第7話
『健斗くん、自殺じゃないよ。あれは、殺されたんだよ、あのお掃除ロボットに』
「ど、どう言う意味?!」
『ここ最近、健斗くんのカメラが覗けなくなってる。あれは機械トラブルが発生したからだって、まさか開発者のあなたが気づいてないわけないよね?』
さぁっと氷が背筋を滑り落ちていく。実家の引きこもっているあの部屋で、あの薄暗い部屋の中で、潔子はなんでもお見通しなのか。
潔子の言う通り、最近健斗に会えていないのは、掃除ロボット『KIyoCO』が機械トラブルを起こしているからだ。何か操作ミスがあって、エラー表示がきっと出ているに違いないとはわかっていても、それを誰にも言えずにいる。健斗の持っている『KIyoCO』のクラウドサーバーが私専用に繋がっていると知られては困るからだ。でも、それがなぜ——。
「まさか……」
思い当たる点を見つけ、一気に全身の血の気がひいていく。ふらっと体が倒れそうになり、そんなはずはないと信じたい自分と、そうかもしれないと思う自分が交差する。
——硫化水素自殺。
お風呂用の洗剤はカビ防止用に塩素系洗剤タブレットを使用している。もしもそれに酸性の薬品が混ざって硫化水素を発生させたんだとしたら——。
いや、それはありえない。そんな初歩的なこと、小学生だって知ってるはずだ。『混ぜるな危険』なんて、当たり前の常識すぎて、間違う人なんているはずない。まさか、そんな取り扱い説明書もちゃんと読まないような人間が、この世にいるはずなんて——。
——俺、機械音痴で。
——健斗、機械音痴だから。
——へえ、そんな機能があるんですね。
わたしが開発した高性能お掃除ロボット『KIyoCO』。その取り扱い説明をまともに健斗にしていないマネージャーの長野さん。そして、機械音痴の健斗——。
——でも待って。
さっき、潔子は『殺人事件を目撃した』と言った。
健斗の『KIyoCO』に装備されているペット監視カメラはいま稼働していないはずだ。それなのに、なぜ、そんな風に言ったのか。まさか、潔子には見えていたのか、わたしが見えていない健斗の姿が。わたしの知らないところで——。
『気づいた?』
潔子の声が聞こえる。行き詰まった思考のままパソコン画面に映る潔子を見る。
『わたしだけの、健斗。わたしはずっと見えてたよ。だって、聖子よりもわたしの方が頭がいいんだから。それにあのお掃除ロボットの中枢システムはあなたが開発したことになってるけれど、その大半はわたしが作ってあげたものだしね』
ああ、今更わかり切っていたことなのだ。潔子の方がわたしより優っているなんて。『KIyoCO』の開発時、潔子を頼りにしていたのも自分。それでも社会から弾き出され、自宅で引きこもっている潔子よりもわたしの方が優れていると思い込んでいた。わたしは学校にも通えて、有名大学を卒業し、一流企業に勤めている。
——わたしの方が優っていると。そう思い込んでいた。
『誰も知らない硫化水素自殺の真相、それはね、こう言うことだったんだよね』
潔子の声とともに、ぽこんと残念な音を出し動画がチャットに送られてきた。力なく、その動画を再生すると、わたしだけの健斗が、わたしじゃない人と部屋で口論している姿が映し出された。
相手はあの、マネージャー、長野さんだ。
『せっかくデビューできたんだから、大人しくしててよ!』
『ばれなきゃいいだろ』
『ばれるからっ! 現に事務所にも週刊誌から問い合わせが来てるし、あの頭の悪いグラビアアイドルが匂わせ投稿なんてするもんだから、揉み消すのに大変なんだって。あのドラマだって、主演女優に手を出すなんて、それが原因でドラマ降板させられたの忘れたの?』
『メイがまた取ってきてくれたらいいだけじゃん』
『そんな簡単に仕事なんて取れないよ! 他のメンバーのこともあるんだし、本当ちゃんとしてよ! それに、それに、わたしとのことだって!』
『はいは〜い。メイはさ、俺の女だよ。他とは違うって』
『いつもそう言って。もう何年も、何年も、ずっと、ずっと待ち続けてるんだよ? わたしだって、もう三十過ぎちゃったんだし、これからのこと、どうしたらいいかって考えてるんだよ! それなのに、それなのに、デビューしたからにはサポートしたいけど、それでも信じて待ってるのに! 今更他の子に行くなんて許せないよ!』
『じゃあさ、メイも他の男探せば? それこそ、誰かと結婚でもしちゃいなよ。俺はさ、別にそれでも全然オッケーなんだけど』
『わたしが今までどんな思いで健斗をサポートしてきたと思ってるの! 養成所時代から、ずっとだよ。もう、ずっとだよ? いつか結婚しようねってそれを信じて今までずっと、ずっと、やってきたのに。それにムーンデイズの足を引っ張るようなスキャンダルも許せないよっ!』
『うっせぇなぁ。まじきもいわ。自分の顔鏡で見たら? だいたいさぁ、二十代のグラドルに身体で勝てると思うの? 主演女優やるような女とメイと、どれくらい顔の作りが違うわけ? そりゃしゃあないって』
——ぽちっ。
