ねがい桜の約束
「奇跡の一本松」を取り巻く一帯は、高田松原津波復興祈念公園 として整備されていた。
道の駅高田松原の先に、防波堤がある。
そこ続く「復興ロード」を歩いていく。
階段を登り、防波堤の上までたどり着いたその先に、彼女は佇んでいた。
揺れる桜色のワンピース。肩まで伸びた髪は、早朝の潮風に緩くなびく。見慣れた後ろ姿を視界に捉え、力が抜けて倒れそうになるが、グッと堪える。
——今、君に伝えたいことがある。
「息吹」
少女がゆっくりと振り返る。
僕は彼女を、ぎゅっと強く抱きしめていた。
★
「生きててよかった」
その言葉しかでなかった。
身体中が心臓になったみたいだった。声が、その手が、震える。腕に抱える君が本物であると身体中で確かめるみたいに、強く強く抱きしめる。
「………おこ、らないの?」
僕の腕の中で呆然と立っていた息吹は、やがて震えた小さな声を絞り出した。
それは、昨日のことだろうか。
それとも彼女が今日、「遺書」を残して全部終わりにしようとしたことだろうか。
「誰が怒ってないっつったよ。あーやって思わせぶりな手紙残して、僕がどんだけ焦ったと思ってんだ」
「……ごめん」
「限界になる前に、頼るくらいはしてくれ……でも、昨日は僕も悪かった。過去を捨てろみたいな、ひどいこと言った。できるわけないのにな。本当にごめん」
「ううん……穂波が謝ることじゃないでしょ。いつまでも受け入れられない私が、悪いの。全部。椿は居ないのに」
すがるように、息吹がぐっと僕のTシャツの袖を握る。それに応えるように、僕も深く息を吸った。
「……椿は、いたよ。息吹だけじゃない。僕にもずっと、見えてた」
息吹が弾かれたように顔を上げる。「うそ、」そう言う顔は、また少し泣きそうで。
「嘘じゃない。たしかに、居たんだ」
それから僕は、椿について知っていることを全部話した。
椿の髪飾りのこと。
椿は僕が作り出した幻覚なんだということ。そこにこの髪飾りが、魂を宿したんだということ。
椿の髪飾りが僕に魅せてくれた景色のこと。
そして。
「椿はずっと僕らの幸せを願ってたよ」
話を聞きながら、息吹は泣いていた。その大きな目から大粒の涙を溢しながら、子供みたいに泣きじゃくっていた。
僕の腕をすり抜けて、地面に座り込む。続けて頬から落ちた涙が地面に数滴、シミを作った。
「いやだよお、つばき、私を一人にしないで……!」
早朝の透き通った空気に、ただ一つの嗚咽が虚しく響く。
僕はただ彼女の背中をさすることしかできなかった。
僕は椿の代わりにはなれない。息吹の中での椿の存在は、あまりに大きすぎた。器用な椿の代わりを、不器用な僕が務め切れる自信など到底無い。
でも。
息吹が一人で泣くのを、僕は見たくない。
息吹にはずっと笑っていてほしい。
結局、僕がたどり着いた結論はこれだった。
自分でも呆れるほど、これ以外願ってなかったのだ。
「来年も、再来年も。また、この地に帰ろう。ふたりで」
顔を上げた息吹の濡れた頬が、桃色に染まる。
「夏じゃなくていい。また生きるのが辛くなった時、何度でも帰ってこよう。二人で話して、過去に思いを馳せてさ。そして、気が済むまで存分に泣くんだ。
そうやって生きていこうよ、二人で。
いつか、生きてて良かったって思えるまで」
多分、僕たちにとっての陸前高田はそういう場所なんだ。
生まれの地。
震災後、毎年夏になると帰ってきて、椿と三人で一夏の思い出を積み上げた場所。
そしてきっとこの先も、僕らはこの地に寄り道しながら続きの人生を歩んでいく。
きっと「故郷」って、そういうもんなんじゃないか。
どんなにその姿を変えても、存在だけは変わらずに、ずっと僕らを待っていてくれるんだ。
息吹の瞳が揺れる。凪いだ朝の海みたいに綺麗な黒目に、不安定な僕が映る。
すっと息吹が僕の腕を掴む。それが何を意味するのか、考える暇も、息を止める間もなかった。
ただ、息吹の吐息に混じって香ったのは、甘酸っぱい桜の匂い。
「いっぱいごめんね、穂波……そして、ありがとう」
頬に一瞬だけやわらかい感触を残して、息吹は僕を離した。
固まる僕。息吹は涙でぐしゃぐしゃになった頬を緩めて、あははっ、と笑う。
十二年前のあの夜、僕が探したやつよりそれは何倍も煌めいていて。
もっとよく目に焼きつけたいのに視界が変に歪んでよく見えない。
「これ、指切りの代わり」
涙が溢れる。
その日、久しぶりに僕は人前で泣いた。
★
それから僕らは桜門寺に帰って、離れではなく本堂に足を踏み入れた。
「わあ……椿の髪飾りがいっぱい……!?」
息吹が駆け寄っていく。その先には大きな吊るし雛飾りが、桜の大樹のごとくそびえていた。
筒状にぎっしりと咲く桜。近づいてみれば、すべて微妙に違う柄の布で作られていた。
手首に巻き付けた、椿の髪飾りと見比べてみる。
泥が染み込んで、ところどころ破けていて。でも、たしかに似ている。
“穂波、それ、「ねがい桜」じゃないか?“
朝早くに黙って姿を消した僕らに、和寿さんはだいぶ焦ったらしい。
参道を歩いて帰ってくる僕らを見つけるなり、和寿さんは本堂から飛びだしてきた。
昨日の晩飯といい、今回の帰省は和寿さんにも沢山迷惑をかけてしまって申し訳ない。
二人そろってひたすら謝り倒した後、和寿さんは僕の腕に巻き付いた「椿の髪飾り」を見るなりそう言ったのだった。
【二度と散らない願い桜】
「えーと……桜の花を模した雛飾りのなかに、震災で亡くなった方や行方不明の方に向けてメッセージを書いて入れる……らしい。あ、18430個集まって、すでに奉納されているみたい」
息吹がスマホで調べながら教えてくれる。
18430。震災で亡くなった方と、行方不明の方を合わせた人数だってすぐにわかった。
「確かにただの髪飾りではないと思っていたけど……でも、この‘‘椿の髪飾り‘‘は巾着状になってないんだよな」
「ほんとだ。メッセージ入れられない」
二人の間に沈黙が舞い降りる。
「まあ、飾っておくか」
「そうだね」
髪をくくるときに使っていたと思われる紐はちぎれて使い物にならないので、息吹が持っていた髪ゴムで代用した。
二人並んで手を合わせたあと、僕らはほぼ同時に顔を上げた。
「ばいばい、椿」
「じゃあな、椿……また、来年」
踵を返す。畳の上に裸足を滑らせ、僕らは歩き出した。
その心に、あの日の思い出を抱いて。
僕は生きていく。
君が願った幸せの中で、「幼なじみ」という特別な絆で結ばれた息吹とともに。
ねがい桜の約束 暁 葉留 @uretan
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