第8話 大団円
「入社三年目になったけど、なるほど、三か月前にも同じことを思い出したっけ」
というのを思った。
入社式で言われた、
「三日持てば、三か月もつ」
と言っていたことだった。
確かに三日目に、
「次は三か月だな」
と思い、そして、三か月後に、
「三か月が経った、次は三年か?」
と思い、その時に、
「本当にちょうど三か月経って、三日目の時のことを思い出すなんてことがあるんだ」
と思ったので、
「三年後にも同じ思いをするのだろうか?」
と思ったが、まさにその通りだった。
その間に、何度か、
「ああ、まだ三年経っていなかったな」
と、三年目に思うであろうことを、ふと感じたことがあったが、感じたといっても、ハッキリとした感覚だったわけではないので、すぐに記憶から消えてしまっていたのである。
それから、また三年が経ち、今度は、自分の気持ちに何となくであるが、余裕が出てきているのに気づいたのだった。
ただ、その頃になると、会社では、同期の連中や、事務所の女の子たちの結婚ラッシュがあった。
結婚すると、女子は、
「寿退社」
をする社員が増えてきて、半年もしないうちに、女性社員のほとんどが入れ替わっていた。
「何か、寂しいよな」
と、男性社員の一人が、漠然と言ったが、鏑木にはそこまでの感情はないはずなのに、
「言われてみれば」
と思ったのだ。
その寂しさは、別に孤独を感じさせるものではなかったはずなのだが、その時に感じた寂しさと、自分が知っている孤独感との間にギャップが存在しているのを感じると、その時に感じた寂しさというのは、自分が今まで知っていたはずの寂しさではないような気がするのだった。
「そうだ、この寂しさと感じているものは、虚しさなのではないだろうか?」
と感じるものだった。
虚しさというものが、どういうものなのか、今までに感じたことはなかった。寂しさと孤独に関してはその違いということで感じてきたが、虚しさというのは、また違った感覚であり、少なくとも、精神的なものと、肉体的なものとに別れるような気がしたのだった。
そんな思いを抱きながら、その虚しさの正体が何であるかを考えていたが、ふっと思い浮かんだことがあった。
いや、ふとなどと言ったが、最初から分かっていたことだというのは、言い訳だと思うと、ハッキリとしている。
昔だったら、自分でこのような恥辱を理解し、納得できていたはずなのに、なぜ、年を取ってきているにも関わらず、自分が後退しているような気がしてくるのはなぜであろうか?
「そうだ。昔はお寺を継ぐつもりで、自分を見つめ直すということを真面目にやってきたではないか。今は、自分を見つめ直すことをしていない。なぜなら、お寺を継いでいないからだ」
と感じた。
「お寺を継がないお前に、自分を見つめ直すなどということを今さら何を思ってそんなことを感じるというのだ」
と、自問自答を繰り返した。
「俺は、寺を継がないと考えてから、俗世に堕ちたのだ」
と、ずっと思ってきた。
そして、俗世と言う中でも、底辺にいて、そこでもがくように生きるのが、自分の生き方だと思っている。
だから、欲望というものを持ってはいけないと感じていたのだ。
だが、虚しさというものを感じた時、
「欲望の欠片でも残っているのかな?」
と思った。
その時、思い出したのが、ギリシャ神話に出てきた、
「パンドラの匣」
の話だったのだ。
あの話は、寺を継ぐことを考えていた時、本で読んだりして、調べたことであった。
確かパンドラというのは、女性の名前で、神が当時人類には存在していなかった女というものを作り、地上に遣わせたものだった。
ただ、この、
「贈り物」
は、神からの悪が送り込まれたことであり、彼女が持っている箱を開けると、そこから、ありとあらゆる不幸や災難が飛び出してくるという話であった。
そして、その箱には、飛び去すことのないものが残ったという。
それを、
「予言」
というものだとすると言われているが、希望だという説もある。
しかし、この希望というものは、実は、いずれ起こるであろう不幸を予言しているものだということであり、その不幸が起こるまで、ずっと怯え続けなければいけないという、
「期限のない恐怖」
というものであった。
そう、
「欲望の欠片」
が、その時箱に残っていたとされる、
「希望、予言」
であるとすれば、今から自分が欲望を満たそうと考えるのは、いいことなのか、それとも悪いことになるのか、それとも余計なことを考えない方がいいのか、一体どれなのだろうか?
