超約聖書

ぺぽっく

全ての始まり

最初私は、無であった。

何もない場所にただ「私はある」という意識だけが存在していた。

どれほどの時間そこに私はあったのだろうか。今となっては知りようもないが、確かに長い時間私はそこにあったのだ。


何故そうなったのか分からないが、よほどのことがあったのだろう。私は無から有へと変化した。だが、私はまだはっきりとした形は持っておらず、液体のようなぶよぶよとした存在だった。辺りには私と同じようなぶよぶよとした存在があと7つほどあった。そこからまた長い時間、私たちはぶよぶよとした存在のまま何もない空間を漂い続けた。


次に起こったのは、私たちではなく、周りを取り囲む空間の変化であった。何も無かったところにひとつ大きな球が現れ、砂や土、草木をその身にまとい瞬く間に大地が完成した。大地は次に温度、音、風、重力を纏った。私たちはというと重力の影響を受けて大地へとくっついた。私たちは何をするでもなくその場へ留まり続け、また長い長い時間を過ごした。


しかし、ある日突然私たちに更なる変化が起こったのだ。感情が芽生えたのである。一番最初の感情は「好奇心」であった。まわりの大地を見渡し、草木に興味をもち、触れたいと感じた。だが、このぶよぶよとした液体のままではどうすることもできない。

私たちの思いが強かったからだろうか、液体からまず手が形作られた。次に草木の近くに行くため、足が生えた。最後に、景色を見て、匂いを嗅ぎ、音を聞き、味を感じるために全ての器官を集中させ頭ができた。

あのとき私たちは初めて「喜び」を得たのだ。走り回り、大地に頬ずりをし、草木にキッスをした。

きっと私たちに生まれた日があるとするならば、あの日のことを指すのだろう。

それから私たちはこの大地を自由に駆け巡って過ごした。


しばらくすると、私たちは自然とつがいをつくり始めた。互いを思いやる「愛」が芽生えたのだ。皆がつがいをつくりはじめ、私とあと1人が残ったので、私は彼女が私のつがいとなるのだろうと考えていた。彼女もそう考えていたようである。しかし、そうはならなかった。あるとき、私は彼女が見当たらないので探していた。何が起こったのかは分からない。彼女は木に押しつぶされ死んでいた。私たちは決して不死身ではなかったのである。だが、その頃の私たちは初めて死を見たので、それが何なのか理解できていなかった。

私たちは何故彼女が動かないのか、と疑問に思いつついたりひっぱったりした。彼女の周りを囲って時間が幾分か過ぎた時である。

彼女の死体は腐敗を始めた。身体の肉がぐじゅぐじゅとなり、顔の肉はだらんと剥がれ落ち、至るところから骨が見え始めた。

私たちはそれがもう彼女でないことを悟った。そのときに初めて「恐怖」を抱いた。


結局、私だけがつがいをつくることができなかった。他はというと、何故かつがいの片方だけお腹が膨らみはじめた。当然、私たちはそれが何なのか理解できなかった。しばらくすると、お腹の膨らんだ者は蹲り、苦痛に悶え始めた。私たちは慌てふためき、どうにか出来ぬものかと考えた。そのうち、痛みが引いたようだったので、私たちは安心していたが、その後も何度も同じようなことが繰り返しおきた。

そんな折のことである。今まで以上に大きい苦しみに見舞われたようで、見ているこちらも苦しさを感じるほどであった。すると、彼女たちの足の付け根から何かが顔をだした。それはそのまま外に出ると、私たちの周りを何事も無かったかのように闊歩し始めた。私たちが驚き呆然と眺めていると、他の者の身体からも同じように何かが続々と出てきた。

それは足が4つだったり、8つだったり、無かったりするものもあった。大きさもまちまちであったがひとつとして同じものはなかった。しかし、その中に私たちと同じような姿をしたものはいないようだった。

私以外の者たちは自分たちから出てきたそれを慈しみ、育て始めた。

私は1人孤独を感じていた。それからは、私の身体からもそれを取り出すことができないだろうかと考えるようになり、毎日自分の身体の至るところを隈無くさがしたが、それが私の身体にはいないようだと知るとたいそう落ち込んだ。


