救助人ヴァルター

 目が覚めた。


 山の中でも、森の中でも、街道の端でもなく、ベッドの上で。


 酷い骨折をした左手の指からは、意識を現実に引き戻す痛みが響く。脈打つ血潮ちしおに従うように、指が脈動しているように感じた。だが、それは手からだけでは無かった。


 両足。その指先。確認してみると、そこも手と同じく包帯が巻かれていた。


 ヴァルター自身は気付いていなかったが、足の指も骨折していたのだ。その状態で山を下りたとは、彼自身も少々信じられなかった。


 結局、四肢で完全に無事だったのは右腕だけだ。零下の世界で骨折し、欠損や切断せずに済んだのは幸運としか言いようがない。


 事前の準備、咄嗟の判断。それらが全て組み合わさって、この結果を作り出したのだ。自身も遭難しかけた、いや、遭難したと言って良い出来事。それを、良い結果だ、というのは、不可思議な話かもしれない。


 だが、熟練の冒険者や救助人ならば賛同するだろう。全ては、命あっての物種ものだね、なのだから。


「「ヴァルターさんっ!!」」


 ばあんっ、と音がする勢いで、二人の冒険者が病室に突撃してきた。病室内には六つのベッドがあり、ヴァルターは入口から見て左の真ん中。一つ奥のベッド以外に、住人がいない事は幸いだっただろう。


 襲撃者は、ポールとアルテアだった。


 二人はヴァルターの傍へと、飛び込んでくるような勢いで駆け寄ってきた。


「よ、良かった!病院に担ぎ込まれたって聞いて心配してたんですよ!」


 心底安心した様子で、ポールは胸を撫で下ろす。


「うわーいっ!ヴァルターさんが生きてた~!」


 その場で飛び跳ねるような仕草でアルテアが喜んでいる。実に不謹慎な事を口走っているのは、大目おおめに見るべきなのだろう。


「あ、そうだ!僕たち一緒に冒険する事にしたんですよ!」

「そうそう!ヴァルターさんに助けられ仲間です!今は一緒に勉強中!」


 ヴァルターが何も言わぬ内に、二人は報告を実行する。その報告をしようとしていた時に、彼が担ぎ込まれたのを聞いたのだろう。心配、安堵、報告、全てが混ざり混ざった状態である。


「僕はヴァルターさんから教えられました、調査や準備が重要だ、って!」

「私も!もう二度とあんな失敗はしませんよ~!」


 いぇい、と二人は拳を突き合わせた。


「あ!そろそろ出発しないと!」

「そうだった!到着が夜になっちゃう!」


 お大事に、というが早いか走り去るが早いか、二人は病室から駆け出して行った。看護師に呼び止められて説教を食らったのは、言うまでも無い事である。


「あらあら、元気ね~」


 走り去った二人と入れ違いにリジノーラが病室へと入ってきた。その手にはいつぞやと同じく紙袋。今回の中身は弁当ではなく、果物のようだ。


「ふふ、皮は剥いてあげるわね」


 ベッドの脇の椅子に掛け、紙袋から林檎を一つ取り出した。魔法を使ってそれを宙に浮かせる。


「あ、コップの中の水、少し貰うわね」


 ちゃぽっ、という音と共に、小石大の水の球が宙に浮かび上がった。その水が鞭のように林檎に襲い掛かる。ひゅぱひゅぱ、と不可思議な音がした。


 林檎の皮がつるりと剥ける。トマトの皮を湯剥きしたように、綺麗な球のまま赤が白に変わった。くり抜かれた芯が取り払われる。綺麗に八等分された林檎が、皿の上に花を咲かせた。


「はい、ど~ぞ」


 差し出されたそれを一つ素手で掴み取り、口の中へと放り込んだ。


「フォークくらい使ったら?って貴方に言っても仕様がないわね」


 リジノーラは、くつくつと笑う。ヴァルターが『そういう人間』である事は周知の事実なのである。


「目覚めてすぐに長居するのも良くないから、帰る事にするわ。またね」


 小さく手を振って、リジノーラは病室を出ていった。


「ふむ、ヴァルターは人気者じゃのう」

「本当にそうですよね」


 また入れ違いで病室にユーディタとレリィが入ってきた。


「お二人とも、組合は良いのですか?」


 ヴァルターが問う。受付担当と組合長がまとめて外出となると、心配するのも当然である。


「あー、良いのじゃ良いのじゃ。どーせ何も起きん」

「いい加減過ぎますよ、組合長」


 肩をすくめてユーディタが投げ捨てた責任感を、レリィが拾って返却した。


「かっはっは、お三方は相変わらずですな。あいたたた」


 ヴァルターの隣人が大きく笑う。隣のベッドに寝ていたのはセヴェドだった。


「大人しく寝ておれ、セヴェド。傷が開くぞ」

「寝かせてくれないのは組合長たちでしょうに」


 先程とは異なり、セヴェドは声を抑えて笑う。至極心外な事を指摘されたとばかりに、ユーディタはやれやれと首を振る。


「お主らが無事で何よりじゃ。まあ、その状態を無事と言うべきかは微妙じゃが」

「無事と言って良いでしょう。あの場所、あの状況ならば」


 疑義を呈したユーディタの言葉をヴァルターが否定する。彼が遭遇した状況を鑑みるに、無事という表現は間違いではない。


「改めてヴァルター君、ありがとう」

「いえ、これが俺の仕事なので」


 セヴェドからの謝辞を、いつものようにヴァルターは返却する。


「ふーむ、たまには素直に受け取ったらどうじゃ?ばちなんぞ当たるまいに」

「当然の事をしているだけなので」


 ユーディタからの促しもヴァルターは意に介さない。


「そう言ってしまうのが、ヴァルターさんなんですよ」

「ええ、その通りです」


 ヴァルター以外の三人が噴き出した。


 彼は救助人ヘルトゥーフ。それ以上でも以下でもない。


 これからも助けられる者は助け、間に合わなかった物は回収するのだろう。そこに有るのは、彼の矜持のみ。自身の全力をもって、救助人の責務を成し遂げる。ただそれだけなのだ。


 それこそが彼。


 救助人ヘルトゥーフヴァルターなのである。

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救助人ヴァルターの遭難冒険者救助記録(トラブルログ) 和扇 @wasen

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