エッセイ的な何か

二桃壱六文線

第1話 映画『君たちはどう生きるか』の感想と考察

 こんな所に書いてあるものを初見の人が見るはずがないので、ネタバレ込みで自分の感想と考察を残しておこうと思います。


 前置きという言い訳をしておくと、米津さんの『地球儀』の歌詞に大分引っ張られていますし、某有名Youtuberのジブリ映画の考察にも影響を受けています。


 鋭い考察や感想が多いですが、僕の感想と考察としてはもっとシンプルで、この映画は少年【眞人】の夢と妄想だった、というものです。


 その一つの根拠として、作中でも頭に傷を負った後、アオサギを追いかけた庭で”母が生きている”と聞かされた事が夢だったけれど、砕けた木刀が手に取った途端に砕けてしまったりと、夢と現実がリンクしている不思議な体験を最初に描いています。

 

 眞人が最初に旅した世界は、死者の方が多い海でした。

 そこには食べるものがほとんどなく、眞人と知り合ったキリコが獲ってきた魚が貴重な食糧である程の飢えた世界でした。

 ここで思い返して欲しいのは、舞台は戦時中でまともな食糧が無く、眞人自身も女中さんと食事を取っている時に”おいしくない”と言う程、簡素な食事しか取っていません。その心理が夢の世界に反映されたと考える訳です。


 ではどうして魚はいいのか、と疑問が生まれますが、これはアオサギが魚を丸呑みするシーンが非常に詳細に描写されていることから説明できます。

 このシーンは明確に誰の視点かは分かりませんが、眞人が見たものだとすれば何もない世界なのに、魚だけは存在する。そんな世界が構築されてもおかしくありません。

 

 それにあの海はお屋敷の池から連想されたものと考えた方が自然です。

 最初に庭から池を見た時、植物で出来たアーチの向こうに暗い池と暗い森があり、かなり怖い様子でした。

 あの世界に降り立ち、最初に見た黄金の門と墓所はこの光景に似ています。


 ペリカンが、人間の素といってもいいワラワラ達を呑み込む様に食べる様子も、アオサギが魚を丸呑みした様子から連想し、魚(命)を丸呑みする鳥として登場したのではないかと考えます。

 ちなみに、ワラワラが何かということは作中では描かれていませんが、おそらく蛍ではないかと思います。あれだけ自然が美しい水場で蛍が居ない訳がありませんから。それを見た眞人のイメージが夢の世界に投影された。しかし、想像力が足りないからワラワラの造形は非常にシンプルなモノとして構成された。


 少し無理筋ですが、百歩譲っていただいたとして。ではインコはどう説明するのか。という事なのですが、これは本当にあった事なのではないかと考えます。


 作中で父親が刀を携え塔に乗り込むシーンがありましたが、そこでは塔から出たインコたちがただのインコとなり飛び去っていました。父親に大量の糞を浴びせながら。

 ここはかなりコミカルで美しいシーンで、物語の最後に眞人たちが塔から脱出した時にもインコたちが飛び立つシーンが使われました。

 この時、夏子さんは「かわいい」と言って糞まみれになっていますが、次のカットでは眞人と夏子さんとキリコには糞が付いていません。

 迎えに来た父親にだけは変わらず糞が付いていました。

 

 このことから、塔が何らかの理由で崩壊し中に巣を作っていたインコが大量に逃げ出し父親が糞まみれになった、という出来事は本当にあったことなのだと思います。


 そして更に思い返してほしいのが、キリコさんと共に海で過ごしたエピソードと、インコが登場してからのエピソードでは彩度が異なるという事についてです。


 海でのエピソードでは、世界の深淵に触れる様な意味深な展開でしたが、インコが登場する鍛冶屋からの展開は場当たり的で、即応的な展開が続きます。

 これは、海でのエピソードは夢で見たもので、インコ登場からは眞人の妄想だからだと考えられます。


 物凄い夢を見て、面白い出来事があって、その間を埋める為に少年眞人が考えた展開。

 そうであればご都合主義な展開も納得できます。

 鍛冶屋のシーンではヒミという火を操る女性が助けてくれますが、この人は眞人が会いたくて仕方なかった本当の母親の子供時代の姿でした。


 加えて、気絶した後刃物を研ぐシーンで目が覚めるのもナイフの研ぎ方を習っていたからですし、飢餓で滅多に肉が手に入らないあの世界で大腿骨と思われる大きな骨を武器に暴れまわるのも、少年の想像だからで説明が付きます。

 宮崎駿を捕まえて、少年の想像だから、なんてあまりにも身の程知らずですが、こちらは監督自身あえての描写だと思います。詳細は後述します。


 そもそも何故眞人の夢と妄想だと思ったかについてですが、眞人少年は父の計らいで学校に通う必要がなくなり暇を持て余していました。

 アオサギを捉える事に執心し、弓矢を自作するほどです。その矢もアオサギの羽を使ったことで想像以上の威力がありました。このイメージがアオサギの羽には魔力があるという形で夢の世界に反映されます。


