DEATH POOP
狂フラフープ
第1話
初めてそれを見たのは、まだ七つのときだ。
母とふたりで出掛けたスーパーで私はそれを見た。すれ違った老人に付き纏うぼんやりとした黒い靄。それが何なのか母に尋ねると、母は不思議そうに私を見つめたあと、あのおじいさんがどうかしたの? と逆に尋ねてきた。
――ちがうの。おじいさんじゃなくて、おじいさんのまわりのあれ……
私が言うと母は私の視線を辿り、それから振り返って背後を確認して首を傾げた。
――何もいないわよ?
その言葉を聞いてから私は母の傍を離れ、その老人に駆け寄って声を掛けた。そして老人の顔を見て驚いた。無数の脂汗と鼻水に覆われた顔は真っ赤に染まっており、口から泡を吹きながら意味不明な言葉を呟いていたからだ。
私は怖くなって逃げようとしたけれど、足が動かなかった。いつの間にか黒い靄は手を形取って老人腰回りに巻き付いていて、ずぶずぶと老人の体内へと潜り込んでいたのだ。それはまるで寄生虫のように、あるいはアメーバーのように流動しながらゆっくりと老人の体を侵食していた。
――お母さん!
思わず助けを求めると、母はすぐに私の異変に気付き駆け寄ってきた。すると不思議なことに、それまで何をしても反応しなかった老人が急に奇声を発しながらその場に蹲ったのだ。辺りには異臭が漂い、周囲の大人たちが異様な雰囲気に包まれた。
母は私の目を覆ってその場から連れ出して、買い物も放り出して私を連れ家に帰った。私があのときあのスーパーで起きた出来事のあらましを正しく理解したのは、ずっと後になってからのことだった。
二度目にその場面に居合わせたのは、十一才の時。
小学校の校外学習、同じ班の美菜ちゃんが、朝から随分顔色が悪かったのを覚えている。
私もその頃には時折すれ違う人に見える黒い靄が、自分以外には見えないものであることは理解していた。しかしその黒い靄が何をもたらす存在なのかを理解したのは、間違いなくこの日のことであった。
クラスでくじ引きをして班を決め、私たちは小学校から程近い地域学習センターに向かっている途中だった。
いつもなら皆の前を歩く美菜ちゃんが、何故かこの日は班員の最後尾を歩いていることを不思議に思った振り返ったとき、私は彼女の周りにあの靄が浮かんでいることに気が付いた。
初めは気のせいかと思ったそれは、時が経つほどに密度を増していった。
何故あのとき、私は美菜ちゃんに声を掛けてあげられなかったのだろう。
私が最後に見た美菜ちゃんの顔を、今でも時々思い出す。見て見ぬ振りをした黒い靄は、それから五分も経たずして禍々しい手を模して美菜ちゃんの身体へと忍び込んでいた。
かつて見た老人同様、美菜ちゃんは脂汗と鼻水を垂らし、別の生物かのように真っ赤な顔をしていた。その形相は私の良く知る美菜ちゃんとはかけ離れていて、涙と喉鳴りの合間から絞り出された小さな声は、たすけて、と聞き取れた。
今でも後悔している。
伸ばされた美菜ちゃんの手を、あのときの私は反射的に振り払ってしまった。
そして恐らくそれが全ての引き金を引いてしまったのだ。
――ぶりゅ。ぶちぶちっ、ぷびゅぴゅ、ぼぼぼぼぼ
それは紛れもなく大便だった。
大きく、黒く、驚くほどに臭い大便だった。
美菜ちゃんは出した本人さえ目を剥く量の大便を垂れ流し、地域学習センターは地獄と化した。
あの日以降一度も登校することなく転校した美菜ちゃんは、今でもクラスの子らにうんち大魔女と呼ばれている。
この一件を以て、私は理解してしまった。
あの黒い靄に取り憑かれた人間は近いうちに必ず大便を漏らす。
以来私が糞神と呼ぶあの黒い靄。
糞神が私の周囲に漂い出したと気付いたのは、今からちょうど三十分前のことだ。
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