それから、二年ほどが経って、風俗通いも頻繁である。なるべく気に入った子を作ることなく、その時々での恋愛を楽しむことにした、下手に誰か一人に執着してしまうと、彼女にしてしまいたいという気持ちになると、その子のことが気になって仕方がないと思うようになるのではないかと思った。
だが、逆も考えられる。一人の子に執着すると、彼女でもない相手なので、さらに飽きがくるというものではないだろうか。
大学時代に付き合っていた、新垣あかりという女。正直あの女にも途中から飽きがきたので、別れることになったのだろうと思った。その思いに違和感もなければ、相手も何も言ってこないということは、
「相手も自分に同じことを感じていたのかも知れない」
と感じたのだ。
彼女だと思っていると、
「次第に相手に飽きが来るのではないか?」
という思いが彼女にもあったのだろう。
それを感じるようになってから、自分の躁鬱症の中には、
「何か限界を感じるようになり、その限界が見えてきたからではないか」
と思うようになった。
限界を感じるのだが、その限界がどこにあるのかということが分からないと、それがストレスになり、躁鬱症を引き起こす。それが、あの時の大学時代の感覚で、
「寺を継がない」
という結論に至ったのかも知れない。
あれから、彼女を作ろうという意識はない。結婚というものも、まったく考えなくなってしまった。
「性欲がたまったら、その時々で発散すればいい」
という思いに至り、好きになった人がいたとしても、
「ちょっと付き合ってみるくらいはいいかな?」
という程度になった。
恋愛も、性欲も、その時にドキドキできれば、それでいいのだ。
変に相手を好きになったりしても、すぐに飽きてしまうのであれば、それは相手に失礼だ」
と思うのだ。
新垣あかりの時は、相手も同時に同じことを思っていたから、うまく別れられたのかも知れない。
しかし、逆にいえば、
「相手が同じことを考えていたのだとすれば、今もし再会して、焼け木杭に火が付いたなどということになれば、ひょっとすると、うまくいくかも知れない」
と感じた。
「うまく別れられる仲なのだから、これ以上の仲はないともいえる。だから、付き合うのなら、今の自分と、新垣あかりのような二人なのかも知れないな」
と感じた。
あかりのことを思い出していると、かすみのことも思い出される。
考えてみれば、新垣あかりの存在があったから、かすみのことが気になったのであって、新垣あかりの存在も、かすみがいたから、必要以上な存在だと思えたのかも知れない。それぞれに、過剰な感情が生まれることで、相乗効果を生み出したのかも知れないと感じたのだ。
今は、好きな人もいなければ、
「この人に癒してもらいたい」
という気持ちになったとしても、それは一回こっきりということが多いだろう。
だから、最近は、
「早朝営業の店」
によく通っている。
値段も安いし、ガチ恋に走ることもないと思うからだ。
だが、最近、そんな早朝ソープで気になる女性がいる。
その女性には、何か感じるものがあるのだ、
「どこか、かすみに似ているのかな? それとも、新垣あかりに似ているのかな?」
とも考えたが、ハッキリと分かるわけではない。
どちらかというと、
「それぞれに、少しずつ似ている」
と言ったところであろうか。
だから、飽きがこないのかも知れない。
考えてみれば、相手に完璧を求めることが間違いなのであって、完璧を求めるから、飽きが来る。
どうして、そのことを大学時代に気づかなかったのだろうか?
それも、新垣あかりと付き合う前にである。
もし、あの時この自覚を持っていれば、飽きるということもなく、飽きが来ることに対して、孤独感を抱くこともなかっただろう。
腹いっぱいに食べようとするから、途中で息切れしてしまうのだ。確かに、おいしいものを少しずつ食していけば、少しずつ飽きもなくなってくるのかも知れない。
そんなことを自覚していないなんて、大学生にもなってそんなことが分からなかったのが今から思えば悔しいのだ。
今では、女性を好きになるということはないが、好きになる代わりに、性欲を癒してくれる人を探すのが、一番いいと思っている。
そのためには、安く挙げれれば一番いいのだが、そのおかげで、毎回違ったドキドキを味わうことができる。
しかも、風俗というところは、二回目に指名した時の、
「本指名」
というのが、なぜか高かったりするのだ。
本当であれば、本指名というリピーターの獲得の方が、店にとってはありがたいと思うのに、なぜ新規ばかり優遇するのかと不思議に思う。
何といっても、風俗というと、当たりもあれば、外れもある。外れの場合は、
「地雷」
などと呼ばれることもある、
だから、お気に入りの子ができれば、その子にばかり入るというのも、当然のことなのだ。
最近は、また一人の女の子に嵌りかけている自分が怖い気がしている鏑木だった。
その女の子は、よく見ると、新垣あかりと、かすみのそれぞれのいいところを備え持っているような気がする。
「お客さん。最近、寂しいと思っていらっしゃるのかしら?」
と、言ったその時の顔が、完全に忘れれなくなっている、鏑木だったのだ……。
( 完 )
早朝と孤独 森本 晃次 @kakku
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