裏山の小屋について

志村タカサキ

裏山の小屋について


 体育館の床をバスケットシューズが蹴る音が響く。

「知ってる? この学校の怪談」

「知ってる知ってる。裏山の噂ね」

 後輩達がパスを投げ合う姿を眺めながら、二人が話す。

「山姥が住んでるって聞いたよ。包丁を持って追いかけてくるって」

「違うよ。慰霊碑が建ってるんだよ」

 ポニーテールを結び直しながら、私は二人の会話に割って入った。

「またくだらない話して。裏山って、どうせあの小屋に関することでしょ?」


 ──校舎の南に、裏山がある。

 学校の敷地の外側を囲うように広がっている。鬱蒼と生い茂った木々の間を縫うように、舗装された遊歩道が通っている。山というよりも森だ。

 遊歩道を中腹まで登った辺りで視線を横にやると、日中でも陽が差さない薄暗い森の中に、今にも崩れそうな掘っ立て小屋が建っている。

 その外観は昔話に出てくるような古い家屋のイメージが一番近い。山姥が住んでいるという噂が立つのも納得できる。

 なぜ敷地内の森の中にあんな小屋が建っているのか、想像もつかない。

 学校の怪談や七不思議の類をあまり聞かないわが校での、唯一の不思議。


 それから私は、誰かと話すたびに〈小屋の噂〉を少しずつ集めた。

 以下はその噂からいくつか抜粋したものだ。



【証言その一 二年二組 宇都宮(ハンドボール部)】

 既に本校を卒業した兄から、あの小屋には山姥が住んでいると聞いた。ふざけて中を確認した生徒が、包丁を持った老婆に追いかけられたらしい。


【証言その二 一年三組 大竹(バレー部)】

 用務員の男性が用具入れ兼居住スペースとして使っていると聞いた。近づくと「仕事の邪魔をするな」と怒鳴られるらしい。


【証言その三 三年四組 清水(吹奏楽部)】

 深夜、裏山に行くと、いじめを苦に自殺した生徒の霊が現れるらしい。夜な夜な遊歩道を徘徊しながら、当時いじめていた加害生徒を探している。


【証言その四 二年四組 松原(陸上部)】

 小屋の事は分からないが、遊歩道を全速力で走る陸上部の幽霊が現れると聞いた。


【証言その五 三年三組 中村(パソコン部)】

 小屋の中には小さな慰霊碑があり、この学校で自殺した生徒を供養している。うかつに触ると死んだ生徒の霊が現れ、祟りに遭う。



 噂は大きく分けて「小屋に誰かいる」派と、「自殺した生徒が出る」派に分かれている。

 特に気になったのが、「小屋に誰かいる」派の大半は運動部であり、「自殺した生徒が出る」派の大半は文化部だった事だ。

 運動部は先輩や兄姉から噂を受け継いだ子が多くて、文化部は同学年の中で噂が伝播しているようだった。

 私はこの噂に、学校で過去に起こったが関わっているのではないかと睨んで、実際に小屋を訪れてみることにした。


   ◆


 日没までまだ時間はあるけど、既に裏山は薄暗く、カラスが不気味に鳴いている。

 最終下校のメロディを遠くで聞きながら、裏山の遊歩道に立っていた。

 眼前にはあの小屋が私を待ち構えている。

 バキバキと枯れ枝と腐葉土を踏みつけながら、森の奥へ進んでいく。

 ジャージを着たままで良かった。スカートのまま入っていたら、足が傷だらけになっていた。

 ようやく小屋の前に辿り着いた頃には、全身に植物の種子や花粉がまとわりついていた。

「最悪」

 と呟きながら袖を払っていると、小屋の中から物音が聞こえたような気がした。


 誰かいる。


 足元に手頃な太い枝が落ちている事に気がついて、私は音を立てないようにゆっくりとそれを拾い上げた。両手でしっかりと握り込み、更に小屋へ近づく。

 外壁の木板はところどころカビが生えていて、少し触っただけで全て崩れてしまいそうなくらい劣化している。

 入り口らしき扉は見当たらない。壁の隙間の穴から恐る恐る中を除いてみるが、暗闇が広がっていて、何も見えない。

 隙間から顔を少し離すと、違和感に気が付く。

 隙間の穴が、長い睫毛を動かして瞬きをした。


「うわあああっっ!!」


 気付いた瞬間、私は飛ぶように小屋から離れた。

 私が隙間越しに見ていたのは、暗闇じゃない。

 誰かのだ。

 私が震えていると、は隙間の前から立ち去った。

 ギギ、と戸を開く音が聞こえた。どうやら反対側に扉があるらしい。

 ガサガサガサ、と枝葉をかき分ける音がする。小屋を回って、こちらに近づいてくる。


 小屋の裏から現れたのは、白装束に三角の頭巾を付けた少女の幽霊だった。

 こんな古典的な格好の幽霊なんているわけがない。

 その姿に安心した私は、幽霊に向かって冷静に叫んだ。


「佳苗!」


 セーラー服の幽霊──佳苗は驚いた様子もなく、私の呼びかけに応えた。

「なんで月子がここにいるの」

「いや、なんでって、私が聞きたいわ。あんた、しばらく見ないと思ったらこんなところで何してんの」

「何って……幽霊だけど」


 佳苗は、私の幼馴染だ。家は徒歩一〇秒の場所に住んでいて、小学生の頃はよく一緒に遊んだ。

 中学に進学してからは一度も同じクラスになった事がない。

 バスケ部に入ってからは同じバスケ部や運動部の友達と遊ぶ事が多くなって、パソコン部に入った佳苗とはしばらく疎遠になっていた。

 ちなみに佳苗は死んでなんかいないし、もちろん幽霊でもない。


「月子こそこんな所にいたら危ないよ。幽霊が出るらしいから、離れた方がいいよ」

「いや、目の前にいるし……そんなことより、変な噂流したの、あんた?」

 私の指摘に佳苗は動揺している。私は更に追い打ちをかけた。


「自殺した生徒の霊って、美山さんの事でしょ」


 ──美山さん。下の名前は分からない。小学校も同じだったはずなのに、今まで一度も同じクラスになれず、話も出来ないまま、彼女はこの世を去ってしまった。

 いじめを苦に校舎の最上階の窓から飛び降りたと聞いた。

 小屋や裏山に関する〈自殺した生徒の霊〉の噂が美山さんのことだという事はなんとなく分かっていたけれど、そこに佳苗が関わってくるとは思っていなかった。


「復讐するの。美山さんを殺した奴に」

「どういう事?」

 私はごくりと唾を飲み込んだ。

「……この〈小屋〉に美山さんの幽霊が現れるって知ったら、彼女を虐めていた犯人がここにやってくると思って、待ち伏せしてるの」


 彼女を説得する言葉を準備しようとしていた私は、ありえないくらいしょうもない理由に絶句した。

「いや……来ないでしょ。殺すかはともかく、普通に犯人探したほうが早くない?」

「だって……だって私! 月子みたいに友達多くないし! 人と喋るの得意じゃないし! ……どうせ探し出せても、殺す勇気なんてないから」

「なんでそんなに美山さんの事……」

 私は『私達よりも仲良かったっけ』と続けそうになったが、ぐっとこらえた。


「二年の二学期に偶然会ったの。その頃、部活が終わってから図書館に通うことが多くてね。江戸川乱歩全集を本棚の左端から順番に借りてたんだけど、丁度〈孤島の鬼〉を借りた日に、美山さんから話しかけてくれたんだ。

