フォルトゥナ姫の赤面

岡田旬

フォルトゥナ姫の赤面

 「姫様。

北の国境を破られたとの報告にございます」

陸軍卿は沈痛な面持ちでフォルトゥナ姫にこうべを垂れた。

北方の遊走国家ベッルムの侵略が始まったのだ。

 遊走国家ベッルムは広大な大陸を移動しながら侵略と略奪を繰り返す遊走民の王国である。

ここ数十年は大陸の東北部を荒らしまわっていた。

だが同一地域での略奪にはおのずと限界がある。

ベッルムは徐々に西への運動を初めついにはここウィリデ王国に到達したのだった。


 「重装歩兵旅団と装甲騎兵連隊はいかがいたしました?

国境警備騎士団の増援に派遣したのではないのですか」

フォルトゥナ姫は緑色の瞳を大きく見開いて驚愕の表情を浮かべる。

父王が病で床に臥せ明日をも知れない。

フォルトゥナ姫にとっては治世上最悪の状況における侵攻だった。

 先年より北方からの難民が増えた。

そのことでベッルムの侵攻は時間の問題と推定されてはいた。

五十年ほど前に侵攻された時は王国の四半分が侵略された。

前回は略奪と領民への乱暴狼藉で伯爵領が二つに男爵領が五つ壊滅した。

当時の戦訓を元に、戦略戦術両面での対策が講じられ、外交の伸張と防衛兵力の充実が図られた。

もっぱら民生や諜報に従事していた魔道能力者の大規模な調査と分類が行われ、軍事転用への模索もされた。

ウィリデ王国のベッルムに対する迎撃態勢は万全のはずだった。


 「戦いの始まる前に、和平交渉を持ち掛けるのは無理でしたか?

戦火を交える前の交渉を裏支えするため整備した兵力のはずです。

外務卿?

威力外交は失敗だったのですか」

「姫御前の仰せの通り外務次官補のルボル卿を外交交渉に差し遣わしました。

ですがベッルムの侵攻は止まりませんでした。

ルボル卿と交渉団は今だ帰還していません」

外務卿は沈痛な面持ちで目を伏せる。

「ベッルムの軍は一切止まることなく越境しました。

交渉は決裂どころか完全に無視されたと考えて宜しいでしょう。

わが方も接敵次第、随時応戦を始めましたが、前線の維持ができません。

ベッルムは魔道部隊を後衛に軽装歩兵と軽騎兵を中心とした機動戦を挑んできました。

侵略を国是とする遊走国家だけに戦上手です。

過去の戦訓が殆ど役に立ちません。

飛翔魔導士による最新の後方連絡によれば、我が軍は総崩れとのこと」

陸軍卿は無表情で状況報告を行った。

 王が病床に臥せっている今、ウィリデ王国の王杖はフォルトゥナ姫の手にある。

「それもこれも、わたくしができる限り戦闘を避けよと命じたばかりに起きたことですね。

ベッルムに外交交渉は望めないということですか」

 

 フォルトゥナ姫は齢十八ながら聡明な少女だった。

高貴な生まれながら驕ることなく勉学に励み帝王となる術を身に着けてきた。

年相応の生真面目な理想主義は、元老たちの目から見れば危うさもある。

だが年齢とともに経験を積み知見が増せば、建国以来の名君主になる素質ありとの声望が高い。

 ベッルムの侵略がもう十年遅ければ、フォルトゥナの采配の元、余裕で撃退することもあるいは出来たやもしれない。

だが若き代理王の考えは、戦時の複雑に入り組ん政治と軍事外交のパズルを解くには、まだまだ力を欠いた。

 「王城市と敵前線の間にある各領地の領民はすでに避難が終わっていますね?」

フォルトゥナ姫はただでさえ白い肌から更に色を失っている。

普段であれば燃え上がるように鮮やかな緋色の髪もくすんだ感じに思える。

「各領地のそれぞれの領主が城や館で籠城の準備を終えてます。

しかし恐れながら。

市街地や備蓄庫の略奪が終われば各卿等もそう長くはもちますまい。

有事ゆえ盟約に従い、各卿等も位階の名誉を賭けて時間稼ぎをするでしょうが」

陸軍卿は無表情ななまま淡々と答える。

「もう打つ手はないのですか」

フォルトゥナ姫が懇願するような目で廷臣たちの表情を確認する。


 「・・・あるいは一つだけ反撃の手段があるやに存じます」

姫が望んだ助けの声は意外なところから上がる。

軍事外交とは今のところ関係のない内務卿が、お恐れながらと手を挙げたのだった。

「内務卿ですか。

何か良い対抗策がございますか?」

フォルトゥナ姫の目は年相応の幼さながら内務卿を凝視する。

「姫様もここ半年の間、ベッルムの戦圧に押された難民が多数我が領内に押し寄せた。

そのことはご存じかと思います」

「そうでしたね。

内務卿には素晴らしい働きをしていただきました」

内務卿は軽く会釈すると話を続ける。

「姫様のご指示に従い難民の身元調査と各人の希望を逐次まとめました。

帰化を希望するもの。

いずれは故国に帰るもの。

それぞれを条件階層に従って弁別整理いたしました。

その際我が王国の役に立ちそうな人間については別途収監して詳しい調査を行いました。

実は別途収監者の中に少し変わった魔道系の家柄の者がおりました。

詳しくは魔道局の局長に説明させます」

 内務卿が宮廷吏を促すと一人の女性が連れてこられた。

内務卿も女性だが魔道局の局長はまだ歳若い女性だった。

局長はフォルトゥナ姫の御前で片膝をつき深くこうべを垂れる。

「今は宮廷儀礼などにこだわる必要はありません。

局長殿。

卿の持つ情報を今すぐお話しください」

局長は顔を上げてポニーテールにまとめた黒髪を揺らした。

「それでは魔道局から謹んで申し上げます。

実は越境してきた難民の中に非常に希少な魔道力を持つ家系の者がおりました」

「それはどのような?」

「姫様は臓器被破壊幻痛というものをご存じですか?」

「わたくしも魔道系の諸術や家系については一通り学びましたが、申し訳ありません。

わたくしにはその臓器・・・被破壊幻痛成る術果の記憶がありません。

不勉強なことですね」

フォルトゥナ姫はそっと溜息をついた。

「いいえ滅相もない。

臓器被破壊幻痛という術果をもたらす幻術は、非常に特殊でございます。

分類上は魔道に属するのでしょうが長らく失われた技とされていたようにございます。

大学の魔道学部にも知るものはございませんでした。

ですが、古魔道に興味を持つ変わり者の大学院生がひとりおりまして。

その者が魔道古書館から文献を見つけてまいりました。

文献を精査した大学院生が申すに。

彼の者はどうやら魔導士ではなく幻術使いに分類される古の幻覚師に連なる者ではないか?

とのことでございます。

歳は十四。

家族とともに越境してまいりました少女にございます。

父親によりますれば当代の術者は彼女だけとのことにございます」

「まだ中等学校に通う年頃の子にベッルムの軍を撃退する力があると言うのですか」

「おそらくは。

姫様の仰せの通りにございます」

魔道局長は静かに面を伏せる。

「陸軍卿。

魔道局長に力を借して幻覚師の少女が本当に役に立つのか検討に入ってください。

この難局です。

藁にもすがる思いです。

有用であるならすぐ作戦立案を行ってください。

魔道局長。

もしその少女に有用性があるとしたら人がたくさん亡くなことになりますか?」

魔道局長は素早く面をあげると、今が戦時であることを忘れさせるような大きな笑顔を見せた。

「いいえ。

そこが一番肝心な所にございます。

姫様の理想となされる不戦の勝利が望めます。

もしことが思惑通り運べば彼女を戦場に投入した後。

敵味方を通じてただ一人の戦死者も出さずに戦いを終結させることができるでしょう」

「それは本当ですか。

是非にも卿のプランを進めてください!

