【短編】初恋ランサムウェア〜恋の病に侵された雨傘紫音の受難〜

渡月鏡花

【注意!】「あなたのスマホは危険に晒されています」

 立て付けの悪いドアを開けると、いつものようにガタガタと少しだけ歪な音を立てた。


 朝イチの図書室は閑散としていた。

 窓から差し込む陽の光が空席になった長机に降り注ぎ、綺麗に整理整頓した書架にオレンジ色の光を乱反射させている。


 そんな陽の光を避けるヴァンパイアのように、長机にちょこんと座っている人物が一人いた。長机の奥側に座る女の子だ。


 手元には本を開いて、読書に勤しんでいるようだ。


 そんないつも通りの光景を横目にしていると、司書の七山さんからわざとらしい「こほん」という咳が聞こえた。


 どうせ小言の一つや二つ言うのであろうが、俺は大人しく七山さんを見た。


 パッチリとした瞳はどこか俺を責めるようにスッと細められた。


「あいかわらず!きみは早いね。開かなきゃいけないわたしの身にもなって欲しいものね」

「別にいいじゃないですか。その分、給与だって支払われるんでしょ?」

「ふん、これだから生意気なガキは嫌いなのよ」

「いや、あなただって大学卒業して数年しか経っていないのでは?そんなに俺と歳離れていないのに——」


 などといういつものくだらないやり取りをした後、俺はいつもの位置へと向かった。奥に座っている女の子に向かってその手前の対角線上に位置する席に腰を下ろす。

 

 どうやら俺の存在に気がついたのだろう。

 手元の本から顔を上げた。


 長い前髪が目元までかかっているため、本当に俺のことを見ているのかはわからない。そもそも認識していないのかもしれない。


 しかし挨拶は人としての基本であることを知っているため、軽い会釈をした。


 すると、女の子もまたちょこんと会釈を返してくれた。


 この女の子の名前は知らない。

 唯一わかることは、早朝の図書室で読書に勤しむ変わり者ということだ。


 なんせ運動部のように朝練があるわけでもないのに早朝の図書室で一人で読書をしているんだから相当の物好きだと言えるだろう。


 わざわざ登校時間よりも1時間以上も早くきて、毎日のようにちょこんといるのだ。


 その上、恥ずかしがり屋さんだ。

 これまで一度たりともその声を聞いたことがない。

 挨拶は最低限、ちょこんと首を傾げる程度。


 いつも俯いて長い前髪で目元も隠れており、少し隙間からちらっと見える顔にはどうやらメガネをかけているらしい。


 いずれにしても顔が判然としない。


 てか、この子同じ学年の色の制服なのに、校舎で一度も見かけたことがないんだよな。


 まあ、読書の邪魔をするのも悪いから何組なのかは聞かないけど。


 他の生徒たちが登校するにはまだ早い時間。

 いつものように部活の朝練に精を出す運動部たちの声が校庭から漏れ聞こえてくる。

 

 そんなかすかに聞こえる声を環境音にして、誰もいない早朝の図書室で本を読むのが好きだ。


 いつもと変わらない日常の始まりだ。

 しかしその日は違った。


 バッグパックから読みかけの本を取り出して、読書を始めるまさにその時だった。


——ピコン。


 メッセージアプリがメッセージを受信する音が聞こえた。

 バッグパックに入れていたスマホを取り出して、画面を見ると一通のメッセージが届いていた。


 差出人は——雨傘紫音あまがさしおんからだ。


 雨傘紫音。

 彼女は、この学園で知らぬ者はいないというほどに超のつく有名人だ。


 なんせ可愛いから。

 いやそれだけではない。可愛い上に人当たりもよく、それでいて家柄も良いのだという。ここまできたら完璧超人の類だろう。

 そんな有名人から朝イチにメッセージが来たのだ。


 まさか……いや、そんなことはない。

 何度か瞼を擦ってもただメッセージの受信されている状況に変化がなかった。


 どうやら連日の疲れからくる妄想ではないようだ。


 ふむ、いやしかし、朝イチで異性にメッセージを送るなんてことあるだろうか。それもただのクラスメイトにたいして、こんな7時過ぎの朝に連絡が来るなんて何事か。


 そうであれば考えられることは一つ。

 

 これはおそらく噂に聞く「おはようメール」ではなかろうか!!


