6話 ねがい桜の約束

「奇跡の一本松」を取り巻く一帯は、高田松原津波復興祈念公園 として整備されていた。

「道の駅高田松原」の先に、防波堤がある。

自転車を道の駅に止めた僕は、防波堤の上、「海を望む場」にむけて走りだした。


階段を登り、防波堤の上までたどり着いたその先に、彼女は佇んでいた。


揺れる桜色のワンピース。肩まで伸びた髪は、早朝の潮風に緩くなびく。

見慣れた後ろ姿を視界に捉え、力が抜けて倒れそうになるが、ぐっと堪える。


「息吹」


少女がゆっくりと振り返る。あかく縁どられた目がまん丸に見開かれ、その唇が僕の名前を呼んだ時。


僕は彼女を、ぎゅっと強く抱きしめていた。



身体中が心臓になったみたいに、どくどくと音を立てる。久しぶりに触れた息吹は思ったよりも小さくて、柔らかかった。

何より、暖かい。さらりと垂れた黒色の髪の毛からは、微かに桜の匂いがする。 


それは全部、幻なんかじゃなく。


ああ、生きてる。その事実が、今はどうしようもなく愛おしい。


「生きててよかった」


僕の腕の中で呆然と立っていた息吹は、やがて震えた小さな声を絞り出した。


「………おこ、らないの?」


それは、昨日のことだろうか。

それとも彼女が今日、「遺書」を残して全部終わりにしようとしたことだろうか。


「誰が怒ってないっつったよ。あーやって思わせぶりな手紙残して、僕がどんだけ焦ったと思ってんだ」

「……ごめん」

「限界になる前に、頼るくらいはしてくれ……でも、昨日は僕も悪かった。過去を捨てろみたいな、ひどいこと言った。できるわけないのにな。本当にごめん」

「ううん……穂波が謝ることじゃないでしょ。いつまでも受け入れられない私が、悪いの。全部。椿は居ないのに」


すがるように、息吹がぐっと僕のTシャツの袖を握る。それに応えるように、僕も深く息を吸った。


「……椿は、いたよ。息吹だけじゃない。僕にもずっと、見えてた」


息吹が弾かれたように顔を上げる。「うそ、」そう言う顔は、また少し泣きそうで。


「嘘じゃない。たしかに、居たんだ」


それから僕は、椿について知っていることを全部話した。

椿の髪飾りのこと。

椿は僕が作り出した幻覚なんだということ。そこにこの髪飾りが、魂を宿したんだということ。

椿の髪飾りが僕に魅せてくれた景色のこと。

そして。


「椿はずっと僕らの幸せを願ってたよ」


話を聞きながら、息吹は泣いていた。その大きな目から大粒の涙を溢しながら、子供みたいに泣きじゃくっていた。


僕の腕をすり抜けて、地面に座り込む。続けて頬から落ちた涙が地面に数滴、シミを作った。


「いやだよお、つばき、私を一人にしないで……!」


この街で、空に一番近い場所。早朝の透き通った空気に、ただ一つの嗚咽が虚しく響く。

僕はただ彼女の背中をさすることしかできなかった。


僕は椿の代わりにはなれない。息吹の中での椿の存在は、あまりに大きすぎた。器用な椿の代わりを、不器用な僕が務め切れる自信など到底無い。

でも。

息吹が一人で泣くのを、僕は見たくない。

息吹にはずっと笑っていてほしい。

結局、僕がたどり着いた結論はこれだった。

自分でも呆れるほど、これ以外願ってなかったのだ。


「来年も、再来年も。また、ここに帰ってこよう」


息吹が顔を上げる。

濡れた頬が、水平線から登りきった朝日に照らされて桃色に染まった。


「夏じゃなくていい。また生きるのが辛くなった時、何度でも帰ってこよう。二人で話して、過去に思いを馳せてさ。そして、気が済むまで存分に泣くんだ。

そうやって生きていこうよ、二人で。


いつか、息吹が生きてて良かったって思えるまで」


