後編 十年後の呪詛返し

 恐怖で焦り、メチャクチャにハンドルを切った。

 自転車は、美咲の足が全力で与えた力で、美咲にも制御不可能なまま、脇の雑木林に突っ込んだ。

 地面に身体を打ちつけ、ジンジンとした痛みにのたうつ。


「うぅ。くっ」


 痛みに構わず起きあがろうとした。

 早く逃げなきゃ。追いかけてきた『何か』に捕まる。 

 早く。早く。


「……。……。……」


 林の中から聞こえる、お経のようなブツブツとした人の声。

 また何かいる。

 恐怖で身がすくむ。

 こんな時間に、こんなところで。

 人間じゃないはず。

 まさか、幽霊……?

 目だけを、恐る恐る上に動かした。

 木や茂みの間に、暗い人影が。

 一人ではない。二人。三人。いや、もっと。

 初めこそ、心臓が止まりそうだった。が、段々闇に目が慣れてくると、その形が少しずつとらえられるようになった。

 幽霊にしては、透けておらず質量がありそうだ。それに声も滑らかで、生々しい。

 あれは間違いなく、人間だ。

 猫崎言子が言っていた、自分に呪いをかけた人間?

 あの人たちが。どうして? 一体? 誰なの?

 身を伏せ、音を立てず、ゆっくりと近づいた。

 人影の姿も、声も、どんどんはっきりしてくる。


「……なんとかしてください」


 聞き慣れた声。

 あれは、彼氏の声。

 やっぱり、と思ったが、声はそれだけではなかった。


「あの人のせいでどれだけの人が不快になったことか」


 友達の声。


「娘があんな子だって知らなかったんです。ママがちゃんと育てなかったから」

「あなたがそれを言う? 言っておくけど母親の責任じゃない。もう高校生なんだから自己責任」

 

 パパとママの声。


「と言っても、あの人返しても返してもキリがないのよねえ。忠告したんだけど」


 その聞き覚えのある声には、殺意が湧いた。


「猫崎言子?」


 声をあげると、人影たちがざわめいて、めいめい首や手を動かし、スマホのライトで美咲を照らした。


「なんだ、来たの?」


 目が眩む光の向こうにいるのは、呆れたような猫崎言子。おふだのような紙切れを手にして、肩にキジトラの猫を乗せている。

 まわりにいる者の顔も、はっきり見えた。

 友達。元カレ。クラスメイト。パパ。ママ。

 みんな、固い表情で、猫崎言子と同じお札を持っている。

 言葉を発しようにも、この状況が信じられず、口をパクパクさせるしかなかった。


「なんで……。みんな全員で私に呪詛をかけてたの? どういうつもり?」


 言子が落ち着いた声音で言う。


「呪詛をかけていたんじゃないわ。みんなが受けたみんなの呪詛を、かけた人に返してただけよ」


 ますます意味がわからない。頭がこんがらがってパニックになりそうだ。どうしていいかわからず涙が出てくる。


「意味わかんない。呪詛だの返すだの何なのもう。私を呪ってるのは結局誰なの?」

「あなた」


 きっぱり断言され、「え?」と、喉から勝手に声がもれた。


「あなたに呪詛をかけているのはあなた。だって、あなたが他人にかけた呪詛を、全部私が返してるから」


 呆然としてみんなの顔を見る。

 みんなは不快そうにこちらを見据えている。

 白い目、という言葉が、ぴったりだ。

 

「ちょっと待ってよ。私は誰かに呪いなんてかけてない。それにみんなにもよくしてきた。悪口だって一度も言ったことはない!」

「直接は、ね」


 嘲るように言われた。

 直接は本当に言っていない。

 別のところ、ネットでは、言ったかもしれないけど。


「でも、いつも書いてたわけじゃないし」

「じゃあ何度人の悪口を書きこんだの?」

「それは、2、3回くらい」

「嘘つき」


 急に周りのみんなが言った。あからさまな軽蔑の念を漂わせ。


「美咲のこと信じてたのに」

「表向きはいい顔してさ」

「最低だよ、あなた」


 立っている知り合いたちのなかには、泣いていたり肩を落としている者もいた。

 言子がねっとりした口調で、解説を入れてくる。


「ちょっとした悪意から来る悪口は、堆積すれば呪詛になるの」


 猫もクスクスわらっている。


「塵も積もればなんとやら」

「呪詛はかけた相手に害をもたらすわ。運は悪くなるし、体も不調になる。たまに形になって世に現れるのも、呪詛の面白いところよね。最近のあなたに降り掛かったのは全部、あなたが他人に放ったものの蓄積よ」


 じゃあ、自分のせいってこと?


「で、でもみんなタッツイーで悪口くらい言ってるじゃん。なんで私だけ……」

「みんなが人から恨まれれば、自分も人から恨まれていいんだ」


 足元が、グズグズと崩れていくよう。

 みんなの冷たい視線も耐えられない。

 みんなに恨まれて、こんな視線を、これからずっと浴びていくことになるんだろうか?


 

 


 翌朝。登校したら、廊下でしゃべっている友達に、美咲は真っ先に近寄った。おずおずとあいさつをする。


「おはよう」


 友達はみんな、あの白い目をチラッと向けただけで、無視してスタスタ行こうとする。


「待って! ……あの、ごめん」


 思わず大声を出したら、友達はようやく足を止めてくれた。

 正直、自分が悪いと思いたくないし、嫌な気持ちやむずかゆさもある。

 でも、みんなから悪意を向けられたまま、一生独りのなるのはもっと嫌だ。


「もう悪口言ったりしないから」



 

 家に帰ってタッツイーを開けば、ツッコミたくなったり、おちょくってみたり、ムカついてくる投稿はごまんと目に入る。

 つい叩きたくなるときもあるけど、そんなときはすぐに閉じた。

 また自分の書いた悪口がたまりにたまって、呪いになって返ってきたら嫌だ。



 どんなにストレスがたまっても、人の悪口は、とにかくグッと飲み込んだ。

 すると、徐々に人の輪にも入れてもらえるようになった。

 不運な事故も遭わなくなった。


「離婚はやめたから」


 両親にもそう言われ、どんなに喜んだことか。





 十年後。そんな美咲も、もう社会人。

 自分なりに努力して得た、やりがいある正社員の仕事は、順風満帆。友達も多いし、最近結婚もした。

 趣味で写真を始め、コンクールで賞を獲り、今度授賞式に出る予定だ。

 人の悪口を言わなくなって、本当によかった。

 本当に……。


「離婚してほしい」


 ある日突然、路上で夫に言われた。

 唐突すぎて、開いた口が塞がらなくなる。


「なんで?」

「なんか美咲の本性知っちゃったら、無理だなって……」

「待ってよ。本性ってなに?」

「あとは弁護士を通して」


 足早に去る夫を追いかけようとしたら、ビルの上から物が降り、美咲の鼻先をかすめて落ちた。


(え……?)




 昼休みになれば、会社の友達が集まっていたので、話しかけに行った。


「聞いてよ。旦那がさー」


 友達は美咲に目もくれず、スタスタ行ってしまう。

 立ち尽くす以外、ほかになかった。

 昔、同じようなことがなかったっけ……?


「ねえ、ちょっと」

 

 近寄ってきた上司に、急に呼ばれた。

 上司は眉を寄せ口角を下げ、いかにも悩みを抱えているような表情。

 一体なんだろう?

 



「悪いけど、出社は今月までにしてもらえるかな」


 一緒に入った会議室で、単刀直入言われた。

 頭が真っ白になり、身体の感覚がすべて消える。


「どうしてですか?」


 そう聞くだけで手一杯。

 上司は眉間に深いシワを刻み、数枚の印刷物をデスクに広げ、見せてきた。

 のぞきこんだ紙の表面には、タッツイーの画像が刷られている。


『このブス顔でよく芸能人になれたな』

『歌ヘタすぎ。よく歌手になれたな』

『対してかわいくないくせに。ゴリラみたい』

『このレベルでウケる。いや泣ける(´;ω;`)』

『友達のカラオケの方がマシだわ』

『よく人前でさらせるな。私なら恥ずかしくて死ぬ』


 この場に似つかわしくない稚拙な悪口が、ひたすら書き連ねられている。


「なにこれ? 私関係ないですよね」

「全部昔君が書いたんだよね。最近知ったんだけど」

「書いてません! 知りま……」


 本当に?

 眉を下げた上司が、無言で紙に視線を落とす。

 美咲も目を落とした。

 よく見れば、アカウント名は自分がかなり昔に使っていた名前じゃないか。

 では、本当にこれを書いたのは美咲? 

 書いたかどうか、覚えてすらいない。

 もしかして他の人たちも、これを見たの?

 なんで今になって?

 大体なんでこの裏アカが美咲のものだとバレたの?




『コンクール受賞取消のお知らせ』


 夕暮れの家路を辿っていた美咲は、スマホに届いたメールを見て、ただただわなないた。


『誠に申し訳ありませんが、諸般の事情により、貴殿の受賞を……』


 ストレスで、頭がおかしくなりそうだった。

 そういうときは、タッツイーの情報の海に潜り、気を紛らわせるのが一番。

 

『R十周忌に追悼。誹謗中傷した奴を特定しろ』


 なんだか今日は、妙に騒がしい。

 トレンドに『#R十周忌』、『#絶対に許すな』、『#特定』の文字が躍る。

 十年くらい前に自殺した『芸能人R』に関するツイートが、どうしてかわからないが、最近なにかのきっかけでバズったようだ。


『MISAって奴も裏アカでRの悪口散々書き込んでたから晒す。友達の友達もコイツの悪口で困ってたらしいよ』


 目に飛び込んできた、美咲の本名、住所、年齢、職場の情報。

 ありえない。Rの悪口なんて書いた覚えもない。

 これはきっと夢だ。


『垢消ししてるけどスクショ持ってる』

『コイツ色んな奴に糞リプ送ってたからな』

『スクショのツイートから趣味住所絞りこんで探したらコイツ特定できたわ。確定』


 貼られたURLに繋がっているのは、会社のHPの社員紹介だったり、コンクールの授賞式だったり、美咲の本アカウントだったり。


『Rの死因を作った戦犯』

『絶対に許すな』

『殺人者』


 コメントが殺到している。

 メールボックスにも、似たようなメールと、脅迫文が。

 もう見たくない。

 スマホの画面に、非通知で電話がかかる。

 すぐに着信拒否した。が、すぐにまた、かかってくる。

 しつこくしつこく。美咲を許さないみたいに。

 目をあげれば、家の壁やドアに、赤文字の落書きがデカデカとされていた。


『人殺し』

『許さない』

『日本から出ていけ』

 


 蒼白な美咲の後ろを、日本人形のような女子高生が、キジトラの猫と一緒にスッと通りかかる。


「怖いわねえ。自分で自分にかけた時間差の呪詛は。みんなはくれぐれも気をつけてね」


 キジトラの猫が尋ねる。


「言子、誰に話しかけておる」

「え? 別に」


 女子高生はフフっと笑った。

 

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呪詛返しの呪詛師 Meg @MegMiki34

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