第1話 紅鴉の城(修正版1)

 暗礁色の空を、金色の望月がゆっくりと闊歩する。

 働いていた人々は帰宅し、窓の内に灯が宿る。

 野良猫たちは空き地に集まり、ひそやかに夜空を見上げる。


 

 電柱の灯りを頼りに、三人の少年が暗い路地を歩いている。

 先頭を行く少年は、まかないのおばさんが焼いてくれた粉焼きを包んだ風呂敷を下げている。

 餡子を挟んだ粉焼きは、彼らの大好きな夜食だ。

 午前中は学舎で学び、午後からは製紙工場で働き、体はヘトヘトだ。

 餡子の甘味は、彼らを癒してくれるだろう。

 

 足を引き摺る彼らの耳に、ラジオの音が聞こえて来た。

 音が漏れる方角を探し――やがて、近くの木造家屋の二階からだと気付く。

 若手歌手の『三木ひとみ』が歌う『月花の空』が流れているのだ。



 ――私は、あなたのために庭に花を植えました。

 ――やがて紫の花が咲き、風は種を草原に運びます。


 ――その種を、白い鳥がついばみます。

 ――鳥は空を渡り、あなたの住む島に辿り着くでしょう。

 

 ――あなたの足元に種は落ち、その上に雪が降るでしょう。

 ――雪が解け、春が訪れ、あなたは咲く花を見るでしょう。


 ――離れていても

 ――会えなくとも

 ――私は、あなただけを想って空を駆けるのです。

 

 

 澄んだ歌声に、三人の顔は自然とほころぶ。

 いまだ戦争の傷跡は癒えない。

 他国との交易も再開できない。

 

 それでも人々は勤勉に働き、学び、食べ、眠る。

 三人は歌声に背を押され、足を速めた。

 寮の入浴時間に遅れたら、湯が冷めてしまう。



 


 しかし――突如として、轟音がくうを蹴散らした。


 空襲を告げる鐘が鳴り響き、緊張が三人を覆う。

 訓練では聞き慣れた音だ。

 緊急訓練なのかも、との楽観論が掠めたが――しかし、見上げていた民家の灯りが消えた。

 ラジオも鳴り止み、窓が閉じられた。

 

 街灯も消え、三人は慌てて駆け出す。

 急いで寮に戻らねばならない。

 寮には、『ゴウ』が設置してある。

 寮生三十人の三日分の乾パンと水の備蓄も。


 


 やがて緊急車両が彼らを追い越し、拡声器から音声おんじょうが響き渡る。


「敵襲です。ただちに『ゴウ』に避難して下さい。敵襲です」


 出動した警官たちは家々を回り、避難を促している。

 若い警官が、走る三人に声を掛けた。

「君たち、避難先の『ゴウ』は!?」


「この先の寮にあります!」

「では急いで!」

「はいっ!」


 少年たちは、一目散に駆けて行く。

 彼らには十五年前の戦いを知らない。

 だが、その結果は知っている。

 領民の五人に一人の命が失われたことを。




「……噂は、本当だったか」

 白髪交じりの警官は走り去る少年たちを眺め、空を見上げた。

 隣に立つ若い警官は、声も出せずに天異に見入る。


 先ほどまで見えていた月が消えた。

 厚い灰色の雲が出現し、渦を巻いている。

 渦の中で、青い火花が散る。

 まるで、巨大な線香花火のように。


 

 ――彼らの近くで、犬が吠えた。

 しかし、街灯も消えた通りは暗くて犬は見えない。

 

「……野良犬かも知れん。探して、『ゴウ』に連れて行こう」

「はいっ」


 若い警官は、犬を探しに行く。

 白髪混じりの警官は、町外れにそびえる城に目を移した。


 天守閣の周囲に、幾つもの炎の玉が浮かび上がっている。

 炎は城を照らし、その威容なる影が真紅に染まった。

 『炎軍エングン』が、迎撃態勢に入ったらしい。


 やがて炎の玉は壁となり、町の空を覆い始める。

 しかし、地上には熱波は降らない。

 炎は、人々の命を守る盾となるのだ。



 

 その中心――町を見下ろす『紅鴉べにがらす城』は、喧騒に包まれていた。

 兵士は火縄銃を取り、城の庭に集結する。

 火炎砲の砲門が、斜め上に向けられる。


 十五年振りの戦に、兵士たちの息は上がる。

 あの戦いで家族を失った者は、仇を討つべく眉間に力を込める。



「姫さまは何処いずこられるか?」

「本丸御殿より、天守に移動しております」


 部隊長の問いに、黒拍子姿の白髪の巫女『水影みかげさま』が答える。

 地に座す『水影みかげさま』の足元には銀の水盆があり、水の中に真紅の影が三つ浮かんでいる。

 

上臈じょうろうの『トギ』二名が随行しております。心配には及びますまい」

「ならば良いが……」

 