マウスをクリックして動画を消す。もうこれ以上健斗のこんな姿を見たくもないし、聞きたくない。健斗は、わたしだけの健斗は、真面目で、努力家で、優しくて、それでいて汚れなき存在なのだ。その健斗がこんなことを言うわけない。これはきっと悪い夢なんだと思い込もうとする。脳内から今見た映像と、今聞いた音声をデリート削除。何度も何度もそうしてきたし、わたしだけの、わたしの知ってる健斗でその部分を埋め合わせる。キラキラ輝く笑顔が素敵な、アイドルグループ『ムーンデイズ』の健斗を——。
『どう? わたしだけの、健斗は。聖子が夢中になるような男じゃない。それに、わたしは死んで当然のくず男だと思ったなぁ。だって、女性を外見で非難して、それって酷い。この女の人もかわいそうだよね。だけど、もう限界だったのかな。それとも衝動的な行為なのかな。このあとね、お酒を飲んで爆睡したのを見届けてから、帰り際、お掃除ロボットの水タンクに酸性系の洗剤を投入してね、お風呂掃除用のタブレットを三つ全て使い切るように設定。お掃除ロボットを起動させて、そして部屋を出た。まさか、本当に死ぬなんて思ってなかったかもね。だってさ、ほら、たかがお掃除ロボットで、家庭用なんだし』
潔子の冷静な声を聞き流しながら、テレビ画面に目をやると、お掃除ロボット『KIyoCO』のCMがちょうど始まったところだった。
『すごい! これが全部スマホのアプリで管理できるなんて!』と、元アイドル女優の弾んだ声が聞こえて、幸せそうな四人家族の映像が映っている。きっと、録画中の『タノモーズのキラキラデイズ』がさっき画面を切り替えたニュースよりも先に進んでいるのだ。平日のお昼時、テレビCMのヨの字帯と言われる主婦層向けの放送枠に『KIyoCO』のCMは多めに流れている。
『家にいない時間もアプリで遠隔操作。本体に専用タブレットをセットすれば本格的な床掃除も! それにカメラ内蔵で留守中のペットの様子だって見れちゃうんです! この感動体験をぜひあなたの家でも!』
なんて便利な機能が満載のお掃除ロボットだろう。洗剤のタブレットを装着すれば本格的な床掃除もできるし、アプリで設定をすればワックスだってかけられる。お風呂掃除だってできるし、水タンクにルームフレグランスだって投入できる。何よりも、留守中のペットがいつだって見れるんだから。
「それで、どうするの?」
無気力に潔子に尋ねると、潔子は「ふふふっ」と声を漏らし、ある提案をしてきた。
『わたしのターンが来たんだよ』
どうやら潔子はこの動画をどこにも流出する気はないと言う。潔子が言うには、マネージャーの長野さんは死体発見時、健斗の部屋に携帯用の酸素を持って登場。まさか本当に死んでいるとは思ってなかったのか、多少の動揺はあったものの、酸素ガスの小さなカップを口元に当てながら急いで窓ガラスを開け、ゴム手袋をはめた手で『KIyoCO』を布団圧縮袋に回収したのだとか。その後で部屋に空っぽになった『混ぜるな危険』の洗剤ボトルを二本転がした、らしい。私は正直驚いた。長野さんは『KIyoCO』の使い方も『混ぜるな危険』も知っていたのだ。
健斗がお掃除ロボット『KIyoCO』をバラエティ番組中にプレゼントされ、持っている事を知ってる人がいるとしても、ペット監視機能で撮影された動画が世に出ることはない。だって、それはわたしの働いている『キヨコーポレーション』のクラウドサーバーではないところに保管されていたのだから。だから、健斗は自殺したことになるだろうと、潔子は言った。
『ありがとう、ちゃんとした会社で働いてくれていて。健斗の死を悲しむための有給休暇は今日でおしまい。明日からわたしが
——ピンポーン
一人暮らしのわたしの部屋のチャイムが鳴った。同時にビデオ通話は終わりを告げる。
もう逃げようがない。だって、潔子の方が頭がいいし、わたし達の見た目は同じなのだから。ただでさえ人から注目されてないわたしと妹が入れ替わっても、気づく人はまずいないだろう。それに、わたしの仕事のほとんどは潔子に依頼して成り立っていたのだから、会社に迷惑をかけることもない。
離れていてもリアルタイムで仕事ができるリモート機能と、遠隔操作ができる便利な家電。本当、凄い世の中になったものだ。ある意味感動すら覚える。
——ピンポーン
急かすようにまたチャイムが鳴る。
——ピンポンポンポン、ピンポンピンポン、ピンポンポンポン、ピンポンピンポン、ピンポンポンポン、ピンポンピンポン、ピンポンポンポン、ピンポンピンポン、ピンポンポンポン、ピンポンピンポン
何度も何度もチャイムは鳴り続けている。よろよろと立ち上がり、玄関に向かうわたしの背後で、元アイドル女優の弾んだ声が聞こえた。
『この感動体験をぜひあなたの家でも!』
—— 了 ——
キヨコ 和響 @kazuchiai
ギフトを贈って最初のサポーターになりませんか?
ギフトを贈ると限定コンテンツを閲覧できます。作家の創作活動を支援しましょう。
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます