棺桶の中の勇者
裏蜜ラミ
棺桶の中の勇者
小さな教会の、微笑を
雑に置かれていた棺桶から音がして、蓋が内側からゆっくりと開かれ、中から一人の男が出てきた。
「──ここは……」
男は、軽装の鎧を着けて、背に剣を差していた。
様々な事を見てきたのであろう深みのある瞳と、凛々しい口元に、悲痛そうな表情を浮かべる。
「どうやらまた、生き返ったみたいだな……」
高い窓から差し込む光を見上げ、彼は呟いた。
「何してるんですか勇者様」
そこに、少女の声が飛んできた。
男の表情が、途端に柔和なものに変わる。
「やあ、これはこれは。おはようございます」
「もうお昼ですよ。こんにちは、です。勇者様」
修道女姿の無表情な少女は、男を勇者様と呼び、しかしそれにしてはフランクな会話を繰り広げた。
「で、さっきは何してたんですか」
「いやぁ、ただの目覚めだと少し面白くないから、何かしらストーリーを演出しようかと思って」
ヘラヘラとしまりのない笑顔で話す勇者。
先程までの雰囲気は完全に霧散していた。
「だから起きてくるのが遅かったんですね。危うく棺桶を捨ててしまおうかとか思いかけてましたよ」
「ごめんシスター。それただ寝てただけ」
シスターと呼ばれた少女の意外に速い拳を、勇者は最小限の角度で首を傾けるだけで避けた。
「勇者たる僕を殴ろうだなんて、二年は早いね」
「微妙に現実味出して希望持たせないでください」
勇者様に勝つなんて、人間では無理ですよ。
シスターはそう言って、勇者の頭を撫でる。そのまま繰り出した拳の一撃は避けられてしまった。
「それっぽい雰囲気出しつつ狙うのやめてよ〜」
「チッ……二年も待ちたくないんですよ」
シスターは今度は優しく、勇者を抱き締めた。
「お疲れ様です。今、ご飯を作ってきますので」
「……ありがとう。もうお腹ぺこぺこだよ〜」
二十代前半に見える勇者と、十代後半にしか見えないシスター。その年齢差と仲の良さに、二人が実の兄妹か、恋人なのではと思う人は多かった。
それはどちらも違う。家族でも、恋人でもない。
家族でも恋人でもないが、しかし確かに二人は、互いに支え合って、日々を生き延びていた。
❇ ❇ ❇
小さな教会の、微笑を湛える女神像の前。
シスターは、棺桶の上に身体を
「……今日は遅いですね。そろそろ死ぬ頃なのに」
そう呟いてから、シスターは変な顔をした。
「……何を言ってるんでしょう、私は」
身を起こし、蓋の上に腰掛ける。
ブラブラと足を揺らし、それを見詰めるばかり。
窓から入ってくる光に目を細めては、逆を向いて影の形を見て、指で様々な動物を作り出す。
何度も、何時間も、ただ暇を潰し続ける。
棺桶に、勇者が戻るまで。
……いつもより長い待ち時間。シスターは既に、限界が近くなっていた。終いには、棺桶の上に寝転がり、時折船を漕ぎながら蓋を撫でていた。
「……暇だなぁ……早く来ないかな、勇者様……」
シスターは、勇者を蘇生させること以外の仕事も無ければ、それ以外の才能も無いのである。
故に、彼無しでは、何もできない。
「……私と勇者様は、同じだ……」
呟いて、笑みを浮かべるシスター。
「……よし」
シスターは立ち上がり、どこかへ消えた。
戻ってきた時には、水入りのコップを一杯と、硬そうなパンを一つ、それぞれ手に持っていた。
「ずっと待ちましょう。私のために」
シスターは、女神に似た微笑みで、そう言った。
「──あっ」
そして、星と月の明かりしか灯らなくなった頃。
暖かい火の光の側で、小さな声が聞こえた。
「……お帰りなさい」
❇ ❇ ❇
明るく平和な草原は、既にその姿を消していた。
若緑の海は赤に染まり、波も起こらぬ程だった。
「フッ……!」
浅く息を吐き、両腕を振り抜く青年、勇者。
「グギャァァッ……!」
その手の剣に斬り裂かれ、断末魔を放つ魔物。
醜い姿をしたそれは、二つに別れて地面に落ち、その後幾度か蠢いてから、動かなくなった。
勇者はそれを見下ろし、魔物が死んだことを確認すると、一度死体を踏み付けてからそこを離れた。
真っ赤なグローブで顔を拭い、唾を吐き捨てる。
血に濡れた髪の隙間から見える勇者の瞳の光は、見ただけで人を射殺せそうな程に鋭利だった。
「あと何体殺せる……。体力は残っている……武器の切れ味は落ちていない……薬草はまだある……」
ブツブツと呟きながら、勇者は草原を歩き回り、怨敵である魔物を探して視線を彷徨わせる。
「まあいいか……。……殺せるだけ殺そう……」
それから、勇者は魔物を見付ける度に、殺した。腕を斬り、脚を斬り、胴を斬り、頭を斬り。
しかし、ある魔物と戦っている際に、勇者は魔物の触手によって、腹部を貫かれてしまった。
「が……ぶっ!」
勇者は痛みをものともせず、口の中まで迫り上がってきた血液を、魔物の目に向かって噴き出した。
怯んだ隙に、腹に突き刺さった触手を切断して、それを抜かないままに魔物の首を断ち切る。
「あー……死ぬなこれ。今日はもう一回いけるか」
自分の血でむせながら、魔物の横に倒れる。
瞼を閉じると、勇者は静かに息を引き取った。
「……んあ」
暗い棺桶の中で、勇者は目を覚ました。
蓋を押し上げて外に出ると、シスターが棺桶の隣に置いた椅子の上で、うつらうつらとしていた。
「ん……あ、起きましたか」
「うん。おはよう。あれ、こんにちはだった?」
「お昼なのでこんにちはですね。……そういえば、時間が余ってますね。もう一回行きますか?」
シスターに言われて、勇者は少し考えた。
そして、不思議そうに勇者の返事を待つシスターの顔を眺めてから、ほんのり笑って答えた。
「いや……今日は、もういいや」
「どうしてですか?」
シスターの問いに、勇者は微笑みで返す。
「なんとなくかな〜」
「ふぅん……? まあいいです。お昼にしますか」
「その後はお喋りでもしてようか。折角の休みだ」
「そうですね。そうしましょう」
❇ ❇ ❇
「ねぇ、僕と話してて楽しい?」
「楽しいですよ。他にすることもないですし」
「そっかぁ。よかった〜」
「勇者様はどうなんですか?」
「楽しいよ、勿論ね」
笑顔と、無表情。
二人きりの時にしか見せない二人のその表情は、偽りでありながら、彼らの心に最も忠実だった。
二人が真に望むものが、その中にあった。
手に入らないと分かっていても。
この時間だけが、二人にとっての救いで。
二人にとっての、幸せの形をしているのだった。
棺桶の中の勇者 裏蜜ラミ @kyukyu99
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