多分、僕たちにとっての陸前高田はそういう場所なんだ。

生まれの地。

震災後、毎年夏になると帰ってきて、椿と三人で一夏の思い出を積み上げた場所。

そしてきっとこの先も、僕らはこの地に寄り道しながら続きの人生を歩んでいく。


どれだけこの街が変わっても、はたまた僕らが変わっても、それだけはきっと変わらない。


息吹の瞳が揺れる。凪いだ朝の海みたいに綺麗な黒目に、不安定な僕が映る。


おもむろに、息吹が僕の腕を掴んだ。それが何を意味するのか、考える暇も、息を止める間もなかった。


甘酸っぱい桜の香りが、鼻をくすぐる。

よせては返す波の音も、風の囁きも、今だけは息を潜めて。


「いっぱいごめんね、穂波……そして、ありがとう」


頬に一瞬だけやわらかい感触を残して、息吹は僕を離した。

固まる僕。息吹は涙でぐしゃぐしゃになった頬を緩めて、うひひっ、と笑う。

それは十二年前のあの夜、僕が探したやつよりも何倍も煌めいていて。

もっとよく目に焼きつけたいのに視界が変に歪んでよく見えない。


「これ、指切りの代わりね」


涙が溢れる。

その日、僕は久しぶりに声を上げて泣いた。



それから僕らは桜門寺に帰って、離れではなく本堂に足を踏み入れた。


「わあ……椿の髪飾りがいっぱい……!?」


息吹が駆け寄っていく。その先には大きな吊るし雛飾りが、桜の大樹のごとくそびえていた。

筒状にぎっしりと咲く桜。近づいてみれば、すべて微妙に違う柄の布で作られていた。

手首に巻き付けた、椿の髪飾りと見比べてみる。

泥が染み込んで、ところどころ破けていて。でも、たしかに似ている。


“穂波、それ、「ねがい桜」じゃないか?“


朝早くに黙って姿を消した僕らに、和寿さんはだいぶ焦ったらしい。

参道を歩いて帰ってくる僕らを見つけるなり、和寿さんは本堂から飛びだしてきた。

昨日の晩飯といい、今回の帰省は和寿さんにも沢山迷惑をかけてしまって申し訳ない。

二人そろってひたすら謝り倒した後、和寿さんは僕の腕に巻き付いた「椿の髪飾り」を見るなりそう言ったのだった。


【二度と散らない願い桜】


「えーと……桜の花を模した雛飾りのなかに、震災で亡くなった方や行方不明の方に向けてメッセージを書いて入れる……らしい。あ、18430個集まって、すでに奉納されているみたい」


息吹がスマホで調べながら教えてくれる。

18430。震災で亡くなった方と、行方不明の方を合わせた人数だってすぐにわかった。


「確かにただの髪飾りではないと思っていたけど……でも、この‘‘椿の髪飾り‘‘は巾着状になってないんだよな」

「ほんとだ。メッセージ入れられない」


二人の間に沈黙が舞い降りる。


「まあ、飾っておくか」

「そうだね」


髪をくくるときに使っていたと思われる紐はちぎれて使い物にならないので、息吹が持っていた髪ゴムで代用した。

二人並んで手を合わせたあと、僕らはほぼ同時に顔を上げた。


「ばいばい、椿」

「じゃあな、椿……またね」


踵を返す。畳の上に裸足を滑らせ、僕らは歩き出した。


またね。

そのまた、がいつかは、今の僕らにはわからない。

けれど、きっと必ず、僕はまたこの地に帰ってくる。


「幼なじみ」という特別な絆で結ばれた、息吹とともに。


本堂の外へでる。相変わらずうるさいひぐらしの合唱と、抜けるような夏の青空が、僕ら二人を照らしていた。

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ねがい桜の約束 暁 葉留 @uretan

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