短編物語集
三毛猫
大学忘却日記
突然ではあるが、今振り返ると私の大学四年間は実に充実したものであった。恋に青春に勉学にアルバイトにと私の大学人生は、まさに誰もが思い描く理想の大学生を体現させた。しかし、私の人生でこれ程までにうまくことが進んだ試しはない。もう一度言う、人生で一度もない。それでもあらゆる苦難を乗り越え、耐えた人生は大学生で報われた。小学生では、両親が他愛ない事で喧嘩をした末、裁判沙汰にまで発展。幸い、離婚まではいかなかったが、私の家族に消えぬ程の傷痕を残した。私が中学生に上がると、今度は煙たがられた。殴れた。席が失くなった。そう、あまり公言したくはないが例のアレである。アレは酷かった。二度と思い出したくないと思いながらも、ふと思い出を遡ると必ず回顧録のように脳内で再生される。そんな波乱万丈なスタートを切った人生であったが、高校生で転機が訪れる。なんと、恋人ができたのだ。幸せなひとときであった。だが、これが順調に続くわけもなく絶望に落とされるのは、高校三年生の十一月下旬頃であった。なんとその恋人は他の男に金を貢ぎ、浮気をしていたのだ。しかし、寛容深い私は、その程度ことならまだ許せた。そう、それだけだあったなら。その浮気の事実を知ってから1ヶ月後、比にならない驚愕の事実を知ることになった。実は、彼女の貢いでいたお金は「私のお金」であった。詳しくは存じ上げないのが、私の銀行口座カードを抜き取ってATMに直行していたらしい。気づかない私も相当なアホというものだが。つまり結局、私は始めからすべて騙されていたのだ。その後、彼女とその貢がれていた男は、一瞬のうちに逮捕された。今考えると、人生で初めて犯罪の被害者という立場を経験したが、思っていた以上に呆気ないものであった。彼女には常人に備わっている良心というものが欠損していたので、常人の脳では情報処理が追い付かなかったのだ。そんなこんなを経験して、私はとうとう自由の象徴ともいえる大学生になった。その大学生活の中で、恋に青春に勉学にアルバイトを充実させたきたらしい私の生き様を振り返ろうじゃないか。しかし、未だに振り返ったことはない。なぜなら、断定が出来ないからだ。なぜ先ほどから、「らしい」と伝聞口調であり、断定出来ていないかというと、充実した大学生活を送ってきた感覚はあるが具体的にどのように充実していたかを詳しく思い出せないからだ。そして、もう一つ詳しく思い出せないものがある。それは、私の家にある茶色くて薄い大学ノートである。表面には、丁寧な字で『大学忘却日記』と記載してある。中身は、コメディー漫画のような現実ではまずあり得ない内容であった。当事者であったならば、なんと痛々しいことか。御愁傷様と心から慈愛の念を送りたい。裏をふと見ると、今度は『上塗り日記』と記載してある。上塗りとは、なんとも恐ろしい名前である。なぜなら、上塗りの行為はあった物をなかったことにすることではなく、あった物をなかったかのように覆い隠すことだからだ。これは、両親からの唯一の教えである。つまり、あった物は事実であり、なくすことは出来ない。出来ることは、ただ一つ。自分自身の中で、なかった物として見なすことだ。しかし、この充実した生活を上塗りすることは決してないであろうと感じた。そんなことを思っている内に、彼女と会う約束の時間になっていた。自由の羽が生えた大学生のように軽い足取りで、待ち合わせの新宿に足を進めた。
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