第6話


 これは、まさか。

 意味がわからない。

 なぜ北海道で引きこもっているはずの妹がこんな映像を持っているのだ。


「うそ、なんでこれを?」言いながらスピードを加速させたわたしの指がキーボードを激しく叩く。


〈なんでこの動画を持ってるの?〉

〈信じられない! こんなの犯罪だよ!〉

〈どうして? どっから見つけてきたの?〉


 送られてきた動画、それはわたしと健斗だけの時間を映したものだった。わたしの宝物の時間。誰も知らない健斗との時間。


「なんで? なんでなんでなんで?」叫び声にも似た声が自然に出てくる。頭の中の情報処理能力が追いつかなくて、混乱する。


〈どう言うことか説明してよ!!!〉


 嫌な汗が身体中から湧いてくる。ねっとりと粘着質の嫌な汗が。わざわざ嗅がなくてもわかる、腐った卵のような体臭が。


〈聖子、これどう言うことだと思う?〉


 新たな動画とともに妹からのメッセージが届く。恐る恐る画像をクリックすると、健斗の動画が流れ出し、頭の中の記憶から消し去ったはずの光景がどっと押し寄せてきた。


 見たくもない、もう、忘れてしまいたい恥ずかしい映像。

 いや、恥ずかしいだけじゃない、許しがたい映像だ。


 純愛ドラマで共演していた主役の女優との生々しいベッドシーン。


 真面目なイメージを売りにしている健斗にはあってなはならない映像だ。何度も何度も脳内記憶をデリートして、ないものとしてきた映像。それは紛れもない健斗の部屋で行われている性行為で、こともあろうかわたしが座ったあのグレーのソファの上で激しく行為に及んでいるものだった。


「やめて!」画面に向かい声を荒げ、その画像を消そうとした時、また新たな動画が送られてきた。動画を消そうと動かしたマウスが再生ボタンに触れ、消そうと押したクリック動作がその動画を開く。


「もうやめてぇ!」


 一人暮らしの部屋で今まさについているバラエティ番組、『タノモースのキラキラデイズ』で共演しているグラビアアイドルと健斗が激しくキスを重ねる動画が、激しい息遣いとともに流れ始める。唇を重ねながら上半身の洋服を脱ぎ捨て、ソファに転がる鍛え上げられた二つの肉体。絡み合う足と腰を上げ喘ぐ女の声。


 見たくない。

 これも健斗のイメージには相応しくないものだ。

 これも頭の中からすっかり消して生きてきたというのに。


「もう、もう本当にやめてってば!」叫び声を上げ、ビデオ通話ボタンを押した。


 なぜこんなことをするのか意味がわからなかった。なぜ、健斗がいなくなって目の前が真っ暗のわたしに追い討ちをかけるようなことを妹——潔子きよこ——がするのかが、わたしにはどうしても解せなかった。そして、許せなかった。すぐにビデオ通話がつながり、妹の顔が画面にドアップで映し出される。


 普段と違い、今日は髪の毛をきれいにまとめて化粧をしているけれど、気味の悪いほどにやけて目が潰れかけている。肉で埋まりそうな口元の微細な筋肉を吊り上げて妹、潔子が、狭い画面いっぱいに顔を映し出し、話し始めた。


『聖子、大丈夫? びっくりしたよね、呼吸が荒いよ』

「潔子、なんでこんなことするのっ! それに、この動画は一体——」

『ねぇ知ってる? 双子っておんなじ顔してるんだよ?』

「どう言う意味?」

『だからね、双子って、それも一卵性の双子ってさ、おんなじ顔してるんだってば』

「当たり前でしょ! 何を今更!」

『聖子、そう聞いてもなんとも思わないわけ?』

「どう言うことよ!」

『あのね、同じ顔してるってことはスマホのロック、顔認証で外れるんだよ』


「は?」と、変な音階の声が漏れる。


『去年の夏に私たち久しぶりに会ったじゃない』

「でっ!?」


 きつい口調で答えると潔子は「その時にスマホ借りたでしょ?」とわたしに言った。それでようやく、言わんとすることがみえた。


 昨年のお盆に帰省した時、久しぶりに妹の潔子の部屋に立ち寄ったわたしは、潔子とわたしの仕事の話をした。友達も少ない恋人もいないわたしがする話といえば最近の健斗の話か、仕事の話くらいしかない。そう、開発している製品のシステムの話とか——。


『あの時ね、思ったんだよね。本当はわたしも東京の大学行って、ちゃんとした会社に就職してたはずなのになぁって。だって考えても見てよ。聖子よりも頭のいいわたしがね、高校中退で引きこもってるなんておかしいと思わない?』

「それは潔子が自分で選んだことでしょ?」

『わたしが引きこもりになってるのは、自分の選択。確かにそうだよね。インフルエンザで高校受験が失敗して、そっからおかしくなったとは思ってるよ。でもね、ずっと引っかかってることがあるんだよね。ほら、聖子が大学に受かったのってわたしのおかげだし』

「それで?」

『都合の悪い記憶は消しちゃったのかな? あのね、聖子、あんたが大学に受かったのはさ、受験当日インフルエンザになったあんたの代わりにわたしが替え玉受験したおかげだってこと、忘れたの?』


 パソコン画面にドアップで映し出される潔子の顔がぐにゃりと曲がった。忘れているわけではない、消し去った過去の記憶。誰も知らない、わたしと潔子だけの秘密。慌てて、何か言い返そうとして唇が縺れる。


「そうだとしても、そうだとしても、わたしは合格間違い無いって言われてたし。本当にわたしが受けても受かってた——」

『そんなんわかんないよ。受けてないんだから。もちろんわたしは高校の単位がないし、東大なんて受験できる資格もないよ。でもね、引きこもりなめんなよ』

「は? どう言う——」

『家にいてもちゃんと勉強はできるし、社会と繋がれる。その気になればなんでもできるってことだよ。今時はね』

「い、言ってる意味がわからない……。なんで急にそんな話をするの?」


 潔子は「ふふふっ」と気味悪くわらって、「わたしのターンが来たってことかな」と口角を吊り上げた。唇の隙間から隙間のあいた前歯が見える。こんな些細なところまで微ているなんて怖気が走る。まるで自分を鏡で見ているみたいだ。


『ねぇ、わたしだけは知ってるよ、聖子の秘密。健斗くんのアプリにペット見守り機能つけたでしょ?』


 目眩がする。胃がひっくり返りそうに痛む。顔面にねっとりとした臭い油が噴き出てくる。言葉が出てこない。誰にも気づかれていないはずだった。だって、そのカメラの映像は通常の『KIyoCO』のクラウドサーバーではないものに紐付けしているのだから。わたしだけが見ることのできる、わたしだけの健斗フォルダ——。システム設計の段階でテスト用に作ったわたしだけが知っている、わたしだけのフォルダのはずなのに。


『大丈夫? すごい顔色してる。あのバラエティ番組に出た時みたいに真っ青だよ?』


 言葉が出てこないわたしに、潔子はさらに言葉を続ける。


『あの日、聖子がわたしの部屋に来た日。わたしは聖子のスマホロックを顔認証で外してね、それで聖子のしてること見つけたんだよね。まさかわたしがこっそり手伝っていたシステムがさ、推しのアイドルの盗撮に利用されているって知ったときはショックだったな。だって、聖子の仕事を手伝ってる時はなんだかわたしも社会とつながって仕事をしているような気になれていたしね。それなのに、なぜ、って正直思ったよ。でも聖子が幸せそうに健斗くんの話をするからね、まあそれでもいいかって思ったの。だって私たち恋人ができるタイプじゃないし、それにわたしもこっそり健斗くんの私生活をのぞいて、それはそれで楽しかったしね』


 潔子も、健斗を見ていた。

 わたしと同じように。

 わたしだけの、健斗を。

 潔子も。

 腹の底から嫌悪感が湧き出てくる。

 わたしだけの、健斗を覗き見ていただなんて、許せない。


 画面に映る潔子を睨みつける。ここ数日泣き腫らして重たくなった瞼で目が潰れる。小鼻がびくんびくんと震え、ぎゅっと唇をかみしめた。許せない。わたしだけの健斗を、盗み見るだなんて。絶対に、許せない。


 潔子はそんなわたしを無視して、信じられないことを口にする。


『でもさすがにさ、殺人事件を目撃したらこれは問題だよね』

「は?」


 一瞬で顔の筋肉が解け変な声が出る。

 いま、なんて言った? 

 殺人事件?


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