陸軍卿。

実戦投入の可能性を探って下さい。

先生、どうかお願いします」

 フォルトゥナ姫はつい廷臣の前で臣下に頭を下げてしまう。

臨時に王杖を持つ身とはいえまだ大学生でもある娘さんである。

幼少期から帝王学の先生でもある陸軍卿に王杖の所持者らしからぬふるまいをした。

だが居合わせた廷臣たちは、フォルトゥナ姫の理想をよく知るだけに、たちまち暖かな気持ちになった。

それは勝利への予感に通ずる、皆の前向きな意志のありようかもしれない。


 戦いは瞬時に終結した。

ベッルム軍は武器を打ち捨て、のろのろと退却しだしやがて国境を越えた。

戦に負けた敗軍と言うよりは、疫病に侵された難民の群れのようだった。

フォルトゥナ姫は追撃戦を命ずることなく国境を閉じた。

 ウィリデ王国に完敗した遊走国家ベッルムはやがて大陸の東部に移動を始めた。

優勢を極めた軍が往時の勢いを取り戻すことは二度と再びなかった。

 数年の後、女王フォルトゥナを盟主とする国家連合がベッルムを無血解体した。

大陸からは略奪を国是とする遊走国家が完全に消滅した。


 「それにしても臓器被破壊痛覚とは凄まじい威力を持つものですね。

陸軍卿。

その少女、幻覚師のラクリマちゃんには十分ご褒美を差し上げてくださいね。

我が王国の臣民になってくださるなら叙爵を考えてもよいくらいのお手柄です」

「かしこまりました。

ラクリマ嬢とその家族は手厚く遇することと致します。

宰相と内務卿にはすでに話も通っております」

陸軍卿は少しやつれた様な顔で姫に答える。

「それにしてもすごい幻術使いがいたものですね。

後学のためにお聞きします。

臓器被破壊痛覚とは体のどこかに痛みを錯覚させる幻術と拝察しますがいかがでしょう?」

「さすがは姫様御明察です。

ラクリマ嬢は見通し線上の任意の場所に幻玉圧壊痛結界を投射できる幻術を使えるのです」

内務卿が妙に畏まった様子で答える。

「幻玉圧壊痛結界?

それはどう言ったものなのですか?」

フォルトゥナ姫はなんじゃそりゃという顔で首を傾げる。

「恐れ多いことではございますが小職の口からは申し上げることができません」

内務卿がなぜか顔を赤らめた。

「そんな御大層な秘密なのですか」

「小職の位階で姫様にそれをお話しすることは、不敬に当たるものと存じます」

「卿がわたくしに教えると不敬に当たるのですか?

・・・そうですか」

フォルトゥナ姫は一計を案じたいたずらっ子のような表情になる。

「陸軍卿。

あなたはご存じですか」

陸軍卿はびくっと体を震わせ困ったような顔でうなずいた。

「それでは先生!

不肖の弟子が教えを請いたいと存じます!」

フォルトゥナ姫は王杖を廷吏に渡し王座を駆け降りると陸軍卿の前に跪いてあどけない笑顔を向ける。

陸軍卿は身体極まったという体になるがなおもしばらくは抵抗を試みた。

 「人に聞かれるのがまずいのならわたくしの耳にそっと囁いてくださいまし」

姫は片耳に手を当て小首を傾げ、さあさあと先生に迫る。

姫にこうまでされて観念したのか、陸軍卿はしぶしぶ何かつぶやく。

「んッまッ!」

フォルトゥナ姫の顔が一瞬のうちにその髪と同じくらい赤くなった。

 

 「当代のベッルム国王の男尊女卑的傾向には甚だしいところがございましてな。

軍は兵卒から士官に至るまで全員が男で編成されておりました。

今どき珍しい配置ですが、そのことで幻術は絶大なる効果を発揮したしました。

死者は一人も出ておりません。

ですがそれはひどいトラウマになります。

伝承によれば幻玉圧壊痛を味わった者は生殖能力はあるものの・・・。

生殖行為が未来永劫不可能になるそうにございます。

王家の男子は全員あの場におりましたからな。

ベッルム王家も早晩断絶と言うことになりましょう。

姫様や内務卿にはお分かりにはならんでしょうが、我等男に取り想像するだに恐ろしい幻術にございます」


 『キ⚪︎タマが潰されるって。

どんだけ痛てーんだよ。

てめーらメスガキにゃぜってー分かんねーよ』


陸軍卿は心の中でそう叫ぶとベッルム軍の兵士に合掌した。















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