七夕ではないけれど
エイト
七夕ではないけれど
――そろそろか。
ちらりと見た時計の針が指しているのは十時。
ゆっくりと立ち上がった尊は玄関に向かい、鍵を開ける。
扉を押すと、そこには一年振りに、社会人になってからは初めて会う親友の姿があった。
「
「うん! 一年振りだねえ、元気だった?」
「ああ、特に病気とかはしてない」
「それならよかった」
そんな言葉を交わしつつ、二人は家の中に入る。
尊が玄関扉の鍵を閉めている間に、咲弥は勝手知ったる様子で廊下を歩いていった。
小学生の頃から一緒に過ごしてきた幼馴染には、遠慮というものがない。
リビングに足を踏み入れて、部屋の中をぐるりと見渡す咲弥。
「一年しか経ってないけど、結構変わったね」
「そうか?」
後ろから入ってきて首を傾げた尊にうん、と頷いた咲弥は、リビングの壁際にある棚に近づいていくと、ある物を見つけてしゃがみ込んだ。
「わー、このバンド、懐かしい」
咲弥の目線の先には、高校生の時によく二人が聴いていたバンドのCD。
「あー、それな。よく聴いてたな」
尊も咲弥の隣にしゃがんで、CDを手に取る。
CDのジャケットを眺めながら、尊はぽつりと呟いた。
「そういやこのバンド、この前なんかの賞取ってたな」
「そうなの? 知らなかった」
尊は見上げながら聞いてきた咲弥に頷いて、CDを元の場所に仕舞う。
そんな尊から目を逸らし、そのまま視線を横に滑らせた咲弥は、あ、と声を上げた。
「このストラップ、去年もあったね」
指差したのは、手のひらサイズのくまのぬいぐるみがついたストラップ。
茶色のテディベアは、尊の本棚の開いたスペースにちょこんと置かれている。
「ああ、ずっとここに置いてる。気に入ってるよ」
「尊テディベア好きだもんなー」
にこにこと笑う咲弥に釣られて笑顔になった尊は、その言葉に頷いてゆっくりと立ち上がった。
「久しぶりなんだから、座って話そう」
咲弥に向かってそう言った尊は、ダイニングテーブルの方へ歩いていく。
その後を少し遅れて付いて来た咲弥のために尊は椅子を引き、その向かい側の椅子に座った。
「やー、見てると結構前見たことあるの多くて懐かしかったなー」
席に着くなり笑顔でそう言った咲弥に、尊は苦笑する。
「そりゃそうだろ。一年でそんな変わらないって」
そう言いながら尊はコップを手に取る。
尊がお茶を飲んでいるところをじっと眺めていた咲弥が口を開いた。
「尊、背伸びた?」
真剣な顔でそう言う咲弥に、尊は首を傾ける。
「いや、伸びてないと思うけど」
「じゃあ僕の気のせいかなあ。なんか尊が思ったより大きく見えて」
「なんでだよ」
思わず笑ってしまった尊に、咲弥は口を尖らせる。
「僕より背高いからって笑わないでよ」
「ごめんって」
そう言いつつも、尊は笑い続ける。
「ねー、もう笑わないでってば。会って早々僕のこと笑うって酷くない?」
眉を寄せて拗ねる素振りを見せた咲弥を笑いながら宥めていた尊の口から、ぽろりと言葉が零れた。
「あー、この感じ、懐かしいな」
きょとんとした咲弥に、尊は目を細める。
「今年も十五日までいるんだよな」
「そう! お世話になります」
「おー、こっちこそよろしく」
そう言い合って、二人は目を合わせて笑った。
「尊くーん、お昼ご飯はなんですかー」
ソファの背もたれに思い切り寄りかかりながら、咲弥が間延びした声でそう問いかけてきた。
「冷やし中華」
「いいねー、美味しそうじゃーん」
そう言った咲弥は、パッとソファから立ち上がってキッチンまでやってきた。
尊の料理だー、ときらきらと目を輝かせて手元を覗き込んでくる咲弥に、尊は溜め息をつく。
「おい咲弥、近い」
「はーい」
渋々といった様子で離れた咲弥に、尊はしょうがないな、と小さく笑った。
「ほら、もうすぐ出来るから待ってて」
「わかりましたー」
咲弥は口を尖らせてキッチンから出ていき、ダイニングの椅子に腰掛ける。
頬杖をついた咲弥は、その体勢のまま尊が料理をしているところを眺め始めた。
こちらをじっと見てくる咲弥に気が散るが、なんとか冷やし中華を作り終え、ダイニングに持って行く。
皿と箸をダイニングテーブルの上に置き、尊も椅子に座った。
手をぱちりと合わせ、いただきますと呟いた尊は、冷やし中華に箸を伸ばす。
上手く出来たな、と思いながら尊が麺をすすっていると、咲弥が口を開いた。
「尊ももう社会人になったんでしょ? 仕事とかどうなの?」
咲弥からの問いかけに、尊は麺を飲み込んでから答えた。
「仕事は割と順調だと思う。先輩がいい人で、結構楽しいし。ただ、お盆前は忙しかったなあ」
そう言ってまた麺を口に運ぶ尊。
「そっかー、お疲れ様。じゃあ尊は今日から休みなの?」
「ああ。今日からのお盆の三日間と、その次の日までは会社が休み。で、その次が土日だから結構長い」
尊の言葉にへぇー、と相槌を打った咲弥は少し首を傾げて続けた。
「実家には帰らないの?」
「金曜日に帰ろうかなとは思ってる。割と近いから一日で済むだろうから。車だし」
「あー、そうね。車なら行けるね」
そんな話をしているうちに、冷やし中華を食べ終えた尊は、皿と箸を流しに運び、水につけた。
「すぐ片付けるから待っててな」
「あーい」
適当な返事をした咲弥は、尊の言葉の通りにダイニングの椅子にだらりと座った。
尊はぱぱっと洗い物を終わらせて、使った食器を仕舞う。
タオルで手を拭いた後、すぐにダイニングに戻ってきた尊は、椅子に腰掛けた咲弥を見てあ、と声を上げた。
「そこで待ってたのか? ソファの方に行っててもよかったのに」
「どっちでもいいかなーと思ってこっちで待ってた」
「じゃあソファ行こう。向こうの方が色々あるし」
「りょうかーい」
そう言って立ち上がった咲弥とともに、尊はソファの方へと歩みを進める。
ソファに腰掛けた二人は、二人の高校生の時の思い出から最近の仕事のことまで、日が暮れるまで話し続けた。
翌朝。
ふと目が覚めた尊は、枕元に置いてあるスマートフォンで時間を確認する。
時計に表示されていた時間は、朝の九時半。
スマートフォンを置いてゆっくりと起き上がった尊は、大きく伸びをしてベッドから出る。
キッチンに入り、冷蔵庫から小さめの水のペットボトルを取り出した尊は、ベランダへ向かった。
掃き出し窓をゆっくりと開け、スリッパに足を突っ込んでベランダに出ていく。
「やっぱりここだったか」
尊の言葉に、咲弥がゆっくりとこちらを見る。
「おはよ、尊。思ったより早かったね」
そう言って目を細めて笑った咲弥の横に並び、手すりに腕をつく。
「そうか?」
「だって昨日かなり遅くまで起きてたじゃん」
「まあ確かに」
軽い会話をしている二人に、蒸し暑い風が吹き付ける。
「あー、あっつ。これ飲み終わったら中入ろーぜ」
手に持ったペットボトルを揺らす尊に、咲弥は頷く。
ペットボトルの水がなくなるのは、早かった。
部屋に戻って、冷房をつける。
エアコンが吐き出す冷風に当たりながら、尊は口を開けてあー、と声を出す。
「涼しー」
そんな尊を見て、咲弥はくすくすと笑う。
「そんな暑かった?」
「暑いだろ。今お盆なんだぞ、夏真っ盛りじゃねーか」
そう言った尊に確かに、と頷いた咲弥も、尊の隣に並んだ。
二人でエアコンの下に座り、暫く涼んだ後、尊はキッチンへ向かう。
冷凍しておいた米を電子レンジに入れて温めている間に、冷蔵庫から納豆のパックを取り出し、付属の調味料を入れてかき混ぜる。
温めたご飯を茶碗に盛り、それを納豆のパックとともにダイニングに運んだ。
「お待たせ」
「はーい」
机に二つを置くと、尊はダイニングの椅子に座り、いただきます、と手を合わせた。
「尊って、朝ご飯いつもこんな感じなの?」
咲弥の言葉に首を縦に振る。
「大体ご飯と味噌汁。今日は暑いし休みだから味噌汁は作んなかったけど」
「そっかあ」
そう呟いた咲弥は、尊の方を見つめて微かに笑う。
「尊とこんな話するようになるとか、時経ったね」
目を伏せた咲弥に、尊もそうだな、と返した。
その後も、咲弥と他愛のない話をしながら、ご飯を食べ進める。
ごちそうさま、と挨拶をして、食器を流しに運ぶ。
すぐに洗い終えて、二人はリビングに向かった。
「あ、これ新しいやつ?」
「そうそう」
咲弥が指差したのは、つい先日発売されたゲームソフトのパッケージ。
「えー、このシリーズこんな出てるのか」
イラストを眺める咲弥の横で、尊はニヤリと笑う。
「するか?」
その言葉に、咲弥は頬を膨らませた。
「尊! 僕がゲームできないこと知ってるでしょ!」
「ははっ、悪い悪い」
もー、と呟いた咲弥だったが、でも、と言葉を続ける。
「僕はできないけど、尊がやってるとこは見たい!」
首を傾げてこちらを見る咲弥に、いいよ、と頷いた尊はゲーム機を手に取り、電源を入れる。
尊がコントローラーを弄ると、液晶に映し出されたのは、デフォルメされた幽霊のイラスト。
そのイラストを見た咲弥がそういえば、とぽつりと呟いたので、尊が咲弥の方を向くと、咲弥は意地の悪そうな笑みを浮かべて口を開いた。
「昔お泊まり会した時さー、尊に怖い話したらめっちゃビビって、夜トイレ行くの怖いから一緒に来てー、って泣きついてきたよなー」
そう言われて、尊は苦笑いを浮かべる。
「あったなー。あれ小一の時だっけ?」
「そう、一年生の夏休み」
尊が懐かしさに浸っていると、咲弥がふふ、と笑って言う。
「今は幽霊苦手じゃないのに、なんでだろうねー?」
「なんでも何も、お前のせいじゃねーか」
「あはは。確かに。ごめんって」
からからと笑う咲弥に、尊も目を細めてふっと息を漏らした。
夕食で使った食器を洗いながら、尊は咲弥に話しかける。
「咲弥ー、これ洗い終わったら何したいとかある?」
「えー、何したいかー?」
うーん、と唸った咲弥だったが、すぐに返事が返ってきた。
「昔のアルバムあるなら見たい!」
「あー、アルバムなら確か三冊くらいあったはず。ちょっと出すから待ってて」
そう言って尊は食器を片付けてリビングへ向かい、本棚からアルバムを引っ張り出した。
「あった、これだ。三冊ある」
「おー! 懐かしい! 見せてー」
目を輝かせる咲弥に頷いて、一冊目のページを捲る。
そこには、小学生の頃の二人が写っていた。
「うわー、僕たちちっちゃいね。これ遠足だっけ?」
「そう。小学一年生かな」
ページを捲る度、徐々に大きくなっていく二人。
体操服でこちらにピースサインを向けている二人がいたり、校舎前での集合写真があったり。
幼い日の記憶を思い起こさせるには十分だった。
「これ小学校の運動会じゃない? 四年の時の」
「ああ、俺がリレーで勝った後撮ったんだっけ?」
「そうそう。あ、その次のこれ、お昼ご飯の写真だよ」
「うわ、懐かしい」
一枚一枚の写真に宿る思い出を、二人で丁寧に紐解いていく。
「これは中学の入学式か」
「あ、修学旅行の写真!」
「卒業式の後に担任とか友達と撮ったやつもある」
「じゃあ、次のページは高校生の時のかな」
「当たり。これ、高校に入ってすぐの」
懐かしさに浸りながら捲っていたアルバムも、最後の一ページ。
現れたのは、高校の正門の前で二人で並んで立っている写真だった。
文化祭と書かれた大きな絵の前で撮られたもので、咲弥はこちらにピースサインを向けている。
「文化祭が終わる前に撮ったやつだよね」
「そう。一個前の写真でしてたお化け屋敷のメイクじゃなくなってるし」
「あのメイク頑張ったよねー」
そう言って笑う咲弥にゆっくりと頷いて、尊は写真を人差し指でそっと撫でた。
お盆の最終日、午後二時に差し掛かった頃。
「尊ー、これ聴きたーい」
そう言って咲弥が指差したのは、二日前に咲弥が見ていたCDだった。
用意したCDプレイヤーの前でしゃがみ、CDを入れて再生ボタンを押すと、スピーカーから懐かしい音が流れてくる。
「うわあ、懐かしすぎる」
「え、これ何年前?」
「えーっとね、六年前だって。そんなに前なの? 信じられない」
二人でわーわーと喋りながらこのCDを聴いていると、高校生に戻ったような気持ちになった。
ボーカルの声に合わせるように咲弥の口から漏れてきた音が、尊の鼓膜を揺らす。
咲弥はこの曲が一番好きで、二人でいる時もよく歌っていた。
――咲弥が歌ってるの、何年振りだろ。
ぼんやりとそんなことを考えていると、一曲目が終わって、また次の曲が流れ始めた。
青春を謳った曲たちを、言葉を交わすことなく聴き続ける。
口を開くのは咲弥だけで、その口からもメロディしか出てこない。
少し掠れた咲弥の声が、懐かしさを加速させる。
全ての曲が流れ、CDプレイヤーの動く音も止まり、代わりにジージーと蝉の声が部屋に響き始めた。
「久しぶりに歌ったな」
そう言ってはにかんだ咲弥に、尊は目を眇める。
「俺も、久しぶりに聴いた」
その言葉に、咲弥はそっか、と小さく頷く。
懐かしさと余韻を感じていた二人だったが、少し経つと咲弥が口を開いてこう言った。
「ね、もう一回聴いてもいい?」
「うん。俺も聴きたいと思ってた」
同じじゃん、と笑い合って、もう一度プレイヤーの再生ボタンを押した。
夕食後、風呂から上がった尊は、髪を乾かし、寝室へと向かう。
扉を開けると、ベッドに腰掛けた咲弥が、壁の方を見つめながら暇そうに足をぶらぶらさせていた。
「咲弥ー、お待たせ」
「いーえ」
手に持っていたペットボトルを小さいテーブルの上に置き、尊は咲弥の隣に座る。
ふー、と息を吐き出した尊はもう一度ペットボトルを掴むと、キャップを開けて水を流し込んだ。
キャップを閉めた尊は、咲弥に言葉を向ける。
「咲弥、何見てたんだ?」
「ああ、あの写真」
咲弥が指差したチェストの上に置かれている小さな写真立てに飾られているのは、二人の高校時代の写真。
写真の中の二人は紺色のブレザーに身を包み、目を見合わせて笑っている。
「あれ、ずっと置いてるよね」
「ああ」
写真を見る咲弥の目は、少し潤んでいるように見える。
そんな咲弥に、尊の胸はぎゅっと締め付けられた。
「ねえ、尊」
「ん、どうした?」
チェストの上を見つめたまま呟いた咲弥に、尊はそう言葉を返す。
「あれもまだあそこに置いてるんだ」
「ああ、時計か」
「そう」
咲弥の視線の先には、金属ベルトの腕時計。
腰を上げた尊が腕時計を取って裏返すと、そこにはローマ字で咲弥の名前が刻まれていた。
「懐かしいな」
近づいてきた咲弥がぽつりと漏らした呟きが、温い空気に解けていく。
尊が表に向けた腕時計の文字盤を覗き込むと、咲弥は少し頬を緩めた。
「まだ針動いてるんだね」
「ずっと手入れしてるからな」
「もう止まってると思ってたなー」
咲弥の言葉に、尊はむっとする。
「ばーか、止めたくないに決まってんだろ」
「そっかあ」
咲弥は目を伏せ、ふっと息を漏らした。
「お前に言われなくても大事にするから。俺の宝物だし」
尊の言葉を噛み締めるように頷いて、咲弥はありがとう、と笑った。
ふと尊が時計を見ると、時計の針が十時を指そうとしていた。
「もうこんな時間かあ」
尊の視線を追いかけた咲弥が、溜め息とともに呟く。
「あー、三日間あっという間だったなあ」
「毎年言ってるなそれ」
「でも尊も毎年そう思ってるでしょ?」
「まあな」
毎年、と言う言葉を使うようになったことに、尊は時の流れを感じた。
「じゃあ、また来年」
「ああ」
名残惜しさを感じるその言葉と同時に、彼の輪郭が滲む。
カチ、カチ、と咲弥の腕時計の針が時を刻むごとに、段々彼の姿が霞んでいく。
一度は伏せられた目がもう一度こちらを向いて、細められた。
彼の口が、ばいばい、と動いたのが見えて。
――ああ、消える。
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