臆病者

こけつき

第1話

死にたい。

そう思うのは異常なのだろうか。


恵まれた自分の環境でもそう思う瞬間は少なからずある。

決して冗談や一種の表現ではなく、心の底からそう思う。


恵まれた自分ですらこうなのだから、世の中の人間は同じかそれ以上に「死」を望む人間がいてもおかしくないはずだ。

そう思っていた。


だが周りの人間にその気持ちを伝えると必ずといっていいほど真剣には取られない。

「俺も~」だとか「やめなよそういうこと言うの」だとか言われる。

反応を見るからに自分がおかしいのだろう。

今では死にたいなどとは絶対に口にしない。


思春期の戯言だろうなと自分でも思っていたが、大学生になった今でもそう思う気持ちは消えない。言葉にできないモヤモヤが心の底に溜まったままだ。


今日も、漠然としたモヤモヤを抱えながら大学へ向かっていた。

「祐樹~!」

後ろから聞き慣れた声がした。誰かはわかっている。

「瀬那と朱里か、おはよ」

「祐樹君おはよ」

「おはよ~、1限しんどいって~」

「それな。後ろで寝とこうぜ」


こんな他愛もない話をしながら1限の教室へ向かう。火曜日は毎週こうだ。

来る電車が同じだから横断歩道で必ず合流することになる。

「去年は1個も1限に授業無かったのに~」

「必修だし出席厳しいからしかたないよ」

口をとがらせる朱里に瀬那が言った。

「そうだけどさぁ~」

そう言って朱里は肩を落とす。ここまでがテンプレだ。

でもその姿が面白くて僕と瀬那はいつも笑ってしまう。


通っている大学は明るい学校で、周りの同級生は悩みなど感じさせない眩しい性格をしていた。入学した当初はその明るすぎる雰囲気に圧倒されっぱなしで、深く仲良くなれる友達に出会えるか不安で、多くの人と広く浅く仲良くしていた。


1年たって2年生になり、気がつけばいつも仲良くしているメンバーが固まってきた。

それが瀬那と朱里だった。正直性格もかなり違うためなんで仲良くしてるのか自分でもわからないが、二人といると居心地が良い。共通点なんて出身が神奈川県なこととピアスをつけていることくらいではなかろうか。


どうやって仲良くなったのかなんていうものは、もはや覚えていない。

1年の春学期に取った授業で朱里に声をかけられたことがきっかけなことは覚えている。大教室でたまたま隣に座っていただけだ。


初めから最後まで寝ていた朱里が授業内容を知るために連絡先交換を求めてきたことが始まりだ。その後メッセージのやり取りはしていたが、会ってはいなかった。

しばらくして数人で試験対策を一緒にすることになり、朱里に瀬那を紹介された。

瀬那も僕と同じ感じで朱里と知り合ったらしい。


そこからご飯に行ったり遊びに行ったりするうちに仲良くなって今では周りからピアス3人組などという、「そんなやつゴロゴロいるだろ」とつっこみを入れたくなるような没個性的な名前で呼ばれている。


