第8話 大団円(復讐の雄叫び日記)

 文章を読み込んでくると、そこから数日間で、いろいろなことが分かってきた。。

「俺は、最近、小説を読んでいる。特に探偵小説をよく読んでいる、その中で人を殺すにはどのようにすればいいか? というような話に興味がある。誰かを殺して、その罪を誰かに擦り付ける、あるいは、人を殺しても犯人だと疑われないような鉄壁のアリバイを作る。どちらにしても殺人を犯しても、自分が捕まらないようにするためだ。どちらがいいのか考えてみたが、やはり犯人がハッキリしている方がいいだろう、まず動機がハッキリしている人間がいれば、自分のアリバイが脆弱でも、動機がハッキリしている人にアリバイがなければ、警察は、そちらを犯人として、思い込みから捜査をする。相手のある倍が完璧でなくとも、アリバイを証明できないというだけで、他の犯人を浮かびあげることはできない。それが一番安全であろう」

 という内容が、一日分の日記として書かれていた。

 そして、次の日には、一つおかしなことが書かれていた。

「今日は、どこかから変な音が聞こえてくる。最初はどこから聞こえてくるのか分からなかったが、その声が、思わず興奮してしまいそうな、女の喘ぎ声だった。身体がムズムズしてきそうなその声に、完全に惑わされてしまう。時間帯としては、深夜の二時前くらいであろうか、そんな時間に、セックスをしているなんて、と思ったのだ。考えられることとしては、奥さん(いや、奥さんとは限らないが)の声が大きいことで、女がそれを極端に恥ずかしがって、真夜中だったら、皆寝ていると思うので、そう思えば恥ずかしくはないということで、真夜中に男女の営みの時間を持って行ったのではないか? 最近ずっとそうだったのかも知れないが、こちらは深夜には起きることなく眠っていたので、今まで相手の術中に嵌っていたと思うと、してやられたという気持ちでいっぱいだ」

 というのだ。

 さらにその続きとしては、

「その声は、次第になまめかしくなっていく、普通なら、なまめかしい声から次第に大きくなるものだが、こちらの方が、いやらしさの興奮は倍増してくるというものだ。そう思っていると、おや? と感じた。微妙に女の声が、何か重なって聞こえるように感じたのだ、それは和音とでもいうべきか、サラウンドが掛かったような声で、大音響にかんじられるのは、この和音のせいかも知れないと思えたのだ。最初は、秘儀となり(阿久津家に相談に来た新婚夫婦)の方からだけしか聞こえてこないものだろうと思っていたが、よく聞いてみると、反対側の隣の家からも聞こえてくる。なるほど、最初どこから聞こえてくるのか、判断にこまったのは、こういうことだったのか? という思いがあったからだった。そう思うと、サラウンドで聞こえてくる女性の喘ぎ声が、次第に時間差で感じられるようになった。そう、一小節分、少しずつ遅れて聞こえてくる、輪唱を聞いているような気がしたからだ。そう、小学校の音楽でやらされた、あのカエルの歌を思い出されたのであった。私は、女の喘ぎ声に魅了されてしまった。それまでだったら、何とかして、その場面を見ることができないだろうか? と考えたことだろう。しかし、今はそんなことを思わない、声だけを聴いているだけで、妄想が膨らんできて、このままでいいと思うのだ。逆に見てしまうと、それまで感じた妄想が、狂ってしまうようで、妄想を感じてしまうと、映像として決してみたくないことだってあるのだと初めて知ったのだ。確かに、私はマンガを見るよりも小説の方が好きだった。マンガというと、作者の絵のタッチは皆違うので、それぞれの絵があるように思うが、パターンは決まっている。例えば劇画調、少女マンガチックなタッチ、さらには、ギャグマンガ的な書き方など、あまりマンガを見ることのない人間には、どうしても、マンガのタッチがワンパターンに見えてきてしまう。それが、小説ほどリアルに描かれているわけではなく、しかも、マンガのような絵にも、ドラマの映像のような好きな俳優などを想像、いや妄想して、自分のおかずにすることができるのだ。それを思うと、想像や妄想がどれほど人間の快感を刺激するのか、分かるというものだ」

