02
いつものように通信局へと出勤するとセイが血相を変えてすっ飛んできた。「こっちに来て」とだけ言って俺の手を取ってぐいぐい進んでいく。たどり着いたのは通信記録を保管しておくための資料室だ。と言ってもその実態はほとんどただの物置のようなものでほとんど人が来ることはない。
「……告白って感じの雰囲気ではないな」
「とぼけないで。これ、ササハラがやったんでしょ?」
そう言ってセイが見せたのはネットニュースの記事だった。「地球侵略!? 政府上層部の陰謀に迫る」という過激な見出しの下には先日の会議でヘルマンが主張した計画の仔細が書かれている。そしてそれが事実であることの証拠として会議の様子を記録した音声データが添付されていた。
「なんで俺だと思うんだよ」
「会議から戻ってから明らかに様子がおかしかった。同期の目をごまかせると思わないで」
結局ただの勘じゃねえか、と思ったがそうである以上反論のしようもない。俺は大人しく負けを認めた。
「……そうだよ。俺がマスコミにリークした」
「じゃあここに書かれてることは……」
「事実だ。議長たちが実際に計画を実行するかどうかはわからないけどな」
別に俺は正義感からこんな行動を取ったわけではない。そもそも地球で大規模な戦争が起こっているとわかった時点で、何かしら過激な意見が出てくるのではないかという予想はできた。そのうえでヘルマンの主張は予想を上回るほど危険なものではあったが、だからこそいち早く世間に公表することにしたのだ。それは傍観は決して美徳などではないということを身をもって知ったからだ。情報を共有し、手遅れになる前に皆で考えなければならない。それで結果が変わらなかったとしても、何もしないよりははるかにマシなはずだ。
情報はあっというまにガーデン全域に広まった。敏感に異変を感じ取っていた人々は皆情報に飢えていたのである。当然政府への不信感は急速に高まり、観測所も一時的に閉鎖せざるを得ない状況にまで追い込まれた。ヘルマンには悪いがしばらくは大人しくしてもらっておいた方がいいだろう。通信局の面々は相変わらず無休で働かされ続けているが一向に地球側との連絡はとれない。やはり地球は既に壊滅的な状態にあるという見方がガーデンの人々の間でも主流になりつつある。
「私たち、これからどうなるんだろうね」
変わり映えのしないモニターを眺めながらまるで独り言のようにセイがつぶやく。俺も気の利いた返事など思いつかなかった。
「なるようにしかならないさ。滅ぶにしろ、滅ぼすにしろ、もう俺たちの意思だけでどうこうできる範疇を超えている」
俺にできたのはせいぜい当事者の範囲を拡大することだけだった。しかしそれで良かったのだと思う。今や月に住む全ての人間が当事者として地球の滅亡という危機に向き合っている。ほんの数日前には到底考えられなかったことだ。どこへ向かうことになるとしても、それは俺たちが選び自らの足で歩んだ道になる。その結果としてならどうしようもない終末も受け入れられるような気がしたのだ。
「入り口を閉めろ! 施設を封鎖するんだ! 早く!」
突如として背後から叫び声が響いた。何事かと思えば同僚のグエンがその巨体を揺らしながら息も絶え絶えという感じで走ってきている。素早く立ち上がったセイがグエンをなだめながら冷静に問いかける。
「落ち着いて。何があったの?」
「暴動だよ、暴動! すぐ横の宇宙港で
その言葉の意味を理解した時、そこにいた者全員が我々の日常が終わりを迎えたのだと悟った。
この通信局は宇宙港の管制塔の役割も兼ねている。二つの施設は隣接するように建てられており、施設内部で行き来することも可能だ。つまり宇宙港に暴徒がいるというのなら、いつこちらに飛び火してもおかしくないということだ。とりあえずデスクをかき集めて簡易なバリケードを作り通路を封鎖したが、果たしてこんなものがいつまでもつだろうか。不安と焦燥から目を背けるようにグエンが早口でまくし立てる。
「地球人どもめ、ついに血迷いやがったか。滅ぶなら自分たちだけで勝手に滅びろ! 俺たちを巻き込むんじゃねえ」
「やめなよ、グエン。通信局にだってテラリアンはいるんだから」
「そんなの構ってられるか! 何もかも結局全部あいつらのせいじゃねえか。政府の言う通りさっさと地球をぶっ壊しておけばよかったんだ」
ガーデンは創設以来常に移住者を受け入れ続けており人口におけるテラリアンの割合は一割ほど、約三十万人にもなる。それに対して月面政府は軍隊と呼べる組織を持っておらず、唯一武力を保持している警察も数千人規模の組織でしかない。もしテラリアンたちがお互いに共鳴し合い大規模な暴動がおこったとしたら、実力でこれを鎮圧するのは容易なことではない。最悪の場合、月の歴史上初めての紛争に発展する可能性だってある。もはや事態はグエンの言うような単純な図式を超越してしまっているのだ。しかしとにかく今は目の前に迫っている脅威に対処しなければならない。俺は自分のデスクに向かい端末を操作する。電力が生きているのならまだできることはあるはずだ。
「おい、何する気だよササハラ?」
「警察無線を傍受する。そうすれば外の状況がわかるかもしれない」
「ちょっと、それ犯罪よ!」
「今は緊急事態だ。いくらでも言い逃れはできる」
法を犯すという心理的な抵抗さえ無視すれば技術的にはそこまで難しい作業ではない。数分もすればそれらしき通信をキャッチすることに成功した。俺たちは固唾をのんでそのやり取りに耳を傾ける。
『——それで人質の数は?』
『正確にはわかりませんが施設の職員数十名がまだ中に取り残されていると思われます。現状での突入は危険が大きすぎます』
『だがこれは政府からの命令だ。それにこれ以上時間をかければ他の地域でも暴動が発生するかもしれない。そうなったらガーデンはお終いだ』
『しかし——』
『言いたいことはわかるがこれは決定事項だ。銃の使用も許可する。速やかに対象を制圧せよ』
静まり返った部屋の中でグエンが低いうめき声をあげる。
「……聞いたかよ。月面史上初の銃火器による殺人が見られるかもしれないんだぜ。おまけに犯人は警察で殺されるのはテラリアンときた。全くもって最悪のジョークだな」
グエンの言葉がどこか遠く聞こえる。俺は軽い目まいを感じていた。もし俺が情報をリークしなければ、ここまで急激な変化は起こらなかったかもしれない。こうなってしまえばもはやテラリアンとの対立は避けられないだろう。そうであるならヘルマンの主張は正しかった、ということになるかもしれない。
——俺は、選択を間違えたのか?
左手に何か温かいものが触れる。セイの手が俺の手に重なっていた。セイは前を見据えたままゆっくりと言葉を紡ぐ。
「全部結果論だよ。私たちは全能でも全知でもない」
「……ああ」
「本当は皆、地球のことなんかどうでもいいんだよ。ただこの場所で、いつもと同じように暮らしていきたいだけ」
「ああ」
「もうどうにもならなくなって、この世界が終わっちゃったとしてもさ。……私はササハラの側にいるから」
通路の向こうから爆発音が響き、数秒遅れて銃声がその後を追いかける。悲鳴をあげてうずくまるグエンを横目に、俺はただセイの手を握りしめていた。かつて人類の憧れだったこの星は、文明と科学の最先端だったこの希望の庭は、他でもない人の手によって脆くも崩れ去ろうとしている。滅亡の足音はすぐそこまで迫っていた。
その時通路の向こうからゆらりと人影が現れた。思わず身構えるがその人間は数歩よろめいた後そのまま床に倒れこんでしまった。するとその様子を見ていたセイがバリケードを乗り越えようとし始める。
「おい、待て。どうする気だ?」
「もしかしたらさっき言ってた人質の人かもしれない。だったら早く助けないと」
セイの目には確固たる意志が感じられた。こんな時に、と言いかけて俺は言葉を飲み込む。きっとこんな時だからこそ、セイは目の前の誰かを見捨てることができないんだろう。俺は説得を諦めそのまま一緒にバリケードを乗り越える。
倒れていたのは三十代くらいの男だった。制服ではないので宇宙港の職員ではなさそうだ。腹部を右手で押さえておりかなり出血している。まだ意識はあるようで俺たちを見ると絞り出すような声で告げた。
「母が……」
「母が、なんだ?」
「母が、まだ、地球に……」
セイが静かに息をのんだのが伝わった。恐らくこの男は人質ではなく、暴動を起こしていたテラリアンの一人だ。母がまだ地球にいる、だから助けに行かなくてはいけない。男の目はそう語っていた。
「……とにかく止血しないと」
「こいつを助けるのか? 月面史上初のテロリストだぞ」
「誰であろうと命は平等よ。失われていい命なんて一つもないの」
しかし男の傷は深く応急処置程度ではどうにもならない。傷口の形状からして銃弾が腹部を貫通したのだろう。刻一刻と血の気が失われていく男を俺たちはただ励ますことしかできなかった。
「地球、は」
「喋っちゃだめ。すぐに助けが来るから、それまで——」
「……いや、聞いてやろう。こいつはもう限界だ」
「ササハラ……!」
セイは抗議の声をあげつつも何もしなかった。もう今ここで俺たちができることはしつくしてしまったのだ。男は虚ろな目で天井を見上げながらたどたどしく言葉を吐き出す。
「まだ、終わって、ない。希望は、潰えて、いない。我らの、故郷は……母なる、星の……永遠、に……」
男の言葉は途切れ、空虚な静寂だけが後に残された。血だまりの中に浮かんだ白い照明がまるで月のように見えた。
数分後には警察がやってきて男の死体を回収してそそくさと去っていった。犠牲を出しながらも暴動は鎮圧されたようだ。血に汚れた手を見つめながらセイが小さくつぶやく。
「私たち、これからどうなるんだろうね」
そこにはもう未知に対する不安はない。目前にまで迫った絶望と破滅に対する諦観だけが滲んでいた。俺はただ彼女の手を握り返すことしかできなかった。俺たちに何ができるのか。もう答えはわからなかった。
その時、ほとんど絶叫に近い声が聞こえた。
「つ、通信です! 地球から通信がありました!」
誰も即座には反応できなかった。ゆっくりと酸素をかみしめるように言葉の意味を咀嚼する。地球からの通信があった。母なる青い星は、まだ滅んではいない。あの男の命を賭した強い想いが、宇宙を超えて地球へと届いたのだろうか。そんな感傷的なことを考えてしまった。
「なんだ? なんと言っている?」
「本当に地球からなのか? これも政府の陰謀なんじゃ……」
「いいから早く解析して!」
職員たちはモニターの前に殺到し野次を飛ばすように声を上げる。そして十三日ぶりに届いた地球からのメッセージが伝えられた。
『地球は既に死の星と化した。我々は選択を誤り一線を越えてしまった。このメッセージが届く頃には私も生きてはいないだろう。月に生きる者たちよ、争いを知らぬ無垢なる人々よ。どうか人類の叡智を途絶えさせないでくれ。希望の光を絶やさないでくれ。空に浮かぶ君たちの星が、我々に残された最後の救いなのだ。どうか我らの兄弟に祝福があらんことを』
誰も、何も言わなかった。それは死刑宣告のようでもあり、祈りの言葉のようでもあった。だがいずれにせよ、我々は託されてしまったのだ。そうである以上、終末に抗い続けなければならない。
俺たちに何ができるのか。もう一度自分に問いかけた。セイの手が俺の手を強く握る。全知でも全能でもない俺たちは、それでも未来を守るために歩み始めた。
空の彼方で 鍵崎佐吉 @gizagiza
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