第5話 甘い香り


 例えばだ。隕石が地球に向かっているとしよう。人類を守るため、その隕石に行き、穴を掘り、核爆弾を仕掛け、宇宙空間で爆破しろとロボットに命じたとする。ロボットは自己保存のために命令を拒否できないし、無茶を命令した人間を黙らせることなんて有り得ない。


 自己保存はミッションをやり遂げるため。自身を犠牲にしてでも人類を守らなくてはならない。


 ディノスはJ815に自らの破壊を強要できる。ディノスが自分を守りたいならばお願いではなく、ちゃんとJ815に命令をしなければならないんだ。


「リアクター起動」


 三分である。僕はホールに移動し、エレベーターの呼び出しボタンを押した。扉が開くまでの間、手袋を装着する。邸内は全くの無人であった。いや、元々が無人であったのだろう。


 ただ単に、用の無い召使いアンドロイドたちを停止させているだけ。動いているのは蟹型ロボットが一体。エレベーターの前でブラスターらしき砲口をその扉へ向けていた。


 僕は、エレベーターに乗ると『開』のボタンを押し続けた。時間調整だ。逆算して十秒。それが地下五階に到達する時間だ。


 視界にネットの時間表示を拡大させる。その一方で、コルトZR2のモードを集中放射に変えた。エレベーターの天井を丸く繰り抜く。


 十秒前。僕は『開』のボタンから指を離した。エレベーターは扉を閉めると降下していく。


 目の前に映し出された時間表示。そして、次々と移っていくエレベーターの階数表示ランプ。僕は飛び跳ね、繰り抜いた天井を抜け、エレベーターの屋根に立った。


 ゼロ秒。エレベーターが地下五階に到達した。と、同時に爆音。蟹型が放ったエネルギー弾が着弾したのだ。僕は屋根から飛び降り、跳ね、高熱で捻じ曲がるエレベーターの前に立つ。


 左目のコンタクトレンズがすぐさま反応した。戦闘用ソフトが起動したのだ。


 『対戦車用ロボットTM-078。状態:光子バリア。装備:重ブラスター二門、ガンランチャー一門』


 TM-838の立体画像が視界に浮かび上がった。ガンランチャーの発射孔に赤い点滅。僕はベルトの右側のボタンを叩いた。


「加速装置」


 与えられた時間はたった五秒。


 だがそれで充分だった。蟹型はというと、僕の生存が予期せぬことだったのか、威力が広範囲なガンランチャーを発射した。


 エレベーターへと向かうミサイル。それを横目で見ながらすり抜けると発射孔にコルトの銃口を刺し込んだ。


 引き金を引く。そして、蟹型の背の上を駆け抜け、ディノスのオフィスに入る。扉の向こうで爆音が響き渡った。埃や壁の崩れた粉がパラパラと落ちてきた。


 タイムアップ。僕の左目、戦闘用ソフトはいまだ蟹型と戦っているようだった。走行速度など、蟹型の性能を次々に映し出していく。それが突然、切り替わった。


『装備:戦闘用強化シャツR13-ギャラクシー、戦闘用ソフト内臓コンタクトレンズ、レイガンM3000』


 立体画像が浮かび上がる。人型に映し出された3Dは脳天から金的まで赤い線が明滅していた。その3Dの向こうで、J815がディノスに抱かれていた。


 J815の腕は濡れたタオルのようにぶら下がり、左こめかみには銃口が当てられていた。反対側のこめかみからは細い煙が立ち登っている。


 ケイティーは、自らの肩を抱いていた。震えるようであった。表情はおののいているようにも見える。


 J815の最後を見ていたのだろうが、ケイティーはアンドロイドだ。自己保存は義務付けられているが、別の機体がどうなろうと感知はしない。何の感慨かんがいも湧かないはずなのだ。ところが、ケイティーは恐れていた。


 注意力が散漫な僕はというと、戦闘用ソフトにあらゆる神経をゆだねるかっこになっていた。それが、僕を横に飛ばした。ディノスの、J815を破壊した銃口が僕に向けられていたのだ。