 と書かれていた。

「さらに私は、これを誰も見ることのない日記だということで書くことにするが、妄想をため込みすぎて、誰かに話さずにはいられないというほどの興奮を、さすがに一人で抱え込むことはできなかった。そう、あれは自らが欲したことではなかったが、偶然が重なったとはいえ、夢のような時間を得られた瞬間だった。あの人は、回覧板を回すという単純に、隣の家を訪れただけだった。運悪く、その時私は、人には言えないような、自分で慰めるという、理性には勝てないような行動をしていた。独り身の私なので、これはしょうがないことだ。誰に避難されることもない。しかし、その女は、自分が悪いにも関わらず、私を責めた。それこそ、まるで授業中に一人でしているところを、女の先生にでも見つかったようなバツの悪さがあったのだ」

 さらに日記は生々しくなってくる。

「私は女の切ない声が大好きだ。甘えてくる声を聴くと、どんなに激しく、気持ちのいい行為にも、勝るとも劣らないその声は、男の本性をむき出しにするものだった。しかも、聞こえるその声はサラウンド、そういえば、以前、電子音というのは、どこから聞こえてくるのか分からないということを聞いたことがある。十年数年くらい前に初めて聞いた、いわゆるケイタイの着メロというのが、まさにそれで、メールが届いた時、ケイタイが自分の近くになく、散らかった部屋の中のどこかで鳴っているのだが、どこから鳴っているのか分からないという感覚であった。それをその時に思い出したのだ。私が、どこから聞こえてくるのか分からない声が聞こえるということを、この間これ見よがしに話をした。もちろん、訳アリで話をしたのだが、きっとその人の証言から、私に何かあった時は、きっと、私がいざなったような結末になっていると思う。もっとも、この日記を誰か私に縁もゆかりもない人が見ているということは、その時点で、私はこの世に存在していない可能性がかなり高いだろう。そして。私がどうしてそうなったのかということを、形式的に警察が捜査していると思うと、死んだとはいえ、どこかしてやったりの気分になるものだった。あの生々しい声を警察の連中に聞かせてやれないのは悔しいが、その当の本人にお灸をすえるという意味でも聞かせるわけにはいかない。完全に、その声の主は、この私のものなのだ。私が他の人に託した言葉で、声の主の女は、今獄中にいることだろう。女とすれば、助かる可能性があるとすれば、私と関係がないということが唯一の砦なのかも知れないが、そこは私がぬかりなくやり、関係がなくともあるかのように偽装することなど、いくらでもできるというものだ。そういう意味では逆の方が難しいかも知れないぅらいだ」

