大鹿

賢者

大鹿


 こんな事を言うと、頭がおかしいと思われるだろうが、私は妖精が見える。妖精と言っても小人のような存在ではない。それは白い綿毛のような。柔らかい何かだ。実体のないそれは、小さな頃から私の周りを浮かんでいる。生まれてからずっと見続けた存在で私は白い何かがいる事が普通の事なんだろうと思っていた。しかし、それが普通ではないと言うことに気づくのもそんなに時間がかからなかった。顔の前を横切ろうとも、その白い妖精が服を引っ張ろうとも誰も気づかないのだ。私は、ある時母親にその事を聞いたことがあった。私から白い妖精について聞いた母は、少し呆然とすると、険しい顔でその事は村の誰にも教えてはダメと注意された。

 私はそれ以降、大人になるまでずっと、それは空気と同じもの、自然の一つなんだと考えて心のうちにしまいこんだ。




「お母さんー、カゴ持ってきたよー」

 

 1番下の娘が自分の体くらいあるカゴを引きずりながら持ってきた。

 

 優しく気の利く子だ。満面の笑みを浮かべながら、私を見上げてくる顔は褒めて褒めてと目でうったえていた。

 

 私はその様子を見て、愛おしさが込み上げてきて、ついぎゅっと抱きしめる。


「ありがとう、あーちゃん。カゴ持ってきてくれたんだ」

 

「うん!お母さん、今日は山菜取り行くって言ってたから」

 

 竹で作られたお手製の籠だ。籠を背負うためのひもには、肩が痛くならないように布で覆われている。大人の背を覆うくらいのサイズ感で、子供の体でここまで持ってくるのも大変だっただろう。

 

 もう一度ぎゅっと抱きしめ、頭を撫でる。

 

 そうすると娘は気持ちよさそうに目を細め、きゃっきゃっと嬉しそうに声をあげた。

 

「ありがとう、んー、あーちゃんと離れたくないけど、言ってくるね。良い子にしてるんだよ」

 

「うん、わかった。行ってらっしゃい!」

 

 昔の事を思い出して気分が落ち込んでいたが、娘の元気な姿を見て元気が出てきた。頑張るぞ!と気持ちを大きくして籠を背負う。

 

 家の簡素な扉の戸口を開ける。母の代から引き継いだ家だ。扉の溝が歪み、開けにくい。年季も入っているから開けるたびにミシリと不穏な音をたてる。毎回外れるじゃないかと思うほど力を入れて開けているのだが、これが意外と丈夫で、ただそれもあってか今だに修理せずそのまま手付かずになっていた。

 

 ぴょんぴょんと飛びながら手を振っている娘にもう一度手を振り、名残惜しそうに戸を閉めた。

 

「さて、いこうかな」

 

 籠を背負い、山の方を見上げると、ちょうど大きな風が吹き、ぶるりと体を震わせた。冬はあけて雪はもう完全に溶けきたったが、朝のこの時間帯はまだ肌寒さがある。

 

 日が上がっていけば、もう少しましにはなるだろうが、つい暖かな囲炉裏が恋しくなる。今日は山菜取りにでかけるのは、やめて戻ろうかなと一瞬魔がさすが、先ほど元気よく娘に送り出してもらった手前いささか戻るのは躊躇する。

 

 娘は優しい子だ。母が戻ってきたことに喜ぶと思うが、今日の夕飯が一品減ってしまう。私の頑張りがなくて娘がお腹いっぱい食べれないかもしれないと思うと、それはなんだか嫌だ。寒さに負けるなと、自分の頬を目一杯叩く。肌がじんじんと痛むが、気力が、頑張ろうと気持ちが力が沸いてきた。竹籠の片口を握りしめると、家の裏手である小山へむかった。


 


 私は村では山菜取り名人として呼ばれてる。それは、毎回籠いっぱいに、多種多様な山菜をとってくるからだ。食糧難の時もその能力で村の人達を救ってから一目置かれるようになった。村の人に感謝されるのは嬉しかった。でも、後ろめたい気持ちもあって中々喜ぶことができなかった。というと、私は植物の知識や、繁殖場所などそれほど詳しいわけではなかったからだ。では、なぜ毎回それほどの量の食材を手に入れることができたのか。それは私だけが見える白い妖精が教えてくれるからだ。毎回競うように、わたしの周りをぐるぐる回りながら、ここだよここだよと山菜のありかを教えてくれる。私がその妖精に連れられて山菜を摘むと、別の白い妖精がふわふわと動きながらこっちも見てと私を誘導する。すると、時間もたたずにすぐに籠いっぱいの山菜の山ができあがりだ。