 そして何よりも、この矢が凄い威力だと分かり机に向かったシーンが非常に重要でした。

 誤って崩してしまった本の山の中に、本映画のタイトルにもなった『君たちはどう生きるか』の本がありました。この本を読んでいる最中に、夏子さんの失踪騒ぎが起きました。

 一緒に崩した本のタイトルは分かりませんでしたが、本の山は児童文学と思しき本の山です。

 何が言いたいかというと、暇を持て余していた少年が児童文学という冒険に耽っていたということです。そしてそこから、夏子さんの失踪騒ぎという夢と妄想が始まったと考えられるのです。


 皆さんにも覚えがありませんか? 物語に没頭するあまり空想と現実が曖昧になった子供時代を。



 映画は、夏子さんを助けに来た筈なのに彼女に拒まれてしまいます。その後彼女を母と呼ぶことで和解します。ここも、現実世界で起きた事を物語として美しく補完したという事なのだと思います。


 これまで細々とした箇所を挙げて説明してきましたが、この映画の前半は、主人公が屋敷に来るまでは現実を描写。後半は主人公が体験したエピソードと妄想を物語として補完した空想を描写したものだ、というのが僕の感想と考察です。


 穴だらけでツッコミだらけかと思いますが、僕はこの映画をそう受け取りました。


 そしてここからはほとんど僕の願望ですが。

 眞人も大叔父も、宮崎駿監督自身ではないかと思います。


 大叔父の方から説明すると、この塔の主は石を積むことでこの世界の安定を図っています。そして眞人に仕事を継ぎ代わりに石を積む様にと言います。

 そして眞人はそれを断り、結果世界は崩壊し始め脱出することになります。


 何とか逃げおおせ塔の崩壊を見届けた後、眞人のポケットの中には塔(夢)の中で拾った石がありました。アオサギは塔(夢)の中での事は忘れなくてはならないと言います、その石のお陰で今は記憶も持っているが次第に忘れ去ってしまうだろうとも告げます。

 ()でも記載しましたが、塔から出ると忘れてしまう(夢から覚めると忘れてしまう)これは本当に夢そっくりです。


 眞人は大叔父に石を積むことを拒んだ際、これから苦しい時代が来るとしても友達を作るから大丈夫だと告げます。

 しかしこの冒険を終えた後、眞人に友達が出来たという描写はありませんでした。

 2年後に東京に戻った。というモノローグと共に、母の形見である児童文学を鞄に仕舞い、何かポケットに入っているものを鞄にしまおうとして再びポケットに戻し、部屋を後にするというあっさりとしたシーンで映画は終わります。


 この時、結局眞人は夢の中でしか、ヒミやキリコ、アオサギの様な友人を作れなかったのです。そして夢を覚えているのは自分ただ一人で誰とも語る事が出来ず、それでも石が手元に在るから、まるっきりの妄想だとも断じる事が出来なかった。

 自分の頭の中にしか想い出が無いから、あんなにあっさり部屋を出る事が出来たのです。

 そして、少年時代に空想で見た光景を映画という形で表現していく事になるのです。


 大叔父も宮崎駿監督自身ではないかと言いましたが、持ち帰った石と記憶を頼りに映画を作り続けた今の姿が大叔父という形を取っていたのではと思います。

 ですから、眞人が考えたとされるシーンや展開はあえてつたなく、夢の世界である部分は美しく彩度を濃く描いたのだと思います。

 またあえてジブリっぽいシーンが幾つもあったのは、これから映画を作る眞人がかつて見た光景だからだと考えられます。


 つまりこの映画は、私はこのように生きた。君たちはどう生きるのか。と問いかけているように僕は感じたのです。


 もちろんこの映画は受け取りて一人一人に違う感想を抱かせる映画ですし、これも本の断片の一つでしかないと思います。


 世界が崩壊を初め逃げ惑うシーンで、キリコが四角い岩が置かれた通路に居るのは黄泉平坂の千引の石の様に見えますし、夏子を見たアオサギが「出たー」とまるで幽霊でも見るように言うのは、そういうことなのだと思います。


 死、というものを描くという根底的なテーマはあると思うのですが、本当に受け取り手に自由に解釈できる映画だと思います。


 恐らく、1年後にこの映画を見ればまた違った感想を抱くのだと思います。

 ですが、今見た感想と考察をどうしてもしたためておきたく、筆をとった次第です。

 誰でも見られる場所に置いておくのは、この感想と考察に何かしらの反応が欲しいという下心です。

 もしこのページに辿り着き、最後まで読んでいただき、この感想と考察に何か感じる事がありましたら、何かしらの足跡を残していただけましたら幸いです。

 

 

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