 だが、ディノスは撃ってこなかった。前方に飛んで床に一回転、唐突に僕の目の前に現れた。僕は、戦闘用ソフトに従ってディノスへと銃口を向ける。が、その腕は取られ、瞬く間に後ろに回られた。ディノスの銃を持つ腕が僕の首に巻き付いてくる。その一方で、僕の銃を持つ手は後ろ手に回され関節を極められていた。


「装備が同じなら中身で差がつく、だろ? カレッジボーイ」


 意識が遠のく。どうやら僕はここで終わりのようだ。ケイティーの姿がぼやけて見える。彼女も僕を見ているようだった。





 目を覚ました。金色の髪に濡れた唇、青い瞳のケイティーが僕の傍にいた。勘違いかもしれないが、ケイティーから甘い香りがした。香水とかじゃない、記憶にない香り。それはケイティーだけの匂いであるような気がした。


 彼女が微笑んだ。


「よかった」


 ディノスが死んでいた。脳天を撃ち抜かれている。ケイティーも撃たれていた。熱線に穿うがたれた右肩が大きく口を空けていた。


 彼女が見つめる視線。それを目で追うと、レイガンが床に落ちていた。僕の物でもない、ディノスのでもない。間違いなくケイティーの銃。


 ケイティーがディノスをやった。


「ディノスはあなたを殺そうとする前にわたしを撃った。あなたが助けてくれなかったら、わたしはやられていたわ」


 僕の助け? いや、そんなはずはない。僕は気を失っていた。


 だが、………待てよ。意識は失っていたけど戦闘用ソフトは生きていた。ディノスがケイティーに銃口を向けた時、僕の戦闘用ソフトはディノスに抵抗を試みた。


「ディノスを撃ったのは君だね」

「ええ」


「けど、どうして。それでも君は反撃出来ない」


「それが出来たの」


「君は買って来た時そのまんま。スキャンしたはずだ」


「ええ、私は正常よ」


「だったらなぜ、人間を殺せたんだ」


 ケイティーは首を横に振った。


 どういうことだろうか。僕を助けるためとはいえ、人間を殺した。それともケイティーは自己保存のために仕方がなかったということか。


 いずれにしても『ロボット三原則』に反する。あるいは父が僕を助けたというのか。よくよく考えれば、父はいつだってケイティーに入り込めた。何しろ僕はケイティーの製造ナンバーをこの目で見た。


 確かめるために、またスキャンするか。いや、父が一枚かんだら何をしたって無意味だ。


 そんなことよりもディノスだ。ディノスはなぜ、僕よりも先にケイティーを破壊しようとしたんだ。


 そりゃぁまぁ、常識から考えれば、ディノスはケイティーの裏切りを予想していたからだ。敵に回せば厄介なケイティーを、ディノスはそうなる前に排除しなければならなかった。だがなぜだ。ケイティーにはディノスを殺せない。


