ヴァンパイア・メイドカフェへようこそ!

坂本裕太

ヴァンパイア・メイドカフェへようこそ!

 日本のとある町中の一角に立つ喫茶店、ヴァンパイア・メイドカフェ。

 本日が開店初日であり、店の扉の前には開店一番目の客となる女性が立っていた。

 緊張で微かに震える女性の手には、前日に店から届いた招待状の手紙が握られている。茶色の洋封筒に封蝋、中身の手紙には羽根ペンと没食子インクを使って、オーストリアドイツ語の上品な言葉運びで女性の訪問を心待ちにしている事が綴られていた。

 この喫茶店は所謂コンセプトカフェであり、その手紙も営業の一環であった。

 とある洋館に住む女吸血鬼が以前から気になっていた人間の女性へ招待状を出し、それに誘われてやって来た訪問客をもてなすという、一風変わっていながらも攻めたコンセプトに、巷では営業開始の三ヶ月前から早くも有名になっていた喫茶店である。

 とはいえ、誰でも好きな時に来店できる訳ではない。

 完全予約制な上に男子禁制であり、一日の内に予約を取れる人数は数人程度、さらに一人あたりの対応内容や時間も事前に細かく設定する必要がある。また、吸血鬼が苦手とする十字架やにんにく類の持ち込みも禁止と、コンセプトに則った徹底したルールもあった。

 そんな世間の注目を集めるヴァンパイア・メイドカフェの記念すべき一番目の客になれたという事実に、その女性は光栄であるような不安であるような気分を抱いていたのである。

 もうそろそろ予約時間の五分前を切る頃であり、この場で足踏みをしている内に予約時間を過ぎてはいけないと、意を決した女性は店の扉を押し開けた。

 それと同時に、扉の上部に付いていたベルが訪問客の存在を店内へと知らせる。

 外の現代的な風景とは一変して、日本人のイメージする中世ヨーロッパの洋館へと足を踏み入れてしまったかのような室内に女性が驚いていると、奥から二つの人影が現れた。

「あら、もしかしてアリスなの?」

 そう声を上げたのはこの館の主エリーザベトであった。

 現代風なゴシック調と中世風なロココ調を織り交ぜ、フリルとレースを適度にあしらった気品あるドレスに身を包んでいる。祖国がオーストリアである彼女は混じり気のない金髪と紅色の瞳を輝かせ、女性客にしっとりとした眼差しを向けていた。

「ああ、嬉しいわ、やっと来てくれたのね? 昨日、貴女にお誘いの手紙を出した時から、私は貴女の事が待ち切れなかったわ。外が暗くなると窓辺に寄ってお月様を眺め、いつもなら憎らしいはずの太陽が恋しく思えるほど、ずっと貴女の事ばかりを考えていてよ?」

 エリーザベトは流暢な日本語を喋っていたが、女性はその場の雰囲気と彼女の美貌にすっかり魅了されて、あたかも自分が外国語を理解しているような感覚に陥っていた。

 彼女の美しい声が自分へ向けられている事に、思わず切ない溜め息を零してしまいそうになった女性はそれを誤魔化すために、何か言葉を発しておこうとする。

「あ、あの、私は……」

 そこへエリーザベトは床を滑っているように見える優雅な足取りで近付いてきた。

「待って、アリス、貴女の声は少しも漏らさずに聞きたいの。貴女が淀みなくお喋りをできるように、上質な紅茶を用意するわ。さあ、私のお部屋に行きましょう?」

 エリーザベトがそう甘く囁き、女性の手を引く。

 その手を解く理由も浮かばない女性は彼女に身を委ねて、ただ足の向く方へと歩いた。

「マリー、アリスのためにあの紅茶を淹れてきて頂戴。一秒遅れても、一秒早くてもいけないわ、完璧な香りと温度になるように持って来るのよ、いい?」

「はっ、かしこまりました」

 そう指示を受けたのは彼女の側に控えていた従者マリアであった。

 主人と同じくオーストリア出身の彼女は使用人が着用するクラシカルな仕事着、いわゆるメイド服を違和感なく着こなし、恵まれた銀髪と蒼色の瞳を兼ね備えていた。そのメイド服の袖の長さは手首まできっちりとあり、スカート丈もくるぶしまでしっかりと隠している。

 マリアの去り際の所作やエリーザベトの歩く時の姿勢など、二人の身のこなしには元々上流階級であった頃の癖が色濃く表れており、女性の視線を何度も奪っていた。

 女性はその二人の素性をまったく知らないものの、それらの言動から滲み出る優れた品格から少なくとも格式高い家の生まれなのであろうと思った。

 エリーザベトの部屋に通された女性は彼女の促すままにテーブルの席へ就き、もう一方の対面側席にはエリーザベトが腰を下ろす。エリーザベトがあまりにも熱っぽい視線を向けてくるため、女性は恥じらいを堪え切れなくなって次第に頬を赤らめて伏し目がちになり、ここがコンセプトカフェである事をつい忘れてしまいそうになっていた。