 

 今日も白い妖精が教えてくれるのだろうと期待して山に入った。しかし、いつもはうるさいほど飛び回っている白い妖精は現れなかった。いや、いた。よく見ると木の影にちらちらとこちらを伺うように除き見ている。それは、行きたいけど我慢しているような、でもどこことなく何かに怯えてオドオドしているような、そんな雰囲気を醸し出している。

 

 それは何か恐れているようで、何かを待っているようで、もちろん顔などないから白い妖精がどんなことを思っているのかは正確には読み取れはしないのだけども。ただ一つ言える事は、白い妖精が今日は近寄ってこずに遠巻きに私を眺めているということだ。つまり、今日の山菜取りは時間がかかる。


 少し浅くため息をつく。まあ、こんな日もあるだろうと自分の中で納得する。幸い幾度も登山した小山は、だいたいの道を頭の中で把握できていた。白い妖精が案内がなくとも山での山菜の取れそうな場所はいくつか、しっかりと覚えている。大丈夫だろうと、自分に言い聞かせた。

 

 木々をかき分けながら、山を登る。道などない。わずかに傾斜した坂は私の体力を少しずつけずった。時折小さな木を踏みしめ、ぱきりと小さな音を鳴らす。そよ風が木々を揺らしさわさわと音を立てていた。

 耳を澄ましてみる。風に運ばれて、どこかで湧水が流れているのか、わずかばかりの水のはねる音が聞こえた。私はこの静寂が好きだった。人の声ひとつない自然の静寂だ。この静けさが心地よい。

 

 山登りもしばらくすると、体の火照りで家で出た頃の感じていた寒さは消えていた。籠をのぞく。幾分か時間がたったが、普段なら今頃籠いっぱいになっている山菜もまだ、わずかばかりのコシアブラとふきのとうを採取できたばかりだ。籠の大きさと対照的な量は、物寂しさを感じた。家族の分となるせめてもう少しの量がほしいだろう。

 

 いつもなら白い妖精が見つけてくれる山菜も、自分で探すとなると意外と大変なんだと気づく。鬱陶しく思う妖精も今日ばかりは出てきてほしいと願うが、やはり木の影でこちらを伺うばかり元気よく飛び出してくることはなかった。

 

りーん

 

 高い音がした。それは、金属と金属がぶつかるような、甲高く、耳に残る音。空気の揺らぎに乗って私の耳に届いた高い音は、心をざわめかせ気持ちがせるような妙な胸騒ぎを私に与えた。

 

りーん

 

「また、この音。……どこから?」

 

 あたりを見回す。風に揺れる木々と複雑に入り組んだ枝木。私を覆うよに伸び上がった木々は、まるでどこかに誘いこもうとしてるかのような、おどろおどろしさを感じた。いつも見慣れた山道と木々のはずだ。しかし、今は私を異界に紛れ込ませようとする何か別の生物見えた。急な心細さにぶるりと体を震わせる。

 

りーん

 

 金属がなる音。私は耳を澄ました。遠いようで、近くから聞こえる。その音に導かれるかのように私は歩みを進めた。


 すうと風が私の背中を押す。山全体が音のする方へ私を向かわせている。そんな感覚。錯覚。不思議と嫌な気持ちはしなかった。

 

 しばらく音のする方向に進むと、ガサっと木々の揺らす音がした。

 

「誰か、いるの?」

 

 鹿だ。蒼く鈍色に光る大鹿がそこにいた。体毛は針のようにするどく、硬質で扇状に広がった角は冠のように見えた。蹄から足膝にかけて銀の鱗で覆われて、蹄を鳴らすたびにりーんと甲高い音が鳴り響いた。

 

 大鹿は私を大きな瞳で見つめた。それは、何か訴えかけるようで、憂いを帯びているような、不思議な暗く大きな瞳だった。私は大鹿を見つめ返すと、大鹿はこっちに来いというように頭を傾けた。

 

 私は突然の出来事に困惑するが、先程までずっとこちらを伺っていた白い妖精たちが現れ、一緒に行こう、一緒に行こうというかのように袖を引っ張る。突然の未知の体験に私は身動きがとれなかった。ただあのこちらを懇願するような大鹿の黒い瞳が頭から離れられなかった。白い妖精に引っ張られるように私は大鹿についていくために一歩を踏み出した。それを見た、白い妖精に嬉しそう私の周りはねた。