 江戸川乱歩が好きだなんて、珍しい人だなって思ったんだって。それから図書館で会う度に話しかけてくれた。

 ──穏やかで、優しい子だった。図書館に射す陽射しみたいに暖かい子だったな。

 もっと仲良くなりたかったけど、図書館以外で会うことも無かったし、彼女の存在が特別に感じて、誰かに話すような事もしなかった。

 今でも忘れないよ。彼女が自殺した前の日。

 私ね、美山さんに「ありがとう」って言われたんだ。

 私が「何が?」って聞き返したら「私の居場所はここしかないから」って。

 どんな顔で言っているのか見たかったのに、夕焼けの逆光で全然見えなかった。

 結局彼女は死んだ。

 私の存在だけじゃ彼女の心は救えなかったんだよ」


「……」

 遠い目で感傷に浸る佳苗を見て、途方に暮れる。黙る私に気がついた佳苗が驚く。

「え? 私変なこと言った?」

 変な姿ではあるけど、変な事は言っていない。

 それなのに、『なんかよくわからんがムカつく』という感情だけが先に現れて、気持ちの整理が付かない。

「いや、別に……」

「あ、もしかして月子、嫉妬してる?」

 〈嫉妬〉か。あー、なるほど。ムカつく感情の正体はそれか。

 私は、私の知らないところで佳苗に友達が出来た事が気に入らないんだ。

 私って、そんなに佳苗の事、好きだったんだ。


「いや、別にしてないけど? 第一ここに来た理由だって、あんたを探しにきたんじゃなくて〈小屋の噂〉と美山さんに関係があると思ったからなんだけど。──だいたい、美山さんをいじめた奴なんて、目星付いてるよ」

 私が照れ隠しに適当に取り繕った言葉に、佳苗は食い気味に質問した。

「だ、誰!?」

「うーん、そうだなぁ。喋ったらやっぱり復讐しに行くの?」

「う、うん! だって美山さんの為なんだもん!」

 そんな事言って、行動に移す勇気なんてない癖に。彼女はきっと死んだ美山さんに固執していたいだけなんだ。いじらしくて、気に食わない。生きている私が今目の前にいて、美山さんよりも、佳苗のことを知っているのに。

「美山さん美山さんって、あんたもっと自分を大切にしなよ」

「だって美山さんさんは私にとって一番の理解者だったから……私のことを分かってくれる人なんて、他に……」

 今まで私と築いてきた友情はなんだったのか。思い出はより良いものに上書きされてしまうんだろうか。


 その時、突然小屋の屋根で、

 ガタンガタン

 と、何かが動く音がした。

 佳苗は「ひぃっ」と言いながら私の方へ飛んで来た。咄嗟に彼女の肩を掴んで抱き寄せる。

 小学生の頃はもっと華奢で小さかったはずなのに、すっかり女性らしい肉付きになっていた。私の知らない佳苗だ。

「カラスかな? びっくりしたー」

 佳苗は肩を掴む私の手を振り解く事もなく、しばらく屋根を見上げていた。

「この学校って、カラス多いよね」

「遠藤先生が隠れて餌あげてるって聞いた」

「そうなんだ?」

 なんでもない時間がこんなにも居心地良く感じるのは久しぶりかもしれない。バスケ部で集まる時は、なんとなく居心地の悪さや退屈さを感じる事があったから。


「ねえ佳苗、私が代わりに復讐してあげるって言ったら、幽霊になるの辞めてくれる?」

 私の質問に佳苗は、しばらく黙った後、振り向かずに答えた。

「そういえば月子、そういう事言う子だったね」

「思い出した? 私の事、忘れてたでしょ」

「──忘れてなんか無いよ。ずっと近くにいられると思ったのに、月子が違うグループに行っちゃうから。本当は小学生の頃みたいにずっと一緒に遊びたかった。カブトムシ捕りに行ったり、ボウルいっぱいのソーダゼリー作ったり、そういう事、もっとしたかった」

 ああ、そうだった。佳苗はそういうのが好きだった。私もそういうのが好きだった。もうすっかり忘れて、勝手に大人になったと思っていた。

「じゃあさ、やろうよ。復讐なんて止めて、でっかいソーダゼリー作ろうよ」

「……分かった。でも月子が代わりに復讐してくれるんでしょ?」

「いいよいいよ。佳苗の為ならなんだってやってあげる。とりあえず今日はもう帰ろう」


   ◆


 私は佳苗の手を引いて、藪の中から遊歩道へ抜け出た。誰にも見つからないように運動場の隅にある公衆トイレに入って彼女を着替えさせ、先生に見つかる前に急いで校門を飛び出した。

「一緒に帰るの、久しぶりだね」

 佳苗が言った。

「これからも一緒に帰ろうよ。……バスケ部のほうが終わりが遅いかもしれないけどさ」

「じゃあ、その時は図書館で待ってるね」

「佳苗が遅かった時は私が図書館で待つよ」

「月子、本なんて読まないでしょ?」

「私だって江戸川乱歩とか読むし……これから」


 それからしばらくして〈小屋〉に関する噂はぱったりと聞かなくなった。

 その代わりに、夕焼けの校庭で幽霊と手を繋ぐ少女を見たという噂が広まった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

裏山の小屋について 志村タカサキ @hayak_neru

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