 そこまで読んでくると、

「この男、何もかもその後の展開まで分かっていて、計算された動きをしていたんだ」

 と思わせた。

「私は、音についての犯罪を思いついたのは、阿久津家の子供の漱石君が、音に興味を持っているということだった。私は漱石君とは密かに仲良くしていた。彼は、自分を引きこもりのようにまわりに思わせたいという感覚があるようで、実際にはそんな引きこもりでもないのだが、、必要以上に、誰かとひそかに関係があるということに憧れているようだった。それを知った私は、最初はただの興味本位から彼に近づいた。漱石君は、私との世界を別世界のように感じ、思っていることを私に話したのだった。しかも、その話を絶対に他の人には話さないという思いが強く、その思いがあるからこそ、私との間に共通の感覚が生まれたのだろう。彼は私が殺されても、ビックリしないくらいになっていた。そのことは彼に匂わせていたし、彼も決して、他人の死に対して、余計な感情を挟むような男ではなかった。それなのに、二人でいる時は、興奮が羽を伸ばしたかのような感情から、秘密を持つにはお互いに最高の相手だったといえる。そういうことを書いたとして、彼が今回のことにかかわっているというわけではない、あくまでも、私独自の計画に、無意識のうちにアイデアをくれていたということと、これも無意識のうちに、私の計画の一端を担っていたということである。だから、彼にはまったく罪のないことを、ここで強く言っておかなければならない。そんな時、隣の奥さんに完全に飲まれてしまった私は、もう襲うしか想像ができなくなっていた。それが犯罪であることは百も承知だ。しかし、女が私を受け入れてくれるであろうことは、もっと高い確率で感じていた。なぜなら、女のあの喘ぎ声は、もっと相手に甘えたいが、その人では満足できないという思いから、甘えるだけではなく、女としての本性が現れていたのだ。だからこそ、この私が、我を忘れるほどの気持ちになったのであり、私の中にある、「S性」というものを、いかんなく発揮させてくれるそんな女の声だったのだ。声というものが、ここまで威力があるものだったとは知らなかった。漱石君が音についていろいろ調べていて、時々、音についての講義をしてくれる。その時ちょうど聞いたのが、マスキング現象と呼ばれるものだった。実は、この犯行を思い立った時、音による複数の現象を絡めることから始まったのだ。まずはこのマスキング現象というもので、音が重なった時、片方からの音がかき消されるという現象と、さらにもう一つは、ハース現象と呼ばれるもので、同じ音が複数から聞こえてきた時、早く到達した方からしか、音がしていないという錯覚のことである。これら二つと、さらに前述の、前からくる音と、去っていく音とで聞こえ方が違うというドップラー効果であったり、どこから聞こえてくるのか分からないという電子音の魔力であったり、音を絡めていくと、それだけで、一つや二つの複合したトリックが思いつきそうに感じるのだった。さらに忘れてはいけない、モスキート音、この音は、一定の年齢以降では聞こえないという特徴すら持っているのだ。私が、漱石君と仲良くなったことで、いろいろな妄想を実現するために、音を利用しようと考えたのが、分かってもらえるというものではないだろうか?」

 この日記は、まるで、犯罪の告白文のようであった。

 それもそうであろう。

「日記というものは、自分だけが見るもので、自分に何かなければ、他人の目に触れることなどない」

 ということだからである。

 果たして、彼の言いたかったのは何であったのだろう?

 話の内容からは、

「音の性質というものを利用して何かを行った」

 ということであるが、最初見た時は、何のことなのか分からなかった。

 何度なく、自殺をほのめかしているように見えるが、それであれば、遺書があってもよかろうものを、遺書がない。とにかく、不可解な事件であり、しかも、彼が何をしたいのかということは、この日記を見なければまったく分からない。

「日記を見たから分かった」

 ということであれば、、それこそ遺書であってもいいはずだ。自殺だとすると、これが遺書にでもなるということだろうか。

 確かに、彼が死んでしまえば、この内容は白日の下に晒されて、何が言いたいのか、見る人によっては分かるかも知れない。

 しかし、これは誰にあてたものというわけでもなく、事件の全貌が分からない以上、誰からに知られるわけにはいかない。警察がこれを元に捜査をすることはできるかも知れないが、この文章は、基本的には個人情報でもあり、簡単に口外できるものではないだろう。

「死んだ人に、個人情報などない」

 という人がいるかも知れないが、逆である。

 昔は、生きている人に今ほど個人情報ということを騒がれることはなかったので、逆に死んだ人間を尊厳するということが当たり前だったのだが、今は生きている人間が尊厳されるのが当然ということになったので、死んだ人間の尊厳について、今さら言う人も少なくなったのであろう。

 要するに

「人間の尊厳は、生死にかかわりなく、尊重されるものだ」

 という当たり前のことなのである。

 ただ、光にしろ音にしろ、この男性にとって、何かのきっかけになったことは確かだろう。その背中を押したのが、好きになった奥さんだった。

 あの奥さんが、どんな人間なのか知ることもなく死んでしまったのだろうが、あの奥さんは、正直、男性を手玉に取るところがあったのだ。

 ただ、本人は今の今Mでそんな性格だったなどと思ってもいない。男を惑わすその声が、男に錯覚を覚えさせたのだ。

 ハース現象と呼ばれる、複数方向からの音は、この男にとっては錯覚だった。電子音という発想と、ドップラー効果の発想から、

「幻聴が聞こえたとしても、それはしょうがないことなんだ」

 と思わせたのかも知れないし、幻聴という感覚すらこの男にはなかったのだ。

 あくまでも、この女の悩ましい声が、本当は蚊の鳴くような小さな声であり、sれがゆえに悩ましく、男を狂わせるということに気づいていたのだろうか?

