」

 なぜそんな質問をするのか、黒瀬にはわからなかった。だって、そんな大きな痣をこさえて、きっと痛いのは少女の方だろうに。

 黒瀬は自分がどんな顔をしているのか、気付いていなかった。

 「なんで?」

 その声が少しだけ震えているのにも気付いていない。

 「お兄さん、なんだか痛そうな顔してるよ」

 呆気に取られて俺は包丁を床に置いて弱々しく少女を抱きしめた。

 出来ない。俺には出来ない。

 全部失った。家族も、生きる理由も。

 何もなくなった。分かってたさ、復讐なんてしたって喪失感は埋まらないだろうし、何の意味だってない。ただ、あの時はこんな事にでも感情に任せて、何かに一生懸命になって、盲目になっていないと、一人で立っていられなかった。

 かつて誓い合った“共犯者”に、合わせる顔も、なかった。

 今、目の前の少女を見る。

 この子の方が痛かったろうに。その目のアザも腕だってアザだらけで足には根性焼きの跡が無数にあった。

 明らかに被虐待児だった。

 父親は仕事ばかりで帰ってこず、母親は男を連れ込み、母親からも男からも暴力を受けてきて、復讐に駆られた部外者に刺し殺されるなんて、そんなの、あんまりじゃないか。今まさに殺そうとしていたはずなのにそんな事を思った。

 きっと世間が知れば『可哀想な子供』というレッテルを貼られて同情の皮を被った好奇の目に晒されるのだろう。

 そんな少女がどうしても自分と共鳴しているように感じたのだ。

 「ぁ、ごめん。ごめんな」

 何に対しての謝罪なのか。

 この子のお母さんを殺してしまったことへのか、この子を殺そうとしたことへの謝罪なのか、俺にもわからない。

 もしかしたら、こんな人殺しの俺と、純白と言っていいほど汚れを知らない少女を同じように思ってしまったことへの謝罪かも知れなかった。

 だけどこの子は俺を抱きしめ返して頭を撫でていた。その小さな手で。

 「私楓って言うんだけど、お兄さんの名前は?」

 それは人を落ち着かせるような不思議な声だった。

 「俺…は、黒瀬、誠…」

 「なんのお仕事してるの?」

 あまりにも純粋に普通に繰り広げられていく会話に一瞬戸惑ってしまったのだ。

 「……本を書いてるよ」

 「じゃあ先生だね」

 少女はそう言って笑った。

 こうやって俺をあやすように喋る姿に、楓の方が先生に見えた。

 改めて体を離すと、あまりにも痩せ細っている身体を見て、何かご飯を作ろうと思い立ち上がると楓が小さく悲鳴を上げた。

 自分を守るように蹲ってしまっている。

 「ヒッ、…ごめんなさいっ、ごめんなさい。……謝るから、お願い、殴らないで…ごめんなさい、…………お父さん、助けて…」

 楓が最後言った悲願に複雑な感情に駆られた。

 俺はまたしゃがみ込んで、辿々しくもう一度震えている小さな身体を抱きしめた。何を言えばいいのかを考えて、どうにかこの子が安心できる言葉を探した。

 「大丈夫。君を殴る奴なんてここにはいないよ。大丈夫だよ」

 人殺しが何を言ってんだと思われるかもしれないが、もう俺はこの子を殺す気にはなれなかった。

 大丈夫と言い続けながら、背中を撫でると段々と落ち着いていき、呼吸音が規則正しく聞こえてきて、楓は俺の腕の中で気を失うように、疲れたのだろう。眠ってしまった。

 小さな体を抱っこして寝室に運ぶ。

 寝かせて布団をかけてよく見ると子供の割に随分と綺麗な顔の造形をしていた。

 楓の髪を撫でようと思い手を出すとその手が血だらけに見えて引っ込めた。

 すぐに洗面台に向かいゴシゴシ洗う。

 「き、たない…きたない、汚い汚い」

 どれくらい洗ったんだろう。よく見ると所々血が出ていた。

 人を殺した。それもあんなに小さい子供の母親を。

 自分が酷く汚い人間であることを思い出した。

 赤と一緒に罪も流れてくれたらいいのにと、くだらない事を考えた。


 母さん、俺間違ってたのかな。

 俺の父さんはクズだった。いや、クズになった。

 冤罪で父の会社のお偉いさんが逮捕され、そこそこ名前の知られている会社だった為世間からの批判はすごかった。それで経営は立ち行かなくなり、破綻。自暴自棄になった父は酒に溺れ外に女を作り母には暴力を振るった。母は衰弱しきって最後は首を吊った。