 恋人同士のラブラブシチュエーションとして有名なあれだ。


 ゲームやアニメの中でしかきいたことがなかったが、ここまで感動するものとは……いい。実にいいぞ!!


 と、この時の俺は有頂天で浮かれていたのだが——


 ドキドキと心躍り、スマホの画面をタップする指も心なしか軽やかに動く。画面をスライドさせ、メッセージを開く。


 すると——タブレット端末の画面が暗転した。


 そしてすぐに、画面が変わった。


「……え?」

 

 どうやらウィルスに感染されたらしい。

 

 メールの本文を読むと——



⚫︎ご注意「あなたのスマホは危険に晒されています」


 重音紫芳かさねしほうさん、あなたのスマホをウィルスによって暗号化しました。


 紫芳さんの重要なファイル(特に!えっちな画像、えっちな動画やえっちなファイル)は、ウィルスによって暗号化しました。


 もう一生、見せません!!

 

 てか、なんで巨乳の金髪ばかりなのですか!?


 少しは黒髪でちょっとばかり胸の小さな女の子にだって魅力を感じてくださいっ!


……こほん。


 とにかく!紫芳さんのファイルを元に戻すにはいくつかの手順が必要になります。


 もしも以下の手順を踏まない場合は、ファイルと女の子の連絡先は失われますからお気をつけてくださいね。


(ちなみに、えっちな画像、えっちな動画やえっちなファイルは全て削除させてもらいますっ!その代わりに黒髪でちょっとばかり胸の小さな女の子の画像を保存しておきます!)


⚫︎【よくある質問】


 どうせ紫芳さんのことですから惑っているのでしょう。だから、仕方なく……本当に仕方なく、やれやれと言った感じで、寛容で寛大なわたしが幾つかの疑問に答えてあげますっ!


⚫︎「ファイルはどうなったの?」

 もう!何度も言わせないでください。


 紫芳さんの重要なファイル(特にえっちな画像、えっちな動画、えっちなファイルと女の子の連絡先)は、わたしのウィルスによって暗号化しました。


 正確には、お爺様に頼んで、会社の総力を上げて作ってもらったものなんですけどね。 


……こほん。


 とにかく、このウィルスは非常に強力な暗号化アルゴリズムなんですっ!アルゴリズムの解読には特別な暗号解読キーが必要です。


……え?とっととその暗号解読キーを教えてほしいですって?


 だめっ! 


 そんな簡単に教えてなんてあげません。

 最後までこの文章を読んでくださいっ!


⚫︎「どのようにしてファイルを取り戻せるの?」

 単純明快ですっ!


 そもそも今の状況について簡単に教えてあげます。紫芳さんのファイルは使用・解読不可能になっています。


 ふふ、残念でしたね。ファイルを開いても読み取ることができません。そもそも、わたし以外の女の子の連絡先なんていりませんよね?


 はあ……冗談です。

 わたしはそんなに重い想いの女の子じゃありませんから?だから連絡先だけは返してあげます。


 あ、でも、えっちなものはダメです。全て削除しますからっ!!

 

 え?そろそろこの後どうすれば良いか教えてほしいんですか?

 仕方ありませんね。本当にわがままなお人ですね。

 

 ファイルを唯一取り戻す方法は、特別な解読ソフトが必要ですっ!


 まずは、以下のウェブサイトにランディングしてください。


 次に、必要事項を入力して送信するだけです。


 ね、単純明快でしょ?


⚫︎「次にどうすれば良いの?」

 仕方ありませんので、URLを教えてあげます。

 そのURLにランディングしてください。そこで必要事項(挙式の日時とか、その前に、両親へのご挨拶が先ですかね?)を入力して、送信することで、暗号解読ソフトをダウンロードできます。


 さあ、ウェブサイトへとランディングしてください。

 

 ××××.com/amagasa.shion



 ふむふむ、これはあれだな。

 有名人である雨傘紫音の名を語ったスパムメールだったらしい。

 くっそ、俺としたことがこんな単純な詐欺に引っかかってしまうとは!!

 

 いやしかし、平凡な高校生たるもの失敗はつきもの。

 ここは切り替えが肝心だろう。


「ふむ、これは諦めるか」

「……!?」


 ガタンと対角線上に座っている女の子が椅子からずり落ちそうになっていた。


 よくわからんが、読んでいる本の内容が面白かったのだろうか。


 いや、今はそんなことに気を取られている場合ではなかった。


「よし、このスマホは捨ててしまおう」

「ち、ちょっと待ってくださいっ!」

「はい?」

「あなたはそれで良いのですかっ!?」

「……と、言いますと?」

「だから、そのスマホですよっ!使えなくなってしまったんですよね!?それをそのまま捨てていいんですかっ?」

「えっと……だって、俺、スマホ2台持ちだから」

「——っ!?」

 

 どこか呆気に取られたように息を呑む雰囲気を感じた。

 てか、この声、どこかで聞いたことがある。


 透き通るような心地の良い声の持ち主。


 この子——雨傘紫音じゃないか?


 てか絶対そうだろ!?


 あれ、でもなんでこのタイミングで声を出したんだ?

 

 いつもであれば会釈をしてお互いの時間には不干渉であったはずだ。

 それなのに今日に限って違う。


 ……ほお、なるほど。

 ここまでくれば流石に鈍感な俺でもわかってしまった。


「それで、雨傘紫音さん」

「はあ……やっと気がついてくれましたか、重音紫芳さん」


 髪をかきあげた。

 どうやらウィッグというやつをかぶっていたらしい。

 ばさっとこれまでの芋娘のような格好から本来の美貌が姿をあらわした。

 

 黒くて長い髪の奥から、ラベンダー色の地毛がこぼれ落ちた。

 どこか挑発げに、ラベンダー色の瞳を細めた。


「流石に気がつくのが遅くありませんか?」

「ああ、ごめん。雨傘さん、なんで気がつかなかったんだろう」


「ええ、そこまでご自身をお責めにならないで」

「いや、これは俺の怠慢だ。本当にすまない」


「いえ、大丈夫ですよ?だからもう謝罪は結構ですから——」


「いやいや、でも雨傘さんいじめられているんだろ?本当に気がつかなくて申し訳ない。俺がもっとはやく気がついていれば、こんな事態にはなっていなかったかもしれないのにっ!」


「……は、はい?」


「くっそ、毎日、呑気に読書に勤しんでいた今までの俺が恥ずかしい……!!」


「え、ええ?」


「毎朝ヒントを出してくれていたのにっ!!」

「……?」


「自分の姿を隠して図書室に避難していたんだろ?毎朝、図書室でこれから始まる地獄のような学園生活に備えていたとでもいうのか?とにかくささやかなひと時を過ごしていたんだろ……?それを俺は……くっそ!俺がなんとかするから任せてくれっ!いじめなんて許せるわけないっ!」


「ち、ちょっと待ってくださいっ!」


「……どうしたんだよ?もしかして主犯格を止めようとしたら、もっとひどくなることを恐れているのか?だったら世論を見方につけてから——」


「だ、だから違うんですけど……」


 どうやら頑なにいじめられていないと言いたのだろう。

 そこまで否定しなければならないとは……なんと壮絶ないじめにあっているというのか!!


 現に今だって、雨傘さんの瞳はどこかキョロキョロとして焦ったような表情をしているではないか。


 これはあれだ。

 トラウマにもなっているのかもしれない。


「そうか……あくまでもいじめはなかったと言うんだな」


「いや、そういうことじゃなく——」


「そうか!もう何も言わなくていいっ!!俺が勝手に雨傘さんの変化に気がついたっ!それだけの話なんだから!!だからあとは任せてくれ!!!いじめを黙認した担任のあのババアとクラスメイトたち全員を後悔させてやるから」


 俺の精一杯の想いが伝わったのだろう。

 歓喜に満ちた、いや暗闇に差し込む一筋の光に気がついた感動の面持ちで、プルプルと華奢な身体を震わせた。


 ……かと思っていたのだが『ガタン』と机を叩く歪な音が響いた。


「だから、違うんですってばっ!!!」 


「……?」


「わたし、別にいじめられていませんからねっ!」


「いや、でも……さっきの格好は?」


「それは……あなたと一緒にいるのが恥ずかしくて——ってなんでもないですっ!!」


「はあ」



 今回のオチというか、結論。

 どうやら俺は、雨傘紫音という女の子のことを勘違いしていたらしい。


 可愛い上に人当たりもよく、それでいて家柄も良いという完全無欠の完璧超人のたぐいだろう、と思っていた。


 しかしそれは単なる上部だけの理解だった。


「だからですね、紫芳くんが入学試験の時に助けてくれたあの時を覚えていますか?」


「いや、全然覚えていないんだけど、何かあったっけ?」


「はあ、あなたというお人は……」と雨傘さんはどこか呆れた表情でため息をついた。そしてばさっとスマホを取り出して、画面を見せてくれた。


 分厚いメガネをかけている一人の女の子のようだ。


「……あ、この子!入試の日で会った!確か電車で顔真っ青になっていた子だ」


「そうです、それがわたしなんです」


「……なるほど」


 鈍感な俺でも流石にこの先の展開はわかってしまった。


 あの時——高校入試当日。

 車内で顔を真っ青にしていたから声をかけたんだ。そして、途中の駅で降りて、落ち着くまで一緒にベンチで座って待った。


 ただそれだけのことだった。

 もちろん、最終的に試験時間開始には間に合ったのだが、結構ギリギリで滑り込んだのは今となっては良い思い出だ。


 そうか。

 あの子……雨傘さんも受かっていたのか。


 ということは、これはあの時一緒に付き添ったことに対する……そうこれは、いわばつるの恩返し的な展開か。


「いや絶対に紫芳くんわかっていないですよねっ!?」

「……え、恩返し的な展開だよな?」

「もう!全然違いますからっ!!」

「じゃあ何?」


「それは……だから、あれですよ。その……」


 なぜか歯切れが悪くなった。

 モジモジとして、そして視線もどこか行ったり来たりしている。


 そんな行動を数秒ほど繰り返してから、パッと顔を上げた。


 ラベンダー色の大きな瞳には何かを決意したような固い意志を感じる。


「え……何?」

「さっきのメール、わたしが差出人なんですっ!」

「ははは、それは面白い冗談だ。まさか雨傘さんがジョークを言うような人だったとは思わなかった」

「本当です」

「……え、まじで?」

「はい」

「なんのためにこんなことを?」

「それは、そのメールの指示にしたがってくればわかります」

「え?解除してくれないの?」

「いいから、とっととそのメールの指示に従ってくださいっ!」

「あ、はい」


 決して鬼のような形相で睨まれたからではない。

 それに身の危険を感じて悪寒が走ったわけでもない。

 そう、ただ、指示に従うのが道理であると判断しただけなのだ。


 かつて味わったことのないほどの重い想いを抱きながら全くと言っていいほど心躍らない指先で、スマホの画面をタップする。


 先ほどのURL先にランディングすると——


「わかってくれましたか?」

「あ、はい」

「それで、お返事は?」

「俺は雨傘さんが思っているような良い人ではないし——」 

「もう!そういうウジウジするの嫌いですっ!だから、言ってください。私は紫芳くんからの言葉が欲しいんです!」

「それは……これからよろしくお願いします」

「ふふ、こちらこそよろしくお願いします」



——引用——

 重音紫芳さん——あなたは、わたし——雨傘紫音の初恋を誘拐しました。


 身代金は必要ありません。


 その代わり責任をとって付き合ってくれませんか?


 Yesの場合は、もちろん暗号化を解除します。


 Noの場合は、暗号化したままです。


 ……というのは冗談です。解除します。

 でも、いやらしいデータは全て削除しますからねっ!!

——————


               (終)

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