「ただ、声が大きければそれでいい」

 という思いがあったことで、まるで拡声器でもあるかのように、どうすれば、大きな声で自分を魅了するか? ということを考えた時、

「音がハウリングすればいいんだ」

 と考えたのも、無理のないことに違いない。

 ただ、この男は気づいていなかったが、相手が女であるということは、あくまでもか弱いものだということを感じることから始まる。

「俺は、母親の耐えられないような大きな声を聴いて、それが耳から離れず、その声を求めていたのかも知れない」

 と感じた。

 母親は殺されたのだが、その時、強盗に乱暴されたということを、子供心に恐怖で助けに出られなかった時を思い出す。ただ、それは母親の声が子供である自分の頭の中をくすぐっていたのだ。

 嫌なはずなのに、抵抗しているはずの母親なのに、どこか歓喜の声のように感じる。女としての本性が、子供であっても、男としての自分を奮い立たせたのだった。

 ただ、この時の母親の声が、

「前にも聞いたことがあった気がする」

 というものであったが、本来なら絶対に聞けるはずのないものなので、否定するしかなかったのだが、その声というのは、

「母親が自分を出産する時」

 つまりは、分娩の時のあの苦痛の声だったように思えて仕方がなかった。

 何という矛盾であろう、しかも矛盾というだけではなく、そこには、母親が襲われているのに助けられないどころか、男として興奮していたという理不尽な思いが頭をよぎってしまって、完全にトラウマになってしまっていたのだった。

 そのトラウマを、生きてきた今まで、その時々の節目である段階に、いつも感じていたのだ。

 今回が、その何回目だったのか、覚えてはいない。

「十回目か、二十回目か、あるいは、百回目なのか?」

 と、頻繁にあったことを思わせる。

「まるで呼吸のように、絶えず身体に刻み込まれた、まるで年輪のようではないか?」

 という思いが痛烈に襲い掛かっていたようだ。

 そのうちに、自分が何を考えているのか分からなくなり、きっと隣の新婚夫婦に対して、自分が母親に対して感じた思い、さらに、母親を奪ったあの時の犯人への復讐心を、隣の旦那に感じたのかも知れない。

 モスキート音で、カモフラージュというか、感覚をマヒさせたことによって、男はかねてからの計画を実行する。

 完全な逆恨みであるので、相手を殺すというような行為はできなかった。

 せめて、相手に罪を着せるかのような形に持っていきたかったのだが、それも、自分の主旨とは違っている。そこで、事件の全貌がまったく分からないような話にしておいて、男を少しでも苦しめることができ、最終的に、男が罪に問われないという、いわゆる、

「ご都合主義な犯罪」

 というものを考えたに違いないのだ。

 だから、この話は、探偵小説なのだろうと思うのだが、犯人も、被害者も、ハッキリとしないアバウトな内容になってしまったことで、探偵も警察の捜査も何もないものとなった。

 あくまでも、音というものに話を誘導し、この事件を表から覆いかぶせる他たちで、最終的に、他人事のように、

「いや、決して他人事でない本人の遺書」

 という形で、話を締めくくるという、実に不可解なお話である。

 この事件において、犯人が誰なのか? そして真相というものは、どこに存在するというのか? 一揆の本人であるその人が死んでしまった以上、その謎は、永久に謎のまま終わってしまうことになるだろう……。


                 (  完  )

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ご都合主義な犯罪 森本 晃次 @kakku

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