 そして俺は今夜、父を殺した。父が外で作った女の1人が楓のお母さんだった。

 だから父を尾行して、女の家まで行き、そこで父を殺し、父は女を刺した。女も俺が殺したようなものだ。

 そしてそこに、楓がいた。楓は全てを見ていた。

 楓の父親は父の会社の冤罪をでっちあげた刑事、緒方努だった。

 血が滲んでいる手をもう一度冷静になって洗う。染みて、痛かった。


 寝室を除くと楓は酷く魘されていた。身体は冷たいのに汗をかいていて呼吸も荒く涙さえ流していた。

 俺は軽く揺すって起こした。

 ゆっくり目をうっすらと開けて俺を目に捉えるまでに時間がかかっていた。

 「大丈夫?」

 俺が声をかけると安心した様な顔をして顔を綻ばせた。真っ黒い澱んでいる瞳が少しだけ澄んだように見えた。

 「…うん。大丈夫だよ」

 そう言って楓は少し笑った。

 すると俺の手に目をやり、眉を寄せた。

 「先生こそ、手から血が出てるよ。痛くないの?」

 そう言いながら控えめに僕の手に触れた。

 「痛くないよ。全然痛くないよ」

 どうしても自分の手が汚く思えて、引っ込めてしまう。それに楓は悲しそうな顔をした。

 「嘘。痛そうだよ」

 楓は人の痛みに敏感らしい。

 「本当に痛くないよ」

 本当はまだ少しだけ痛んだ。

 「…大丈夫?」

 俺が痛くないと言っても心配そうな瞳は変わらない。

 「うん。大丈夫」

 「私と一緒だね」

 楓はそう言って真っ黒の目を細めた。

 「え?」

 「嘘、ついちゃうんでしょ?」

 「あー」

 何もかもを見透かされたような気がした。でもそれは気がしただけで、ただ同じだったのだ。この子も。俺と同じってだけなのだ。

 「なんか出ちゃうよね、勝手に出ちゃうんだよね」

 喋り方がさっきと変わったような気がした。なんだか少し大人びたような、そんな気がした。

 そして、それがとても悲しい事なのだと知っている。

 「…そうだね」

 僕は今少し笑ってると思う。罪を背負って罰に溺れても、2人ぼっちも悪くないと思った。

 そして楓は僕の頭に手を伸ばして撫でていた。

 まるで、この世界の全てを知ったような顔をして。

 純白のように純粋なのに、こうやって全てを諦めてしまったような大人のような雰囲気も纏っている。

 酷く歪だった。

 なんとも小さな子には似つかわしくない表情なんだろう。

 俺は今なんて声をかけてあげたらいいんだろう。

 俺も楓の頭を撫でた。人の頭なんて撫でた事があまりないからひどく下手だろう。

 「嘘吐きでも良いんじゃないかな」

 いいよ、とは言えなかった。だって、良いかどうかなんて分からないから。

 楓は一瞬目を見開いて俺の目をジッと見ていた。

 「先生はみんなとは違うことを言うんだね。みんなはね、嘘吐いたら打ったりするんだよ、でも仕方ないんだって。私が、嘘吐きだから」

 何かの話で聞いた事がある。親が子供にたとえ小さな嘘でも吐き重ねれば子供も嘘をつく様になると。

 それでも幼い少女に行き過ぎた罰を与える権利なんか親にもなかったはずだ。子供は大人の所有物じゃない。

 嘘をついて罰を与える権利があるのは舌を抜く閻魔様ぐらいだろうに。

 「ここには君を打つ人なんていないさ。誰でも嘘くらい言う。それが少しだけ俺達は多いってだけなんだよ」

 俺は誰かの罪を罰する権利も、許す権利も持っていない。それでも楓に少しでもいいから楽に生きてほしかった。

 「でもね、時々ね、本当の自分がわかんなくなっちゃうの。時々じゃない、もうずっとかもしれない」

 楓はゆっくりゆっくりと話を進めていく。

 「ずっと嘘をついてきたからかな。本当の私はもうどこにもいないし、もしかしたら最初から居なかったのかも」

 純粋に共感した。楓の目は暗闇の虚空を見つめていた。

 僕はなんて声をかけたらいいんだろう。