 

 大鹿はゆっくりと進んだ。とは言っても私よりも大きな体躯をもつ鹿だ。私は少し早歩きで後を追いかける。


 時折大鹿は私がきちんとついてきているか、確認するかのように振り返る。私がひっついている妖精に手間取っているのを見ると、大鹿は蹄を鳴らし、甲高い音を鳴らした。私にまとわりついていた白い妖精はその音を聞いた瞬間、蜘蛛の子を散らすように逃げていった。


「あ、ありがとう」


 大鹿は興味なさげに妖精たちがいなくなったのを確認するとまた、歩みを進めた。

 

 大鹿についていく内にふと周りの景色が変わっているのに気づいた。おどろおどろしかった木々は、色とりどりの新緑を実らせた活気のある森林に変わっていた。数十年、この地域に住んでいるが、こんな場所見たこともなかった。青、赤、黄、緑。多種多様、多色の果実が実り。森全体を艶やかに染め上げていて、非現実的なその現象に私はつい見惚れた。


「きれい……。こんな場所あったんだ」

 

 その幻想的な景色に、非現実間にふわふわした気持ちで歩いていると、木々が開け、広場のような場所にやってきた。地面いっぱいに広がる花々は一つ一つ同じものはなく、空から溢れる光に反射して宝石のようにキラキラと輝いていた。ただその花々はその幻想的な雰囲気と対照的に、よく見ると、何か元気がないような、力なく項垂れているような気がした。


 大鹿はその花々を気にも留めず、ずんずんと前に進んだ。大鹿が一歩、一歩踏み締めるたびに、その花々はまるで意識があるように、蔦を伸ばして鹿の蹄を避けていく。私は花々を踏まないよう、大鹿の進んだ足跡をなぞるように歩いた。広場の中心にそびえ立っていた大きな大樹の前で歩みをとめる。天をつらぬくような大きな大きな大樹は傘のように枝木を空全体に覆うように広げている。煌めく葉の一枚一枚が虹色の光沢を帯びた羽のようだ。それは一つの生き物のようで、力強い生命力を感じた。

 

 あまりに神々しさに、私はぼんやりとその大樹を眺めていると、何か違和感をだいた。確かに凄まじい存在感と生命力だ。しかし地面に咲き誇っている花々と同様、どことな元気がないような、何か異物のような違和感を感じる。その答えは私はすぐにわかることができた。

 

 大鹿のたっている大樹のすぐ近く。そこは大きな斧が根本深く刺さっていた。その斧が刺さっている部位から銀のような被膜作り出し、その銀は痛々しほどに大樹を蝕んでいた。

 

 大鹿は私を見つめる。この斧を抜けということなのだろうか?私はそう大鹿に見つめ返すと、そうだといわんばかりに蹄を鳴らす。

 

 私は斧に近づくことにした。この大きな大樹を傷つけることができるほどの代物だ。それは村で見かけたどの薪割り用の斧よりも、一回りも二回りも大きく、刃がするどく尖っていた。


 誰がこんなことをしたのだろうか。幹の奥まで食い込んだ刃を見て悲しくなる。まず試しに斧ととってを掴んでみることにした。ぎゅっと力をこめて引っ張ってみるがびくともしなかった。女一人のか細い手だ。試す前から分かってはいたが、実際にやってみるとびくともしていない斧に一つため息をはく。私は何か言いたげにこちらを見つめる瞳に振り返った。

 

「試してみたけど、私では無理だわ。村に戻って男達に頼めば抜いてもらえるとおもうけど……」

 

 私がそう言うと、大鹿はぶるりと鼻をならして、顔を左右にふった。

 

 まるであなたでは、ないとダメだ。今抜いてほしいと言っているかのよう。

 

「どうしよう……」

 

 あたりを見回す。平場には、あたり一面花が咲き誇っているだけで、何もない。

 どうしようか、考えているとチラッと視界の端で動くものを見かけた。よく見ると白い妖精たちが花の影に潜みながらこちらをのぞいて見てるのがわかった。私は妙案を思いついたかのように、腰をかがめて白い妖精に近づく。私が近づくと白い妖精は少し嬉しそうに体を震わせながら、恐る恐る、花弁から覗かせた。

 

「妖精さん。ごめんね。ちょっと手伝ってほしいの」

 

そう私が言うと不思議そうな顔をしてふわふわ浮いている。

 

「この縄を今から斧に引っ掛けて引っ張るから、妖精さんも一緒に手伝って」

 

