紙上の縺れ

香久山 ゆみ

紙上の縺れ

 プロジェクトチーム立ち上げから無事に着工まで漕ぎ付け、チームメンバー数人で飲みに来た。

「あーやっぱり女同士っていいですねー」

 打解けてきた頃、最年少の雪乃が甘ったれた声を出す。大分酔っているようだ。

「今回のプロジェクトは女性中心だって聞いて立候補したんですよ。うち建設会社でしょ、むさくるしい男ばっかりで。あーん、本当は保育士になりたかったのになあ」

 大袈裟にテーブルに突っ伏したそのうなじもしっかり日に焼けている。すでに彼女の旺盛な仕事ぶりは皆知っているので、たわいない愚痴として微笑ましい視線を送る。

「へえ。私は夢を叶えたクチだからなあ。ね、千秋さんはメーカーに就職していなければ、何か他になりたいものとかあったの?」

 最年長の建築士が、私に話題を振る。

「うーん……」

 適当に流せばいいのに、「特にないですかね……」なんて下手な返事をする。

「夏川さんは?」

 建築士がさっと内装業者のメンバーに話を移す。

「あたしは、小説家ですね」

 あっ!

 内装業者の返事に、思わず出そうになった声を飲み込む。

 いいじゃん、いいじゃん。今からでも目指せばいいじゃん。いや全然書いたりとかしてないんで。毎日ぐうたら過ごしてばっかで、ネタとかないし。そんなこと言わないでさあ、日頃の鬱憤でもぶつけりゃいいんじゃないの。そうだ、このプロジェクトをモデルにしようよ。**ビル殺人事件。建設中に一人ずつ死んでくの。あ、わたし死体やりますよ、ダイイングメッセージ書きまあす。いやまず施主からいこう。あと現場監督と。うるさいのから順番にやっていこう。あはは。盛り上がる話題にただにこにこ相槌を打つ。

 じつは、私も書いている。

 文学賞などかすりもしないが、十年来書き溜めた作品を先日サイトにまとめてアップしたばかりだ。けど、小説家になることが夢かというと、返事に窮する。小説だけでなく、イラストや音楽、料理もSNSに上げている。映画を作ったこともある。人一倍承認欲求が強いのだ。何かになりたいのではなく、ただ人から認められたくてたまらない。

 また、言えなかった理由のもう一つは建築士が言ったとおり、紙上で殺すとばかりに日頃のストレスを作品にぶつけているからでもある。裸のさらに内側を無防備にさらけ出しているのも匿名ゆえ。けれど、仲間の結束を固める会だ。書いているということくらい言った方がいいのではないか。万一あとから知れたら、なぜ黙っていたのかと咎められやしないか。いやけれど。

 悶々として結局言い出せぬまま、その夜の会はお開きになった。

 その後もプロジェクトで顔を合わせるたびに「私も書いたことあるよ」と軽い感じで言ってみようかと思うものの、言えないまま。

 だって、怖い。迂闊に開示したことで芋蔓式にあれもこれも読まれた日には。身バレしたらと、想像するだにぞっとする。プロジェクトが始まってこの一年間で、すでに関係者十四名を殺しているのだ。なんなら今はゾンビとして復活した彼らをさらに滅殺している最中だ。いやそれよりも。時には官能の世界に溺れていることさえあるのだ。仕事仲間に読まれて良いものと悪いものとがある。やはり身バレは厳禁だ。

 なのに、着工の会から一年半後。ついに受賞した。受賞の話題はすぐに仲間内に広まった。ちょうど竣工と重なり、プロジェクト完了記念の会は、併せて文学賞受賞の祝賀会になった。

 私は上手く笑えているだろうか。皆の祝福の言葉を受け、内装業者は屈託ない笑顔で挨拶をする。

「まさか受賞するなんて自分でも信じられなくて。皆さんに背中を押されて書いてみてよかったです」

 やはり言葉に出した方が夢は叶うものなのだろうか。

 そう思いながらも、やはり私は黙々とひとりで書き続けている。

 どうやら承認欲求のためだけでもないらしい。投稿した作品に数少ない読者はつくものの、もしも誰に読まれなくても私は書く。なにかを生み出し続ける。それは祈りにも似て。自分の中のものをどんどん吐き出して吐き出して。そうしてなるべく身の内を空っぽにすることで、さいごに少しでも天の国に近づけるのだと信じてるみたいに。

 建設会社の春日さんは結婚して、年末には産休に入るらしい。

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