 「誰でもさ、そう言うのってあると思う。でも、それを何かで補っていくんじゃないかなって思うよ」

 子供にこんな話をしたところで難しいかもしれない。でも楓は黙って聞いていた。

 「人によってはそれが恋人だったりお金だったり、宗教だったり、色々あると思うけど、僕にとってはそれは本だったな」

 「本、?」

 楓の目が僕を捕らえた。

 「そう。本。僕は書くのも読むのも好きだよ」

 ここでまた僕は少しだけ嘘をついた。

 好きなんじゃない、好きだったんだ。

 多分、楓にはこの嘘がバレてるような気がした。

 でも楓は特に何も言わなかった。

 「先生は本を書いてるの?」

 「そうだね」

 「今度読みたい」

 「楓にはまだ早いと思うけど」

 「それでも読みたい」

 楓の声に幼さが戻った気がした。とても眠そうだ。

 「眠い?」

 「少し」

 「寝なよ」

 「うん。先生も一緒に寝ようよ」

 「いいよ」

 僕はそのままベッドに入った。手を繋ぐわけでも、抱きしめるわけでもなく、ベッドを温めるように寝た。

 時々、楓が後ろから手を回してきていた。その手は震えていた。怖い夢でも見たのだろうと思いながら気づかないフリをした。


 朝目を覚まして2人で朝からチーズケーキを食べた。

 やっぱり俺はあまり味がわからなくて、美味しいって言いながら食べてる楓を見てると美味しいような気がした。

 「チーズケーキ好きなの?」

 楓は口の周りに少しだけ生地をつけた顔でこちらを見つめた。

 「チーズケーキが嫌いな子供なんているの?」

 「俺とか」

 次はギョッと目を見開いた

 「えっ、嫌いなの、? てか子供じゃなく無い?」

 「チーズケーキが嫌いっていうよりは食べ物全般好きじゃないんだ。最近あんまり、味がしなくて。それに俺はまだ未成年だよ」

 味覚はいつの間にか段々と薄れていた。

 きっと庇護されるべき楓にとっては、僕は大人に見えただろう。

 「みせーねん?」

 「そう。まだ一人では生きられないって事。でも俺は多分中途半端だよ」

 そう言うと楓は更に分からないと言う顔をした。その顔を見て思わず吹き出してしまう。

 「笑わないでよ、もう」

 「馬鹿にした笑いじゃないよ」

 楓と話していると心の奥のドロドロしたものが無くなっていく様な気がして、凪いでいくような気がした。

 「先生はどんな子供だったの?」

 それに上手く答えられる気がしなかった。

 「あんまり覚えてないけど、大人になるまでの友達との思い出は人生の財産だと思うよ」

 良いものであったとしたなら尚更。

 悪いものであったとしても、大きな気づきを与えてくれる期間だと俺は思う。

 「本で読んだ事がある、青春セイシュンって言うんでしょ?」

 楓はキラキラした目で好奇心たっぷりに聞いてきた。

 自分の青春と呼ばれる時間を思い出して、なんだか複雑な気持ちになった。でも確かにアレも青春だったと、胸を張って言える。

 「そうだね。楓にも会ったらいいなと思うよ」

 楓が僕といる限り、それは叶わないだろう。

 全く違う願いを同時に願った。欲張りだろう。でもこれならどう転んでも叶う。

 「先生にとっての青春ってなんだった?」

 無垢な瞳で問いかけられて答えるにはあまりに答えられない内容だった。

 「んー、そうだなぁ。共犯者と傍観者かな」

 それでも嘘が言えないのはきっとこの子に心を許してほしいから。

 “相手に心を開いて欲しいなら、まずは自分が心を開きなさい”

 そんな言葉を読んだことがあった。






 終わりへの歯車はこの時にはとうに動いていたのだとしたら、やっぱり仕方ないと思う。

 あの結末が分かっていても、僕は同じ行動をしたと思うから。




 次章。

 世界でたった一人の共犯者へ__。

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