 山菜取り時に一緒に持っていった鍵爪がついた縄を取り出す。白い妖精は意味を理解しているのか、していないのか分かったかのように跳ねた。

 

 ザっ。大鹿が私の方に近づいてきた。すると、それを見た白い妖精は驚いたかのように飛び跳ね、一目散に隠れてしまった。どうやら白い妖精は大鹿のことが怖いらしい。

 

「大鹿さん。この子達に手伝ってもらおうと思うの。私一人では、あの斧を抜くのは無理だわ」

 

 私がそう言うと、大鹿は私のことを見つめ、その後、花弁の後ろに隠れている白い妖精たちを見た。

 

「きっと大丈夫。この子達なら」

 

 大鹿は少し悩むような仕草もしたが、頭をひとつ下げると私たちから少し遠ざかった。

 

「ありがとう!……大鹿さんの許可がとれたよ。出てきて妖精たち」

 

 私がそう言うと、こちらを覗かせていた白い妖精たちがわっと出てきた。私のまわりを元気よく飛び跳ねる。裾を掴んだり、袖を掴む。白い鱗粉を飛ばし、私はあっという間に白い妖精たちに揉みくちゃにされた。白い妖精のあまりの多さに私はどうしようか頭をぐるぐるさせていると、ひときわ大きな白い妖精が出てきて私の周りをぐるっとまわると、白い妖精たちはその動くに合わせるかのように私から離れた。

 

「その、ヒモ。ひっぱる?」

 

 大きな白い妖精は、少しただたどしい言葉に私に話しかけてくる。その声は涼やかな声で、綺麗な声だった。

 

「あなた、喋れるの!」

 

「すこし、なら」

 

「お願い。今から私があの斧にこのヒモをひっかけるから、白い子達に引っ張って貰うよう言って」

 

 私がそう言うとわかった。と言うかのように大きく体を震わせた。大きな白い妖精は飛び上がると、弧をえがくように飛び、耳には残らない不思議な音のようなものを鳴らした。


 すると、先ほどととは比ではないほどの数の白い妖精達がわらわらと森、空、花あらゆるところが出てきた。白く光るそれは幻想的で、一瞬見惚れてしまうが本来の私の仕事を思い出して、斧の方へ近づく。自分の腕以上に大きな斧の取手に紐をくくりつけると、大きな白い妖精に向けて合図を送った。

 

「くくりつけたわ!引っ張って!」

 

 私がそう言うと、大きな白い妖精がまたあの耳に残らない音を鳴らした。すると広場に咲いている花々の地面から蔦が伸びてくる。いくつも折り重なったそれは、私がくくりつけた紐に絡まると大きな太い大縄ができた。白い妖精たちはその大縄に引っ付いた。

 

 それを見て私は、あまりの光景に少し驚くが、すぐに斧の方に振り返った。正直もう今日は驚きの連続だ。今日はもう何が起きても驚かない。斧を抜いて、娘のいる村に帰るそれだけだ。

 

 私はぐっと斧の取っ手を持つと力をこめた。

 

「せーの!」

 

 白い妖精達が私の声に合わせて思いっきり引っ張る。私がひっぱた時と違って明らかに違う、大きな力が斧にたいして加わったのを感じた。ずっ。と、わずかに斧の刃が木から動いたのを手から全身に感じる。

 

「動いているよ!みんな頑張って!」

 

 力をこめる。白い妖精達も必死に蔦にしがみついて、ひっぱていた。羽を賢明に震わせ、みんなで大縄を引っ張る。


 ミシリ、ミシリと蔦から大縄から紐からきしむ音がなった。力全体が、蔦から大縄から紐から斧に伝わった。斧がわずかに動くたびに大樹からきしむ音が聞こえる。それは、抜ける喜びか、はたまた痛がっているのかもしれない。

 

「だい、じょうぶ。もう少しで、抜けるから!我慢して!」

 

 私が大樹に手のひらに当てて、そう叫ぶと、まるで答えるかのように虹色の葉っぱをざわっと震わせた。

 

 りーん

 

 大鹿が蹄を鳴らし、私に近づいてきた。

 

「あなたも手伝ってくれるの?」

 

 当たり前だ、と言わんばかりにこちらを見つめ。その大きな角を蔦に絡ませて、私たちと同じように引っ張っる。

 

 先程とは違う力を感じる。大きなきしむ音、妖精達の羽ばたき、大鹿の唸る声。みんな必死になって斧を抜くために力をこめた。

 