それからまたいくつもの時が経ったころ、私は驚くべきことに気がついた。それはある日突然という訳ではなく、少しずつなだらかにして私に気づかせたのである。

私以外の者たちは、さらなる変化を始めたのだ。しかも良い方ではなく悪い方へと。

身体の肉がたるみ、顔には皺が刻まれ、腰は曲がり始めた。そして前のように大地を駆け回ることはなくなり、寝たきりで過ごしていることが多くなった。

最初の頃こそ私は唯一変わることなく駆け回り続けることができるのを自慢げに思っていた。遠くまで景色を見に行くことの出来なくなった彼らに代わり色んなところへ行き、そこで見た草や石を彼らの元へ持って帰った。時間が経つにつれて、みるみるやせ細り、身体の不調に悩まされる彼らを見て、最初にいなくなった彼女のような道を彼らが今辿っているのではなかろうかと本能で感じ取り始めた。

それからの私は彼らに付きっきりで過ごすことが多くなった。もう一度皆で駆け回ることができることを願っていろんなことを試したが、どれも意味はなく、ひどいときにはかえって彼らを苦しみに悩ませることとなってしまった。


その時は来た。

完全に彼らは動かなくなってしまったのである。私は独り残されてしまった。

そこから時間が経つと彼らの身体も肉が落ち始め、骨だけが彼らのいた場所にあった。

1人だけとなった私は、彼らから出てきたそれらを彼らがしていたのと同じように慈しみ、育てるようになった。それらも大きくなると互いに似た形のもの同士でつがいをつくり始め、そしてまたその中から新たなものが出てくる。その後は彼らのように動かなくなり、そのまま消えてゆく。

私はそのことを何度も見たことで、生き物は生まれ、つがいをつくり、新たな子を産み、老いて死んでゆくということを理解した。では何故私は老いて死ぬことがないのだろうか、もしかしてつがいをつくらなかったことでその道理から外されてしまったのではなかろうか。だが今となってはその考えが正しいのか知ることはできなかった。私とつがいになれるような姿が同じであるものはもう皆死んでしまった。


私は自ら死を求めるようになってしまった。孤独の中で生きてゆけるほど強くはなれなかったのだ。岩に潰されてみたり、木に登り頭から落ちてみたり、自分で自分を傷つけることで死のうとしたこともあった。

死ねなかった。どうやら身体に欠損があるとそのそばから修復を始めてしまうようだ。折れた骨が繋がり、筋繊維は再び結びつき、潰れた内臓はたちまちに膨らんで元の形へと戻った。私は、同胞の死んだ姿を見たときより自分の生きている身体を見ることの方を恐れるようになった。


何回死のうとしただろう、数え切れないほど私は命を断ったが1回たりとも成功はしなかった。そのうち私は死ぬことを諦め、1日のほとんどを死ぬ前の生きものたちと同じように寝たきりで過ごすようになってしまった。


そんな中、変化は起きた。天の恵みであろうか、何者かの慈悲だろうか、私は老いた。

ああ、なんと喜ばしいことだろうか!力は弱まり、五感は狭まり、身体の端々から感じる痛みのなんと素晴らしいことよ!

その日、私は1日中駆け巡った。途中痛みで立ち止まったりもしたが、それすら嬉しかった。

私の老いは、私の知っている老いよりも明らかに緩やかなものであったが、確実に死に向かう道は開いていた。


しかし、私が求めた死に近づくにつれて、もう1つの叶わなかったことへの思いがより強くなっていってしまった。我が子を一目見たい。私以外のすべての生きものは、生きものとして生まれ、子をつくり、死にゆく。であれば、死ぬことが叶うとわかった今、最後に願うは我が子を一目見たいと感じた。


どうしたら、願いが叶うか必死になって方法を探したがその答えは見つからないまま、さらに長い時が経った。


死は目前となった。少したりとも動くことが叶わなくなった私は、自らの悲運を嘆くようになった。どうして他の者のように生きられなかったのだろう。いくら嘆いてもすでに遅かった。


私は死んだ。


しかしそのときである。私の意識は肉体を離れ再び私は無となった。そして意識の抜けた肉体は空に投げ出され、かつて大地がそうなったように1つにまとまり、骨は岩や樹木に変化した。涙は海となり、血液はマグマへと姿を変えた。かつての大地に暮らしていた生きものたちは私の肉体へと移住しはじめた。すべての生きものが移住したのを見届けた私の意識は分散し転がっていたかつて私の指や頬であったものにやどった。それはもとの私の姿と同じ形をつくり、意識を持って動き始めた。


私の意識が分散してできたそれらは、長いときを経て文明を築き、生きものたちと共生し、かつての私たちのような毎日を過ごした。


それが今の地球である。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

超約聖書 ぺぽっく @zinjusaiku

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