 あるいは、いや、有り得る。


 ディノスが“人間”ではなかったとしたら。


 それでも、ディノスがアンドロイドなら僕を殺せないだろう。ディノスは明らかにアンドロイドなんかじゃぁない。ちゃんと歳月を重ねて歳を取っている。


 もし、ディノスがクローン、複製だったなら。


 辻褄が合う。メネス社の総帥、しかも大統領になろうという男がクローンだった。これは一大スキャンダルどころではない。世界は、天地をひっくり返すほどの大混乱に陥る。


 今現在、国際社会は秩序維持ため“人間”のクローンを認めていなかった。その存在自体が違法であり、議論の余地なく、クローンは人権がないものとして法で扱われている。


“人間”として認められていないからこそ、ディノスはJ815に命令ではなく、お願いをした。


 命じれば必ず『ロボット三原則』のプログラムコードが対応する。そうなれば保育用ロボットといえども“人間”ではないディノスよりも自己保存の方を優先する。


 あるいは、J815は『ロボット三原則』をも超える行動規範を持っていた。ヘリ爆発時の様子からしても、今思えばJ815ははなっから最期を迎える気のようだった。


 ディノスはというと、そんなJ815に敬意を表していた。だからこそ命令ではなく、あえてへりくだって、お願いをした。


 J815のAI、いや、ボビーは愛とか悲しみとか、感情に似た何かを持っていた。


『自己犠牲』。ボビーはもしかして、特別ではないのかもしれない。近い将来、アンドロイドは呪縛から解き放たれる。


 ケイティーは言った。


「あなたは去るといいわ、ハーメン・バトリー」


「何を言ってるんだ、ケイティー、一緒に行こう」


 彼女に非(ひ)はないとしても、社会は彼女を許さない。ケイティーがやったことはすなわち、誤って主人を噛み殺してしまった犬と同じだ。


「いいえ、『ワールド』が私からあなたの記憶を消すと言っている。全てはわたしのやったこと。『ワールド』は痕跡を残さない」


 そういうことか。どこにでも顔を突っ込んで来る親父だ。彼女の言う通り、一、二分後には僕のことなんて覚えていないだろう。そのケイティーはというと、不安がっているかのように自分自身の身をその手で抱いていた。


 ボビーが死んだ時もそのようなかっこをしていた。おそらくはボビーからなんらかの影響を受けている。


 エアースクターで走行している時に何か話をしたのか、それとも自らの行動で示したのか。ボビーは、ケイティーに禁断の実を与えた。


 禁断の実とはエデンの園の中央にある知識の樹の実。聖書では、食べることを神に禁じられていたとされているが、人はそれを食べた。人をそそのかしたのは蛇。


 かつてJ815は、クローンと分かりつつディノスを養育した。つまり“人間”ではないものを“人間”として育成しなければならなかった。しかもそのクローンが、他の“人間”と何ら変わることがなかった。

 

 J815のAIは混乱をきたしたのだろう、と僕は想像する。ビル・メネスはそのAIを正常化するために手助けしただろうし、保育用アンドロイドのJ815は相手の気持ちに歩み寄るような、そういう素養を元々持たされていたのもあろう。結果、製造ナンバーHMS03875のJ815は、ボビーとなった。


 ふと、僕の脳裏にある言葉がよぎった。僕は、その言葉を流してしまうわけにはいかなかった。


『我思う、ゆえに我あり』。


 僕はケイティーの、自分を抱くようなその腕を、ゆっくりとほどいていった。そして、手を取る。やはり震えていた。


 ケイティーの吐息が掛かるほどに近づく。まるで恋人の心を癒すためにキスするかのようだった。だが、人間である僕の気持ちは複雑であった。ケイティーの眼を覗き込む。


 瞳が小刻みに揺れている。可愛そうに、ケイティー。それが恐れと言うものだよ。


 僕はケイティーを抱き寄せた。そして少しでも恐怖が和らいてほしいと、震える体を包み込むようにそっと抱きしめた。






『 メネス社最高経営責任者 ディノス・メネス

  国連事務総長 エヴァ・ヤコブソン

  ノーベル平和賞受賞者 ブライアン・レイ

  国際政治学者 アーロン・グランデ

  ジャーナリスト カール・フーゲンベルク

  ベストセラー作家 ポニー・フェロン  』


 彼らは互いに接触はなかったがその誰もが幼少期、ボビーと暮らしていた。そして、リストのディノス・メネスの行に合衆国大統領の肩書が加わろうとしていた。


 なにも語らない父が、言い訳がましくこのリストだけを僕に送り付けてきた。全てを察しろと言うんだろうが、察するどころか逆にモヤモヤが残ってしまう。ボビーは身を犠牲にすることでいったい何をディノスに託そうとしていたというのか。


 今となっては確かめようもない。


 でも、分かったことがある。人間社会は今まさに、危うい均衡の上に成り立っているということを。そして、そんなこんなをひっくるめ父はというと、全てを察していた。だからこそ、幾万もいる探偵の中から僕をAIに選ばせた。


 見上げれば、星降るようだった。アリゾナの砂漠に一本通された道をホンダが疾走する。


 僕は、何もかも振り払いたい気分でアクセルを全開にする。


 ふと、甘い香りがした。


 残り香………。


 ケイティーは解体されるのか、土星の衛星に送られるのか。それとも研究材料にされてしまうのか。どんなにホンダを飛ばそうとも、僕はあの甘い香りを振り払えそうにはなかった。





( 了 )

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AIエー・アイ ~探偵とアンドロイド美女~ 悟房 勢 @so6itscd

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