父に会った日

音音

第1話 父に会った日

 鏡の前に立ち、服装を整え視線を自分の顔に向ける。

目の横の薄く治りかけた傷をなでながらもう一度鏡を見つめた。

 先月母のもとへ一本の電話が届いた、夜の23時ごろ不思議そうに

電話に出た母はその声を聞いたとたん顔を赤くし小さく震える。

 

 電話の相手は母の離婚相手、私の父親だった。


 まだ私が1歳にもならないうちに離婚していたので父親の

顔など覚えていない、正確には知らないといった方がよいか。

 電話は一度切っていたが、自分の部屋へ戻るよう私に静かに言った

あと、恐るおそるかけなおした。


 初めは特になにも聞こえてこなかったが、時間が経つにつれ

母の声は大きく荒げていった。なにを話しているか分からなかったが

私の鼓動がはやくなり、手に水が溜まっていく。

 ベットに潜り、スマホにイヤホンジャックを挿して目をつむった。


 翌朝の母の様子はひどいもので、それを隠そうと笑った顔がさらに

私に虚しさを与える、話しかけようにも何を話していいのか分からず

ただ静かな朝食をすませた。


 そして、初めて電話がかかってきた時から一か月ほどたった今日。

 私は父親に会うことになった。どうやら電話の内容は私と合わせてほしい

といった様な内容だったのだろう。4,5回ほどの電話のやり取りの結果、

母は私と会うことを了承したらしい。


 最後まで母は私に本当に会っていいのか何度も聞いてきた。

本当は合わせたくないのだろう、しかし私はなぜか気になってしまった、

その電話の相手を。


 鏡を見つめなおす、私の顔は母にあまり似ていない、おそらく…。


 待ち合わせ場所は駅の横の喫茶店、時間はまだ余裕があったので

さきに飲み物を注文した。緊張、不安、変な汗が出始めたので

もう一度メニューを手に取る。


「すみません、真莉さんですか」


 驚きでメニューを滑り落とす、目の前にはやや小柄なスーツ姿の

男性がいた。ただ、その姿は…。

 若干違うものもあるが、私を模ったものがある。


「はいっ」


 すこし声が裏返る、男性は失礼しますと礼儀正しく席につくと

落ち着かなそうに私を見た。


「…覚えてたりしないよね」

「…はい」


 そうだよねと笑いながらなんとかその場を明るくしようと

もがいている。なにが覚えているだ、そんなのわかるわけ無い。

 ちょうどさっき注文した飲み物を店員のひとが持ってきてなんとか

その場の空気が平常になる。


「まず、いきなり会いたいなんて言って悪かった」

「…………」


 本当にそうだろう、そのせいでここ最近は母とのやり取りすらも

不穏なものになっていた。


「実は、話したいことがある」

「待って」


 相手はすこし固まる、何を話すのかわからないがまずは聞きたいこと

があった。いや確証が欲しいのだ。


「なんで私たちを捨てたの」


 男性もこう聞かれることは覚悟していたのだろう、実は離婚した

理由はなんとなく分かっていた、しかし確証がなかった。

 だから聞きたい。


「その理由も、今から話すことに関係してるんだ」


 ある程度話す内容は決めてきているのだろう、さすがは商社マン。

もちろん皮肉で言っている。


「離婚した理由は2つあるが…1つは彼女の暴力だ」


 まぁそうだろうな、目の横の傷をさすりながら話を

聞き続ける。予想していた通り離婚の原因の大部分は母の暴力

だったらしい。詳しい内容は付き合っていた当初はそんなことは

なかったのだが、結婚してからは暴力行為が頻発していくように

なったらしい。

 この男性を見る限りかなりお人よしそうな上、

貧弱な体つきをしている。多分だが、母はそういうとこも込みで

この男性を気に入ったのだろう。


「もう1つは、私の経営していた会社が赤字続きで君たちにも

 迷惑をかけそうだったから…」


 ややこしく言っているが、簡潔に言うと借金があったのだろう。

離婚した理由のまとめは家庭では母の暴力、会社に行けば借金という

板挟みで精神面でやられてしまったのだろう。


「でも、さっきの話の続きなんだけど今はその会社も上手く

 軌道に乗って…もう生活面では大丈夫というか」


 つまり……。


「真莉、僕のとこに来ないか」

「…………」


「その目の横の傷…彼女がやったのか」


 よくこんな消えかけの傷に気づいたものだ、男性の顔を

よく見ると鼻の筋に薄くなにかの痕が残っている。


「…母はどうなるんですか」

「…申し訳ないが、一緒には過ごせない」


 なぜ母がこの人に会うのを拒んだのか分かった気がした。

この男性は文字通りのいい人なのだろう。

 私がこの人のもとへ行ってしまうのを避けたかったのか。


 一息つくと、真っ直ぐ男性を見つめた。

 あらためて見てみるとやはり似ている。


「すみません私は行けません」

「…それは彼女が一緒に行けないからか」


 席を立ち上がり、レジへと向かう。


「待って!」

「私はたとえ殴られても今まで育ててくれた母と

 二人でいます」


 さっと、財布から1000円札を引き抜きレジへ渡した。


「それじゃあ君が…」

「ありがとう…お父さん」


 お釣りを数えることもせずレシートと共に

財布に押し込み、喫茶店を後にする。


 まったく、捨てたものには捨てたものらしく扱って欲しかった。

しばらく早歩きをしてから駅のホームで後ろを振り返る、もう追っては来ていない。

 

 ちょうど最寄り駅行きの電車がきたのですぐに飛び乗る。

車内はガランとしており、天井のつり革やポスターだけが揺れる。


 ふとスマホを見るとあの男性から電話が来ていた、どうか

普通の幸せをつかんでほしい…私たちじゃなくほかの。


 揺れる車内で電話帳からお父さんの文字を消した。

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父に会った日 音音 @inunekonoheya

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