「ねえ、アリス、私は本当に嬉しいわ」

 エリーザベトは絵画に描かれる貴族よろしく軽い頬杖を突く。

 先程から彼女は女性の事を「アリス」と呼んでいるが、これは女性側が事前に指定した店内での呼び名である。コンセプトの雰囲気を壊さないための工夫であって、女性自身はちゃんとした日本語の名前を持つ、混じり気のない日本人である。

 女性が顔を上げると、エリーザベトの緋色月のような瞳と目が合った。

「だって、アリスが私の手紙に応えて、私に会いに来てくれたのだもの。ほら、知っているでしょう? 私は吸血鬼だから外の人間には怖がられていて、話し相手もいなくて、そんな中で貴女だけが唯一、何の差別もなく私と接してくれる。こうして同じ空間で貴女とお喋りをして一日を過ごす事ができるなんて、本当に今日は良い一日だわ」

 その言葉を聞いて、女性は自分の顔がより赤くなっていくのを感じた。

 彼女の発する言葉一つ一つには繊細な感情が散りばめられており、時に湿っぽくも時に愛らしくも聞こえ、女性は意識していなければ彼女の感情を本気にしてしまいそうであった。

 する内に、紅茶と洋菓子を持ったマリアが部屋に入ってきて、それらの載った食器類を女性の前へと並べていく。洋菓子の甘い匂いと紅茶の高貴な香りを嗅いだ女性はエリーザベトからの熱っぽい視線と場の雰囲気も相まって、浮かれるような高揚感を覚えた。

「さあ、アリス、貴女のお話を聞かせて頂戴? 私、どんな話にも耳と心を傾けるわ」

 女性がこのヴァンパイア・メイドカフェを訪れた目的は生活や仕事上でのストレスを発散するためであった。最近あった事、特に人間関係での辛い事や悲しい事を打ち明けていく。

 エリーザベトは決してつまらなそうな反応をせず、ほとんど親身なほどに女性の話を受け止めて、彼女の心情に理解を示した。女性が落ち込み過ぎている時には前向きな話題を振って気分を変えるように仕向け、また女性が共感を求めている時には自分の体験談を交えながら一心に彼女の立場を肯定した。

 聞き手となったエリーザベトの相槌や間の取り方は心地良く感じられ、次第に気分を良くしていった女性は自分の話題から彼女の話題へと切り替えていく。

 この店のコンセプトを壊さない範囲でエリーザベトに関する質問をして、彼女の事を知ろうとした。話の聞き方が上手く整った顔立ちをしているエリーザベトに、女性は同性としての魅力を感じていたのである。加えて、元から創作物における女吸血鬼という存在が好きであった事もあって、エリーザベトがどこまで吸血鬼として振る舞うのかにも純粋な興味もあった。

 エリーザベトの受け答えはとても自然であり、女性を納得させるものであった。

 女性は彼女と接する時間を積み重ねるにつれて、今までに感じた事のない多幸感と満足感を覚える。従者マリアの奉仕も手際良く、もしかするとここは本当に中世ヨーロッパの貴族の館なのではないかと女性が思うほど質の高いものであり、主人であるエリーザベトとのやり取りについても少しの違和感も抱かせる事はなかった。

 こんな楽しい一時がいつまでも続けばいいのに、そう女性が思った時、どこからともなく教会の鐘の音を思わせる音がほんのりと室内に入り込んでくる。

 それを聞いた女性はふと眠りから醒めたような気持ちになった。

 その鐘の音は女性が設定していた対応時間の終了を告げるものである。これもコンセプトの雰囲気を壊さないための配慮であり、この音を聞いた訪問客側が「もうそろそろ帰らなければいけない」という旨の発言をして館を後にする、という流れになっていた。

 女性は名残惜しさを感じながらも、ゆっくりと席を立つ。

「ごめんなさい、私、もう帰らないと」

 それを聞いたエリーザベトは途端に寂しそうな表情をする。

「えっ、もう帰ってしまうの? ……でも、そうね、人間には人間の生活があるものね。吸血鬼である私みたいに、なにものにも縛られないで生きる事はできないものね?」

 従者マリアがエリーザベトの椅子を引いて、彼女も立ち上がる。

「外の光は苦手だから玄関までは行けないけれど、せめて途中まではお見送りするわ」

 そう言いながら女性の側まで歩み寄ったその時、不意に彼女は立ちくらみに襲われたような仕草をして女性の肩に寄り掛かる。驚いた女性は彼女の体を支えた。

「どうしたの? 大丈夫?」

「ええ、ちょっと目眩がしたの。慣れない日中に活動したせいかしら?」

 エリーザベトはほのかに息を切らしながら上目遣いで女性を見る。

「ねえ、アリスの血を分けてもらえないかしら? 嫌なら無理にとは言わないわ。でも、アリスの血なら、ほんの少し貰えるだけでもきっと楽になれると思うから」

 女性はこれも事前に設定した対応の一つだと理解する。

 訪問客は予め『吸血行為を受けても良いかどうか』を設定しなければならない。吸血行為を受けても良いと設定した場合、それを求められるタイミングに加えて、吸血される部位――首か腕か――、痛みの強弱や噛み跡の有無なども細かく決める必要がある。

 その事を思い出した女性はやや身構えつつも、「ええ、いいわよ」と答えた。

「ありがとう、アリス。すぐに済むから、あんまり怖がらないでね?」

 エリーザベトは女性の胸元にぴったりと体をくっつけて、その首筋に牙をあてがう。

 その瞬間、女性は犬や猫からされるような甘噛に近い感覚を首筋に覚えた。予め設定していた通りの噛む強さであり、はっきりと噛み跡が残りそうな痛みはなかった。

「ありがとう、もう終わったわ」

 女性の首筋から離れた彼女は女吸血鬼らしい恍惚とした表情を浮かべる。

「アリスの血は上質な香りがするのね、もしかしてさっき御馳走した紅茶のせいかしら?」

 女性は胸の高鳴りを感じて、無意識にエリーザベトに噛まれた首筋を擦る。

「アリス、きっと、またいらしてね? きっとよ?」

 その後、エリーザベトに見送られながら部屋を出て、そこからは従者マリアに玄関まで付き添われつつ店を後にしたのであった。

 女性の退店を見届けたマリアはエリーザベトの待つ部屋へと戻り、彼女に話し掛ける。

「お疲れ様で御座います。開店初日、記念すべき一人目のお客様はお気に召されましたか?」

「うむ、我は大変気に入ったぞ!」

 エリーザベトは紅色の瞳を輝かせ、興奮気味にそう答えた。

「これでこそ、わざわざ日本に渡ってきて、メイドカフェとやらを開業した甲斐があるというものだ。先程の娘は中々我の好みであった。血色の良い肌、薄き胸、そして美しい黒髪、我が偉大なる祖国オーストリアには我の好みである純粋たる黒髪を持つ者は少ないからな。それに血の香りも純潔そのもの! あの娘には是非ともまた来店して欲しいぞ!」

「はっ、あのご様子で御座いますと、きっとまたお嬢様に会いに来られるものと存じます。お嬢様の優れたご容姿に見惚れない女性などこの世に存在致しません」

「うむ、当然であるな」

 エリーザベトは力強く頷いた後、はたとある事に気づく。

「そういえば、開店初日だというに、我の本命が来ておらぬぞ?」

「本命と仰るのは、先日の面接でメイド役として雇ったあの人間の事でしょうか?」

「そうだ、名は覚えておるぞ。来見らら(くるみらら)という娘だ、何故来ておらぬのだ?」

「遅刻で御座います。先程のお客様の紅茶を用意していた際に、本人から『寝坊した』との連絡を受けました。あれから随分と時間が経ちました故、そろそろ来る頃かと存じます。彼女はまだ新人で御座います、何卒ご容赦のほどお願い申し上げます」

 マリアがそう頭を下げると、エリーザベトは笑みを浮かべた。

「我は咎めぬぞ? これで寝坊だと言うのであれば、我など常日頃から寝坊しているようなものだ。むしろ、偶然とはいえ、我との共通点があって嬉しいくらいだ」

 二人が話し込んでいる時、店内に来訪者を知らせる玄関ベルの音が鳴り響いた。

「マリーよ、もう次の客が来たぞ? 少し早いのではないか?」

「はい、次にご予約のお客様が来店される時間にはまだ早う御座います。あのベルの音の忙しなさから察しますに、恐らく遅刻したあの人間がこちらに到着したものかと」

 マリアの推測を証明するように、エリーザベトの部屋の扉が勢いよく開け放たれる。

「すみません! 初勤務の日そうそうに遅刻するなんて、本当にすみません!」

 エリーザベトとマリアを前に、来見ららはひたすら頭を下げ続けた。

 そんな彼女に歩み寄ったエリーザベトはそれを止めるように手で制す。

「よい、気にするでない。この国には『可愛いは正義』という言葉があるではないか。まさしく我の主義を象徴する言葉であるぞ? それよりも我はそなたを改めて歓迎しよう!」

 頭を上げた彼女に向かって、エリーザベトは右手を差し伸べる。

「来見ららよ、我が館、ヴァンパイア・メイドカフェへようこそ!」

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