 部隊長は天守を見上げた。

 天守の屋根に据えられた一対の『銀の鴉』の像は、渦巻く炎にも照らされて真紅に染まっている。

 

 七層に及ぶ大天守を頂く『紅鴉べにがらす城』――。

 十五万人の民の命は、十七歳になる城主の御娘に託されている。



 

 その大天守のやぐらには、十六名の少年少女が集っていた。

 上臈じょうろうが二名、中臈ちゅうろうが十四名である。


 少年たちは、詰襟の黒服と帽子に身を包む。

 少女たちは、白い開襟の黒服を纏い、襟元には赤茶色の薄帯を結ぶ。

 

 全員が刀を持ち、整然と立ち並んでいた。

 彼らは選び抜かれた精鋭であり、命を賭して国の守護に当たる若者たちだ。

 この国の姫と寝食を共にし、貸し与えられた能力を駆使して最前線で戦う。

 

 だが、戦いの経験を持つ者はいない。

 先の戦いを記した書を読み、語り部の言葉を子守歌として育っただけだ。

 

 そして半数近くが、その戦いで敗北して滅した国の移民の子である。

 民にとって重要なのは、生きること。

 誰が主であれ、暮らしに必要な物を与えてくれる者に従う。


 ましてや、移民の子でありながら『トギ』に選ばれたことは、至上の名誉だ。

 十八歳まで勤め上げれば、生涯食うに困らぬ年金が出る。

 

 ゆえに『トギ』たちは心を一つにし、使命に没頭する。

 自分のため、家族のために――。




「姫御前さま、ご到着なる!」

 廊下に控えていた従者が叫び、全員が姿勢を正す。


 革靴の音が低く鳴り、紅月べにづき姫が姿を現した。

 背は高すぎず低すぎず、背を伸ばして堂々と、置かれた金色の鎧の前に立つ。

 従う上臈の『トギ』の少女たちは抜刀しており、いつでも敵を迎え打てる体勢だ。


 

 紅月べにづき姫はやや足を開き、板敷きの床を踏みしめ、仕える者たちを直視する。

 

 腰まで届く黒髪は艶やかに輝き、白い額を覆う前髪が柔らに揺れる。

 上衣は白く、背に斜めに斬り込む衿は紅色だ。

 襟元に止められた紗の帯は黒。

 襞の入った膝丈の裳も黒で、白の靴下と黒い革靴を履く。


 その姫君の――唯一の異様は、その瞳である。

 瞳は、血のような真紅に染まっている。

 受け継いだ『紅の力』ゆえに、民が持つ『黒き瞳』を失った。

 それゆえ、民と同じ物は見えず。

 ただ、魂の形のみを視る。

 生ける者の心のみを視る。


 物を食べても、味は無い。

 においも感じない。


 そして、痛みすらも。

 

 戦いに不要なものは、全て打ち捨てた。

 炎魔えんま刀『紅鴉べにがらす』を繰るに不要なものは、全て取り払った。


 もはや人に無く、肉体は『紅鴉べにがらす』の鞘としてのみ存在する。

 炎魔えんま刀を振るう人形ひとがたに過ぎない。


 だが、姫君はそれを受け入れた。

 国のために。

 民のために。



「……敵は『瑠璃鴉るりがらすの国』である」


 紅月べにづき姫は告げた。

 姫に遺された唯一の人の証は、『声』だけだ。

 よく通る、やや低めの伸びる声。

 齢よりも、少し大人びて聴こえる声だ。

 民に意思を伝える手段として、残されたものだ。

 


「……我らに刃を向ける者は、容赦なく殲滅せよ」


 姫君は命じ、左手を差し出した。

 甲に真紅の紋章が浮かび上がる。

 炎がゆる真円の内側に、真紅の片翼が浮かぶ。

 

紅鴉べにがらすの女神よ。我が血を糧に、その力を解き放て!」


 その言葉が終わらぬうちに、紋章より刀の柄が滲み出た。

 深紅の糸が絡みつく柄の先には、白銀の刃がある。


 国の主の証たる『紅鴉べにがらすの太刀』は、敵の血を吸うべく――その輝きを増した。


 


  ――続く。



 ◇◇◇◇◇


 前話の修正版です。

 時代背景を明確にするために、少年たちの描写を追加しました。

 物語を完成させるプロセスとして、前話も削除せずに置いておきます。

 この先も、修正が入るかも知れません。


 前話から巫女の透視描写を変更し、『水影みかげさま』と命名しました。

 彼女は『水使い』なら、異国の出身と言うことになります。

 昔の戦いで敗北した国の巫女だったのでしょうか?

 白髪と設定しているので、孫娘が居ても不思議じゃない。

 じゃ、孫娘を出すか――


 こうして、キャラが増えていく訳です。

 

 蓮也、優希、こう志岐しき明夜あや千霞ちか……

 この辺が、姫の側近の『トギ』の少年少女たちの名前となる予定です。

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紅鴉の国【テスト版】 mamalica @mamalica

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