第2話

 私は糞神に憑かれている。

 ならば漏らす前にトイレに行けば良いのではないか、という真っ当な意見もあるだろう。だが駄目なのだ。

 糞神はあらゆる因果を捻じ曲げて、憑いた人間にトイレ以外の場所で脱糞させる。

 つまり私が初デートの最中で脱糞することは、すでに確定しているのだ。


 私もかつて、糞神に憑かれた人間を助けようとしたことがある。近くにトイレがある、今のうちに行った方が良い、そう忠告したのだが、彼らは一様にその言葉に耳を貸さなかった。

 今ならわかる。彼らは耳を貸さなかったのではない。耳を貸せなかったのである。

 ここにトイレがあるはずなのだ。

 見知った公園の見知ったトイレは、まるで魔法のように掻き消えていた。

「笹゛塚゛く゛ん゛」

 私は死にそうな声で彼に話しかけた。

「ど、どうしたの矢内さん」

 明らかに尋常の事態でない私の様子に気付いて、彼は心配そうにこちらを窺う。

「今゛日゛は゛あ゛り゛か゛と゛う゛。楽゛し゛か゛っ゛た゛」


 まだ待ち合わせしかしていないのに解散しようとする私に、笹塚くんは困惑しながら理由を聞いてきた。

 正直に言えば、私はもう限界だったのだ。

 そして糞神に憑かれている限り、私がトイレに辿り着くことは永遠にない。

 もはや私にできることは、一刻も早く彼と別れ、一人になって、誰にも迷惑の掛からない場所で人知れず思う存分脱糞することだけだった。

 だがそれを説明できるだろうか。いいやできるはずがない。初デートの相手に、これから自分が大きく、黒く、驚くほどに臭い大便を漏らすこと、それは決してトイレでは成し得ないこと、そしてそれをもたらすオカルト的存在のことを死にそうな声で打ち明ける女がいるだろうか。

 いないはずである。少なくとも、そんなことをするのは頭のおかしい奴だけだ。

 だから私は、こう言った。

「私゛の゛こ゛と゛は゛忘゛れ゛て゛く゛た゛さ゛い゛」

 己の死期を悟った猫のように、誰も居ない山奥で野垂れてしまおう。それが一番の救いのはずだから。楽しい思い出だけを連れて行かせてください。


 けれど笹塚くんはキラキラした目で私の手を取って言う。

「なにか辛いことがあるなら聞かせてほしい。何も出来なくても僕は君の傍に居たい。君のことが好きだから!」

 私は泣きそうになった。

 こんなにも素敵な男の子が、私なんかのために涙を流してくれるなんて。その全てが余計なお世話だなんて。

 私は彼を残して走り去った。

 後ろから聞こえる彼の声を無視して。


 実を言うと、私はひとつだけこの状況の解決策を知っている。

 糞神は別の誰かに擦り付けることができるのだ。ただし糞神は五倍になる。

 私が漏らすか、罪のない別の五人が漏らすか。いや待て罪の話をすれば私だって何も悪いことはしていない。どう考えたって無罪である。カルネアデスのうんこだ。命の選択に正解が存在しないように、うんちの選択にもまた確たる正解はない。

 ならば私が漏らさねばならない理由が何処にある?

 極限状況に置かれたとき、人の良心や善性は容易く崩壊する。私は糞の代わりに私に取り憑いた糞神を周囲に撒き散らし。

 そしてそのうちのひとつが笹塚くんにヒットした。


 地獄が顕現した。

 突然の便意で周囲に居合わせた四人がひとたまりもなく脱糞し、奇声を発しながら有り得ない量の大便がひりだされ、その全てが恐ろしいほどに悪質だった。

 その地獄の只中にあって、ただひとり笹塚くんだけが涼しい顔をしていた。

 そんなはずはなかった。誰も糞神には逆らえない。笹塚くんだって脱糞しているはずだ。なのに彼は少しも動じず、いつも通り爽やかに笑っている。

「大丈夫。僕はおむつを履いてきた」


「なんで……?」

「愛だよ」

 愛の力ってすごい。私はそう思った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

DEATH POOP 狂フラフープ @berserkhoop

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