チャイムが鳴った。丸めていた背中を伸ばし、形だけ出していた教科書をバッグへと詰める。

「リアぺも宿題もなかったよ」

「そっか。瀬那ありがとな~いつも。今度なんか奢るわ」

「ほんとに? 嬉しい、ありがと」

「その代わりと言ってはなんだけど、試験勉強も教えてくれたり…?」

「いいよ。どうせ朱里に教えなきゃだから一人増えても変わらないから」と言いながら瀬那は朱里を揺する。

「助かる。起きろ~朱里~授業終わったぞ~」

朱里は体を起こしたものの、目がまだ閉じたままだ。

「ふぁ~ぁ、やっと終わった?今日全然寝れてなくてさ~、耐えられんかったわ」

「いつもそうだろーが。そのセリフ毎回聞いてるぞ」

「というか朱里初めから起きてるつもりなかったでしょ。ほら早く片付けて」

SNSを確認しながら瀬那が急かす。急かしてはいるが、急いでいる様子はない。

なぜなら三人ともこの後は授業がないからだ。

「祐樹はこの後どーすんの?なんかある?」

「ない、けどとりま一服してくる。飯食う?ちょっと早いか?」

「煙草か~。ほどほどにしないと体に悪いぞう」

余計なお世話だと思いつつ、言われること自体は特に何とも思わない。そんなことはとうに知っている。だが、やめられない。

「はいはい。んで飯は?」

「あたし食べる~瀬那も食べるよね?んじゃ駅前の喫茶店で待ってるわ」

そう言って朱里と瀬那は立った。「じゃあまた後で」と解散できたので二人を尻目に速やかに喫煙所へと足を運ぶ。


とても疲れた。僕も朱里と同じで全然寝られていない。理由もまぁ大体同じだろう。

「ふう~」

吸った空気を肺に入れ、ゆっくりと吐き出す。幸せだ。

朱里と瀬那は2人きりのときにどんな話をするんだろうか、とふと思った。見ている様子では共通点も大してない。朱里はとても活発でアホだが、瀬那は大人しく真面目だ。全然違う。強いて言うなら二人とも世にいう美人だということであろうか。

「よっ!祐樹おはよ!」

後ろから急に声をかけられた。驚きはしたが、これも誰かはわかっている。毎週のことだ。

「マサか、おはよ~」

「まーたお前は美女二人ほっぽって喫煙所ですか。もったいねえ」

「ヤニとマサのほうが大事だからな~」

「そういってくれんのは嬉しいけどねえ~」

「けどなんだよ」

「なんでも~?」

そう言って胸ポケットから雑に箱を取り出し煙草に火をつけるこの男はマサだ。

彼は同じサークルの友人だ。本名は柳正明(やなぎまさあき)という。見かけに寄らず名前は堅そうで格好いい。

「まーたその煙草かよ」

「悪いかよ」

フッと笑ってもう一度吸う。今度はゆっくりと、煙草の先端が赤くなってしまわないように気をつけて。

「なぁ、なんでその銘柄なんだ?お前ずっとその銘柄じゃね?」

「浮気する気がないだけよ。ニコチンもタールも多いから味わい深くておいしい」

「ほんとにそうか?」

驚いてマサの方を見てしまった。マサの目はスマホから動いていない。しかしスマホの画面もまた動いてはいなかった。本当にこいつは変なところで勘が良い。

「そうだよ」

「そっか」

背中に汗が流れた。ここは屋外喫煙所だ。とても暑い。


「んじゃ待たせてるからそろそろ行くわ」

気まずさから逃げるようにそう言った。まだだいぶ残った煙草を乱暴に灰皿スタンドへ押し付け立ち上がる。腕に目をやると時計はすでに11時を示していた。

「そうしろそうしろ~。俺はもう一本吸ってから授業いくわ」

「あいよ。またな~」

立ち去る足がいつもより速くなっているのを感じる。人を待たせているからか、はたまた暑さからであろうか。頭皮を汗が流れるのを感じ、目を閉じて上を仰ぐ。顔に垂れるのは好きじゃない。

ピロンッとスマホが鳴った。瀬那か朱里だろう。ほかの人からの通知は来ないように設定してある。通知を長押しして内容を見る。

 『まだ?』

一服と言ったのに随分と待たせてしまった。返信と謝罪の必要がありそうだ。

 『悪い今吸い終わった。今から向かう』

 『わかった。昼もここでいい?』

 『おけ~』

案の定瀬那からだった。昼ごはんも喫茶店で済ませようということらしい。

喫茶店にはどんなメニューがあったか思い出そうとしたが叶わなかった。僕たちは、駅前にあるにも関わらずその喫茶店に行ったことがあまりない。少なくとも僕の知る限りでは。


気がつくと目的地についていた。レトロな雰囲気を醸し出す看板と煉瓦の階段、間違いなくここが喫茶 Pesanteだ。祐樹は表に出されたメニューにさっと視線を向けたのち趣ある煉瓦の階段を踏みしめて上り、いかにも喫茶店らしいガラスがはめ込まれた扉の取っ手に手をかけた。






















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臆病者 こけつき @atsulin

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