「いっけええええ!」

 

 大きなきしむ音。浮遊感。突然、圧力がなくなり、斧が大樹から抜けたのがわかった。私は勢いよく地面に転がった。


 大樹が強く発光する。銀で汚染されていた部位はみるみる新しい樹木に覆われ、活力のある幹に戻っていく、広場の花々が活き活きと顔をあげる。大きな風が吹いた。葉っぱどうしがぶつかり合い、音をたてる。それは森全体が喜んでいるかのように感じた。視界の端で白い妖精達が嬉しそうに飛び跳ねているのが見えた。私は安心感と脱力感でドッと疲労感が襲ってきた。朝から山登りをしていたのだ。そして、この大仕事。手は赤く腫れ、全身で倦怠感を感じる。でも、不思議となんだか気持ちよさがあった。安心したからか、睡魔が襲ってくる。私は地面にそのままそっと体を倒した。ひんやり冷えて気持ちがいい。だんだんと瞼が落ちていく。視界がボヤけていくなか、最後に見たのは少し角が曲がった、大鹿が感謝するかのようにこちらを見る瞳と、私の周りを飛び回る白い妖精、力強く大きく発光する大樹の姿だった。


 


「……ん。……さん」

 

 誰かが呼ぶ声が聞こえる。

 

「……お母さん!」

 

 私はぼんやりとする意識の中、目を開けた。そこには顔をくしゃくしゃにして、私を揺する娘がこちらを見ていた。

 

「あ、あーちゃんどうしたの?」


 私がそう呟くと、目を見開いて、抱きついてきた。

 

「お母さんが、なかなか帰ってこなくて。……だから、我慢できなくて。森まできたら、お母さん。倒れてたの……」


 我慢できなくなったのか、娘は私の胸元に顔をうずめ大きく泣いた。頭をそっと撫でる。


「ごめんね。疲れちゃって」


「ずっと帰ってこなくて、みんな、心配してたよ……」


「ずっと?お母さんどれっくらいいなかったの?」


「三日間帰ってこなかった。お父さん達、お母さん探しても見つからないから」


「……ごめんね。あーちゃん」

 

「う、うん。大丈夫。お母さんが心配だったから」

 

 涙目でそう呟く娘を見て、抱きしめた。私はあたりを見渡す。そこはあの花々が広がる大きな広場ではなく、いつも見慣れた家から近い小山の入り口だった。

 

「お家、戻ろっか……」


「うん!」

 

 私がそう言って大丈夫だともう一度娘の頭を撫で、立ち上がった。娘はまだ不安なのか心配そうにこちらを見上げて、もう全体に離さないと言うかのように、いなくならないように、ぎゅっと抱きついてくる。


 実際に不思議と体は元気だった。あれだけ気だるかった、体も今は活力が戻っている。あまりの元気さにあの一連の出来事は、まるで夢だったかのようにも感じた。手のひらを見つめた。そこには斧を引っ張た時できた腫れは綺麗になくなっていた。あれは、なんだっただろうか?夢でも見たのだろうかと思った。


「わあ、お母さん、綺麗」

 

 娘が指差す方向を振り返って見た。そちらを見ると大きな鹿が立っていた。あの特徴的な蹄の音を鳴らして私と娘に近づいてくる。


 大鹿は私をいちべつすると、娘に近づき口に咥えた虹色に光る葉っぱを娘の手のひらにぽとりと落とした。

 

「鹿さん。これくれるの?」

 

 娘がそう聞くと、そうだと言わんばかりに喉を鳴らし、私の方を瞳を向けると蹄を鳴らした。


 りーん


 すると籠いっぱいに入った山菜が現れ、私に頭を大きく頭を下げると大鹿は森に戻っていった。

 

「お母さん、これもらっちゃた」

 

娘が嬉しそうに虹色の葉っぱを私を見せる。

 

「よかったね。あとで紐を通して首飾りにしたあげる」

 

「うん!」

 

 娘は元気よく、頷いた。

 



 家に戻ると村中で大騒ぎになった。三日間行方不明になっていた人物がふらっと戻ってきたのだ。それは大騒ぎにもなる。ただ時間がたつに連れてそのことも忘れられ普段の日常に戻った。

 


 あんな事があった後もそれから私は何度か、小山に出かけた。あの場所に行く事も、あの不思議な体験をすることは、なかった。虹色の首飾りは今でも娘の胸元に輝いている。

 



 

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

大鹿 賢者 @kennja

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